暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

鷹峰・光悦会-2

2014年11月28日 | 献茶式&茶会  京都編
             鷹峯三山(鷹ヶ峯、鷲ヶ峯、天ヶ峯)の一つ、鷹ヶ峯

(つづき)
光悦会の第三席目は大阪席、藪内燕庵の席主でした。
あとで光悦会の席主は今年が初めて・・と伺いましたが、一番心に残るお席でした。

寄付の本阿弥庵の床には「うらやましの文」、利休筆の剣仲宛の消息です。
書院には「東籬御茶箱」(白菊の絵、茶通箱)が飾られ、
香合は燕庵名物「織部 袂」(古織より到来)でした。
続いて飾られている炭道具にも惹かれましたが、
中でも羽箒「伝来形 青鸞 三ツ羽」が今でも目に鮮やかです。

待合は自得軒、床には竹心筆
「茶井 留得先生一片心」
莨盆一式があり、火入(伝来形 鐵銀象嵌入り三ツ足)の灰形が藪内流独特らしく、
藁家を思わせる屋根型に香道のように灰筋が入って、風情がありました・・・。

              
                   本阿弥庵(濃茶寄付・大阪席)

              

本席は騎牛庵、こちらの席へ少人数に分かれて入りました。
床には「無傳」の二字横物、薮内剣仲筆です、
最晩年の筆だそうですが、無駄なものが削ぎ落とされたような清々しさを感じます。
何か後世に茶の道を伝えるものは?という問いに
「無傳」
伝えるものなど何もないよ、各人が己の茶の道を拓けばよい・・ということでしょうか。
心に残る「無傳」の二字です。

「わぁー! 薮内燕庵って太っ腹!」
はしたなくも心の中で歓声をあげたのは
燕庵名物の古萩茶碗・銘「是界坊」(古織より到来)を全員に回して
手に取って拝見させてくれたことでした。
井戸茶碗のように大振りの古萩は手に取ると軽やかで、一段と味わい深く、
割高台の力強さも目の当たりに鑑賞し、感激しました・・・。
名物茶道具を手に取って見せてくださったのは如庵茶会以来です

              

第四席は京都席、最後の席になってだいぶ疲れ、お腹もすいて集中力が・・・。
濃茶席の寄付の床には尾形光琳筆「蔦・雪絵 団扇」 桂洲道倫賛がありました。
この賛について詳しい説明がなかったのがちょっと残念です。
脇は本阿弥光悦 宗達下絵「三十六歌仙色紙帖」、光悦会らしい設えです。

本席は徳友庵、床には「熊野懐紙 寂蓮」(重要文化財)の二首。
  山川水鳥
    いはたがた こほりをくだくすゑまでも
      あはれとおもへ をしのひとこゑ
  旅宿埋火
    くさまくら あたりもゆきのうづみ火は
      きえのこるらむ ほとぞしらるる

熊野懐紙は、後鳥羽上皇が熊野御行の際に歌会を催し、和歌が書かれた懐紙です。
寂蓮法師の和歌もさることながら、近々熊野詣を予定しているので
正治2年(1200)の法楽歌会の二首和歌懐紙に改めて興味を持ちました。

ニシキギ、ツルウメモドキ、曙椿が入れられた花入は古伊賀・唐犬耳(双軒庵旧什)、
古伊賀の深い趣きは「カラタチ」(畠山美術館)を彷彿させます。
大井戸・銘「平野屋」、嵯峨桐茶地金襴の帛紗など未だ目に焼き付いています。

               

四席をまわり、お菓子と抹茶ですでに満腹ですが、仕上げの点心席へ。
鷹峯三山を眺めながら外の席で、偶然お会いしたSさんの知人Nさんも加わり、
4人で瓢亭弁当を味わいながらゆっくりしました。4人の感想は
「紅葉を愛でながら各席をまわる光悦会って好いわねぇ~。また来年も来たい・・・」

天気も良く、寒くもなく、参加人数が比較的少なかったのでゆったりと、
4人で愉しく各席をまわることができ、恵まれた一日でした。
素晴らしい機会を与えてくださった方々に感謝いたします。  


              
                軒下の吊るし柿・・・光悦寺近くの民家にて


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鷹峰・光悦会-1

2014年11月26日 | 献茶式&茶会  京都編
              光悦寺より京の街を望む(11月6日に撮影)

京の北、鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見渡す景勝の地、光悦寺。
その昔、本阿弥光悦が家康よりこのあたりの土地を拝領して拓き、
太虚庵を建てて住し、一族と配下の工匠とともに芸術村を創りました。

