暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

続・茶道具こわい・・・城端塗と城ヶ端塗

2025年01月11日 | 茶道具

(外に広がる畑や野山を見ながら食べるベランダ席・・・Cafe&レストラン「杜」にて)

 

「茶道具こわい・・・令和6年師走」の続きです。

14年前のこと、城端塗の棗を追い求めて、富山県城端(じょうはな)町へ旅したことがあります。

(以下、ブログからの抜粋です)

富山県南砺市出身のSさんから南砺市の話を興味深く伺っていると
城端(じょうはな)という地名が出てきました。
「じょうはな? どんな字かしら?」
「高岡から出ている城端線の終点で、絹織物で栄えた町です」
すると、Nさんが
「城端といえば城端塗を思い出します。
 以前、先生宅で見せて頂いた棗が素晴らしくて・・・」
城端塗の棗のことを話すNさんの声音がいつまでも耳に残りました。

それから二、三日後、小京都のテレビ番組を見ていると、偶然「城端」でした。
古い織物工場や街並み、曳山祭や祭の準備の様子が紹介されていて、
行ってみたい・・と思いました。
調べてみると、城端曳山祭が5月5日(宵祭4日)とわかりました。
GWの旅行先は金沢・能登(輪島)へ決まっていたのですが、
急遽、金沢・南砺へ変更し、城端と曳山見物が旅のハイライトになりました。

さて、城端塗ですが、城端へ行けばきっと出合える気がしていましたが、
未知の町、しかも曳山祭の最中ということもあり、難しかったです。(以下省略)

 

その旅の折にはご縁がなくすっかり忘れていたような・・・いいえ、漠然とですが城端塗の棗を長い間探していたような気がします・・・。

東京美術倶楽部・正札市で赤楽茶碗の他にもう一つご縁があった茶道具があります。城ヶ端(じょうがはな)塗の茶器です。

2階の特選売り場に城ヶ端塗と書かれた茶器が展示されていました。

とても古いもののようで、「ヒビあり」という表示と100万円近い値札があって、手に取るのも怖く、城端塗を城ヶ端塗と呼んでいるのかしら?・・・と。勝手に城端塗=城ヶ端塗と思い込んだようです・・・。

あの時にもっとしっかり出品者にお尋ねしておけば良かったと後悔しています。

そのあとで4階の売り場で城ヶ端塗の茶器に出会いました。

「唐子蒔絵茶器 城ヶ端塗 前畑春斎」とあり、赤地に唐子たちが遊んでいる蒔絵が色鮮やかに描かれています。

形が面白く置蓋になっているのも、かわいらしい唐子の文様も気に入り、この茶器を使ってみたいと購入を決めました。

 

   (ベランダ席は寒いので膝毛布、中は薪ストーブが暖かです)

家に帰ってから説明書を読み、城ヶ端塗とは城端塗とは違うことがわかりました。

説明書には次のように書かれていました。

城ヶ端蒔絵茶器(じょうがはなまきえちゃき)

薄茶器の一種。朱・緑・黄・黒などの色漆で文様を描き、その輪郭線と細部を金蒔絵として、朱または黒漆地に研ぎ出し手法で図柄を表わした特殊な蒔絵茶器。

初期作品は文化文政期(1804~30)の制作と思われ、明治・大正・昭和にも同系統の茶器が作られている。

文様は水仙・松竹梅・菊・牡丹獅子・鳳凰その他があり、木地は極めて薄く、置蓋作りが多い。

紛らわしいが、城端蒔絵(治五右衛門塗)とは技術・感覚共に全く異なるものであり、蒔絵の技術は極めて高度で、洗練されたものが多い。治五右衛門塗の彩色技法を採り入れた江戸での製作品ではなかろうか。

 

        (城ヶ端塗の茶器)

追い求めていた城端塗の棗は今回も幻に終わりましたが、入手した城ヶ端塗茶器がこれからいろいろ活躍してくれそうです。 楽しみ!

