(外に広がる畑や野山を見ながら食べるベランダ席・・・Cafe&レストラン「杜」にて)
「茶道具こわい・・・令和6年師走」の続きです。
14年前のこと、城端塗の棗を追い求めて、富山県城端(じょうはな)町へ旅したことがあります。
(以下、ブログからの抜粋です)
富山県南砺市出身のSさんから南砺市の話を興味深く伺っていると
城端(じょうはな)という地名が出てきました。
「じょうはな? どんな字かしら?」
「高岡から出ている城端線の終点で、絹織物で栄えた町です」
すると、Nさんが
「城端といえば城端塗を思い出します。
以前、先生宅で見せて頂いた棗が素晴らしくて・・・」
城端塗の棗のことを話すNさんの声音がいつまでも耳に残りました。
それから二、三日後、小京都のテレビ番組を見ていると、偶然「城端」でした。
古い織物工場や街並み、曳山祭や祭の準備の様子が紹介されていて、
行ってみたい・・と思いました。
調べてみると、城端曳山祭が5月5日(宵祭4日)とわかりました。
GWの旅行先は金沢・能登(輪島)へ決まっていたのですが、
急遽、金沢・南砺へ変更し、城端と曳山見物が旅のハイライトになりました。
さて、城端塗ですが、城端へ行けばきっと出合える気がしていましたが、
未知の町、しかも曳山祭の最中ということもあり、難しかったです。(以下省略)
その旅の折にはご縁がなくすっかり忘れていたような・・・いいえ、漠然とですが城端塗の棗を長い間探していたような気がします・・・。
東京美術倶楽部・正札市で赤楽茶碗の他にもう一つご縁があった茶道具があります。城ヶ端(じょうがはな)塗の茶器です。
2階の特選売り場に城ヶ端塗と書かれた茶器が展示されていました。
とても古いもののようで、「ヒビあり」という表示と100万円近い値札があって、手に取るのも怖く、城端塗を城ヶ端塗と呼んでいるのかしら?・・・と。勝手に城端塗=城ヶ端塗と思い込んだようです・・・。
あの時にもっとしっかり出品者にお尋ねしておけば良かったと後悔しています。
そのあとで4階の売り場で城ヶ端塗の茶器に出会いました。
「唐子蒔絵茶器 城ヶ端塗 前畑春斎」とあり、赤地に唐子たちが遊んでいる蒔絵が色鮮やかに描かれています。
形が面白く置蓋になっているのも、かわいらしい唐子の文様も気に入り、この茶器を使ってみたいと購入を決めました。
(ベランダ席は寒いので膝毛布、中は薪ストーブが暖かです)
家に帰ってから説明書を読み、城ヶ端塗とは城端塗とは違うことがわかりました。
説明書には次のように書かれていました。
城ヶ端蒔絵茶器(じょうがはなまきえちゃき)
薄茶器の一種。朱・緑・黄・黒などの色漆で文様を描き、その輪郭線と細部を金蒔絵として、朱または黒漆地に研ぎ出し手法で図柄を表わした特殊な蒔絵茶器。
初期作品は文化文政期(1804~30)の制作と思われ、明治・大正・昭和にも同系統の茶器が作られている。
文様は水仙・松竹梅・菊・牡丹獅子・鳳凰その他があり、木地は極めて薄く、置蓋作りが多い。
紛らわしいが、城端蒔絵(治五右衛門塗)とは技術・感覚共に全く異なるものであり、蒔絵の技術は極めて高度で、洗練されたものが多い。治五右衛門塗の彩色技法を採り入れた江戸での製作品ではなかろうか。
(城ヶ端塗の茶器)
追い求めていた城端塗の棗は今回も幻に終わりましたが、入手した城ヶ端塗茶器がこれからいろいろ活躍してくれそうです。 楽しみ!