暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「京のもみじの茶事」へ招かれて・・・(2)

2024年11月29日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

       

つづき)

銅鑼が打たれました・・・大・・・小・・中・中・・大

後座の席入りをすると、床には花が、上座に紐飾りをした茶壷が飾られていました。

あの短い中立の間に紐結びをなさったのかしら?・・・凄いです!

照葉(リョウブ)と白い花が伊賀焼の掛花入に生けられていて、後で椿が無くて困っていたら寒桜が咲いていたので・・と伺いました。

京都へ来る直前の「炉開きと口切の会」で白玉椿を探し歩いたことを思い出し、白い寒桜が一入可愛らしく見えました。

点前座には小ぶりの棚(旅卓)と水指、中棚に変わった薄器、そして棚前に茶入が置かれていました。

 

静寂の中で濃茶が始まりました。

久しぶりに拝見するOY様の濃茶点前、京都在住の時、OY様とS様と3人で励んだ自主稽古が懐かしく思い出されます。

仕覆が脱がされ荒々しい肌合いの大海茶入、次いで茶杓が清められていきます。広口から緑の濃茶が美しく回しだされ、茶香が茶室を満たしていきました。

井戸茶碗(今高麗)で3人分の濃茶が練られました。好く練られた濃茶はまろやかな甘みがあり、濃さも飲みやすく、喉を潤していきました。濃茶は「都の昔」、詰は蓬莱堂(中京区寺町通り)です。

茶入は信楽大海(上田直方造)、仕覆の裂地は花鳥梅花文錦です。個性的な茶杓は後ほど・・・。

 

後炭になりました。大好きな後炭をしてくださって有難いです。

再び皆で仲良く炉縁を囲んで、OY様の後炭手前を見つめます。胴炭はしっかり残っていたのでそのままとし、手際よく中央に炭を寄せ、匙香を焚き、湿し灰を撒きました。今年の湿し灰はまだ重いので昨年の湿し灰を使ったとのこと、そんなお話にウンウンと頷きます。

反時計回りに手際よく炭が置かれていきました。丸管・割管・枝炭1本も上手に置かれ、内心拍手です。

       (後炭をした後の炉中です)

      (薄茶の菓子は二皿も・・・)

薄茶になり、緊張が解けてきて楽しくお話をしながら干菓子と薄茶をいただきました。

菓子は二皿で、半生菓子(無花果の一夜干し)と干菓子(酒粕風味の寒氷と竜田川)、御自製の菓子は美味しく他では頂けない味わいです。

3つの茶碗を用意していただき、暁庵は唐津風茶碗(安田氏作)でアツアツの薄茶をたっぷり頂戴しました。薄茶は「初昔」(蓬莱堂詰)でした。

        (薄茶のしつらえ)

以前にも拝見したことのある小ぶりの水指が好ましく、Y様がお尋ねすると、京焼(京薩摩?)で青木木米の印があるとか。この水指に合わせて小ぶりの旅卓(表千家流)を選んだそうです。

旅卓の中棚に飾られていて気になっていた薄器を拝見しました。ユニークなお形と珍しい漆絵が魅力的な、不思議な薄器です。詳しいことはわからないそうですが、お気に入りで年中使っているとか。

 (柄杓と蓋置を飾りつけ、薄器と茶杓が拝見にだされました)

      (ユニークな薄器と茶杓「もみじ」)

濃茶でも使われた、はッと心を揺さぶる景色の茶杓は、銘「もみじ」(池田瓢阿作)でした。

口切に始まり、初炭、懐石、濃茶、後炭、薄茶と、茶事のフルコースを5時間でさらさらとお一人でこなし、笑顔でいろいろなことをお話してくださるご亭主様に、この10年間の集大成を見る思いで感じ入りました・・・

こうして素晴らしかった「京のもみじの茶事」が終わってしまいましたが、今でも処々に散りばめられた「もみじ」が脳裏を横切り、OY様のお心こもるおもてなしを思い出しています。

またいつか、きっと、元気でお会いしたいですね。本当にありがとうございました! 