 

 


茶道具こわい・・・令和6年師走

2024年12月11日 | 茶道具

    (散歩道の柿の実・・・今はいくつ残っているかしら?)

   (心に残る言葉・・・・新潟県五泉市 慈光寺にて )

 

光悦会の素晴らしい道具の後で恐縮ですが、久しぶりに茶道具こわい~!のお話です。

10年前に3年ほど京都・灑雪庵で暮らし、その間に何度か楽美術館と楽美術館茶会を訪れました。

楽美術館茶会では、所蔵の楽茶碗で薄茶を頂き、楽茶碗を手に取って鑑賞する機会を得ました。
席主の15代・楽吉左衛門氏の話が興味深く、歴代の楽茶碗の魅力や特徴、また自らの体験を通して作り手の葛藤や思いを伝える話に毎回魅了されました。そんなこともあって、「当代(現・直入)の楽茶碗が欲しい・・」と憧れたのです。

しかし暁庵に手が届く金額ではなく、すぐに諦めました・・・。

3年ほど暮らした京都を去る時に茶友Wさんの案内で伊勢方面へ出かけ、黒楽茶碗に出逢いました。一入作の黒楽茶碗で15代・楽吉左衛門の極めがあり、一目で気に入りました。

それから十年を経てこの度、赤楽茶碗と嬉しいご縁があったのです。

心ひそかに赤楽茶碗が欲しいと探していたのですが、出不精のうえ道具屋さんの敷居が高く感じて、なかなか出合いがありませんでした。

赤楽茶碗にはもう出合わないかも・・と半ばあきらめていたのに、不思議なご縁を感じて赤楽茶碗を連れ帰りました。

師走10日に新潟県五泉市からI氏が我が家へいらしたので、早速その赤楽茶碗で薄茶を差し上げました。I氏がお客様第1号で嬉しいです。

 

 

今年6月30日の「雨月の茶事」で2年にわたる茶事10回をやり終えましたが、燃え尽き症候群になっていない自分を発見。来年もそんな自分に付き合っていこうと決心したところでした。

今、茶道具が持つ不思議な力(暁庵の茶の湯を後押ししてくれる)を感じています。そして、一緒に楽しんでくださるお客様のパワーもひしひしと温かく・・・。

黒楽茶碗と共にいろいろな物語ができそうで、赤楽茶碗を使うのがとても楽しみになりました。

腰や膝と相談しながら他力本願をモットーに、茶事や茶会一つ一つを丁寧に大事にできたら・・・と祈っています。

令和7年もどうぞよろしくお付き合いください。 

 

(参考)
 茶道具こわい    2010年12月29日
 茶道具こわい in Kyoto     2014年12月18日
 楽茶碗に恋して・・・茶道具こわい in Kyoto Ⅱ    2014年12月27日

 茶道具こわい・・・茶碗「玉帚」 2019年1月3日

(おすすめ)

 忘れたくない「茶の教え」  2014年12月24日  

 

 


水指の贈り物

2024年02月06日 | 茶道具

 

昨日(2月5日)は思わぬ大雪になり寒さがこたえますが、いかがお過ごしでしょうか?

 

1月24日のこと、思いがけず水指が届きました。 

陶芸家の染谷英明さんからです。暮れに電話を頂き、

「11月4日には遠くから個展(・・・陶芸展ではなく絵画展でした)へ来ていただき、ありがとうございました! コロナ以降、なかなか陶芸作品を作れないのですが、玄関に水指(大中小だそうです)が3つ置いてあります。水指にとっては茶席で使ってもらうのが一番なので、そのうちの1つを差し上げたいと思います・・・」

