暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

第3回お茶サロン「お茶とハーブティーを楽しむ会」-1

2016年09月29日 | お茶サロン&ご近所さんと茶会
                       
                              採取した野の花

数日前から天気予報ばかり気になりました。 

第3回お茶サロンは「秋野を吹き抜ける風」を感じる茶会にしたい・・・
とひそかに考えていたので、秋野を彩る草花を採取しなければなりません。
連日の雨模様で「雨の中でも採りに行くしかないかしら?」と空を睨んでいると、前々日の天気予報で
「明日の10時から12時まで曇りらしいから何とかなるかもしれないよ」とツレ。

翌日(茶会の前日)、10時過ぎに雨がひと休みしている間にツレと草花採りに出かけました。
我が家は横浜の郊外、住宅地の横には横浜の原風景ともいうべき帷子川、里山、畑などがあり、
散歩コースを一廻りすれば、草花を十分採取できる環境です。
それに今回は茶花というより、ひそやかに秋野に咲く野の花を生けていただきたいと。

                     
                     雨が強くなったので玄関内へ避難

予報通り12時近くにポツポツ降り始めたので、最後に芙蓉の蕾のある枝を選び採りました。
帰宅するとすぐに水揚げの悪い芙蓉の切り口を炭化させ、深水で養います。
3つのバケツが秋の草花でいっぱいになり、これで一安心です。
作業が一段落すると雨脚が強まって来て、今度は明日の天気が心配に・・・。

そんな心配を和らげるようなメールが届きました。
 暁庵様
  いよいよになってまいりました。
  雨続きではありますが、明日は「曇り」のようです。

  でも、秋晴れの心持ちです。
  初めて尽くしで戸惑う事もあろうとは思いますが、何卒よろしくお願い致します。
  暁庵様、スタッフの方々、そしてご連客の皆さまとの出会いに感謝しております。  SAより

                     

                     
                       茶会の朝、芙蓉や木槿の花が咲きました(ヤッタね! )

第3回のお茶サロンのお客さまは5名様、全員が裏千家流でした。
正客は東京からお越しのSさま、某勉強会で最近知り合った素敵な方で、お互いに末永いお付き合いを望んでいます。

次客は茨城県よりお越しのSAさま、第1番にお申し込みを頂き、前回参加できなかったので楽しみにしてくださったようです。茨城県は暁庵の生誕地でもあり、嬉しい御縁です。

三客のHさまは前回の聴雪の茶会に感動してくださり、引き続き参加してくださいました。最初のお出会いは京都、親鸞聖人の降誕会でお会いした、稀有なご縁の方です。

四客のUさまは横浜市旭区からお出ましで、家が近いのでもうびっくり! このお出会いを御縁に親しくお付き合いくださると嬉しいです。

詰は神奈川県厚木市よりお出ましのYさま、「大寄せの茶会しか経験がないので、すっごく楽しみな反面、不安です」とのことでしたが、詰をお願いしちゃいました(立派にお役を務めてくださいました)。


   第3回お茶サロン「お茶とハーブティーを楽しむ会」-2へつづく   前へ



東京教室の稽古・・・長月のかぐや姫 in 2016

2016年09月27日 | 稽古備忘録・・・東京教室の稽古
                  
       
台風の影響もあり、秋の長雨が続いています。
長月19日(月、祭)は敬老の日であり、S先生の東京教室の稽古でした。

その日は、祥雲寺さんの都合で、いつもの稽古場ではなく、本堂奥の和室で行いました。
床、書院が備わった12畳もある和室です。
床のお軸は「壺中日月長」(こちゅうじつげつながし)紫野広州宗澤(大徳寺483世)の筆です。
この禅語は先日の茶会「つぼ仙人」のお話に因るもので、
壺の中のように小さな世界でも、平和に日が送れるという意味です。

私たちはつい現実から逃れて別天地に憧れを抱きますが、どんな現実でもそれを真摯に受け入れて、
そこでなすべきことを見つけ、穏やかな気持ちでやりとげなさい・・・と言っているようにも思えます。

花は、清浄無垢な白い芙蓉。
はっと身が引き締まるほど気品高く、真の花入に活けられています。

                    
                               白い芙蓉の花

Oさんの真之炭、暁庵の真之行、Iさんの貴人点薄茶、昼食をはさんでOTさんの続き薄茶、茶通箱付花月、濃茶付花月でしたが、全部台子で行いました。

真之行では道具の扱い(象牙茶杓、茶碗の仕覆)や名物の唐物を扱う時の所作について、日頃疑問に思っていたところをお尋ねしました。
S先生は初歩的なことでも、きちんとご自分の考え方を含めてお話し下さり、迷いがすっきり晴れた様な・・・。
でもまた、稽古を重ねていると、雲のようにムクムクと疑問や迷いが湧いてくるのでしょうね。
この繰り返しの果てに「壺中日月長」へ到達するのでしょうか。

