暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

蝋燭能「姨捨」をみる・・・その2

2019年10月27日 | 歌舞伎・能など


つづき)
10月14日(月・祭)に横浜能楽堂で蝋燭能「姨捨」(おばすて)をみました。



・・・「姨捨」の能も後半に入り、シテ(老女)の登場です。

満月が昇り、白衣の老女が現れます・・・先ほどの里女と同じシテ・浅見真州が演じます。
橋掛かり近くの脇正面席だったので、舞台に向かう一歩一歩にわが身を投じて見ることができました。
老女の姿と足運びそして発する声は、浅見真州そのものなのか、老女を演じる浅見真州なのか、それとも全く別人なのか・・・一歩一歩よろめく足を運ぶ姿に「西行桜の片山幽雪」を思い出していました。





長い時間をかけて橋掛かりから舞台へ到着すると、老女の霊は、老いの姿を恥じつつも来たこと、はかない世であるから草花を愛で月に興じて遊びたいものだと言います。
姨捨山の仲秋の名月は、すべてのものを透明に浄化するような神々しさで、煌々とあたりを照らしていたことでしょう。
月光の下、老女の霊は昔を懐かしんで舞を舞います。

その舞はいろいろなことを語ってくれました。
姨捨山に捨てられたあの日のことを・・・一人残された心細さ、日が暮れ始めると風が吹き、その音に身を震わせて過ごした一夜のこと、わが身の不幸を嘆き、外界を恋しく思う心の葛藤、やがて仏にすがり静かな成仏を願うようになったこと・・・。

   わが心なぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月を見て





老女の心の内を語るように序の舞が長く長く続き、執心の深さを思わせます。
はじめて脇正面で観能したせいかもしれませんが、序の舞になっても囃子方の大鼓、小鼓、太鼓、笛が静かなのです。
リズムはしっかり聞こえるのですが、激しく声高ではなく老女の心に添って融和しているように思えました。

なんせ、長い長い序の舞が続いたので、いろいろな妄想だけは広がっていきましたが、
その間、客席の皆様も私も身じろぎもしないで舞台を見つめていました。

やがて舞が終わり、月も山の端に隠れたのでしょうか。
旅の男たちは去って行ってしまい、一人老女があの時のように・・・取り残されました。
老女はその場に崩れ落ち、なんとも形容しがたい声で「う~っ、う~~っ、う~~っ!」と哭いたのです。
この一瞬、客席全員が氷のように固まったように思いました。

その哭き声も止み、老女は静かに立ち上がり、よろめく足取りで何処へと帰っていくのでした。

舞台から後見、地謡方、囃し方が静かに立ち去っていきましたが、皆、なかなか現実に戻れずにいたように思います。
言葉は交わしませんでしたが、お隣の初老の男性が終了後に「ほおっ~~」と大きなため息を一つついたのが、皆の気持ちを表していると思いました。
見事な「姨捨」でございました。





(忘備録)
  横浜能楽堂特別講演  -蝋燭能-
           令和元年10月14日(月・祝) 午後4時開演
 
  狂言 「空腕」   シテ(太郎冠者) 野村 萬  アド(主) 野村万蔵
                              後見 野村万之丞
                
   能  「姨捨」  シテ(里女・老女) 浅見 真州    
              ワキ(信夫何某)  大日方 寛
              ワキツレ(同行者) 則久 英志
              ワキツレ(同行者) 野口 能弘
                 アイ(里人) 山本泰太郎    
        
            囃子方  大鼓  柿原 弘和   太鼓  小寺真佐人
                 小鼓  吉阪 一郎   笛   竹市 学



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蝋燭能「姨捨」をみる・・・その1

2019年10月26日 | 歌舞伎・能など



10月14日(月・祭)に横浜能楽堂で能「姨捨」(おばすて)をみました。
「姨捨」は秘奥の能とされ、「桧垣」「関寺小町」とともに「三老女物」と称されています。

遥か遠く・・・2012年9月16日の楽美術館・特別鑑賞茶会で「姨捨(おばすて)」という銘の黒楽茶碗に出逢いました。ブログに次のように書かれていました。

なかでも茶会に使われた六個の茶碗は興味深いものでした。
主茶碗は、黒楽で「姨捨(おばすて)」という銘です。
「姨捨」伝説の舞台、長野県千曲市の「田毎の月」を連想させます。六代左入作、二百之内、如心斎書付が添ってます。
(中略)
「姨捨」という能があることを知りました。
中秋の名月の夜、老女の霊が旅人の前に現れます。
老女の霊は、山奥に捨てられた悲しみも孤独な死も突き抜けて、月光の精のように舞います。