  

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「京のもみじの茶事」へ招かれて・・・(1)

2024年11月27日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

        (大好きな東寺、ライトアップを楽しんで・・・)

               (光悦寺の紅葉)

  

11月13日の光悦会へ参席するために12日から京都へ出かけました。

久しぶり(4年ぶり?)の上洛なので京都在住のOY様へ茶事をお願いしたところ快諾してくださり、茶友O様とY様と3人でいそいそと出かけました。

今年の暑さのせいか、京都の紅葉はまだこれからでしたが、OY様のお茶事では「もみじ」が風情よく散りばめられていて、遠来の客へのお心遣いを感じました・・・それで題を「京のもみじの茶事」としました。

席入は12時でした。水が打たれた玄関を開け、待合で待っていると、OY様が汲出しを運び、腰掛待合へご案内くださいました。

 (待合の掛物は「紅葉と鳥」(深水画)・・・最初の「もみじ」です)

正客Y様、暁庵、詰O様の順に腰掛待合へ進み、緑の苔が美しい庭を眺めながら迎えつけを待っていると、ご亭主が現れ、水桶の水を蹲に開ける姿も音も清々しく、これから始まる茶事への期待がいや増します。

席入りした四畳半の茶室はうす暗く、床のお軸は「只楽静寂」(只 静寂を楽しむ)・・・淡々斎のお筆です。

床の上座に網袋に入った茶壷が飾られており、「あらっ!口切かしら?」

ご亭主OY様と順次ご挨拶を交わし、正客Y様から「口切のようでございますが、ご都合により茶壷の拝見をお願いします」と声がかかりました。

「それでは口切をさせていただきます」と床の茶壷を取りに行かれ、同じ裏千家流ですが我が家とは違い、先に口切が行われました。

茶壷の口を切り、詰茶を葉茶上戸に開け、半袋を一つ取り出してから詰茶を曳家と茶壷に戻し、再び茶壷の口が封印されました。

OY様はその一連の所作をさらさらと流れるようになさって、うす暗いこともあって夢うつつに見るお能のようだった・・・と、今そのお姿や美しい所作を思い出しています。

封印し終わった茶壷が運ばれてきました。どこか懐かしく茶壷を拝見すると、我が家と同じ丹波焼・市野信水造とのこと、親戚に出会ったようで嬉しかったです。

    (後座の床に飾られた茶壷・・・初座の写真がないので

初炭になり、瓢の炭斗と灰器が運び出されました。大きな炉釜が上げられ初履きで炉縁によると、湿し灰がたっぷり撒かれた美しい炉中や見事な五徳(鬼爪、敬典造)が目を惹きます。

瓢の炭斗に「もみじ」の絵があり、黒漆が塗られた内側にも赤い「もみじ」が描かれていて、とても印象に残りました。後炭の時にお尋ねすると、ご亭主の手描きだそうで、びっくりしました。

     (瓢炭斗に「もみじ」が・・・)

胴炭から炭が順次置かれ、点炭で元の席へ戻りましたが、そのままずっーと炉中の様子を見ていたい・・・と。

存在感のある炉縁のなぐり(?)が気になっていましたが、黒漆を塗った後に削ったのでしょうか、初めて見る個性的な炉縁に素朴な味わいの阿弥陀堂釜がとてもお似合いでした。京都の某茶人の炉縁を譲られたとか・・・京都の懐の深さを感じるエピソードを伺いました。

香合は時代のある織部はじき、香は・・・薫玉堂の「黒方」だったような??

