暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

山口と萩の旅・・・萩市の吉賀大眉記念館へ

2017年04月27日 | 

               菊ヶ浜のホテルから・・・思い出の萩にて
(つづき)
萩市の菊ヶ浜にあるホテルで2泊し、萩を回りました。
最初に訪れたのが吉賀大眉(よしかたいび)記念館です。
吉賀大眉の萩焼の井戸茶碗をネットで見て以来、いつか名前と作品が頭の隅にこびりついていました。
それでも記念館を訪れるまで吉賀大眉についてほとんど知りませんでした。

        
                  吉賀大眉記念館(萩市椿東永久山)

 -吉賀大眉の足跡より抜粋-
   吉賀大眉(本名:寿男)は大正4年、山口県萩市の窯元の家に生まれました。
   当時萩焼は「伝統的な工芸という枠組みの中での陶芸」という認識でしかなく、
   その現状に疑問を感じた大眉は東京美術学校(現:東京藝術大学)に入学、
   大学では彫刻を学び、そののち陶芸家・加藤土師萌に師事しました。

   その後萩に帰郷した大眉は作陶に専念し、
   「伝統だけの観念にとらわれない」「伝統を超えた陶芸の美しさ」を追及し、
   中央の美術展覧会等で精力的に作品を発表しました。
   芸術院賞をはじめ数々の賞を受賞し、平成2年文化功労者に列せられました。
   平成3年10月死去(76歳)。
   萩焼を芸術にまで高めた作家としてその業績を讃えられています。

        
              大眉作の布袋像の後ろ窓から登り釜が見える

展示内容が素晴らしかったです。
○1Fから2Fにかけて古陶磁器作品(大眉コレクション)が展示されています。
 古萩、萩古窯陶片、弥生式土器、古染付などの東洋古陶器が並べられ、見ごたえがありました。
 しかもツレと二人の貸切状態でゆっくり静かに鑑賞できたのも嬉しいです。 

         
                      古萩の獅子置物       

○2F第1展示場には大眉の代表作品がずらりと並び、力強い大作の「曉雲」シリーズに目を見張り、
 水指や井戸茶碗はできることなら茶事で使ってみたい!と。

         

         

○親交のあった香月泰男、松林桂月の萩焼絵付け作品も味わい深く、魅力的でした。
 絵だと暗く重厚なイメージの香月泰男ですが、絵付けした作品はどれも温かく自由な境地が窺えます。

         
                 香月泰男のコラボレーション(絵付け)作品です
 
○昭和の巨匠作品(2F)では、数は少ないですが魯山人、金重陶陽、加藤土師萌の作品にも会えました。

○一番印象に残っているのは、毛利家から藩御用商人・菊屋家へ下賜され、菊屋家から吉賀大眉へ寄贈されたという織部水指です。
桃山時代作と記憶していますが、斬新な形と言い、柔らかな色調と言い、白眉の水指だと思いました。
写真を遠慮したのが悔やまれまする・・・。

         
                菊屋家住宅・・・店も屋敷も庭も広大で立派でした
         
            菊屋家に展示されていた素晴らしい小袖(綸子)
            (雲に雨龍文地 葵唐草・几帳の図刺繍・・・江戸初期)

萩市での主な観光コース
○ 吉賀大眉記念館~東光寺~松陰神社・松下村塾~旧厚狭毛利家長屋~指月公園・萩城跡
○ 武家屋敷界隈~萩博物館~城下町散策・菊屋家住宅~明倫館~新山口駅


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山口と萩の旅・・・山口市の大内文化を訪ねて

2017年04月26日 | 

                 雨に煙る 国宝・瑠璃光寺五重塔

Oさんの茶事の後、山口市と萩市を廻る3泊4日の旅へ出ました。

「横浜から柳井まで来て頂くのは遠いので・・・」と遠慮していたOさんですが、
「茶事のあとに念願の山口と萩へ回るので是非に」と厚かましくもお願いしました。
山口と萩はかつて青春時代にツレと一緒に旅行した思い出の地で、
私ども夫婦はもう一度二人で行ってみたいと長年思っていたのです。

山口にはいろいろ思い出がありますが、先ずは国宝・瑠璃光寺五重塔へ。
その日はあいにくの雨、湯田温泉からタクシーで瑠璃光寺五重塔へ直行です。
脳裏に刻み付けられたままの五重塔が池の向こうに美しい姿で立っていました。

