暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

令和6年夏休み・・・自主稽古中です(2)大円真

2024年08月30日 | お茶と私

 

つづき)

令和6年の夏休みもあとわずかとなりました。

そんな或る日、茶室に掃除機をかけ畳を拭き上げると急にスィッチが入り、稽古支度にとりかかりました。

先ずは御軸を「白雲抱幽石」から「雲月去来閑」に変え、真台子を出し、唐銅の皆具一式を莊りました。

稽古科目は奥伝の大円真(だいえんのしん)です。

大円真は裏千家の相伝種目の一種目で、格は真之行台子と同じです。

大円盆の点前は古くからあったようですが、利休さまが大円盆を長盆に変えたそうです。その後、裏千家13代圓能斎が大円盆の点前(大円真と大円草)を再考されたと伺ったことがあります。

8月終わりから大円真の稽古が入っていますし、9月の奥伝は大円真なのです。

1回目の自主稽古は夜の8時過ぎでした。

ようやく暑さが凌ぎやすくなる時間帯で、一人茶室に籠り2時間ほど大円真の稽古に励みます。「茶室に籠る」が心地よい自分一人の空間と時間となり、とても大切なことだと思います。

茶道点前の三要素「順番、位置、所作」はもちろんですが、気になる細かいところを確認したり、所作がスムースにいくまで何度も繰り返しました。

 

 

8月に入ってから山積みのノートの整理をしています。

ばらばらに書かれているメモを科目別や項目別に整理し書き写しています。

エクセルで整理しようと何度も試みましたが、その度に挫折したので、今はノートに自筆で書き込んでいます。

そうすると、イラストを入れたり、メモをそのまま貼り付けたり、とても分かり易いような気がしています。メモを読み直したり、整理したり、疑問の箇所を調べたりすることが一番の勉強になりますが、小さい時からノートをとるのや整理が苦手でして・・・全然はかどりません。

 

 

2回目の稽古は午前10時から1時間余。1回目の稽古で迷ったり、もたもたしたところを気を付けながら点前してみるとスムースに出来ましたが、今度は別の所で疑問が出てきたりします。(奥伝なので詳しく書けずに残念ですが・・・)

疑問をそのままにしておけないので、茶友YKさんに電話でお教え願い、無事解決しました。

・・・それは、自分でこうと思い込んでいたところを7月のS先生のお稽古で間違いに気が付いた箇所でした。(ありがとう!早速、生徒さんに訂正しなくては・・

同時に、自主稽古を一人でやらないでどなたかと、あれこれ談義しながら出来たらどんなに素晴らしいことかしら・・・と思ったりします。

眉風炉の灰を一部だけ入れかえて灰形を作ります。5月以来なので灰を全部篩い直したいところですが、台風10号の影響で風雨もあり、片目をつぶって省エネです。

こうして今年の夏休みが終わりつつあります。

なかなかアップできないでいたら、明日でも今日ではもなく昨日が誕生日 (願望?)でした。やっと

 

 


「點笑」に思う

2024年08月27日 | お茶と私

 

「點笑」(てんしょう)という御軸を持っています。

「笑いを点(點)てる・・・笑いを絶やさないこと」という意味だそうです。

東大寺別当・清水公照師の御筆です。ちょっと読み難いのですが、一目で気に入り意味を知って益々気に入っています。

茶事や茶会の時に主客共にニコニコと和やかに過ごして頂ければ・・・そんな思いでこの御軸を掛けています。

 

       (高知県幡多郡入野の浜ベ)

その昔、敬愛する茶事の師匠から「茶事(茶の湯)」についていろいろお教えいただきました。今なお、いくつかのお教えが耳に残っています・・・。

〇 茶事では心を込めて・・は当たり前ですが、その思いをどのように表現するかが大切

〇 茶事には不協和音が必要だ

〇 自分のお茶を心がけるように

〇 茶事には笑いが大事、笑いのある茶事を心がけるように

〇 茶道具は自分で買うこと。自分で買って使ってみて、自分の眼(センス)を養いなさい。

数々の有難いお教えが昨日のことのように思い出されますが、一番難しいと思ったのが「笑い」でした。

「笑い」のテーマは難しく、せめてにこやかに笑顔を絶やさずに・・・を心がけています。

時折、緊張のあまりお顔が険しくなっているお客さまがいらっしゃると、何とかお帰りまでにお顔がやわらぎ、笑顔になって欲しい・・・と、ついおもてなしに力が入ります。

 

