暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

炉開きの茶事-2  壺荘と献上かざり

2014年11月19日 | 思い出の茶事  京都編
                  はじめて拝見した「献上かざり」
(つづき)
懐石担当はなんと!Mさまのご主人でした。
茶事前の電話で「いろいろ試作しているのですが、四つ椀は初めてで・・・」
あれはMさまではなくご主人のことだったのね。
お二人で試作やらデスカッションを繰り返し、ご主人の懐石デビューでした。

煮物椀・・ざっくりした海老真蒸が食感、味とも素晴らしく、松茸、三度豆に
輪切り柚子のシンプルさ、盛付の美しさに学ぶべきことばかりです。
進鉢・・巨峰と菊花の胡麻和えが絶品でした。が、食材がすぐにわかりませんでした。
巨峰(ぶどう)と胡麻の絶妙なハーモニーで、箸が止まらない美味しさです。
サプライズもあり、是非つくってみたい一品でした。
八寸・・一塩の生鱈子と渋皮煮

ご主人との共作(?)の懐石がほほえましく、うらやましく、きっと回を重ねるほどに
いろいろな懐石料理が生み出され、お二人の息の合ったコラボが楽しみです。

舌鼓を打ちながら、すべて美味しく平らげました。
さらにお菓子が続きます。
朱赤に花、鳥、蝶の蒔絵が描かれた縁高が運び出され、亥の子餅を頂きました。
どうしたら亥の子餅に見えるか、ご亭主苦心の手づくりです。
そして、中立となりました。

                  
                  見事な大輪の菊(三本仕立て)

美しい響きの銅鑼に導かれて後座の席入をすると、
床の上座には飾り紐を真行草に結んだ壺が飾られ、
中央には三本の菊が奉書に包まれ、赤白の水引が結ばれていました。
初めて見る、珍しい菊花の飾り方です。
茶花の菊は野紺菊、嵯峨菊など数種に限られると伺っているので、
あとでお尋ねするのが楽しみでした。

菊花は「献上かざり」といい、明治天皇誕生をお祝いする飾り方で、
11月3日は「文化の日」ですが、昔(昭和23年まで)は「明治節」といい、
明治天皇の誕生日でした。
最初の写真のような「献上かざり」をして祝ったそうですが、本来は黄色の菊で、
2日までは小菊にします。

詳しく知りたくてネットなどで調べましたが、よくわかりません・・・。
でも、「献上かざり」の風習を後世に伝えていきたい・・と思いました。
素晴らしいご趣向で私たちに教えてくださったMさまに感謝です。

                 
                         高松市・玉藻城の菊花展
濃茶点前がはじまりました。
はじめて拝見する棚は淡々斎好の尚歌棚。
ステキな備前の水指が映える桐木地の一重棚で、天板と地板の前後に切り込みがあり、
継色紙風になっています。柱は、短冊をかたどった桐の板と白竹が一組になり、
勝手付と客付に立てられ、簡素の中に風流な趣きがありました。

それに・・・Mさまのお点前が一番のごちそうでした。
足の運びにため息をつき、丁寧で優雅な袱紗捌きや所作に魅せられながら、
濃茶の時間を心ゆくまで愉しみました。

萌黄地に雲文金襴の仕覆が脱がされると鹿の子斑の瀬戸の茶入が現われました。
飴色の窠蓋(すぶた)が開けられ、緑の濃茶が黒の茶碗へなだれ落ちる様子、
茶が入ると茶香があたりに漂い、もう濃茶が待ち遠しい思いです。
丁寧に練られた濃茶が出され、トルコブルーのエキゾチックな古帛紗が添えられました。

一口頂き、「まろやかで美味しゅうございます」
濃茶は「松花の昔」小山園詰、甘くまろやかな濃茶をたっぷり堪能しました。
茶碗は那智黒釉、紀州焼の寒川栖豊作、黒々と重厚で重そうですが、
手に取ると意外に軽く、茶の緑が美しく映えて濃茶にぴったりです。

                  
                  野紺菊・・・鷹峯・常照寺にて

続き薄になったのですが、裏流ではなく表流で、私(正客)から薄茶を頂戴しました。
続き薄で何回も茶事をしているのに、美味しそうな干菓子(木守と栗)に気を取られ、
恥ずかしいですが、全く動じないご亭主、YさまとNさまがなんと頼もしかったこと!