応永の乱で戦死した25代大内義弘の菩提を弔うため、弟の26代大内盛見が嘉吉2年(1442)に建てた供養塔です。
高さ 31.2m で檜皮葺の屋根、二層にのみ回縁(まわりえん)がついているのが特徴だそうです。
建築様式は和様ですが、勾欄の逆蓮頭や円形須弥壇など一部に禅宗様(唐様)が採り入れられています。
大内文化の最高傑作といわれ、日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺とならぶ日本三名塔の一つです。

傘をさしてみる満開の桜に彩られた五重塔、雨に煙る風情が心に残ります。
続いてお詣りした瑠璃光寺本堂(曹洞宗)、四国八十八ヶ所の札所を思い出す雰囲気が好ましい寺でした。
全国の五重塔に関する資料館があり、五重塔大好きなツレが資料館へ行っている間、
回廊入口の縁台に腰かけて名物”あめ湯”をすすりながら、しばし塔を眺めて過ごします。

           
                     瑠璃光寺本堂・・・縁台であめ湯をすすりました

瑠璃光寺から香山公園(うぐいす張の石畳や枕流亭)を抜け、洞春寺(とうしゅんじ)へ。
毛利元就の菩提寺ですが、こちらの観音堂は大内氏の菩提寺・観音寺の仏殿を移築したものでした。
洞春寺から竹藪の道を通って、山口県庁へ出ました。

           
                  山口県庁・・・搭のある洋館と桜に誘われパチリ

31代大内義隆の菩提寺・龍福寺へ向かってぶらぶら歩いていると、一の坂川が流れていました。
室町時代の大内氏は山口市を本拠地として亰風の町づくりを行い、大陸との交易により華やかな大内文化を作り上げ、山口市は西の京と言われるまで繁栄したのでした。
一の坂川はまさに西の京の加茂川、満開の桜と新緑の柳が美しく、川沿いには古い街並みが残る素敵な散歩道です。

         
                一の坂川・・・川沿いの洒落たカフェや古民家のある町並が素敵です

大内塗の作業風景が見学できるという山口ふるさと伝承総合センターへ寄りました。
ひそかに期待していた大内塗の棗に出会いました。
大内塗師・冨田潤二氏の作品で、伝統的な大内菱と秋草が描かれている寂朱色の中棗です。
昔、大内人形を持っていたことを富田氏に話すと、大内人形のルーツを教えてくださいました。

24代大内弘世は、京より迎えた公家の姫君がしきりと都を懐かしがるのを慰めるため、
ホタルを京から取り寄せては放したり、人形を集めて人形御殿を作ったそうです。
その優しさはやがて姫君の心を溶かし、二人は仲睦まじく暮らしましたとさ・・・めでたしめでたし。

いつか大内塗の中棗で柳井市のOさんを茶事にお迎えできたら・・・と夢が膨らみます。

           
                龍福寺・・・桧皮葺きの屋根が美しい31代大内義隆の菩提寺

山口市の主なコース
湯田温泉~瑠璃光寺五重塔~香山公園(うぐいす張の石畳)~洞春寺~山口県庁~一の坂川~川沿いの洒落たカフェレストランでランチ~山口ふるさと伝承総合センター(大内塗)~龍福寺~古民家・工房散策~一の坂川~山口駅           

           山口と萩の旅・・・次につづく

          

柳と桜の茶事に招かれて・・・その3

2017年04月20日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)
            
                       白壁の町並がつづく・・・山口県柳井市にて
(つづき)
・・・後座のことを思い出に記しておきます。

床柱に黄色い蕾の山吹と紅い藪椿が野にある如く生けられていました。
大ぶりの筒花入は「備前焼かしら?」と次客T氏と囁いていたら、
なんと陶芸家T氏本人の初期作品、安南焼の掛け花入でした。
「・・・そうでした! ヴェトナム(安南)まで土を取りに出かけて創ったものです。
 先ほど備前焼と言いましたが、黒の土色が安南独特で全く違います」と懐かしそうに話してくださいました。
「花がとても引き立つので、お気に入りでよく使っています」とOさん。

点前座の堂々とした水指(伊賀耳付、佐久間芳丘作)に魅せられ、若草色の仕覆を着た茶入が濃茶の世界へいざないます。
松風と鳥のさえずりが幽かに聴こえる静寂の中、お点前が始まりました。
茶碗を持ち、すっくと立つ姿勢の良さ、美しい足運びは一瞬能舞台を連想します。
やがて勝手付の窓の簾が上げられ、ご亭主の姿がより鮮明になってきました。
(あれっ?・・・う~ん??)