      (阿弥陀堂釜とインパクトのある炉縁)

初炭が終わり、懐石です。13時過ぎだったこともあり、OY様が作られた懐石をもうもう美味しく頂戴しました。

密かに懐石名人と呼んでいますが、お心づくしの美味しい懐石を出してくださるので、とても楽しみな時間です。

柔らかい一文字と白味噌の汁が温かく、鯛の昆布〆、カニ真蒸の煮物碗、海老芋やかぶらの煮物や穴子豆腐に舌鼓でした・・・ご馳走様。

懐石後に主菓子「初椿」(練り切り、御自製)をしっかり食べて中立しました。

 

後日、教えていただいた懐石献立を忘れないようにこちらへ記します。

 懐石献立

 向付  黒鯛の昆布〆 (乾山写の「もみじ」の向付の器がすてき!)

 汁   白味噌仕立て 大根 人参 小豆

 煮物椀 蟹しんじょう 三つ葉 しめじ ゆず

 焼物  さわら味噌漬け

 預け鉢 海老芋 かぶら 穴子豆腐 モロッコインゲン 紅葉人参

 強肴  ぶどう(シャインマスカット、ピオーネ)の白和え

 小吸  ラフランス

 八寸  菊花寄せ カマスの酢〆

 香の物 タクアン 赤かぶ かぶら キュウリ 奈良漬

 

          「京のもみじの茶事」へ招かれて・・・(2)へつづく

 

 


2024年「炉開きと口切の会」・・・(3)後炭と薄茶

2024年11月22日 | 暁庵の裏千家茶道教室

 (後炭・・・最後に点炭を置いているところ)

 

つづき)

濃茶の第1席目が終わってから、M氏が炭の様子を見て後炭をしました。

いつ後炭をするかは決めておかずに、担当のM氏にお任せしていました。

瓢の炭斗と灰器がが運ばれ、釜が上げられました。初履きで客一同が炉を囲み中をのぞき込むと、初炭できれいに置かれた炭はほとんどが灰となり、かろうじて胴炭が残っている状態でした。

胴炭がすぐに割れ、M氏が下火を中央に寄せてから灰器を炉縁に置き、匙香を焚き、湿し灰を撒きました。香は初炭と同じ「露葉」(山田松香木店)です。中履きをし、炭を継ぎます。下火の様子やこれからの次第を考えて炭を継ぐところが後炭の亭主の腕の見せ所(?)でもあり、面白いところです。

輪胴が置かれ、丸ぎっちょ1個が初炭とは反対に(反時計回り)置かれました。

次は、丸管&割管&枝炭を一度に逆手で持って炉中へ置きます。とても難しく後炭のハイライトの1つであり、日頃の修練の見せ場でもあります。息を詰めるように見つめていると、M氏は枝炭2本を丸管と割管の上に置き、見事に下火の上に置いたのです。枝炭2本を一緒に持って置いたの拝見するのは今回が初めてです。炉を囲んでいる皆様からも嘆声が・・・・。最後に点炭が置かれ、詰から席へ戻りました。

後履きをし、釜が上げたところまで引かれて、灰器を下げ、腰黒薬缶が運ばれ、釜が清められました。釜は霰唐松真形釜、霰釜なので濡れ茶巾でポンポンポンと叩くように清めていきます。後炭はいろいろ見どころ満載ですが、この清めの風情もその一つです。本来は釜を水屋に引いて、湯を一部変えたり、水を足したりするのですが、その所作を席中で見せている・・・と伺っています。

釜が元のように掛けられ、蓋を切り、炭斗を引き、茶道口で挨拶して後炭が終わりました。

箕にのった干菓子(「紅茶琥珀」と「季子ごよみ・秋」)が運ばれ、薄茶になりました。

薄茶点前はY氏、三客までの薄茶を3碗点てていただき、四客から七客までは水屋からお持ち出し、最後に自服していただきました。

お代わりの方もいらしてY氏は大忙しだったことでしょう。そんなことを感じさせない真摯なお点前や温かなおもてなしぶりは流石でございました。

   (薬器を二引きで清めています)

