暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

坂口安吾の「桜の森の満開の下」

2016年03月31日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

                 物語の舞台・鈴鹿峠ではなく、吉野山ですが・・・

いよいよ桜の季節がやってまいりました。
桜と言えば、坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」を思い浮かべます。

   桜の森の満開の下は怖ろしい。
   怪しいばかりに美しい残酷な女は掻き消えて ただ幾つかの花びらとなっていました
   そして その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も延した時にはもはや消えていました
   あとには冷たい虚空がはりつめているばかり---


相変わらず「腰椎すべり症」と、そろそろそろりと付き合いながらお稽古をしています。
それなのに懲りずに、4月3日(日)に「桜の森の満開の下」茶事をいたします。
坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」が好きで、長年あたためてきたテーマです。
花の命は短く、桜をテーマの茶事が出来るのは毎年1回限りですし・・・。
どんな趣向になるか自分でも??ですが、出来るときにやりたいことをしたいと思い開催を決めました。

我が家では皆この小説が大好きで、よく映画のキャスティングごっこをしていました。
「男は誰にする?」
「女は?」
「ビッコの女は?」
主な登場人物はこの3人、それぞれのイメージを話し合い、
ああでもない、こうでもないと、思えば愉しい時間でした。
数年前ですが、私がキャスティングを提案した時の次男のメールを記念に掲載します。
なかなか破棄できず、ボックスに取っておいたので・・・(やっと、捨てられるかな)

        


母者へ

メールはちゃんと届いています
庭の枝垂れ桜は、数は少ないものの咲きました
枝を刈って2年目なので、来年はもっと落ち着いて咲くのでしょう

「桜の森の満開の下」のキャスティング遊びでは
ボクは香取慎吾はない、と思います。彼にはどこか最終的な照れがあります。
もっともあの体格はいいのですが。
その箱に入れて追い込めればどうばけるか、という点もあるにはありますが、
うーん。ちょっとジャニーズという点でも荷が重く、違う気がします。
(だってキムタクでもいいわけです。でもキムタクがそのゾーンに入ってくれるとも思えない)
むしろ、あべさだおと大塚寧々の組み合わせの方が、違うトーンで、線があります。
悪くありませんね。とっても身近な選択です。ただ、小品としてのトーンですよね。
あべさだおを据えることで、あべさだおにシフトした「桜の森」となります。
ボクもそういう意味では、「他にいないか!」と可能性を探してしまいます。

僕の中の「男」のイメージは、前にも言ったことがあると思うのですが、
ダントツで「病院坂の首縊りの家」のあおい輝彦です。 
声も素敵だしね。独特の肉と影があります。このイメージは今でもかわっていません。

現代の、今のレースで考えると、山田孝之かなぁ。
彼にはもう少し年を重ねてもらって可能性はあると思います。
ボク自身観ていないけど、最近だと「十三人の刺客」などに出ております。
山田孝之、チェックしてみてください。

「女」選びの楽しみもありますね。
でも実は、ぼくはそこまで「女」選びに執着していない気がします。
そんな意味で、フカキョンも堀北真希も大塚寧々も、イヤな魅力満載でとてもグッドです。
尾野真千子 という選択だって怖いけど、おおいにあり得ます。
彼女はNHKドラマ「火の魚」に出ています。これはとてもいいドラマです。
有料ですがWEBのNHKアーカイブで、今でも観れます。

もう一度、坂口安吾を読みます。
とりいそぎ、返信まで。          H.U.

                   


捨意菴へ招かれて-2

2016年03月28日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)
                          
                          開花を待つ桜・・・満ち溢れるエネルギーの高まりを感じます
                                  (季節の花300提供)
(つづき)                           
銅鑼が七点打たれ、後座の席入りです。

にじり口に手をついて中を拝見すると、どっしりと存在感のある伊賀水指と茶入が目に入り、
少し開けられた障子戸から一筋、春の陽光が差し込んでいます。
床前に進むと、白文字、木五倍子、玉之浦、もう一種ピンクの椿が飴色の竹曲げ花入に入れられて、
ここにも春の歓びが溢れていました。

濃茶点前が始まり、表千家流の帛紗さばきや茶筅の動きに見惚れていると、熱々の濃茶が点ち、
三人で美味しく頂戴しました。
続き薄茶となり、煙草盆と干菓子器(青漆の献上盆)が運ばれ、薄茶を京都風に二服ずつ頂戴しました。
干菓子は春しぐれ(たねや)と常盤木(京都・鍵屋政秋)、常盤木を懐かしく頂きました。

正客Iさまから道具の拝見が掛かり、萩焼の茶入はオーストラリア在住の陶芸家の作、
仕覆は井伊家伝来裂、そしてインパクトのあった茶杓・・・。
胡麻竹、節下が長めの茶杓は少々座りが悪く、茶杓銘は「うたたね」や「たいへい」を連想していましたが、
大徳寺508世・聚光院住職であった中村戒仙和尚作で銘「幾千代」でした。
ご亭主のH氏から、京都へ行く前に中村戒仙和尚が住職した栄松寺(松戸市)へ座禅にいくというお話を伺い、
郷土に関係のあるお坊様でもあったのです。

