10月4日~6日まで開催された京都大骨董市へ出かけた時のことです。
ある店で穢い箱に入った侘びた風情の茶碗が目に留まりました。
伯庵茶碗のような枇杷色の肌、とても薄づくりで、小振り、
葦に雁の鉄絵が画かれています。
高台の中に彫られた字が読めなかったので尋ねてみました。
「この字は何と書かれているのかしら?」
「むしあけと真葛・・・と書かれています。
これは富山県の某旧家の倉の買い取り品です。
箱はなく、合せ箱ですが蓋がありません。
袋はありますが、この通りボロボロです・・・」
「これが虫明焼の茶碗・・・」
実は、伊木三猿斎の虫明焼に密かにあこがれていたのですが、
なかなかご縁がありませんでした。
・・・「むしあけ」と「真葛」の印銘も気に入って、
「今度の秋の茶会へどうかしら?」と購入を決めました。
「むしあけ」と「真葛」の印銘が気になって
茶道大辞典(淡交社)で調べてみると、
虫明焼は、岡山県邑久(おく)町虫明の陶磁器。
寛政年間(1789-1801)岡山藩主池田候の家老伊木家の御庭焼
として創設され、二代高橋道八も招かれて作陶しましたが、
天保13年(1842)廃窯(池ノ奥窯)。
弘化4年(1847)伊木三猿斎は京都から初代・清風与平を招いて
再び開窯(間口釜)しました。
文久3年(1863)、二代・与平は千少庵二百五十回忌のため
「少庵伝来三島角水指」(玄々斎箱)を作陶しました。
これにより虫明焼の名前が世に広まったそうです。
清風父子の作品には染付・金襴手・赤絵・三島などがあり、
印銘は「琴浦」「清風」を用いています。
宮川長造も招かれ仁清写しを残し、印銘は「むしあけ」「真葛」。
長造の四男・宮川香山も明治初年に作陶し、作品は主に鉄絵の御本写し、
三猿斎好みの十二か月茶碗や五節句茶碗が有名です。
文久3年、間口窯は森角太郎に譲られ、角太郎とその子香洲は香山から
陶技を学び、主に茶器つくり、印銘は「むしあけ」「香洲」「明浦」。
現在は黒井・岡本・横山家が陶業を続けています。
ネットを調べていると、「虫明焼の栞」というHPに行き当たりました。
虫明焼を熱愛していると思われる蓼純氏の論説や参考書などが満載。
「虫明焼にはニセモノが多い」というショックな話もありましたが、
「今月の抹茶茶椀」「「蓼純Collection」で貴重な写真が掲載されていて
興味のある方にはお薦めのHPです。
10月10日が「虫明焼の栞」を始めて10周年だそうで、
「虫明焼の栞」10周年記念プレゼントに厚かましくも応募しました。
「バンザーイ、ありがとうございます!」
抽選に当たり、プレゼントの「虫明焼茶碗」が届きました。
雲のようにたなびく、白い刷毛目の混じり具合が美しい平茶碗です。
「むしあけ」の印が高台内にありますが、作者は ? 。
虫明焼の初心者なので、これから本物やニセモノ(?)をたくさん観て、
感性を磨きたいものです。
二つの虫明焼茶碗、
まさに秋の茶会のために私の手元にやってきたようで、
せっせと抹茶を点てて使っています。