暁庵も三客でお席に入り、正客Fさまと次客SKさまと親しく歓談しながら干菓子と薄茶を頂きました。干菓子は「紅茶琥珀」と「季子ごよみ・秋」(いずれも松江市・三英堂)、薄茶は「星峰」(星野園)です。

SKさまが虫明焼がお好きだとのことで、虫明焼大好きな暁庵はこの時・・・とばかり三碗並べました。一碗目は琵琶色に芦雁図の詫びた茶碗で「むしあけ・真葛」の印があります。二碗目はお祝いに頂いたススキ画の茶碗で岡部紫山作、三碗目は森香泉作の十二ヶ月茶碗の11月「紅葉」で「むしあけ」の印があります。「紅葉」とありますが、画には雨が入っているので「時雨」と呼んでいます。

他には京焼の三碗「吹き寄せ」「蔦絵」「仁清写・白玉椿」と、雲堂手と黄瀬戸の茶碗を使いました。

暁庵も虫明焼「時雨」茶碗で熱くまろやかな薄茶を頂戴しました。おしゃべりして喉が渇いていたので、一段と美味しかったです!

薄器は根来薬器、茶杓は紫野雲林院の藤田寛道師作で銘「紅葉狩」です。

 

薄茶タイムでは茶碗のこと、お点前のこと、干菓子のこと、花や抹茶のことなど・・・話題が尽きず、楽しい語らいが続きます。

最後に後座の亭主M氏からご挨拶があり、これにて「2024年炉開きと口切りの会」が無事に終了しました。

帰りには「時雨」も上がり、ゲストのお二人を社中数人がお見送りしました。

本当に来てくださってありがとうございました。

お客様、社中の皆様のお陰で、緊張感のある中にも楽しく素晴らしい「2024年炉開きと口切りの会」になりました。 

 

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                        炉開きと口切りの準備に勤しんで

 

 


2024年「炉開きと口切の会」・・・(2)初炭と濃茶

2024年11月18日 | 暁庵の裏千家茶道教室

       (コバノズイナと白玉椿を信楽焼の掛花入に)

つづき)

次は初炭、AYさんが大きな瓢の炭斗、次いで灰器(備前焼)を運び出しました。

羽根は銀鶴、鐶(美之助造)、利休好みの桑柄火箸(清五郎造)、

釜は霰唐松真形釜(美之助造)、炉縁は輪島の真塗です。

     (霰唐松真形釜・・・美之助造)

初履きが始まると、お正客から順番に全員が炉を囲み、炭手前を間近に拝見します。

炉になってから初めての稽古がこの「炉開きと口切の会」なので、実は内心心配していました。

初履き、灰器(備前焼)に盛られた湿し灰を炉中に撒く様子、瓢から順序良く炭を置き、香が焚かれました。

いずれの所作もしっかりとなさり、日頃の自宅での修練が伺われて頼もしいやら、嬉しいやらでした。

拝見に出された香合は柿香合、高岡銅器なので手に取るとびっくりするほど重い柿です。

練り香は坐忘斎好みの「露葉」(山田松香木店)です。

ここで昼食休憩となり、暁庵は昼食の手配を社中の皆様にお任せして、しばしお客様と歓談です。

なだ万のお弁当とAYさん心づくしの熱く美しい煮物碗(海老真蒸、隠元、紅葉麩、柚子)を皆で賞味しました。一献はノンアルコールワイン「PIERREーZEROー」(仏)。Y氏のチョイスですが、フルーティで私でもグイグイ大丈夫でした・・・

ここで休憩となり、お汁粉を食べて中立ちの予定でしたが、雨がポツポツ振り出しました。「コラボ茶会」でもそうでしたが、ここのところ雨に祟られているみたい・・・。待合でお汁粉を食べ、茶道口から席入していただきました。