ここで毎年行われる光悦会へ11月13日に行ってまいりました。

光悦会は、本阿弥光悦の遺徳をしのぶ茶会で、土橋嘉兵衛らが世話役となり、
三井松籟、益田鈍翁、馬越化生、団琢磨らの賛助を得て、
大正4年(1915)に財団法人として発足しました。
光悦寺に大虚庵、騎牛庵、本阿弥庵などを新築して、11月に最初の茶会が開かれ、
東京の大師会とともに近代数寄者の二大茶会として始まったのです。
現在も11月11日~13日の三日間、東京、京都、大阪、名古屋、金沢の
美術商が世話人となって茶会が行われています。

             

京都に居る間に参席したく思い、或る方に茶券をお願いしました。
関東から茶友のSさん、Oさんが参席することになったので、
ご案内の下見を兼ねて光悦寺を訪ね、掲載の写真を撮ってきました。

当日、三人で9時前に光悦寺へ到着すると、1週間前より紅葉が進み、
朝陽を浴びて、赤橙黄緑のグラーデーションが輝いています。
東京、金沢、大阪、京都、最後に点心の順で各席をまわりましたが、
とても覚えきれず、各席ごとに印象に残ったことを記念に記しておきます。

             

第一席は薄茶・東京席で、本席は三巴亭です。
青磁竹の子の花入に季節外れの大きな牡丹(花無し)。
たった一枝ですが、枯れた葉あり、青葉あり、花芽あり、新芽ありで、
人の一生を託したとか・・・東京席世話人の心意気を垣間見た気がしました。

源氏夕顔文の芦屋釜と、七宝蒔絵(道恵造)の炉縁の華やかさにも惹かれましたが、
乾山の色絵夕顔文水指が一番のお好みでした。
鉄絵も好いですが、斬新でモダンな乾山の色絵にすっかりほれ込みました。
茶碗(黄伊羅保、絵唐津、色絵)のうち、仁清造の黒地芭蕉葉文(横山家伝来)が
珍しい文様で、仁清の色絵も佳いなぁ~とため息です。

             
                  三巴亭 (薄茶・東京席)

第二席目は濃茶・金沢席です。
了寂軒が寄付になっていて、床には元伯宗旦の松絵自画賛のお軸が掛けられ、
香合は金沢席らしく、仙叟手捏ねの飴釉寿星香合。
垂涎の炭道具が飾られ、こちらで金沢・吉はし製の「初霜」と薄茶を頂きました。

本席は太虚庵、外には有名な光悦垣があり、了寂軒から庭伝いへ進みます。
三畳台目の落ち着いた席へ入ると、奈良先生が対応されていました。
床は、春屋宗園墨蹟「諸悪莫作衆(修)善奉行」、
以前に拝見した一休禅師の墨蹟と違い、柔らかく優しい人柄が想像される墨蹟で、
光悦の遺跡・太虚庵にふさわしく思いました。
花は白玉椿とズイナ、花入は古銅四方蝶耳(芳春院伝来)、
この花入は本阿弥光悦より大徳寺芳春院へ寄付されたものとか。

             
                   紅葉が美しい光悦垣

             
                   太虚庵 (濃茶・金沢席)

インパクトがあったのが水指でした。
仙叟好飴釉海老撮手付(初代長左衛門造、一井庵旧蔵)で、
一井庵不言斎記によると、
「長左衛門が同じ水指を二つ造り、一つは宗室へ、一つは自分が持ち、
 互いに懐かしく思う時は是をみるべし・・・と」

茶入、茶碗、帛紗、茶杓・・・どれも素晴らしく相和して、金沢席っていつも凄い!
・・と思うのはお道具もさることながら、郷土愛を感じるせいかもしれませんね。
                                       

            鷹峰・光悦会-2へつづく                            

炉開きの日に・・2014年11月8日

2014年11月22日 | 稽古忘備録
                  だいぶ紅葉がすすんでいます

2014年11月8日はS先生宅の炉開きでした。
毎年、11月の最初の稽古日に炉開きのお祝いをしてくださいます。

床には「万年松在祝」、江雪和尚筆が掛けられ、
濃い紫の飾り紐で真行草に結ばれた茶壺が飾られています。
存在感溢れる茶壺は瀬戸の祖母懐(そぼがい)、鵬雲斎大宗匠により銘「香楽」です。
お軸と茶壺に再会すると、今年も炉開きへ参加できた喜びがこみあげてきました。

              

床柱の花入には白玉椿とハシバミが生けられていました。
竹花入は箆筒(へらつつ)写、職人が使う箆差しの形をしています。
本歌は四代仙叟の好みで、ごま竹の箆筒だそうです。
あとで「古宗室好 箆ら津々 碩叟(淡々斎)」の箱書きを拝見しました。