真塗棗と思っていた棗は夜桜棗、光線の具合で初めて夜桜を見ることができ、感激しました。
光線と言えば、障子から差し込む陽光が徐々に移動して、時の流れを告げています。
「愉しい時は過ぎるのがなんて早いのだろう・・・終わってしまうのが残念!」
客一同、異口同音でした。
さりげなく、ステキなおもてなしをしてくださったご亭主H氏、
素晴らしい相客I氏やNさまとのご縁に感謝し、捨意菴を後にしました。


                           
                                  桜の木が切られています 

中村戒仙和尚について何も知らなかったのですが、博識のご亭主H氏とお正客I氏のお話を伺って大いに関心を持ち、帰ってすぐにネットで調べてみました。

   中村戒仙 
   明治14年、現千葉県柏市増尾に生まれる。
   幼少に増尾山少林寺・巣山和尚の養子となり、大徳僧堂の川島昭陰に参じ、法を嗣ぐ。
   千葉県松戸市の栄松寺、つづいて大徳寺聚光院に住職し、大徳寺508世住持となる。
   道号は隋応・法諱宗雄、室号は直入軒、号は雪山・高安、望待居
   昭和47年91才で示寂


戒仙和尚は、情熱の詩人であり、北原白秋の二番目の妻であった江口章子(あやこ)と大正の終わりころに結ばれます。
昭和2年、聚光院の住職となった戒仙和尚は章子と京都へ向かい、二人は結婚します。
しかし、禅僧の妻帯は許されず、表にでられない日々が続き、章子の精神は次第にむしばまれていきました。
数々の奇行によりついには戒仙和尚の愛を失い、昭和13年に二人は離婚しました。

江口章子は柏市増尾の辻堂に住んでいたこともあり、7歳で少林寺の養子になった戒仙和尚との縁で章子の歌碑が少林寺境内にあるそうです。

     手賀沼の水のほとりをさまよひつ
        芦刈る音をわがものとせし   江口章子



戒仙和尚は、江口章子との恋や結婚など、人間としても禅僧としても魅力的な方のように思い、
・・・恥ずかしながらご縁を感じて戒仙和尚作の茶杓を購入しました。
4月3日の「桜の森の満開の下」茶事に使うつもりで、とても楽しみにしているところです。
茶事までに風邪を治さないと・・・とあせりつつ。 


            捨意菴へ招かれて-1へ戻る



捨意菴へ招かれて-1

2016年03月27日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)
                       
                              矢指谷戸(横浜市旭区)の菜の花畑

用事やら体調不良やらでブログの更新ができず、申し訳ありませんでした。
そうこうしているうちに菜の花、辛夷、彼岸桜が満開で、春爛漫です。

                       

3月21日(月)に捨意菴(しゃいあん)の茶事へ招かれました。
ご亭主のH氏は表千家流、初めての御目文字です。
昨秋のむらさき茶会の折、庸軒流茶人・伊藤庸庵について調べていた時に「茶道望月集抜粋編」(伊藤庸庵編纂、昭和40年発行)をお借りしたことが御縁となりました。

上野駅で懐かしい常磐線に乗り換え、捨意菴へ向かいました。
利根川のほとり取手で生まれた私は常磐線に乗ると、いろいろな思い出が頭を駆け巡り、いつも胸キュンになるのでした。

マンション一階の部屋へ入室すると、正客のIさま、詰のNさまが既に到着していらして、ご挨拶を交わしました。
Iさま、Nさまとも初めての御目文字でしたが、ベテランのお二人に導かれて自然体で臨むことができ感謝です。
庭が露地と腰掛待合になっていて、大甕と黒石が詰められた盆栽鉢が蹲に工夫されています。
腰掛に座ると、彼岸とはいえ冷たい風に思わず手あぶりに身を寄せました。
すると、見たことのない美しい灰筋に目が釘づけになり、ご亭主の心入れも嬉しく、心身ともに温かくなりました。
やがて結界が除かれ、ご亭主H氏と初めて無言のご挨拶を交わしました(感激!・・・)。

                       
                               辛夷の花 (季節の花300)

席入りすると、木の香り、塗り壁、障子が清々しい四畳半茶室に釣釜が自在に掛けられています。
表千家流では3月は透木釜、4月が釣釜だそうですが、裏千家流の客三人に合わせて3月の釣釜。
床には「一日清閑一日福」、紫野洞雲和尚(玉林院)の御筆です。
この禅語にはお正客さまの名前が散りばめられていて、交友の深さが伺えるご趣向でした(ステキですね・・・)。