後座の亭主M氏が銅鑼を7つ打ち、後座の席入です。

  大・・小・・大・・小・・中・中・・大  

(少し雨が降っていたので、喚鐘にすればよかった・・・と、今頃気が付いた次第です

後座の床は、お軸はそのままとし、上座に紐飾りを施した色絵吉野山図茶壷、床柱に花を荘りました。

花はコバノズイナと白玉椿、掛け花入は信楽焼・高橋春斎作です。今年はいつまでも暑かったので、いつも咲いている西王母や白玉椿が咲かず、蕾を見つけるのに苦労しました・・・こんな年は珍しいです。

点前座に寿棚をしつらえ、萩焼の水指と薄器、茶入を置きました。

濃茶第1席のお客様は、正客SKさま、Fさま、KTさん、詰KRさんの4名様で、亭主はM氏です。

1碗目の茶碗は、お客様が小堀遠州流なので御本三島です。2碗目は赤楽茶碗(佐渡の花ノ木・風の窯、渡辺陶生作)で2人分ずつ練りました。きっと・・・M氏の緊張感の中にも美しいお点前で、お客さまは熱くしっかり練られた濃茶を堪能されたことでしょう。

濃茶は坐忘斎好み「延年の昔」(星野園)です。

(ここで炉中の炭が心配になり、M氏が後炭をしました。後炭の様子は後で書かせていただきますね)

次は2回目の濃茶席、お点前はKRさん、お客様は、正客AYさん、暁庵、Y氏、詰M氏の4名です。

贅沢にも席中でお汁粉を頂き、濃茶がもう待ち遠しかったです。

襖が静かに開けられ、濃茶点前が始まりました。一同心を正してKRさんの袱紗捌きや清めの所作を見つめます。

炉の濃茶では中蓋があり、後炭をしたばかりなのに湯が煮立って釜がまるで怒っているようでした。

織部焼の肩衝茶入から濃茶が回しだされ、滝のように流れ出る緑の美しさを久しぶりに鑑賞しました。

心を込めて練ってくださった濃茶は練り加減も薫りも好く、濃さも飲みやすく美味しゅうございました。

1碗目は黒楽茶碗、長次郎「喝食(かつじき)」写で昭楽作です。2碗目は大樋飴釉茶碗(中村康平作)です。

仕舞付けが終わり、正客から「茶入、茶杓、仕覆の拝見をお願いします」と声が掛かりました。

茶入は口切りでお馴染みの織部焼肩衝(瑞光窯、佐々木八十二造)、仕覆は十二段花兎です。

玉龍寺古竹で作られた茶杓は戸上明道和尚の銘「好日」です。 後炭と薄茶へ続きます。 つづく)

 

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          炉開きと口切りの準備に勤しんで

 


2024年「炉開きと口切の会」・・・(1)口切

2024年11月16日 | 暁庵の裏千家茶道教室

      (京都からの紅葉だより・・・光悦寺にて、13日撮影)

 

2024年(令和6年)11月10日に恒例の「炉開きと口切の会」をしました。

恒例と書きましたが、口切は「私にやらせてください」と手を上げてくださる方がいらっしゃる限り、続けていきたいと思っています。今年はKTさんが手を上げてくださり、とっても嬉しいです。

もう一つ、ゲストとしてSKさまとFさまが参席してくださいました。小堀遠州流をお習いですが、暁庵(裏千家流)の口切をぜひ拝見したい・・・と来てくださったのです。

9月30日の「菊月のコラボ茶会」共催したお仲間でもあり、社中の皆様は緊張しつつも、やりがいを感じてくださったことでしょう。

「炉開きと口切」は、茶人にとって「茶の湯の正月」と言われる、目出たい行事です。皆様、ステキなお着物でいらしてくださるので、こちらも楽しみにしています。暁庵もいろいろ気を使います・・・この日はまだ暑く、何を着るか悩みながら、何年も袖を通していない金茶の無地紋付(扇の地紋)を選び、緑地に樹木模様の袋帯を締めました。久しぶりの金茶の着物が派手すぎないかしら? と心配しながら・・・

