緊張しながら濃茶茶碗を持って点茶盤の円椅に座りました。
曇り空なので茶室の障子はほの暗く、お客さまがいらっしゃるのか、どうかわからないくらい閑かでした。
帛紗を四方に捌きながら呼吸と心を調え、茶入を浄め、茶杓を清めていくひと時が大好きです。
他流の点前を拝見してから、裏千家流点前の素晴らしさをやっと理解できるようになり、大好きになりました。余計な所作は全て削ぎ落し、けれど濃茶が美味しく点てれるように、無駄のない点前です。
無駄がないからこそ、一つ一つの所作を丁寧に美しく、しかも流れるような調和のとれた点前・・・そんな点前を目指して私も生徒さんも修練を重ねています。
でも、そんなことを考える余裕はありませんで、各服点なので濃茶が少なくならないように4g以上を茶杓で掬い、水を少しだけ釜に入れ、湯を汲んで一心に練りました。
「お服加減はいかがでしょうか?」
「大変美味しいです。久しぶりにしっかり練れた濃茶を頂きました」と御正客I氏。
胸を撫で下ろして次客O様、次いで詰Iさまの濃茶を心こめて練り、お出ししました。
茶碗はいつも同じで、黒楽と御本2碗です。浄めてからゆっくり拝見して頂きました。
「立礼の茶事」でお客さまをお招きするにあたって、いくつか決めたことがあります。その一つが「道具は有り合わせで行う」でした。
茶はさびて心はあつくもてなせよ
道具はいつも有合(ありあわせ)にせよ
利休さまのお言葉(利休百首)ですが、これがなかなか難しく、テーマや季節に合わせて「あれがあったら・・・」と凡人はつい考えてしまいます。でも、有り合わせで考える工夫の楽しさを示唆してくださっているので、「立礼の茶事」をやっていく上で大きな課題になっています。
茶入は朝鮮唐津の胴締め(鏡山窯、井上東也造)、仕覆は織部緞子です。
茶杓は銘「寧(ねい)」、茶友の陶芸家・染谷英明氏の御作です。
濃茶は坐忘斎家元お好みの「延年の昔」(星野園詰)です。
(コヒルガオ・・・季節の花300提供)
中立で床に花を生けました。(写真を撮り忘れ・・・トホホ)
中立では時間が足りないので、朝のうちに花を決めておくのですが、なかなか決まらず・・・コヒルガオか、夏椿か、直前にコヒルガオに決めました。
コヒルガオを摘むと雨が降ると言われ、「雨降り花」と呼んでいたのですが、私だけでしょうか?
花入は蔓が絡みやすい鉄灯明台にしましたが、蔓の扱いが難しく大苦戦でした。
鉄灯明台は白洲正子さんのお好みです。20年前に旧白洲邸・武相荘(東京都町田市)でこれに生けられた花を見て以来魅せられ、茶事や稽古でしばしば使っています。
後炭をし、風炉中、釜、炭斗などを拝見して頂きました(御正客I氏に風炉中を見て頂くのには勇気がいります。ふぅ~っ)。
薄茶になり、半東Y氏と交代して薄茶を点てて頂き、暁庵が半東です。
御正客I氏の茶碗は黒釉に白い橋の絵が描かれています。風の話をしました。
四国遍路中の思い出の風はそよ風ではなく、ごうごうと凄まじい嵐のような強風でした。宇佐大橋を渡ろうとしても遍路笠や荷物が抵抗となって、這うようにして前へ進んだ風の思い出をお話ししました。
宇佐大橋は高知県土佐市の宇佐漁港と横浪半島を結ぶ全長645mの大橋です。
次客Oさまの茶碗は銘「うずまき」、神奈川焼三代・井上良斎が「十五世市村羽左衛門」を偲んで創った茶碗で、久しぶりの登場です。雨の話をしました。
初めて遍路に出た時のこと、雨が降れば遍路宿で停滞するものと思っていたら、朝7時には皆雨の中を出立するではありませんか。・・・仕方なく遍路笠を被りポンチョを着て雨の中を歩きだすと、田圃にうずまきが生じ、笠を叩く雨のダンスの音が耳に残っています。
詰Iさまは赤楽の馬上杯、見込みに鈴の絵が描かれています。鈴の音の話をしました。
鈴の音には霊力があると言われます。金剛杖を突く度に鳴る鈴の音は辺りを清浄にお払いして守ってくださるので、昼なお暗い山中を1人で歩いていても怖くなかったことをお話しました。
棗は早苗蛍蒔絵の大棗(宗しゅん作)、茶杓は銘「好日」(玉瀧寺・明道和尚作)で、前回と同じです。
・・・こうして、3人のお客さまをお迎えし、第2回・立礼の「颯々の茶事」が無事に楽しく終わりました。
馳せ参じてくださった3人のお客様I氏、Oさま、Iさま、そして茶事を支えてくださった半東Y氏、懐石の小梶由香さん、ツレに心から感謝いたします。
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