暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

虫明焼の茶碗

2013年10月30日 | 茶道具

10月4日~6日まで開催された京都大骨董市へ出かけた時のことです。

ある店で穢い箱に入った侘びた風情の茶碗が目に留まりました。
伯庵茶碗のような枇杷色の肌、とても薄づくりで、小振り、
葦に雁の鉄絵が画かれています。

高台の中に彫られた字が読めなかったので尋ねてみました。
「この字は何と書かれているのかしら?」
「むしあけと真葛・・・と書かれています。
 これは富山県の某旧家の倉の買い取り品です。
 箱はなく、合せ箱ですが蓋がありません。
 袋はありますが、この通りボロボロです・・・」

「これが虫明焼の茶碗・・・」
実は、伊木三猿斎の虫明焼に密かにあこがれていたのですが、
なかなかご縁がありませんでした。
・・・「むしあけ」と「真葛」の印銘も気に入って、
「今度の秋の茶会へどうかしら?」と購入を決めました。




「むしあけ」と「真葛」の印銘が気になって
茶道大辞典(淡交社)で調べてみると、

  虫明焼は、岡山県邑久(おく)町虫明の陶磁器。
  寛政年間(1789-1801)岡山藩主池田候の家老伊木家の御庭焼
  として創設され、二代高橋道八も招かれて作陶しましたが、
  天保13年(1842)廃窯(池ノ奥窯)。

  弘化4年(1847)伊木三猿斎は京都から初代・清風与平を招いて
  再び開窯(間口釜)しました。
  文久3年(1863)、二代・与平は千少庵二百五十回忌のため
  「少庵伝来三島角水指」(玄々斎箱)を作陶しました。
  これにより虫明焼の名前が世に広まったそうです。
  清風父子の作品には染付・金襴手・赤絵・三島などがあり、
  印銘は「琴浦」「清風」を用いています。

  宮川長造も招かれ仁清写しを残し、印銘は「むしあけ」「真葛」。
  長造の四男・宮川香山も明治初年に作陶し、作品は主に鉄絵の御本写し、
  三猿斎好みの十二か月茶碗や五節句茶碗が有名です。

  
  文久3年、間口窯は森角太郎に譲られ、角太郎とその子香洲は香山から
  陶技を学び、主に茶器つくり、印銘は「むしあけ」「香洲」「明浦」。
  現在は黒井・岡本・横山家が陶業を続けています。





ネットを調べていると、「虫明焼の栞」というHPに行き当たりました。
虫明焼を熱愛していると思われる蓼純氏の論説や参考書などが満載。
「虫明焼にはニセモノが多い」というショックな話もありましたが、
「今月の抹茶茶椀」「「蓼純Collection」で貴重な写真が掲載されていて
興味のある方にはお薦めのHPです。

10月10日が「虫明焼の栞」を始めて10周年だそうで、
「虫明焼の栞」10周年記念プレゼントに厚かましくも応募しました。
「バンザーイ、ありがとうございます!」
抽選に当たり、プレゼントの「虫明焼茶碗」が届きました。

雲のようにたなびく、白い刷毛目の混じり具合が美しい平茶碗です。
「むしあけ」の印が高台内にありますが、作者は ? 。
虫明焼の初心者なので、これから本物やニセモノ(?)をたくさん観て、
感性を磨きたいものです。

二つの虫明焼茶碗、
まさに秋の茶会のために私の手元にやってきたようで、
せっせと抹茶を点てて使っています。

                             



秋時雨の茶会へ招かれて

2013年10月25日 | 思い出の茶事  京都編
            ニシキギ (写真は季節の花300の提供です)      

10月20日、茶友Sさまから茶会(茶事?)へお招き頂きました。

折からの秋時雨がしとしと。
S邸の町家建築、玄関への石組のアプローチ、待合から眺める露地の緑を
しっとりと潤し、美しさを引き立てていたように思います。
それで勝手ながら、秋時雨の茶会としました。

ご亭主お好みの置物がどれもステキで、珍しく目に飛び込みます。
玄関の侘びた大籠に入れられたホトトギス、
李朝・高麗の卓にさりげなく置かれた壷や人形、雅びな重香合・・・。