袱紗の四方捌き、茶入や茶杓の清めの所作を一同息を飲むように見つめます。
やがて茶香が満ちて来て、濃茶が練り上げられ、古帛紗が添えられました。
何とも言えぬ高揚感を覚えながら茶碗を取りに出て、艶やかな翠の濃茶をたっぷり頂戴しました。
お練り加減好く、なんて甘くまろやかな濃茶でしょう。
濃茶は長松の昔、柳桜園の詰です。

茶碗は萩焼の井戸茶碗、萩の七変化と言いますが、艶やかな飴色の肌合いに使い育てられた愛情を感じます。
轆轤目も美しく味わいのある茶碗の作者をお尋ねすると
「ご次客のT氏作でございます」
隣りでT氏が
「この茶碗に今日の茶事で出逢うとは・・・・涙が出そうです 
きっと亡きO氏とのいろいろな思い出が走馬灯のように通り過ぎて行ったことでしょう。

            

先ほどから「あれっ・・・う~ん??」と気になっていたことを思い切ってお尋ねしました。
「光線の加減かもしれませんが、御着物が初座と違うように見えるのですが・・・」
「濃茶を差し上げるのは無地の着物で・・と思いまして中立で着替えました。
 それで長くお待たせし失礼いたしました」
もうびっくり!しました。
数寄者が中立で着物を着換えることがある・・・と何かの本で読んだ記憶がありますが、初めての経験です。
初座は渋い緑色(鶯色?)に箔の入った素敵な着物だったと思うのですが、
後座では藤色の無地紋付に着替えてくださったのです。
客一同、亭主の心入れを深く感じ、お洒落なおもてなしに感動いたしました・・・。

拝見した茶入は今高麗の阿古陀形、仕覆は若草色に花文のある早雲寺文台裂、
茶杓は銘「好日」(紫野大真和尚作)です。
角館で購入されたという樺細工の桜模様の薄器も心に残っています・・・きっとお二人の思い出のお品なのでしょうね。

               

一つ一つにご亭主Oさんの御心がこもる茶事でした・・・ありがとうございました!
相客の皆様とのご縁が嬉しく、またいつかOさんの茶事でお会いしたいものです。
Oさんとは同い年、お互いに健康に留意して、これからも長くお付き合いして頂ければ・・・と願っています。
またお会いいたしましょうね。


       柳と桜の茶事に招かれて・・・その2へ戻る    その1へ戻る

       柳と桜の茶事のあとに山口と萩の旅へでかけました。


柳と桜の茶事に招かれて・・・その2

2017年04月18日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)
             
                      一の坂川の柳と桜・・・茶事の後で訪れた山口市にて

(つづき)
その日は春雨が降っていました。
タクシーで白壁の町並をゆっくり通ってもらい、11時頃にご亭主Oさん宅へ到着。
待合は広い応接室兼リビング、枝垂れ桜が咲いている広い庭に面しています。
既に数人がいらしていて、まもなく全員が揃いました。
相客の皆さまとは初対面ですが、ご挨拶するとすぐに親しくなり、一座建立の心意気が生じるのが茶の湯の凄いところだと思います。
次客は萩焼作家T氏、Oさんの亡きご主人とも親しくされていた方でした。
三客Kさま、四客Tさま、詰Fさまは地元のご友人です。

テーブルに「賓主互換」と書かれた茶扇がありました。
あとで伺うと、鵬雲斎大宗匠筆、ご亭主が今日庵へ修練へ行った折に頂いた、思い出多きお品でした。
「亭主は客のことを・・客は亭主のことを・・思いつつ、互いの心を通わせる」
これぞ茶事の真髄ともいうべき憧れの境地です・・・
糸巻の煙草盆に火入の灰形が美しく調えられいます。
火入(慶入作)の深みのある緑釉に魅せられ、阿古陀形が印象に残っています。

               
                      「柳井」の地名にちなむ井戸と柳・・・柳井市湘江庵

白湯を頂き、雨なので蹲踞を使わずに室内から席入しました。
茶室は八畳、庭に面して躙り口が設けられていて、凝った天井の作りに目を見張りました。
一間の床と一間の書院が並び、床柱は桜でしょうか。
 緑花紅」(淡々斎御筆)の軸が掛けられていました。
柳の字が中央に大きく書かれ、風になびいているようにも見え、
昨日訪れた「柳井」の地名にちなむ井戸と柳の姿が目に浮かんできます。
重厚な味わいの釣釜が掛けられ、初炭が今から楽しみです。