ご挨拶のあと、初炭が始まりました。
表千家流の炭手前は久しぶりで、炉中のあられ灰の風情、炭斗の炭の組み方など新鮮です。
自在を巧みに操りながらさらさらと裏千家流とは逆に炭が置かれていきました。
釜はたしか筒釜(?)、畠春斎造だったような・・・。

続いて懐石がだされ、客一同、次々と出される料理を舌鼓を打ちながら賞味しました。
お酒は二種、燗鍋で千葉県産の房の寒菊、垂涎の信楽とっくりで伏見の玉の光を。
いつもは舐めるほどしか口にしないお酒ですが、ついつい勧められるままに飲み過ぎて真っ赤になりました。
続いて菓子きんとん(遠桜、とらや製)をしっかり頂いてから中立ちしました。 
                              やっとブログです 

              捨意菴へ招かれて-2へ続く


茶道具の独り言

2016年03月05日 | 茶道具


    おおいぬのふぐり


弥生3月、緑の若芽や野の花が顔を出し、春の陽光を浴びています。

3月に入り、先日流木を頂いたO先生のお宅を再訪しました。
O先生が昨年10月にお亡くなりになったことを知り、お線香をあげさせて頂きました。
その折、茶道具で不要の物があったら・・・とお声掛けをしたのです。
すると、先方から連絡があり、茶道具をいくつか譲って頂きました。
・・・といっても、前日に御親戚の方(?)が来て持って行かれたとかで、
希望通りにはいきませんでしたが・・・。

我が家にも茶道具が溢れていて、2階の書斎や押入れを占領しています。
京都から引っ越しの際にだいぶ整理したのですが、茶道教室を開いたので稽古道具がまたまた増えました。
季節ごとの取り合わせ、伝物の茶道具、茶事に使う懐石道具など、キリがありませんので、
なるべく上手に在るものを使い回しするようにしています。



    姫踊子草だと思う?


O先生から頂いた中に花器が一つ、縄文式土器(レプリカかも?)です。
7年前の北海道旅行で常呂遺跡・東京大学常呂研究所の縄文式土器に出逢い、その力強い美しさに魅せられて以来、
花器または水指に使ってみたい・・・と秘かに憧れていたのです。
そんな私の夢が突然叶って、
「どんな花を生けようかしら? 
 どんな茶事に使おうかしら? 他の取り合わせは?」
・・・専ら頭の中で楽しんでいます(O先生、アリガトウ!)

もう一つ、傘立て。ステンレス製の組み立て式です。
我が家の傘立てが劣化していたので、この春にすぐにも役立ちそうです。

遠くへ行かなくっても私のサクラの下で、桜花爛漫をこころゆくまで味わいたい!
日傘を立てて緋毛氈を敷いて野点一服も好し、
緋毛氈に寝転んで坂口安吾の「桜の森の満開の下」を読むのも好し・・・。もうもう楽しみ!



       疏水の桜 (京都にて写す・・・懐かしい!です)

茶道具にからむ妄想は尽きませんが、これからプールで腰と足のトレーニング、現実は厳しい!です。 


 


「とんかつ竹」さんの閉店

2016年03月03日 | 暮らし

3月3日の1時過ぎにチャイムが鳴りました。

2月いっぱいで閉店した「とんかつ竹」さんの奥さんが笑顔で立ってらして
「あらっ!いらっしゃったのですか? 
 先ほどは御留守だったようなので・・・・すぐまた来ますね」

2度目のチャイムで玄関を開けると、
大皿に盛られた揚げ物と小瓶を両手に持っています。
「長い間お世話になりました。夕食にでもどうぞ食べてください。
 それからお兄ちゃんの好きだったから揚げのタレを持ってきました。
 作り方は鳥のブツ切りを塩こしょうして・・・・」
「こちらこそ長い間ありがとう! このタレは自家製でしょう? 
 そのうち息子がタレの作り方をお尋ねするかもしれませんよ。
 ご主人にもどうぞ宜しくお伝えくださいね」



長い間仕事をしていたので、出張先から子供たちのために夕食の配達を頼んだり、
どんなにか「とんかつ竹」さんに助けられたことか、いろいろなことを急に思い出します。

この度の閉店を家族みんなでとても残念に思っていました。
次男は閉店前の2月中に二度もから揚げ定食食べたさに千葉から帰宅したほどです。


記念にパチリ、長男ご贔屓の「梅定食」(ごはん大盛)


記念にパチリ、次男ご贔屓の「から揚げ定食」(ごはん大盛) 
                   
・・・そして、地域の人たちに惜しまれつつ閉店の日を迎えました。
その日の夕方、当然のように注文したのですが、昼にその日の予約がいっぱいになったそうです。
「えっ~!そうなの。残念だけれど最後まで忙しくって良かったね」
と言って、千葉から馳せ参じた(?)次男は帰っていきました。

今は、「とんかつ竹」のご主人と奥さんに長い間ご苦労様でした。
これからはお二人で第二の人生を大いに楽しんでください・・・とエールを送ります。