台子・貴人点薄茶はまるで映画か舞台のワンシーンのよう、うっとり魅入ってしまいました。
キャストは貴人Oさん、亭主Iさん、半東I氏でした。
ご亭主Iさんの道具組はかぐや姫に因むもので、茶碗は銘「翁」、棗は銘「ふし」(9代宗哲)、茶杓銘は「竹取」(玄々斎?)、そして2つのエピソード(羽織るとこの世での記憶がなくなってしまう羽衣と、不死の薬)をお話し下さいました。

初めて伺った羽衣(月の衣)の話に興味を持ったところ、高畑勲の「かぐや姫の物語」というブログに次のような一節があり、妙に納得してしまいました。

   ・・・・前略・・・
   もう二つ、この映画を見て気付いたことがある。
   それは、死についての映画だということ。
   それと、これはもしかしたら、かぐや姫=宮崎駿かもしれないということだ。

                    

   死について。 これはこの映画のラストに顕著に表れる。
   高畑勲による、この国最古の物語「竹取物語」への解釈を堪能できる瞬間と言ってもいい。
   月からやってくる一味のリーダーがどう見ても、釈迦なのだ。


                     

   月の衣を羽織れば、地球(下界?)での記憶がなくなってしまう。
   かぐやは必死に抵抗して、育ての親オキナ・オウナと抱擁する感動シーンがあるのだが、
   これはつまり、「死に抵抗する家族」にしか見えない。
   月の一味がそんな最中、かぐや姫にサクッと月の衣を羽織らせてしまう。
   するとカツーンと今までの抱擁を忘れ、月の住人として、トリップしてしまうかぐや。

   もう、この描写なんて「死」でしかなかろう? 死がやってきたとしか思えん


   ・・・・後略・・・
   
                     
                           2016年9月15日 中秋の名月

最後には東京教室からかぐや姫の別世界へトリップしてしまいました・・・。
長雨の中であの夜だけ不思議と晴れた、中秋の名月を長く見詰め過ぎたせいかもしれません。   
                                
          

追伸) 後日、Iさんからメールを頂きました。
 
高畑勲の「かぐや姫の物語」のブログを読みました。
万葉集にも、竹取の翁と天女の話が出てくる程に古いファンタジーですよね。
亡くなった方は天の星になる……と言われていますが、全ての記憶を忘れて月に戻るこの物語は、死者をいつも身近に感じていたい我々の願いなんでしょうね。

8年前に母を亡くした私は、生き物の殺生ができなくなりました。
生まれ変わって見守っていてくれるかもしれない……と思うからです。
蛙でも蝶々でも。

でも、時々いるのです
……黒い物体が…… (@_@;)
私は逃げるだけですが、父はいつも[次はもっと良い物に生まれ変わるんだよ]と言いながら、スリッパでバシっと叩きます。   Iより


茶箱点前の記・・・・玄々斎

2016年09月26日 | 暁庵の裏千家茶道教室


9月に入ってから関東では長雨が続いていて、残暑はこれからでしょうか?
8月中は暑いので瓶掛けで気軽に・・・と茶箱点前をしていました。
月(拝見あり)、雪(拝見ありとなし)、卯の花(拝見ありとなし)です。

茶箱点前をもっと普段の稽古に取り入れたい・・・と思い始めています。
その理由は2つ。
8月だけの集中稽古では、茶箱点前の持つ季節感が今一つ味わえないこと、
急ぐと点前順序を追うようになってしまうので、じっくり時間をかけて茶箱点前の特徴や応用を考えたり、茶箱を観賞する時間を持ちたい・・・と。


     光悦蒔絵の茶箱 (N氏蔵)
    (茶箱の中のお道具も近々紹介する予定)

そんな折、茶友H氏から茶箱点前にも格のようなものがあったという話を伺い、
十一代玄々斎精中が嘉永7年(1854)に書かれた「茶箱点前の記」(後述)を再読しました。

嘉永6年(1853)秋、玄々斎は伊勢の国への道中で
雪月花の茶箱点前を考案した経緯とともに
茶箱点前が軽く扱われぬように
さらには、初心者がただ珍しいからと行うのではなく、常とは違う心持で
月の扱いは唐物伝に添い
雪の扱いは茶通伝に添い
花の扱は小習事に添いて教え伝うべきものであるとしています。

さて、今日の茶箱点前は玄々斎の願ったように教え伝えられているのでしょうか?
残念ながら、そのような心持で教え伝えられているようにはとても思えないのです。
「茶箱点前は好きでないので・・・」とおっしゃる男の先生も多いと伺っています。