雨なので腰掛待合-露地-蹲-躙り口のルートを取らず、
室中を通って茶道口から席入するのも新鮮でした。
床には「明歴々露堂々」、紫野大亀和尚筆です。
一点の曇りもない明々とした満月をイメージして掛けられたそうです。
そういえば、10月20日は満月、しかも母の命日でした(いまだ涙っ・・)。

           
                  ムラサキシキブ

丸い扁壷のような掛け花入に秋草が入れられています。
矢筈ススキ、紅いニシキギ、白藤袴。
あとで伺うと花入は満月に見立て、庭にあった花です・・とのこと、
忙しい仕事の合間に庭掃除、苔の手入れ、そして丹精の花々
・・・茶の湯へ邁進するひたむきな姿が脳裏を横切り、ただ感謝です。

中置の点前座を拝見して思わず嘆声がでました。
古色溢れた四方の細水指が、中置にぴったりの風情です。
蓋上に謎の人物が居て、仏のようでもあり、豆男にも見えます。
あとで現代の女性陶芸家・脇山さとみさんの作と知り、びっくりでした。

           
                  フジバカマ

お点前が始まりました。
錦秋の山々が描かれた金茶色の着物がお似合いで、
ご亭主のしっとりした美しさを引き立てています。
美しく確かなお点前とともに一服の絵のように目に残っております。

熱い濃茶と薄茶が美味しゅうございました。
李朝の堅手も垂涎でしたが、瀬戸の肩衝はお茶をされていた母上、
さらに母上は叔母上から譲られ、稽古にも使われてきた伝来品でした。
今日一番素晴らしいお道具と、心して拝見させて頂きました。

           
                  ススキ

正客のYさま、次客のTさま、私の客三人はすっかりくつろいで、
しばしこの世の悲しみや小さな悩みを忘れさせて頂きました。
茶碗や茶杓の話しも盛り上がり、楽しゅうございました。
「秋の茶会」をまじかに控えているので、中置の点前、道具組、灰形など
いろいろ参考と刺激になり、有難かったです。

その後、待合へ移動して食事とおしゃべり。
この形式は最初に茶席を持ってくることでお茶の緊張感あり、
席を移しておしゃべりの愉しさありで、客としは嬉しいおもてなしです。
三友居のお弁当、ご亭主手づくりの汁椀・・・たっぷり頂戴し、
煎茶の一服も美味しく、一煎の甘味がやみつきになりそうです。

           
               心の中に月を描いて・・・

愉しい茶談義に去りがたく、つい長居をしてしまいました。
あまりの愉しさにまたおねだりしそうです・・・。        

秋時雨も上がり、おもてなしの数々に感謝しながら帰途につきました。

                                
                              &   




                          

MIHO MUSEUM -Negoro-

2013年10月21日 | 美術館・博物館

新幹線京都駅(だったと思う?)で
MIHO MUSEUMの全景写真を見た時の驚き、
「えっ、この建築は何? 誰がデザインしたのかしら?
 まるで森の中に建物(大きな鳥)が羽を広げているみたい。
 MIHOへ行ってみたい!」
それまでの漠然とした憧れが本物に進化した瞬間でした。

ところが・・・
台風18号の襲来で道路が不通になり、石山駅発MUSEUM行のバスが
いつになったら開通するのか、半分あきらめていましたら
TYさんから朗報が届きました。
京都駅発「MIHO MUSEUMと信楽まちなか芸術祭」のバスツアーが
あるというので早速二人で申し込み、
「朱漆「根来」-中世に咲いた華」へ行ってきました。

根来塗は、鎌倉時代より紀伊国根来寺(和歌山県岩出市)で
僧徒により制作された朱漆器です。
神仏具や什器として使われた朱漆器は歳月を経て、表面の朱漆が摩耗して
下地に塗られた黒漆が露出してきます。
この味わいが古くから日本人の美意識に叶ったようで、
「根来塗」と愛用され、今も永遠の魅力を湛えています。

            
               ポスター「根来」

            
                    根来寺

天正13年(1585年)豊臣秀吉は対立する根来寺一帯を焼打ちにし、
その際、寺も漆器も焼失し、漆器職人は根来を退去して、他所へ移りました。
「根来に根来なし」
その後、再興された根来寺へ行っても本来の根来塗は影も形もないことを
伝える言葉だそうです。

