毎年お盆になると、亡き人たちを思いながら詠ったという蓮月尼の歌を思い出します・・・大好きな歌なので何度も登場です。
死手の山 盆の月夜に越えつらむ
尾花秋萩 かつしをりつつ 蓮月
(冥土にある山を盆の月夜に越えて行くのだろうか
尾花や秋萩を折って帰りの道しるべとしながら )
8月14日に今年もお盆の墓参りへ行きました。
猛暑だし炎天下の墓掃除はきついし、「今年はサボっちゃおう・・・」と決め込んでいたら、夢の中に彼の地の人たちが現れたので、重い腰を上げました。
春のお彼岸以来なので、雑草はほとんどありませんでしたが、秋桜が墓いっぱいに生い茂っていました。
「やっぱりきてヨカッタ!」
咲きそろうと墓は秋桜に覆われてさぞかしきれいだろうな・・・と思いながらも、数本を残して撤去です。門柱代わりの2本のカイズカイブキはツレがカットして整えています。
お供えの花は、白と紫の竜胆、茶色の実がいっぱいの蓮の台(うてな)、吾亦紅を片方の花入に、もう片方に緑のシダ、赤いバラ、白いトルコ桔梗を生けました。
掃除が終わり、線香を手向けてからしばし亡き人たちとお話します。きっと墓の中の人たちも喜んでいることでしょう。
炎天下の墓掃除は汗びっしょりで大変だっただけれど、とても満足感や達成感があって今年も二人で来れて良かったなぁ~と思いました・・・。
今日は8月16日、大文字の送り火の日であり、原三渓翁の命日です。
折しも台風7号が関東地方へ接近または上陸するとのことで、1時間前から雨が降り始めました。雨戸を閉め切っているので昼なのに夜みたいに暗く静かです・・・。
ふと、ツレの故郷・愛媛県西予市のお盆の情景や故郷の墓で眠っている御恩ある人たちを思い出しました。
故郷の菩提寺で唱えたことのある「追善和讃」、ここに記して亡き人たちを想いながら再び唱えます。
「追善和讃」
帰命頂来仏法僧 火宅無常の世にあれば
受くる悩みは多けれど 死別にまさるものぞなし
生縁すでにつきぬれば 富も位もなにかせん
もろき生命はうたかたの はかなく消えてあともなし
親子のゆかり深くとも 魂よびかえすすべもなし
比翼のちぎりかたくとも 伴い行かん道ならず
つきぬ名残の野辺送り 忌日数えて嘆けども
やがて去る者日にうとく その面影はうすれゆく
されどこの世は短くて 流転輪廻の果もなし
因果の道理わきまえて 後世の大事を思うべし
今霊前にささぐるは 知恵の灯慈悲の花
香のかおりも清らかに 金口の経をとなうれば
煩悩はらう鐘の音に いつか長夜の夢やぶれ
元より空に有明の 真如の月は圓かにて
有縁無縁のへだてなく みな信心の花ひらき
無上菩提の実をむすぶ 回向の功徳ありがたき
不生不滅を悟りなば 生死即ち涅槃なり
逝くも残るも仏国土 常に諸仏の目のあたり
大悲の御手に抱かれて 永遠の生命に生きる身の
幸を悦びいざともに 報恩行にはげみなん
南無や大慈の観世音 南無や大悲の観世音
合掌