個性の異なる3つの茶碗で二服ずつ薄茶を賞味し、ご亭主にもご自服してもらい、
愉しくのんびり過ごさせて頂いた、貴重なひと時でした。
帰りはご亭主と水屋で奮闘してくださったご主人に見送られ、車へ乗り込みました。

床のお軸の如く、素晴らしい「好日!」でした。
そして、横浜へ帰っても決してこの茶事を忘れることはないでしょう。
いつまでも「千里同風」でありますように・・・。
                                

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炉開きの茶事-1  壺荘と献上かざり

2014年11月18日 | 思い出の茶事  京都編
                高松市・玉藻城の菊花展にて

11月に突入した途端、行事や旅行が続きました。
どれも得難い経験なので、ゆっくり書いていきます・・・。

              
              紅葉が見ごろです・・・鷹峯・常照寺にて(6日撮影)

11月2日(日)炉開きの茶事へ招かれました。

10月31日、11月1日と前日まで灑雪庵・名残りの茶会があり、
正直、かなり疲れていましたし、片づけもまだ終わっていません。
でも、Mさまからのお招きが「一人亭主で2日間頑張ったご褒美」のように思われ、
茶友Yさま、Nさまと待ち合わせ、いそいそと出かけたのでした。

待合掛けは「千里同風」。
後日(14日)、茶道資料館「茶の湯の名椀」展で、
無爾可宣(むにかせん)から南浦紹明(なんぽしょうみょう)へ送られた
「送別の偈」に「千里同風」の一句を見出し、やっと待合掛けの意味を悟った次第です。

席入すると、床に「好日」のお軸と網袋に入れられた茶壺が飾られていました。
「好日」は谷耕月和尚筆、鵬雲斎大宗匠参禅の師のお一人だそうです。
半年ぶりに対面する炉のなんと温かく、なんと釜が大きく魅力的なことか。
炉縁は高台寺蒔絵、炉開きにふさわしい華やかさです。

              

ご挨拶で、ご亭主から
「横浜へ帰る前にと思い、何とか今日の茶事に漕ぎ着くことができました・・・」
と伺い、私のことを忘れずに覚えていてくださって・・・胸が熱くなりました。
さらに床に飾られた壺を見て、とても嬉しくドキドキしながら
「ご都合により、お壺の拝見をお願いします(3年ぶりかも・・・)」

銹朱色の網袋が外され、口紐が取られ、口覆が置かれました。
ご亭主が正面を確かめられた頃に
「お口覆ともにお壺の拝見を」と声を掛けました。

右から左へ転がしながら拝見すると、小振りですが形佳く、
黒、茶、焦げ茶、薄茶、青など網目のように交じり合った釉薬が複雑な景色を生み出し、
うっとりしながら二度も転がしました。
地元兵庫県の立杭焼(たちくいやき)、母上の代から使われていた壺だとか。
口覆は角倉金襴、これも大好きな裂地でした。

              
                  後座の紐飾

壺が水屋へ引かれ、いよいよ炉の初炭手前です。
新瓢の炭斗が運び出されました。
古色あふれる釜は富士形だそうですが、かなりの大釜で鐶付は遠山、
なまず肌が好い味わいを醸し出しています。
作は大西浄久、二代大西浄清の弟で、浄清に次ぐ名手とされています。
また釜蓋は、逆さ瓢のつまみ、座は桔梗、古色の中に雅な造りでした。

炉中を拝見すると、石の炉壇が珍しく、五徳は大釜を支えるのに頼もしい猫爪です。
そして、丹精の灰に菊炭が3本、半年ぶりの炉中の風情を味わっていると、
湿し灰が撒かれ、炭が置かれ、炉の季節到来の幸せを実感しました。
香合の持ち出しが無かったので、どんな趣向かしら?と楽しみです。

「お香を用意させて頂きました」
香盆が運び出され、香所望です。
次客Yさまにお願いし、ご亭主も同席して頂き、香炉が廻わされました。
やさしく確かな伽羅の香りに心が和み、一つとなるような充実したひと時・・・。
母上から受け接いだという香木は伽羅(薫玉堂)、香銘は「千代の峯」です。

そして次は「もうびっくり!」の懐石でした。 


        炉開きの茶事-2 壺荘と献上かざり へつづく


野の里の名残りの茶事-3

2014年10月17日 | 思い出の茶事  京都編
(つづき)
後座は花所望からはじまりました。
名残りの花を花台に溢れんばかり用意してくださいました。
私は吾亦紅、秋海棠、白杜鵑を手付き籠に生け、
Yさまはヤブミョウガの実と白秋明菊を揖保川焼の花入へ。

いよいよ濃茶です。
古備前の水指の前に荘られている濃茶器が気になっていました。
笹蔓緞子の仕覆が脱がされると、藤村庸軒好の凡鳥棗が現われました。「凄い!」
その形と桐の蒔絵に心惹かれ、あとで棗のことをお伺いできるのが楽しみです。