これを機に、茶箱の点前について扱いを含めいろいろ考えてみたいし、
来年は眠っていた茶箱や茶籠を生かしたお茶サロン(茶会)はどうかしら?
・・・・と夢見る暁庵です。


    雪点前

  参考に記載します。
    「茶箱点前の記」 嘉永7年(1854)

    いにしへ今も茶の道を学ふ人には 四季の眺望に遠近と出つるにも
    旅路へ趣くにも茶箱てふ物を携へ茶をのミけるか これに手順なけれは
    としころ作法を望人多くミへけれと
    今更拙き考をなすもはしなしと等閑に打ち過けるか
    去年の秋伊勢の国へ 家の道を伝へにまかりける駅路の休泊にも
    茶筥を取出し侍るにつけて
    いかにも茶は尊敬して喫すへき筈なるに
    たとへ旅亭 山野 水辺 船中 芝生などにて
    仮坐し筥をひらくにも手順なく 猥に取扱事本位なき事に思ひしまゝ
    かの旅箪笥の習にある茶点の法にもとつき 棚板をやつして四つにたゝみ
    器据と呼て 此上にて茶具を扱事又箱の蓋と懸このうへにて扱事
    また程よき方円の盆中にて扱事なとを考つゝりつゝ
    是を雪月花の三通りと定め
    流を汲人々に伝へんことは
    仮初にも茶のみちの軽事にならむやうにとねがふのミ

          器据在 古帛 荃立
  一、月の扱 茶器袋入 碗袋入 茶匕袋入
          菓子器 香合 羽箒

          蓋懸こを用ユ 古帛
  一、雪の扱 茶器袋入 碗袋入 茶匕袋入
          菓子器在

          方円の盆ヲ用ユ 古帛
  一、花の扱 茶器 茶碗 茶匕皆袋入
          菓子器
                  以上

    濃茶有時の左法 茶碗二ツ有時の作法等ハ差略 教示可及事
    斯ハ伸けれと初学の人は只めつらしき事のミとて猥に平生にも
    此手前をなす事あれば本法に
    混雑して茶意に背に至へきゆへ
    努て常にハなすへからさることを念しけるまゝ
    月の扱ハ唐物伝に添 雪の扱ハ茶通伝にそへ
    花の扱は小習事に添て教えつたふへきと
    古老の人々と示談を遂て極めし趣意をあらあらここにしるし侍りぬ

               きのへとらのとし
                          今日



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スウェーデンからのお茶だより・・・・瑞暉亭の今昔-3

2016年09月23日 | スウエーデンの茶友から
                  
                       オーネル家の林檎の木とお孫ちゃん

Oさんことオーネル敏子さんから次のようなメールと訳文が届きました。
「瑞暉亭(ずいきてい)についていろいろな方が書かれたものがあり、
 瑞暉亭のタイトルで一冊の本になり1996年に出版されています。
 ウーラ・ワグナーさん(当時の民族博物館長)の文はその中のものです」

 

瑞暉亭再建          ウーラ・ワグナー著     (オーネル敏子訳) 

1984年に民族博物館では「日本 生きた伝統 (Japan Living tradition) 」の名で1年間日本に関する展示がありました。 
これをきっかけに瑞暉亭再建の動きが高まり、その頃私(ウーラ・ワグナー)は日本へ行く機会があり、瑞暉亭再建の援助や寄付金集めに協力する組織や茶人に声を掛けました。
其の時は寄付金の必要性を理解してくださる方はいましたが、援助金出資までには至りませんでした。


                  
                     民族博物館の日本を紹介する展示コーナー
 
イーダ・トロッテグ(Ida Trotzig) の二人の孫、ゲイビー・ステンバリー・コック(Gaby Stenberg Koch)とウメ・ステンバリー・ラードブルシュ (Ume Stenberg Radbruch)が再建案に非常に興味を抱き、日本との折衝に協力してくれることになりました。

こうしてイーダの孫二人、民族博物館の責任者ベント・ペトリ(Benft Petri) 、アクセル・イバロ(Axel Iveroth)、タロウ・ガデリウス(Taro Gadelius)らにより再建運動の会が作られたのです。 
タロウ・ガデリウスはGadelius・KK・Japanの会長で、個人的にもトロッテグ家やステンバーリ家と交際があり、昔の茶室建設の時に石探しに藤原銀次郎氏を援助したそうです。


タロウ・ガデリウスの提案は最初の茶室建設に大きな援助のあった王子製紙と連絡を取る事でした。
1989年には王子製紙、十條製紙、本州製紙、神崎製紙の四製紙会社と、スウェーデンのガデリウスAB社が茶室を寄贈してくれることになったのです。
日本の茶室設計の第一人者である中村昌生教授が設計にあたるという知らせを受けた民族博物館の喜びはひとしおでした。