書院に置かれた優雅な「板文庫」に惹かれました。
料紙筥と硯箱を兼ねた文具で、文挟み板のような板に紐を通して、
上に料紙、硯をのせて紐で結び、書院などに飾ります。
手に取って拝見させて頂きましたが、料紙にさらさらと和歌を書くのでしょうか。
利斎作、蒔絵の硯箱は三代宗哲、文庫結びのひもかざりは友湖です。

              
                        珍しい板文庫              

ご挨拶の後、Kさんの台子の初炭手前から始まりました。
風炉から炉へ変わり、炉の設えが新鮮です。
淡々斎好の松唐草蒔絵の炉縁が炉開きの釜を華やかに惹き立てています。
釜は古芦屋の常張釜(上張釜とも)、胴に文字の鋳込みがありました。
釜の上に板状に突き出て、外側に張っている鐶付にびっくりです。
この珍しい鐶付は常張鐶付といい、唐犬釜や九輪釜にも使われているそうです。

常張鐶付なので、鐶も初めて見る常張鐶(掻立鐶とも)でした。
先生が手品師のように鮮やかに片方だけを返し、使い方をご指導頂きましたが、
何回も練習しないとかっこよく出来そうもありません。
釜が上げられ、炉中の様子、湿し灰の撒き方を実際に見せてくださったり、
炉開きの日の稽古は、道具や設えと言い、所作と言い、覚えることばかりで
頭がくらくらするほど満杯でした・・・。

             

初炭が終わると、湯が湧く間に大好物のぜんざいを頂きました。
先生と奥様の手づくりの粟ぜんざいは程よい甘さで、もう美味しく頂戴しました。
さて、炉開きの一番の楽しみな濃茶となりました。
いつも先生が濃茶点前をし、点ててくださいます。

先生の足運び、姿勢良い点前、流れるような所作、皆、息を呑んでみつめます。
ぷう~んと茶香が漂い、一碗目の濃茶が古帛紗を添えて出されました。
Tさんが茶碗を取り込み、一同総礼をし、次々と三服点てられた濃茶を頂きました。
丁寧に練られた濃茶は香り好く、まろやかな甘みが口の中でとろけるようです。
たしか「炉開き用の濃茶」で小山園だったような?
私は桜高台の古萩で頂戴し、古帛紗は淡々斎好みの七宝雪月花金襴です。

濃茶の後は、Yさんと私が台子薄茶点前のお稽古を兼ねて薄茶をお点てしました。
薄茶を頂きながら、炉開きのために準備してくださった、台子や道具組のお話を
愉しく伺いながら、先生のお心入れを一入感じ、一同幸せなひと時でした。
心の中でいつまでもこの時間が続いてほしい・・・と思いました。

午後も、行之行台子、台子の平花月とびっしりお稽古が続き、充実した一日でした。
先生宅へ伺う炉開きも最後かしら・・・寂しいより残念です。

                                   



吉田神社の献茶式

2014年11月20日 | 献茶式&茶会  京都編
            
11月4日は吉田神社の献茶式でした。

氏子ではありませんが、散歩によく出かける大好きな神社なので
この度献茶式へ伺えて、とても嬉しく思っています。
茶券を手配してくださった真ML会員のTさまと待ち合わせ、ご一緒しました。

            

先日の平安神宮と違い、吉田神社は参列者が少ないのが好ましく、
吉田山の樹木に囲まれた式場は清閑として献茶式にふさわしい佇まいです。

雅楽が演奏され、お祓いを受け、神箋が供えられ、祝詞があげられ、
いつものように、厳かに坐忘斎お家元の献茶のお点前が始まりました。

            

            

よく見える席だったので、坐忘斎お家元の所作や間合いに合わせて、
頭の中でご一緒に茶を点てさせて頂いていると、いくつか気が付いたことがありました。
帛紗の色が、濃茶では白、薄茶では紫だったような気がします。
仕覆は白、緒の色が濃茶器と薄茶器で違っていましたが、しかと思い出せません。
もう一つ、水次を運ぶ時、水次を持ったまま水指前へ斜めに膝行し、
水次を台子と平行に置き・・・
水を次いだ後も水次を持ったまま斜めに膝退されたような・・・。

このような臨場感のある献茶体験ができるなんて、
なんて素晴らしい献茶式なんだろうと感激し、吉田神社にも感謝です。

            
                 薄茶の緑が美しく映えて・・・

献茶式のあと、拝服席、本席、副席、点心席へTさまとまわり、
一人ぽっちで参席した平安神宮とはちがい、心豊かな愉しい時間でした。
社務所の奥に茶室や広間があるのを発見したのも嬉しいサプライズです。

            
                   吉田神社の社務所

ますます吉田神社が好きになりましたが、来年の節分に来れるかしら?