 

ある茶事へお招きされた時のこと・・・帰ってから気になったことがありました。

その方のおもてなしはとてもお心がこもっていて、しかもその方らしい個性がにじみ出ているので、いつも楽しみしていました。

コロナもあり久しぶりにお会いしたのですが、最後まで笑顔が無かったように感じられたのです・・・もちろん、おもてなしは非の打ち所がないくらい素晴らしく、連客も素敵な方でした。

人間ってとても正直で、特に茶事では亭主のあり様が全て明るみに出てしまいます。

理由はわかりませんし、わかる必要もありませんが、とても良い経験だったと思っています。

どんな理由であれ、笑顔が出ない時には人をお招きするものではない、してはいけないのだ・・・と心に刻みました。

大声で笑い合うほどでなくっても、ニコニコと穏やかな気持ちで愉しく茶事をしたいですし、お客として笑顔を心がけてお伺いしたいと思います。 

 

 (雨後の大欅と水たまり・・・台風10号が来ています)

 


久保権大輔さんの茶室遍歴・・・長闇堂記

2024年08月21日 | お茶と私

    (芙蓉の花が花盛りです)

 

外出する気になれず、冷房の効いた部屋で秋の涼風を待つ日々を送っています。

積読の本の高さを横目に、専らテレビと昼寝の怠惰な時間を過ごしていましたが、やっと2冊を読み終わりました。

「長闇堂記」(ちょうあんどうき、久保権大輔著、訳&解説・神津朝夫、淡交社)と「ロバのスーコと旅をする」(高田晃太郎著、河出書房新社)です。

「長闇堂記」は時々気が向いた時に何度も読んでいる本で、何故か気に入っています。

その理由を考えてみると、他の伝書と違い、筆者の久保権大輔さんが茶湯をしている息づかいがしっかりと感じられるからだと思います。

久保権大輔さんは決して恵まれた境遇ではないのですが、その置かれた環境の中でいろいろ努力して、彼自身の侘数寄を強い志を持って実践しています。

「長闇堂記」はいろいろな読み方が出来ると思いますが、侘数寄者がどのような茶室で茶湯をしていたのか、権太輔さんの茶室遍歴と言う視点で読み直してみました。

 

 

久保権大輔と茶の湯との出会いは、12~3歳の頃、近所に侘数寄者がいて茶会の度に給仕に雇われ、この道が面白くなってきたそうです。それに気づいた侘数寄者が点前や作法を教えてくれ、四畳半での茶の点て方を習うことができました。

幼き時より志があり、15歳の時に寂びた小さな家を求めました・・・とあるが、茶室の記述は特にない。

「私・権大輔が茶湯をはじめたのは北野大茶湯(天正15年10月・1587年)の年にあたります」

17歳で北野大茶湯に同行して見聞したことを書き留めていて(茶人として唯一の記録らしい)、その貴重な経験に後押しされるように侘数寄の道を自分の力で切り開いていくのですが、彼の茶室の変遷を追ってみると、その当時の侘茶のあり様がわかります。

 

     (葛の花の芳香に導かれて・・・)

(1)17歳の時、親(春日社の神職)の家の裏の小屋(四畳敷)を改造し、二畳敷を茶室、一畳を勝手、残る一畳を寝所としました。足の方には棚を釣り、昼は寝具を上げました。

・・・その茶室に、今思えば身分の高い客を呼んだものだと述懐しています。

(2)19歳の時、伊賀の筒井家中の者が費用を出してくれ家を持つことが出来ました。その家の二畳敷の数寄屋で3年間茶湯をしました。名護屋御陣(文禄の役)が起こり、その人の妻子を家に置かなくてはならなくなり、人に借りがあるのは良くないと思うようになります。

(3)23歳の時、自分で屋敷を求めて改築しました。三間四方(九坪)の大きさで、一畳半の茶室に三畳の水屋、六畳の座敷には床と付書院を設けました。

(4)36歳の時、奈良奉行より念願の故郷・野田郷に屋敷地を与えられました。その後、荒地を一人で整え、年月をかけて家屋敷をつくり庭木や花を植えて人の住家らしくなっていきました。(・・・この時の屋敷の茶室の記述がありません)