「せっかくのお申し出なので喜んで頂戴します。立礼の茶事に使うので小さめのを頂きたい」と私。

・・・その後のやり取りでまん中の水指を選んでもらい、1月末に東京でお会いすることになっていました。びっくりしてお電話すると

「あれから体調を崩して東京へ行けるのが先になりました。それで、早めに水指を送りました。気に入ってもらえると嬉しいのですが・・・」

「とても素晴らしい水指をありがとうございます! 中とお聞きしましたが、大のイメージに近い堂々とした信楽の水指で、立礼だけでなく広間の席にも使いたくなりました。釉薬と窯の灰と炎が交じり合って生じた景色の妙が見飽きません。大事な水指を頂戴して、ありがとうございます!」

思えば、韓国旅行をご一緒したご縁で、その後3回ほど染谷英明氏の個展へ出かけましたが、いつも作品のことをキラキラと目を輝かせて語る染谷氏のお話、そして屋敷森に囲まれたギャラリーの佇まいやお食事が楽しみでした。

白楽茶碗「小鷺」茶杓「寧(ねい)」 そして信楽焼の水指・・・どれも染谷英明氏の作品で、暁庵にとって思い出深い茶道具です。大事に使わせて頂きます・・・。

 

  (秋の花が生けられた信楽焼の花入・・・染谷英明氏の作)

               (「若き日の自画像」)

遅くなりましたが、令和5年11月2日~13日に開催された「染谷英明 絵画展」のことを書いておきます。

11月3日に「古希をお祝いする茶事」へ参席した後、足利市で1泊し、翌日に絵画展へ向かいました。 

駅まで染谷氏が迎えに来てくださり、埼玉県伊奈町にある「Viennto Cafe&Gallery」に着くと、そこは屋敷森が残る素敵なギャラリーでした。

 

      (屋敷森の残る「Viennto Cafe&Gallery」(埼玉県伊奈町))

 

「絵はともかく、食事も珈琲も美味しいので楽しんでいってください」

Cafeの中に個室の様な部屋があり、絵を見ながらお食事やお話が出来るようになっています。

染谷氏は高校生のころから絵を描いていたそうで、大きな絵を描けるように大きなアトリエのある家を作ったそうです。「でも、なかなか大きな絵は描けなくって、家の借金返済が大変でした(笑)」

そんなお話を伺いながら、若いころの自画像と今の自画像を興味深く拝見しました。

 

 

静物画や花の絵もありましたが、自画像が興味深く、特に絵画展直前まで没頭したという2枚の自画像が印象に残りました。自画像を描いたことには特に深い意味はなく、モデルを頼むのも大変なので、人物画がたまたま自画像だったのです・・・と淡々と語ってくれました。

描きながら、きっと色々なことを自分自身と語り合ったのではないかしら?

「Viennto」さんの地産地消の野菜を使った、生ハムのランチプレートを一緒に頂いた後に、ご自作の「瀬戸黒茶碗」で珈琲を頂きました。

 

     (珈琲と相性抜群の「瀬戸黒茶碗」)

2杯分はたっぷり入っているので、最初にストレートで、それからミルクを入れて、最後に砂糖を入れて、心ゆくまで珈琲を楽しみましたが、深味のある「瀬戸黒茶碗」が珈琲をより一層美味しく惹き立てています。

「この瀬戸黒、古武士のようで・・閑かで・・いいですね。珈琲が何倍も美味しくなりました」と私。(秘かにお持ち帰りしたい!とも・・・)

この瀬戸黒茶碗で、お薦めの「Vienntto ]の珈琲を飲んでもらいたくって、わざわざ持って来てくださったとか。

 

駅まで送ってもらい、再会を約してお別れしました。

「また元気でお会いしましょう・・・早く体調を整えて、次なる個展を目指してくださいね」

 

 


東美アートフェアと青磁花入

2023年10月25日 | 茶道具

   (散歩みちで採取した野の花を桂籠に生けました)

 (薄、力芝、萱つり草、背高泡立ち草、アベリア、狗尾草、もう1種)

  

10月13日(金)~15日(日)まで東京美術倶楽部で「東美アートフェア」が開催されました。

なかなか行けませんでしたが、S先生から入場券を譲って頂いたので久しぶりに出かけることにしました。

初日の11時頃に到着すると、びっくりするほど入場者が溢れていて「コロナも一段落して、やっと美術やお茶の世界も活況を取り戻したのね・・・」と思い、活況ぶりがとても嬉しかったです。