濃茶はもちろんSさま好みの成瀬松寿苑の「松寿」です。
お茶を掬いだしたとたん、薫りが立ち、よく練られた濃茶を頂戴すると、
香り佳く、ふっくらと丸味のある、甘い濃茶でした。

茶碗は高麗三嶋刷毛目。
ゆがみのある茶碗には2カ所金継があるので名残りに使ったそうですが、
探すとひそやかな美しい金模様でした。
形も三嶋模様も魅力的なのですが、美しい波文を画いている刷毛目に見惚れました。
緑の抹茶が映える茶碗なので、名残りだけではもったいない・・・です。

             

凡鳥棗と茶杓の拝見をお願いして、いろいろな話を伺いました。
凡鳥棗は漆芸工芸士・岩渕祐二氏に写しを特別注文した、思い入れのあるものでした。
甲に金蒔絵で桐、蓋裏に「凡鳥」と朱漆書があり、その字がまた・・・。

凡鳥棗(本歌)は、藤村庸軒好で初代宗哲が作っています。
外は黒の刷毛目塗、東山時代の塗師・羽田五郎が得意としたので五郎塗と呼ばれ、
甲に桐文を金蒔絵、銘は棗の盆付に「凡鳥」と庸軒の朱漆書があります。
せっかくの機会なので凡鳥棗の由来を調べてみました。

元禄7年(1694)の庸軒の漢詩に「鳳凰」があります。
この漢詩は、中国の「世説新語」にある「はるばる親友を訪ねてきたが会えず、
門上に「鳳」字を書いて去った」という話に基づいています。

    鳳凰
   彩羽金毛下世難    高翔千仭可伴鸞
   棲桐食竹亦余事    更識文明天下安

凡鳥とは鳳のことで、鳳の字を二つに分けると凡鳥(平凡な鳥、とるに足らぬ俗人)
というような意味で、「世俗新語」では親友に会えぬ無念さを物語っているとか。
庸軒はストレートに「鳳」とせずに、凡鳥と言って「鳳」を暗示し、
さらに甲の桐の蒔絵で、桐に棲む鳳を暗示しています。

・・・鳳凰の蒔絵がずばり描かれた平棗を愛用していますが、庸軒さんって
シャイだったか、シニカルだったか・・・でも、その捻り味に惹かれます。

             

茶杓は銘「ぶかん(豊干)」足立泰道和尚作です。
豊干は、中国唐代の詩僧で天台山国清寺に住み、寒山拾得を養育した人と伝えら、
虎に乗って僧たちを驚かすという奇行で知られています。

薄茶になり、カスガイのある楽茶碗と案山子絵の茶碗で愉しくお話しながら
2服ずつ頂きました。
棗は拭き漆の武蔵野(司峰作)・・ここで最後の月に出合いました。
茶杓は銘「寅(虎)」、先の茶杓「ぶかん(豊干)」と見事に対を成し、
Sさまの「吾心似秋月」の心意気や庸軒流への深い思いに触れて、
こちらまで熱くなりました。
これからも素敵な茶事を続けてくださいね・・・またきっとご縁がありますように。

姫路駅でYさまと天を仰ぐと、早や満月が欠け始めています。
10月8日、名残りの茶事のその日は十五夜、皆既月食、寒露でした。  
                                   

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野の里の名残りの茶事-2

2014年10月16日 | 思い出の茶事  京都編
懐石はご亭主の手づくりです。
向付はたっぷりの胡麻豆腐(山葵)、家庭茶事のお仲間の話題に上る一品です。
プリプリとした粘り、滑らかな口当り、風味豊かな胡麻豆腐は絶品で、
作り方を教えて頂きたい・・と思いました。
煮物碗は蓮餅、椎茸、海老、三つ葉だった・・と、これも参考にしたいです。

Yさまと会話を楽しみながらゆっくり供される懐石を美味しく頂きました。
酒豪(?)のYさまに味わいの違う2種の酒(山田錦と無)が用意され、お相伴で少々・・。
お酒に弱い私のためにウメッシュを用意してくださいました。
庸軒流の懐石の特徴として、ご飯の盛り方はふんわりした俵形、八寸は3点盛で、
この日は明太子入りのイカ、渋皮煮、キュウリ合え味噌のせの3種です。

              

次は待望の炭手前です。
前回は炉、今回は風炉で、庸軒流の炭手前を2回も目の当たりに出来て幸せでした。
どっしりした鉄の道安風炉に少庵好み霰巴釜が掛けられ、
鉄風炉に丸灰掻上がよくお似合いで、名残りにふさわしい風情です。
丸灰や掻上に挑戦してみたい・・・と良い刺激を頂戴しました。