(5)48歳の時、中井大和守が東大寺俊乗堂を建替えました。その旧堂が古びて面白かったので野田郷の屋敷へ移築し、繕って茶処とし七尺堂と呼びました。

七尺堂は堂の内わずか七尺(約2.1m)四方、中に炉を入れ、床と押入と水屋があります。床に花・掛物を飾って、押入床を持仏堂に構えて、阿弥陀の木仏を安置しました。茶会をしても狭いことはありません。

ある時、遠州殿が来られ七尺堂を「長闇堂」と名付け、これより久保権大輔は長闇子を号としました。

(七尺堂へは小堀遠州、松花堂昭乗など当時の有名茶人を招き交流していたようですが、その佇まいの描写から松花堂昭乗が晩年を過ごした草庵「松花堂」を思い出しました)

    (草庵松花堂・・・八幡市・松花堂庭園内)

(6)62歳の時、「七尺堂(長闇堂)」に連ねて草庵を営み、「野田の山庄」と称し、荷い茶をおき、かたへに小さき屏風をかまえた。

松花堂昭乗が「山庄」の席披きの茶会へ招かれた時の礼状(寛永9年11月8日付)が今に残されています。

(荷い茶を置いた茶会が立礼だったのでは・・という神津朝夫氏の解説も興味深いです)

 

「荷い茶」(部分)・・・「観楓図屏風」(狩野秀頼筆、室町~安土桃山時代・16世紀)

 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

 

(7)寛永7年(1640年)6月28日に久保権大輔死去(享年70歳)

 

      (矢指谷戸の秋桜・・・9月半ばころかしら?)

以上ですが、侘び数寄者・久保権大輔さんの茶室は広くても二畳だったようで、侘茶を追求した当時では四畳半の茶室が最も広かったことが実感として迫って来ました。

茶室遍歴の他にも興味あることが書かれていますので、「長闇堂記」を是非ご一読ください。

追伸) 

この記事を書き出す前に「なごみ」(淡交社)2024年8月号の「夢の茶会・・・もしもマルセル・デュシャンを招いたら」を読んでいたら、なんと!久保権大輔の消息が寄付床に掛けられていました。これから権大輔さんのことを書きたいと思っていたところだったので、びっくりもし、「夢の茶会」に消息が使われたことが嬉しかったです。

こちらもご一読くださると嬉しいです。

 


お盆の墓参りと追善和讃

2024年08月16日 | 暮らし

 

毎年お盆になると、亡き人たちを思いながら詠ったという蓮月尼の歌を思い出します・・・大好きな歌なので何度も登場です

    死手の山 盆の月夜に越えつらむ
        尾花秋萩 かつしをりつつ   蓮月

     (冥土にある山を盆の月夜に越えて行くのだろうか
      尾花や秋萩を折って帰りの道しるべとしながら )

 

8月14日に今年もお盆の墓参りへ行きました。

猛暑だし炎天下の墓掃除はきついし、「今年はサボっちゃおう・・・」と決め込んでいたら、夢の中に彼の地の人たちが現れたので、重い腰を上げました。

春のお彼岸以来なので、雑草はほとんどありませんでしたが、秋桜が墓いっぱいに生い茂っていました。

「やっぱりきてヨカッタ!」

咲きそろうと墓は秋桜に覆われてさぞかしきれいだろうな・・・と思いながらも、数本を残して撤去です。門柱代わりの2本のカイズカイブキはツレがカットして整えています。

お供えの花は、白と紫の竜胆、茶色の実がいっぱいの蓮の台(うてな)、吾亦紅を片方の花入に、もう片方に緑のシダ、赤いバラ、白いトルコ桔梗を生けました。

掃除が終わり、線香を手向けてからしばし亡き人たちとお話します。きっと墓の中の人たちも喜んでいることでしょう。

炎天下の墓掃除は汗びっしょりで大変だっただけれど、とても満足感や達成感があって今年も二人で来れて良かったなぁ~と思いました・・・

 

 