4階へ上がり、先ずは4階から見始めました。内心、何か良い茶道具との出会いを期待していましたが、桁が1つか2つ違う値段のものが並んでいるのを見て、すぐに購入ではなく古美術鑑賞へ気持ちを切り替えました。

ブースによって、素晴らしい書の床飾りや古色のある花入に実ものなど秋の草花が風情よく生けられていて、カメラを持参しなかったのが悔やまれました(もちろん、店によっては撮影禁止もありましたけれど・・・)。

茶道具や古美術の他にも現代作家の絵画、古い日本の人形、竹製品、高麗や李朝の骨董など多彩なアートフェアです。先日出かけた徳川茶会の絵高麗槌形花入(瓢壷)とそっくりな展示品もありました。

4Fのお店で青磁の花入が目に留まりました。形の素晴らしさ、心に沁みいるような青磁色、優美で上品な雰囲気に惹かれて、手に取らせて頂きました。作家は川瀬忍氏、前からとても気になっていた青磁を追及している作家さんです。

「もう1つ、川瀬忍の青磁花入があるのでお見せしましょう。でも、こちらの方が好いと思い、こちらを展示していました」と女性の店主さん。

もう1つの青磁花入も見せてもらいましたが、最初に目にしたものにかないません。お値段を伺うと、なんとか手に届く額だったので、思い切って購入を決めました。

家に帰ってから古いなごみ(2015年7月号)の特集「陶芸家・川瀬忍とたどる あこがれの青磁」を読み直したり、早速、青磁花入へ金木犀を生けたりして楽しんでいます。(いつかお目にかけれるかしら?・・・)

 

 

なごみ(2015年7月号)より川瀬忍氏の一文を転載しました。

 

  青き姿へのあこがれ     文・川瀬 忍  

天青、紛青、藍青、灰青、卵青、浅青、翠青、油青、碧青・・・・、

これらは、清時代の皇帝・乾隆帝が青磁の美しさを

表現するために名付けた青の色である。

それ以前、唐時代には 越州窯の美しい青を「秘色(ひしょく)」と呼んだ。 

・・・中略・・・

そして日本人(茶人)は、青磁の美しさを

砧(きぬた)、天龍寺、七官と作品の持つ位取りで分類していた。

それぞれの青の美しさと形の品格からである。

私の場合、その砧青磁と出会ったのが、

青磁の魅力にのめり込む第一歩であった。

形の厳しい南宋官窯、

柔らかな温かみを感じさせ、

見る人を包み込んでくれる汝官窯(じょかんよう)(伝世汝窯)。

すべて「青」である。

 

雨過天青(うかてんせい)という青磁の青を表わした言葉がある。

私はその言葉に、雨上がりの、

まだ湿潤なうるおいに満ちる大気を通して見た、

空の色を思い浮かべている。

 

               

追伸)

たくさんの美術品を見くたびれて、休憩所のベンチで、豪華かつ躍動的に生けられた生花の大作を見ながら休んでいました・・・。

隣に座っている女の方が立ちあがったので

「すみませんが、時計(携帯)を忘れて時間がわかりません。何時かお教えください・・・」と声を掛けました。すると、その方と顔が合い、もうびっくり! 15年前にお茶事や花月でお世話になったK先生でした。

15年ぶりの思いがけない再会に手を取り合って喜び合いました。

今つくづくと、K先生との再会が東美アートフェア最大の掘り出し物(宝物)だったと思うのです。

お茶の神さまとS先生に感謝でございます。

 

 


夏休み中ですが・・・壺屋焼の茶碗

2022年07月15日 | 茶道具

     「蓮の花」 (しまなみ海道の生口島、耕三寺にて撮影)

 

