銅鑼が打たれました・・・大・・・小・・中・中・・大
後座の席入りをすると、床には花が、上座に紐飾りをした茶壷が飾られていました。
あの短い中立の間に紐結びをなさったのかしら?・・・凄いです!
照葉(リョウブ)と白い花が伊賀焼の掛花入に生けられていて、後で椿が無くて困っていたら寒桜が咲いていたので・・と伺いました。
京都へ来る直前の「炉開きと口切の会」で白玉椿を探し歩いたことを思い出し、白い寒桜が一入可愛らしく見えました。
点前座には小ぶりの棚(旅卓)と水指、中棚に変わった薄器、そして棚前に茶入が置かれていました。
静寂の中で濃茶が始まりました。
久しぶりに拝見するOY様の濃茶点前、京都在住の時、OY様とS様と3人で励んだ自主稽古が懐かしく思い出されます。
仕覆が脱がされ荒々しい肌合いの大海茶入、次いで茶杓が清められていきます。広口から緑の濃茶が美しく回しだされ、茶香が茶室を満たしていきました。
井戸茶碗(今高麗)で3人分の濃茶が練られました。好く練られた濃茶はまろやかな甘みがあり、濃さも飲みやすく、喉を潤していきました。濃茶は「都の昔」、詰は蓬莱堂(中京区寺町通り)です。
茶入は信楽大海(上田直方造)、仕覆の裂地は花鳥梅花文錦です。個性的な茶杓は後ほど・・・。
後炭になりました。大好きな後炭をしてくださって有難いです。
再び皆で仲良く炉縁を囲んで、OY様の後炭手前を見つめます。胴炭はしっかり残っていたのでそのままとし、手際よく中央に炭を寄せ、匙香を焚き、湿し灰を撒きました。今年の湿し灰はまだ重いので昨年の湿し灰を使ったとのこと、そんなお話にウンウンと頷きます。
反時計回りに手際よく炭が置かれていきました。丸管・割管・枝炭1本も上手に置かれ、内心拍手です。
(後炭をした後の炉中です)
(薄茶の菓子は二皿も・・・)
薄茶になり、緊張が解けてきて楽しくお話をしながら干菓子と薄茶をいただきました。
菓子は二皿で、半生菓子(無花果の一夜干し)と干菓子(酒粕風味の寒氷と竜田川)、御自製の菓子は美味しく他では頂けない味わいです。
3つの茶碗を用意していただき、暁庵は唐津風茶碗(安田氏作)でアツアツの薄茶をたっぷり頂戴しました。薄茶は「初昔」(蓬莱堂詰)でした。
(薄茶のしつらえ)
以前にも拝見したことのある小ぶりの水指が好ましく、Y様がお尋ねすると、京焼(京薩摩?)で青木木米の印があるとか。この水指に合わせて小ぶりの旅卓(表千家流)を選んだそうです。
旅卓の中棚に飾られていて気になっていた薄器を拝見しました。ユニークなお形と珍しい漆絵が魅力的な、不思議な薄器です。詳しいことはわからないそうですが、お気に入りで年中使っているとか。
(柄杓と蓋置を飾りつけ、薄器と茶杓が拝見にだされました)
(ユニークな薄器と茶杓「もみじ」)
濃茶でも使われた、はッと心を揺さぶる景色の茶杓は、銘「もみじ」(池田瓢阿作)でした。
口切に始まり、初炭、懐石、濃茶、後炭、薄茶と、茶事のフルコースを5時間でさらさらとお一人でこなし、笑顔でいろいろなことをお話してくださるご亭主様に、この10年間の集大成を見る思いで感じ入りました・・・。
こうして素晴らしかった「京のもみじの茶事」が終わってしまいましたが、今でも処々に散りばめられた「もみじ」が脳裏を横切り、OY様のお心こもるおもてなしを思い出しています。
またいつか、きっと、元気でお会いしたいですね。本当にありがとうございました!
「京のもみじの茶事」へ招かれて・・・(1)へ戻る