今日は8月16日、大文字の送り火の日であり、原三渓翁の命日です。

折しも台風7号が関東地方へ接近または上陸するとのことで、1時間前から雨が降り始めました。雨戸を閉め切っているので昼なのに夜みたいに暗く静かです・・・。

ふと、ツレの故郷・愛媛県西予市のお盆の情景や故郷の墓で眠っている御恩ある人たちを思い出しました。

故郷の菩提寺で唱えたことのある「追善和讃、ここに記して亡き人たちを想いながら再び唱えます。

 

 

「追善和讃」

  帰命頂来仏法僧      火宅無常の世にあれば
  受くる悩みは多けれど   死別にまさるものぞなし

  生縁すでにつきぬれば   富も位もなにかせん
  もろき生命はうたかたの  はかなく消えてあともなし

  親子のゆかり深くとも   魂よびかえすすべもなし
  比翼のちぎりかたくとも  伴い行かん道ならず

  つきぬ名残の野辺送り   忌日数えて嘆けども
  やがて去る者日にうとく  その面影はうすれゆく

  されどこの世は短くて   流転輪廻の果もなし
  因果の道理わきまえて   後世の大事を思うべし

  今霊前にささぐるは    知恵の灯慈悲の花
  香のかおりも清らかに   金口の経をとなうれば

  煩悩はらう鐘の音に    いつか長夜の夢やぶれ
  元より空に有明の     真如の月は圓かにて

  有縁無縁のへだてなく   みな信心の花ひらき
  無上菩提の実をむすぶ   回向の功徳ありがたき

  不生不滅を悟りなば    生死即ち涅槃なり
  逝くも残るも仏国土    常に諸仏の目のあたり

  大悲の御手に抱かれて   永遠の生命に生きる身の
  幸を悦びいざともに    報恩行にはげみなん

  南無や大慈の観世音    南無や大悲の観世音             

   合掌     

 

 


令和6年夏休み・・・自主稽古中です

2024年08月11日 | お茶と私

 

2024年パリオリンピックも今日(11日)が最終日になりました。

「夏休み中なんだから・・・」種目によってはついつい応援してしまい、夜更かしの日も多々ありました・・・それも終わりとなると寂しい気もします。

立秋(7日)を過ぎた頃から陽射しは強烈ですが、蝉の声のあわただしさや窓から入って来る風の涼しさに秋の訪れを感じ始めています。

9月になると暁庵の茶道教室の稽古はもちろんの事、茶事や茶会などお招きを含めていくつか予定が入っていて、楽しみでもあり忙しくもなりそうです。

 

   (大好きな「白雲抱幽石」を掛けて) 

暁庵にとって消夏法の1つ、自主稽古をしています・・・。

9月29日(日)に近所の橘楽庵さま(小堀遠州流)と暁庵(裏千家流)で「第2回コラボ茶会」を開催する予定なので、どのような設えでどのような点前にするか、実際に道具を並べたり、取り替えたりしながら試行錯誤しています。(第1回コラボ茶会はこちら)

そしてお点前についても「茶道点前の三要素」を確かめながら始めました。

詳しく書けないのが残念ですが、冷房の部屋で点前に集中する時間はまさに夏休みならではの至高のひと時です・・・・。

使っていなかった鉄風炉に炭火を入れ、湯を沸かし、茶を点てる前にその湯を飲んでみました。

「えっ!何これ?」・・・すぐに吐き出したいくらい不味かったです。釜を洗い直し湯を変えてやり直しました。今度は吐き出すほどではありませんが、まだまだ・・・でした。

あと何回か、何日か釜で湯を沸かしてみてから濃茶を練ることにしました。

「コラボ茶会」では最高に(?目的として)美味しい濃茶でおもてなし出来たら・・・と思っています。

      (花は金水引と秋海棠です)

鉄釜には「飢来飯」と「渇来茶」の鋳出があり、

「腹が減ったら飯を食べにいらっしゃい」

「喉が渇いたら茶を飲みにいらっしゃい」

シンプルですが、心の奥底に問いかけるような温かな言葉です。

「コラボ茶会」では余計なものをそぎ落として、名残りの花を生けて、

社中一同、「飢来飯、渇来茶」の心にておもてなししたい・・・と思います。つづく)