2年ぶりでしょうか、ご亭主のOさんがお出ましになり、懐かしく挨拶を交わしました。
その瞬間に見えない絆がしっかり結ばれたように感じ、茶事にて再会できた喜びを精一杯伝えました。

               
                          椿の散華・・・山口市・龍福寺にて

初炭になり、炭斗や灰器を運ぶ美しく確かな足運び、流れるような所作を一同息を詰めて見つめます。
鎖の小あげに続いて釣り釜があげられました。
内心、とても重いのでは?と心配していたのですが、流石ですね。
釜は遠山文筒釜、加藤忠三郎造です。
初掃きで炉縁に寄り、丹精された炉中、湿し灰が撒かれ、炭が置かれていく様子など、主客の一体感が高まっていくようで、初炭の大好きなシーンです。

香が焚かれ、香合が拝見に出されました。
それは笛、篠笛でしょうか。
仕覆に乗せて持ち帰りましたが、あとで伺ってほっと胸を撫で下ろしました。

笛香合は金と黒の縞模様になっていて陶製、惺入作でした。
亡きご主人が入手され、Oさんは初使いだそうです。
「桜の下の宴に笛の音色を楽しんでいただけたら・・・」とOさん。

萩焼作家T氏のお話では、亡きご主人もお茶をされていて、なかなかの数寄者で魯山人ばりの陶芸もされる方だったとか。
そのお話を伺って、Oさんを亡きご主人がやさしく見守り、茶事の後押ししているように思ったのですが、その後も随所で応援の声が聴こえてきたのでした・・・
香は坐雲(鳩居堂)です。


        柳と桜の茶事に招かれて・・・その3へつづく    その1へ戻る


柳と桜の茶事に招かれて・・・その1 柳井の白壁の町並

2017年04月16日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)
              
                        柳井のかわいいシンボル・・・金魚

        軒近き金魚にあつく迎えられ
            白壁の町を独り駆け抜く       暁庵


山口県柳井市に住んでいる茶友Oさんから茶事のお招きを受けました。
Oさんは京都・灑雪庵名残りの茶会むらさき茶会へ柳井からお出まし下さり、いつかOさんの茶事へ伺いたいと願っていました。
その願いが叶って、2017年4月9日に初めて柳井を訪れたのです。

柳井津(現柳井市)は瀬戸内海の舟運を利用した市場町として中世から栄えていました。
その繁栄ぶりは白壁の町家の町並として保存され、今に残っています。
保存地区は、東西方向の本町通の両側約200メートルの町並と、ほぼ中央から南側の柳井川に通じる掛屋(かけや)小路の家並みです。

              
                     本町通 (二階の窓の意匠がステキ・・・

               
              
                     上の2枚は柳井川に通じる掛屋小路

美しい白壁の町並を散策したいと思い早目に柳井に到着したのですが、風邪をひいてあえなくダウン 
ひたすら柳井クルーズホテルで安静に過ごし、明日の茶事へ備えます(正客を仰せつかっていました・・・)。
ひと眠りし汗を掻いたら大分回復してきたので、1時間ほど自転車で白壁の町を駆け抜けました。

              
              
                  国指定重要文化財 国森家住宅
              (明和5年(1768)頃に建てられ、油を扱う豪商でした)

              
                  本町通にある「かみゆい処」(営業中)

湘江庵という寺の境内に「柳井」の地名の起こりという井戸があり、傍に柳の木がありました。
ここも是非訪れたいと思っていたところです。

1400年ほど昔のおはなしです。
豊後の国(大分県)の満野長者の娘・般若姫は世にも美しい姫でした。
橘豊日皇子(後の用明天皇)に召されて上洛する途中、大畠瀬戸で遭難しこの地に上陸した後、この井戸の水で一命をとりとめました。
そのお礼に大事に持っていた不老長寿の楊枝をさしたものが芽を吹き、やがて大きな柳の木になったと伝えられています。
以来、楊井(柳井)と呼ばれるようになりました。


              
                     「柳井」の地名の起こりの井戸と柳 

         「柳井」なる名の起こりの仙水を
               長寿と美を願ひて汲めり      暁庵


「さぁ~ホテルに帰って横になりましょう・・・と!」
明日はいざOさんのお茶事です 。(つづく)


            柳と桜の茶事に招かれて・・・その2へつづく