羽根で風炉を清め、炉と同様に湿し灰が撒かれました。
ここでたまらず・・・「あのう~、そちらで拝見してよろしいでしょうか」
「どうぞ・・・」とご亭主。
炭の置き方をじっくりと拝見させて頂きました。
ジョウを取ってから胴炭を向正面に横向きに、胴炭から左回りに下火を囲んで
炭が丸く置かれ、黒い枝炭が置かれました。
黒い枝炭を間近に見るのは初めてです。
一度では覚えきれませんが、流儀の違いが興味深く、心躍る時間でした。

ここで席へ戻り、香合の拝見をお願いしました。
香合は大好きな二季鳥の平丸、司峰作です。
蓋裏に月と葦池の蒔絵があり、「月を慕って・・」はるばるやってきたのでしょう。
お香がステキでした・・・(紅葉に沈香をつけて)。

              

芳しき薫りが漂う中、主菓子(棹もの「秋の山(?)」)を頂き 中立しました。

後座の迎え付けは喚鐘、五点打たれました。
この音色と響きが美しく、いつまでも聞いていたいような・・・。


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野の里の名残りの茶事-1

2014年10月14日 | 思い出の茶事  京都編
Sさまの名残りの茶事へ招かれました。
9月に入って届いた巻紙のご案内に西行法師の和歌が添えられていて、
Sさまの住む野の里へお伺いするのが楽しみでした。
     秋の夜に聲も惜しまず鳴く虫を
         露まどろまず聞きあかすかな   西行

10月8日、京都駅から西へ向かい、窓側の席へ座りました。
神戸を過ぎると海が見えはじめ、淡路島や明石海峡大橋を眺めながら
明石、加古川を通り、小旅行の気分です。
京都へ来てから通い慣れた風景、茶友の住む駅・・・見納めかもしれません。
そんな感傷に浸りながら、相客のYさまと合流し、Sさま宅へ到着です。

Sさまは庸軒流をお習いしています。
私が藤村庸軒(反古庵とも)ゆかりの西翁院や庸軒の墓を訪ねたり、
庸軒流の点前(特に炭手前)に関心があるのを知って、
昨年12月の茶事に次いで名残の茶事へお招きくださったのです。
待合に入って掛物を拝見した途端、なんかご亭主の気迫のようなものを感じました。

                        
                     西翁院玄関
            

掛物は寒山拾得の画と寒山詩の画賛です。賛は妙心寺和尚筆にて
「吾心似秋月 碧潭清皎潔 無物堪比倫 教我如何説」
(私の心は秋の名月に似て、青々とした深い水のように透明で汚れがない。
これにならぶことのできるものは他に無いく、どのように説明したらよいのだろう)

また、妙心寺の塔頭・桂春院と庸軒流はご縁が深く、庸軒流の茶室と伝えられている
「既白庵(きはくあん)」があることをはじめて伺いました。
それで、このお軸だったのですね・・・。

白湯で喉を潤し、肌色の小さな茶碗(玉露用?)を見ると、蓮月焼でした。
大好きな蓮月に因む茶碗と嬉しいお出合いです。
茶碗ごとに歌が釘彫りされてて、私のは次の歌でした。
    のにやまに うかれうかれて かえるさを
       やどまでおくる あきのよのつき

大小の石や石灯籠が巧みに配置された庭の腰掛で、迎え付けをYさまと待ちました。
Yさまとは7月の「旧暦の七夕の茶事」以来ですが、
南坊流をお習いしているYさまは庸軒流のSさまを心から尊敬してらして、
その気持ちが快く伝わってきます。流派が違っても何か共通するものがあるようです。
立ち使いの蹲で身心を浄め、席入りしました。

         
         西翁院から大阪・淀方面を見る

床の横軸は藤村庸軒の消息文、最後に反古庵とありました。
閑路夕雨(さびしい路を行くと、日が暮れ雨が降ってきた)とあり、
漢詩が続きますが、あとは全く読めませんで、最後に和歌も・・・。
あとで読み下しを見せてくださいましたが、メモもなく・・ごめんくださいませ。

このお軸を入手された時、先に拝見していた堀内宗完師匠が
「これは・・・なかなか好いお軸ですなぁ~」と言ったそうです。
そのお軸が宗完師匠でなく庸軒流のSさまの元へ来たことに深いご縁を感じ、
Sさまの心意気に心の中で拍手しました。
                             

          野の里の名残りの茶事-2へつづく