     日本画「秋耕」 野沢蓼州画

「炉開きと口切の会」は、社中の皆様でいろいろな役割を交代でしていただきながら茶事形式で行っています。

2024年の次第は次の通りでした。

待合~ 席入 ~ 挨拶(KTさん)~ 口切(KTさん)~ 初炭(AYさん)~ 昼食・休憩 ~銅鑼で席入

~ 濃茶①(M氏)~ 後炭(M氏)~ 濃茶②(KRさん)~ 薄茶(Y氏)~ 挨拶(M氏) 

初座の亭主はKTさん、半東はAYさん、後座の亭主はM氏、半東&水屋は適宜交代で、暁庵は後見です。

お客様がお揃いになったようで、詰KRさんが打つ板木の音が高らかに聞こえると、半東が桜湯をお出しし、腰掛待合へご案内しました。下火を入れ、濡れ釜をかけて、亭主が迎えつけをしました。

 

蹲を使って席入りです。

初座のお客様は、正客M氏、次客SKさま、三客Fさま、四客Y氏、五客AYさん、詰KRさんです。

       「紅炉一點雪」

亭主KTさんがお一人お一人と挨拶を交わされ、正客から待合や床の掛物についてお尋ねがありました。

待合の掛物は日本画の「秋耕」、作者は川合玉堂門下の野沢蓼州(りょうしゅう)です。

本席のお軸は「紅炉一點雪」、紫野総見院の山岸久祐師のお筆です。

床の下座に朱色の網袋に入った茶壷が飾られています。

正客より「どうぞご都合により茶壷の拝見をお願いします」とお声がかかりました。(ご都合により・・・というのは、茶壷拝見のタイミングが流儀や仕方によって違うからです)

いよいよ口切です。暁庵の口切では先に茶壷を拝見に回し、その後に口切をします。恩師N先生にお習いした仕方で、「先にお壷をゆっくり拝見した方が口切の時の期待感が高まると思いますよ」とN先生。

それに今年は「色絵吉野山図茶壷」を使いました。最初は仁清写しの壷と思いましたが、静嘉堂文庫美術館と福岡市美術館にある色絵吉野山図茶壷(2つとも重要文化財)とは違うように思っています。というのも、この茶壷の吉野山図にはステキなものがたりが描かれているのです。それで、京焼の現代作家さんのオリジナルと考えています。

網袋がはずされ、茶壷が拝見に出されました。ものがたりを鑑賞していただくために全員が茶壷を時計まわりで見ていただきました。口覆いは唐松金襴です。御茶入日記が運ばれました。

壷が戻り、葉茶上戸一式が運び出され、いよいよ口切です。(順番などはこちらをご覧ください

KTさんが小刀をとり、ゆっくり慎重に壷の合口を切っていきます。客一同、その一挙手一動を我がことのように見つめます。やがて蓋が開けられ、
「いずれのお茶を差し上げましょうか?」
「ご亭主様におまかせいたします」とM氏。


     (葉茶上戸一式です)

茶壷から詰め茶が葉茶上戸(じょうご)へ出され、壷の中から濃茶が入った半袋が1つ取り出され、茶銘を読み上げ、挽家(ひきや)に入れました。

「「延年の昔」でございます」とご亭主。

葉茶上戸をトントントンとリズミカルに打ちながら、葉茶が詰と書かれた曳家へ入れられ、残りが壷へ戻されました。

封紙に糊をつけ合口に封をし、捺印します。葉茶上戸一式を片付けてから、壷を網に入れて水屋へ下がりました。

これにて2024年の口切が終了です。

すらすらと流れるように口切が行われ、私も清々しい気持ちで見守れて嬉しかったです。

この後に水屋にて茶壷に真、行、草の紐飾りが施され、後座の床に飾ります。つづく)

 

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