寄贈決定の手紙には、新茶室の建設ならびに寄贈は藤原銀次郎翁の精神を継ぐもので、日本とスウェーデンの友好と文化交流の更なる発展の一助になってほしいと記してありました。
同時に1990年5月がガデリウス社設立100周年になるので、そのお祝いを記念して、ガデリウス・KK・日本とガデリウス・AB・スウェーデンが茶室の輸送と庭造りの費用を負担すると決定したのです。


                  
                         緑に囲まれた瑞暉亭の佇まい

1989年11月4日に日本で、秩父宮殿下、メインの寄贈社の代表者、スウェーデン大使、スウェーデンからのゲストの立ち合いの元に、新茶室の仮組立が行われました。
旧瑞暉亭と同じように、新茶室も「瑞暉亭」と命名されました。 
民族博物館の代表としてイーダさんの孫二人も参加しました。

一方、スウェーデンでは関係者が同意決定していた茶室が建つ場所で、土台の工事が同時に進められていました。
皆が同意したのは旧瑞暉亭の場所はそのまま残して置くことでした。 
スウェーデンと日本の見解から新茶室をどの場所にするか、いろいろ検討されました。
スウェーデン側はオープンである事、日本側は静かで緑の多い事が要望され、現在の位置に決まりました。

例年にない温かい春に恵まれた1990年3月の初め、大きな荷が届き、茶室の屋根の棟上げが行われました。 
また、京都から土台石が届きました。
1990年夏、ついに新しい「瑞暉亭」が完成したのです。


                  
                             瑞暉亭の広間

茶室の建物自体が芸術作品です。
日本の茶室は禅との関係が深く、民族博物館は最初からヨーロッパ風のカフェとは異なる事は承知の上でした。
茶道文化の真髄は茶室で行われる茶会を通じてこそ心から味わい、正しく理解することが出来ます。

民族博物館は日本茶道裏千家スウェーデン同好会会長の叡子(宗叡)デューク(Eiko Duku)、
現在は裏千家スウェーデン淡交会との協同で茶道教室を開催しています。
見学するだけの茶室ではなく体験できる場として、茶の湯のデモンストレーションを行っています。
(この項おわり)


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お茶サロンまであとわずかになりました

2016年09月22日 | お茶サロン&ご近所さんと茶会
                  
                       庭先でハーブティーを一服・・・夏のある日に

9月24日(土)開催の第3回お茶サロンまであとわずかになりました。
胸をドキドキさせながら、暁庵、相田康子さん、Kさんの3人のスタッフがお客さまをお迎えします。
なんといっても、お客さまとのお出会いが一番の楽しみです・・・・。

Kさんが続き薄茶の稽古に励んでいます。
当初の予定では濃茶がなく薄茶だけ差し上げるつもりでしたが、心変わりしました。
遠近各地よりお客さまがいらっしゃるのだから、やはり濃茶でおもてなしをしたい・・・と思いました。

                  

もう一つは、大きな茶碗(詳しくは茶会前なのでナイショ)が我が家へやって来たのです。
一碗で5人分の濃茶をゆうゆう点てられます。
茶碗がやって来てまもなくのこと、Nさんに依頼していた古帛紗が出来上がってきました。
19世紀末の古い裂地を紡いだ古帛紗(詳しくは茶会前なのでナイショ)を茶碗に合わせてみました。
すると、これがもうぴったり!なのです。
茶碗の制作年代はわかりませんが、茶碗と古帛紗が二百年余の時を経て、互いに呼び合って我が家で出逢ったような錯覚を覚えました。

それで、濃茶とつづき薄茶です。
濃茶は暁庵、Kさんに薄茶をお願いしました。

                      

昼食後、相田康子さんのハーブティー講座へバトンタッチです。
相田さんが(社)日本ティーコンシェルジュ協会1級認定講師であり、
ティーコンシェルジュチャンピオンシップで昨年今年と2年連続優勝したことを知り(凄い!です)、
ハーブティーに興味を持ちました。

実は今年に入り、左足の激痛や突然の眩暈など、予期せぬ体調不良に襲われました。
左足の激痛は腰椎すべり症、突然の眩暈は自律神経から・・・とのことで、確たる治療法はありません。
自分の身体と向き合い、相談しながら症状が出ないように気を付けることしか対策がありません。
その中で感じたことは「未病に対処する」「常に体調を良好にコントロールする」方法はないだろうか?

                      
                             左側は元気が出る「アリスのカップ」

それで、相田さんに相談し、6月からハーブティー2種を飲んでいます。
コマーシャルではありませんが、私に合っていたみたいで、まぁまぁ快調にこの夏を過ごすことが出来ました。
でも、ハーブティーのことを全くわかっていませんので、ハーブティー講座をとても楽しみにしています。

今日も  が降っています。
明日は野の草花を採取したいのだけれど、長雨があがらないかしら?  ますように・・・。