            
                  アプローチ

            
                  MUSEUM入口

MIHO MUSEUMへ着きました。
電気自動車に乗って正面玄関へ。
近づくと入口に円相の窓があり、反対側の景色を窓から眺めながら
入場するという、ステキな演出でした。
そこからの眺めは広い森の中に浮かんでいる美術館のような錯覚に陥りましたが、
建物の80%が地下に埋め込まれたデザインで、
自然の中に同化した建物という、設計者I.M.ペイ氏のコンセプトだそうです。

            

さて、「根来」の展示ですが、素晴らしい漆器の数々が一堂に集められ、
見ごたえがありました。

中でも松永耳庵旧蔵の「大盤」に圧倒されました。
照明を抑えた暗さの中に、「根来」の妖しいまでの美しさ、
木地の持つ力強さが迫ってきます。何度も引き返して見つめました。

永仁6年(1298年)の東大寺二月堂練行衆盤(日の丸盆)は
練行衆が食事に使った盆ですが、十一枚残っている内の6枚が
会期中に展示されるそうです。
所蔵をみると奈良・東大寺、根津美術館、北村美術館、五島美術館、
MIHO MUSEUMとあり、これらの盆が再会を果たすまでに
どのくらいの時を経ているのでしょうか? 

原三渓旧蔵の「折敷(角切)5枚」(天正14年(1586年)は
盆中の四角部分が黒漆の小振りの折敷です。
この折敷を使って茶事をしている三渓翁を想像したり、
嬉しいお出合いです。
黒澤明監督旧蔵・北村美術館の「輪花盆」や白洲正子旧蔵の「盃」など、
故人を偲ぶ展示品も心に残りました。

           

           

最後に「耀変天目茶碗」(重要文化財、加賀前田家伝来)、
中国・宋時代(11-12世紀)について書いておきます。
こんな耀変天目があったなんて!
びっくりしたり、不思議な魅力に惹きつけられたり・・・でした。

国宝の三つの「耀変天目茶碗」(静嘉堂文庫、藤田美術館、龍光院蔵)
とは全く違う耀変天目で、「第四の耀変天目」と言われているとか。
誰もいない展示室で何度も茶碗の周りを廻わって眺めました。
光りの微妙な変化でピンク、紫、青、黄、緑など虹色の輝きが現れます。
こんな素晴らしい天目茶碗の存在を知らなかったことがショックでした。
「根来」と共にお薦めです。

  2013年 秋季特別展
     朱漆「根来」-中世に咲いた華
     会期:平成25年9月1日~12月15日

     窯変天目茶碗  展示:9月1日~11月17日

                                   



                            

Jazz茶会ー2  Moon Bow

2013年10月16日 | 思い出の茶事  京都編
              (写真がないので・・・)

ギャラリー池川をお暇して、Kさん宅のJazz茶会へ。
Kさんは謙遜して、茶会と言っているのですが、
めったにお目にかかれないほど、精神性の高い茶事です。
池川みどり家元の薫陶を受けていらっしゃるのですから
当然ですが、それを文章で表現するのはとても難しい・・・。

でも、忘備録としてその一部を書いておきましょう。
           
その日、播磨地方の天候はめまぐるしく変わったそうで、
ギャラリー池川で雷雨のようなにわか雨に逢いました。
ご亭主は全天候型の茶会準備をしてくださったようですが、
行いの良い(?)私たちは一度も雨に振られずラッキーでした。

         
            ステキな蹲 (前回の写真です)

掃除の行き届いた庭の腰掛で迎え付けを待っていると、
木々の間から上弦の月が見えました。
夕方のにわか雨で、庭木や苔がしっとりと露を含み、
空気は一段と清らかに澄んでいます。

ご亭主が現われ、蹲で身を浄め、無言で挨拶を交わします。

どんなにか、この日を待ったことでしょう・・・。
ご亭主は体調を崩され、茶会の開催は無理な状態が長く続きました。
茶会をまたやれるように・・・と、出来る限りの治療や養生を実行し、
茶会ができるまでに回復されたのでした。