お暑うございます。

・・・夏休み中ではありますが、押入れの奥にしまい込んで忘れないうちに茶碗のことを書いておきます。どうぞお付き合いください。

7月3日(日)に社中Iさんの「海想の茶事」が無事に終わりました(とても素晴らしい茶事でした・・・ため息)。

Iさんはスキューバダイビングを趣味にされていて、毎年夏になると沖縄の海へ行って潜っていましたが、コロナウイルスの蔓延以来、行きたくってもいけない状況が続いています。

遥か南の海で繰り広げられる、この世のものではないような不思議で美しい海中の一期一会を想いながら、お茶事の薄茶席で壺屋焼茶碗が2碗使われました(各服点なのでその他に3碗)。 

小橋川仁王氏と新垣栄三郎氏の作品で、それぞれ個性が違う形状や色、特に緑色の色彩の奥深さに心惹かれました。

・・・そんな刺激を受けたせいで壺屋焼の茶碗が欲しくなりました。

 

 壺屋焼(つぼややき)を調べてみると、

壺屋焼は沖縄県那覇市壺屋で主に生産されている陶器です。

今年は沖縄の本土復帰50周年にあたりますが、壺屋焼の歴史を調べていると、戦後の那覇の解放と復興は、壺屋から始まったことを知りました。

1945年の沖縄戦で旧那覇市街は灰燼に帰しましたが、郊外の壺屋地区は比較的被害を免れました。当時、住民は民間人収容所に収容され、日々の生活は困窮を究めていましたが、「壺屋は業者が移住できればすぐに生産が開始できる」と米軍政府関係者に懇願し、粘り強く交渉を重ね、ついに移住の許可を取り付けました。

1945年11月、各収容所から壺屋出身の職人や建築作業班が集められ、140名がまず壺屋に入り整備作業が始まりました。その陶工の中には小橋川仁王や金城次郎らがいました。

その年の12月、最初のやきものが焼かれ、1ヶ月で壺屋の人口は8,000人に増えたそうです。1946年1月3日に糸満地区管内壺屋区役所が設置され、那覇市の戦後の回復と発展は壺屋と壺屋焼から力強く始まりました。

 

      (沖縄ではなく高知県の海ですが・・・叶崎にて)

私はいまだ沖縄へ行ったことがありませんし、何故か沖縄を避けていた気がします・・・それは頭あるいは体に刷り込まれた、生まれる前の空襲体験のせいかもしれません。

やっと沖縄のエメラルドの海ややきものに逢いたい気持ちになりましたが、「再び車で四国遍路」へ行ったばかりですし、コロナウイルスBA.5株の急な襲来(第7派)もあり、まして暑中の茶碗探しの外出は無理・・・

それでネット検索していると、とても気になる茶碗に出合いました。

添付の写真を見ていると、沖縄の特産物である芭蕉布の味わいを感じましたが、問題は径が15センチ近くで大きいことです。

  

 (沖縄特産の芭蕉布・・・目が飛び出るくらい高価です)

大きくても薄茶で使う茶碗だし、これを逃すと、このような茶碗に出合うことはないかもしれない・・・という思いが頭をよぎり、購入を決めました。

一度逃すと、いくら探しても出合えないことを幾度か経験しているので、今は「私の所へ来てくれてアリガトウ!」と思っています。

     (私の所へ来てくれてアリガトウ!)

古箱には「琉球 茶碗」とだけ書かれていて、道具屋さんによると江戸中期の作だそうで、形状や釉はげに素朴な魅力を感じ、古作を思わせます。アバタもエクボかもしれませんが・・・気に入っています。

岡田製糖所の「和三盆」を賞味しながら、愛称「芭蕉布」茶碗で薄茶一服を楽しみました。

 

     (購入した壺屋焼の茶碗で一服・・・稽古の後に)

 

「芭蕉布」茶碗はやはり夏がお似合いです。

お暑いですが、立礼席、洗い茶巾で一服いかがでしょうか? 

8月中なら、どなた様でも大歓迎です・・・。