                               


炉開きの茶事-2  壺荘と献上かざり

2014年11月19日 | 思い出の茶事  京都編
                  はじめて拝見した「献上かざり」
(つづき)
懐石担当はなんと!Mさまのご主人でした。
茶事前の電話で「いろいろ試作しているのですが、四つ椀は初めてで・・・」
あれはMさまではなくご主人のことだったのね。
お二人で試作やらデスカッションを繰り返し、ご主人の懐石デビューでした。

煮物椀・・ざっくりした海老真蒸が食感、味とも素晴らしく、松茸、三度豆に
輪切り柚子のシンプルさ、盛付の美しさに学ぶべきことばかりです。
進鉢・・巨峰と菊花の胡麻和えが絶品でした。が、食材がすぐにわかりませんでした。
巨峰(ぶどう)と胡麻の絶妙なハーモニーで、箸が止まらない美味しさです。
サプライズもあり、是非つくってみたい一品でした。
八寸・・一塩の生鱈子と渋皮煮

ご主人との共作(?)の懐石がほほえましく、うらやましく、きっと回を重ねるほどに
いろいろな懐石料理が生み出され、お二人の息の合ったコラボが楽しみです。

舌鼓を打ちながら、すべて美味しく平らげました。
さらにお菓子が続きます。
朱赤に花、鳥、蝶の蒔絵が描かれた縁高が運び出され、亥の子餅を頂きました。
どうしたら亥の子餅に見えるか、ご亭主苦心の手づくりです。
そして、中立となりました。

                  
                  見事な大輪の菊(三本仕立て)

美しい響きの銅鑼に導かれて後座の席入をすると、
床の上座には飾り紐を真行草に結んだ壺が飾られ、
中央には三本の菊が奉書に包まれ、赤白の水引が結ばれていました。
初めて見る、珍しい菊花の飾り方です。
茶花の菊は野紺菊、嵯峨菊など数種に限られると伺っているので、
あとでお尋ねするのが楽しみでした。

菊花は「献上かざり」といい、明治天皇誕生をお祝いする飾り方で、
11月3日は「文化の日」ですが、昔(昭和23年まで)は「明治節」といい、
明治天皇の誕生日でした。
最初の写真のような「献上かざり」をして祝ったそうですが、本来は黄色の菊で、
2日までは小菊にします。

詳しく知りたくてネットなどで調べましたが、よくわかりません・・・。
でも、「献上かざり」の風習を後世に伝えていきたい・・と思いました。
素晴らしいご趣向で私たちに教えてくださったMさまに感謝です。

                 
                         高松市・玉藻城の菊花展
濃茶点前がはじまりました。
はじめて拝見する棚は淡々斎好の尚歌棚。
ステキな備前の水指が映える桐木地の一重棚で、天板と地板の前後に切り込みがあり、
継色紙風になっています。柱は、短冊をかたどった桐の板と白竹が一組になり、
勝手付と客付に立てられ、簡素の中に風流な趣きがありました。

それに・・・Mさまのお点前が一番のごちそうでした。
足の運びにため息をつき、丁寧で優雅な袱紗捌きや所作に魅せられながら、
濃茶の時間を心ゆくまで愉しみました。

萌黄地に雲文金襴の仕覆が脱がされると鹿の子斑の瀬戸の茶入が現われました。
飴色の窠蓋(すぶた)が開けられ、緑の濃茶が黒の茶碗へなだれ落ちる様子、
茶が入ると茶香があたりに漂い、もう濃茶が待ち遠しい思いです。
丁寧に練られた濃茶が出され、トルコブルーのエキゾチックな古帛紗が添えられました。

一口頂き、「まろやかで美味しゅうございます」
濃茶は「松花の昔」小山園詰、甘くまろやかな濃茶をたっぷり堪能しました。
茶碗は那智黒釉、紀州焼の寒川栖豊作、黒々と重厚で重そうですが、
手に取ると意外に軽く、茶の緑が美しく映えて濃茶にぴったりです。

                  
                  野紺菊・・・鷹峯・常照寺にて

続き薄になったのですが、裏流ではなく表流で、私(正客)から薄茶を頂戴しました。
続き薄で何回も茶事をしているのに、美味しそうな干菓子(木守と栗)に気を取られ、
恥ずかしいですが、全く動じないご亭主、YさまとNさまがなんと頼もしかったこと!

個性の異なる3つの茶碗で二服ずつ薄茶を賞味し、ご亭主にもご自服してもらい、
愉しくのんびり過ごさせて頂いた、貴重なひと時でした。
帰りはご亭主と水屋で奮闘してくださったご主人に見送られ、車へ乗り込みました。

床のお軸の如く、素晴らしい「好日!」でした。
そして、横浜へ帰っても決してこの茶事を忘れることはないでしょう。
いつまでも「千里同風」でありますように・・・。
                                

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