         

躙り口から席へ入ると、そこは蝋燭の灯りだけの世界です。
床に何やら英語の言葉が・・・。
あとで伺うと友人の書で「Moon Bow」、
月が今宵の主役でしょうか。

手づくりのお弁当を頂戴しました。
送り迎えや準備で忙しかった合間に・・・感謝です。
どれも美味しく、格段と料理の腕を上げられています。
庖丁が切れると、ゴボウの旨味と甘みが保たれるという話に
びっくりしたり納得したり。
ご亭主にも相伴してもらい、料理修行やこだわりのあれこれを伺いながら、
愉しく全部たいらげました。

         

今思い出すと、茶会のどのシーンも心に残っています。
ジャズを聴きながら、精神の高みを感じる薄茶一服も好かったけれど、
一番は、月を見ながら点ててくださった二服目の薄茶席でしょうか。

月の光、山中のような庭の木々、テーブルのローソクのゆらめき、
鉄製の燭台、木と石の椅子・・・
舞台装置がステキでした(ため息!)。

揖保川焼の振出しから飛び出したウサギさん(雲平)とクルミ菓子を食し、
ジャズならぬコオロギたちの演奏を聞きながらの薄茶の味わい、
野趣豊かな忘れられぬ茶会となりました。

私も横浜へ帰ったら、庭で薄茶の茶会をしてみたい・・と、
大いなる刺激と感銘を受けました。
いつも、素晴らしい茶会をしてくださって、ありがとう!
  
                            

           Jazz茶会ー1へ


Jazz茶会ー1  ギャラリー池川へ

2013年10月15日 | 思い出の茶事  京都編

10月11日、Jazz茶会へ遠出しました。
Yさん、Sさんと京都駅で待ち合わせ、西へ向かう電車に乗りました。
神戸を過ぎると、すぐ近くに海が見えたり、明石城を眺めたり・・・
あっという間に姫路駅に着いてしまい、茶談義に夢中の三人は
危うく乗り越しそうになりました。

姫津線へ乗り換え、目的地へ着いたのに今度はドアが開きません!
開ボタンを押しても開かず、少々あせりました。
すると
「前の車両の一番前のドアから降りてください」
ここでYさんが運転手さんにトクトク切符の説明を・・・。
「青春18きっぷは知っているけれど・・・(皮肉かしら?)」

          

          

電車を見送ってから辺りを見まわすと、
4年前と同じ懐かしい田園風景が広がっています。
駅前で車を止めて待っているKさんをみつけ、手を振りました。

茶会の前に、どうしても寄りたいところがありました。
たつの市揖保川町にある「ギャラリー池川」です。
こちらも池川みどりさんの「揖保川焼展」以来の訪問でした。
苔の美しい庭も含めて池川邸全体がみどりさんの作品であり、
センス溢れる茶事の設えが満載の、ステキな住まいでもあります。

            
 

                        

二階のギャラリーにカフェがあり、「井上展也油絵展」を観終わってから
美味しい珈琲を飲みながら、みどりさん、Kさん、Nさんも加わり
六人でおしゃべりをしました。
揖保川焼、初めての出会い、掃除、懐石、茶事のこと・・・
話が飛び交う中で、みどりさんの言葉が今でも鮮明に残っています。

「体調が悪く、作品を作れないのが残念で仕方ありません。
 他の方に土こねをお願いして作品を作ったとしても
 それでは到底、充足感や達成感は得られません。
 全部、一から自分でやりたいのです。
 お茶事も同じで、大変でも掃除から丁寧に積み上げてやっていくから
 お客さまにも喜んでいただけるし、達成感が得られるのですよね!」

何度も心の中で頷きながら、お話を拝聴しました。
Kさんがみどりさんを茶の湯の家元として崇拝していらっしゃるのが
よく理解でき、みどりさんのお茶事へ元気な時に伺いたかった・・・
とつくづく思いました。

良寛さんの五合庵を連想する「葎庵(むぐらあん)」で行われる茶事を
想像するだけで、もうゾクゾクしてきます。

           


         


           

私も雑念を祓い、最善を尽くして「自分の茶事をしよう!」っと・・・。

                                  
            Jazz茶会ー2へ