能の多くは仏の導きにより成仏して終わるのですが、
「姨捨」の老女の霊は成仏してあの世へ帰ったのか、
この世の悲しみの中にあって山にとどまっているのか、
わからない終わり方になっている・・・という当代楽吉左衛門(現 直入)氏のお話を伺うと、
手に取った「姨捨」の黒楽が一層趣深いものに思われてきたのでした。 (後略)






その時から能「姨捨」を観たい、どんな終わり方になっているのかしら?・・確かめてみたいと思っていたのですが、やっと横浜能楽堂特別公演-蝋燭能-で観ることができました。

午後4時の開演で、最初に「狂言「空腕」(和泉流 野村萬)が演じられ、休憩をはさんで照明が消され、火入れ式が行われました。
橋掛かりから舞台の周りにかけて20本ほどの燭台が置かれ、厳かに1つずつ火が入っていきました。
これから始まる能「姨捨」の呪術(まじない)のようでもあり、異次元空間への結界のようにも思え、その異次元空間でどのような「姨捨」が舞われ表現されるのだろうか・・・と胸が高鳴りました。

「能は現実をただ表現するための演劇ではない。異次元空間の世界を造型する目的を多く持っている。そのためには演者自らがまず自己催眠にかかる必要がある。(中略)
能面をかけて、演者が一種の暗黒の世界に肉体と精神を閉じ込めるのも、自己催眠に必要な祭儀と考えることができる。」

上記は、私の能の入門書「能をたのしむ」(増田正造 戸井田道三)からの引用ですが、演者自らが自己催眠が必要ならば、観る側も自己催眠をかけて幽幻浮遊の時間を過ごしたいものです。





能「姨捨」のあらすじ(パンフより抜粋)

信夫の何某は同行者たちと信濃国・姨捨山に仲秋の名月を眺めに訪れます。
そこへ女が現れます。女は、ここは昔、山に捨てられた老女が

”わが心なぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月を見て”

と詠んだ所だと教え、その旧跡である桂の木を案内します。
そして、自らも山に捨てられた一人で、秋の名月の折に現れて執心を晴らしていると、正体を明かして姿を消しました。
(ここで里人(アイ)が登場し、旅人に姨捨伝説を語ります。)

やがて満月が昇り、あたりを隈なく照らすと、白衣の老女が現れます。老女は、仏の話と極楽世界について説き、静かに舞います(序の舞)。
夜が明けると、男たちは去り、老女は山に一人寂しく残されるのでした。






      蝋燭能「姨捨」をみる・・・その2へつづく



ハリウッド・フェスティバル・オーケストラ in 2019

2019年02月05日 | 歌舞伎・能など



1月20日、東京渋谷のBunkamuraオーチャードホールへいそいそと出かけました。
次男からハリウッド・オーケストラ・フェスティバルへツレと招待されたのです。
このオーケストラは新春コンサートを2年に1回開催していて、大阪オリックスホール(京都在住中)横浜みなとみらいホールと招待されて、今回が3回目です。
これには訳があって、次男が映像スタッフとして参加しているため、どうしても聴きに、否、見に行かなくてはならないのです。

関係者とご挨拶することがあるかもしれないので、新春コンサートらしく和服で出かけるという気の使い方・・・(ふう~)。
今年の正月休みは帰らず、仕事に奮戦していた息子と久しぶりの対面です・・・なんか疲れているみたいでした。
エントランスでチケットを受け取り、御礼もそこそこに2階席へ急ぎました。




いつも、このオーケストラの演奏で懐かしいハリウッド映画の名曲を聴くと、元気が出てくるから不思議!
「こりゃ!今年も春から縁起がいいわいなぁ~」

日常の暮らしに埋没して、すっかり忘れていた映画の数々、若き日の思い出やスターへの憧れと共に蘇ってきました。
「ひまわり」のソフィア・ローレンとマストロヤンニの愛と別れのせつなさ。
なぜか胸がきゅんとなる「サウンド・オブ・ミュージック」は誰と観に行ったかしら? 
「愛と青春の旅だち」の主演リチャード・ギアのワイルドな魅力に惹かれたっけ・・・などなど。

中でも一番は「ニュー・シネマ・パラダイス」のバイオリン・ソロ、
コンサートマスターのヴァ―ジル・ルブーの魂を揺さぶられるバイオリンの音色が心に熱く残りました。
もう1曲、どこかでソロを入れてくれたら・・・と願うほどです(フェリーニの「道」をリクエストしたい・・・)。

「第二部」のビリー・キングの熱唱、レ・フレールのピアノ演奏、そして「珠玉の名画映像」もヨカッタです。
ビリー・キングの観客を引き込むエンターテナーぶりに目を見張り、感動しました。
観客と一緒に歌うフレーズは「スタンド・バイ・ミー」。
この短いフレーズを観客はなかなか歌おうとしません。私も蚊の鳴くような小さな声で歌っていました。
でも、彼は本当に粘り強く、ジョークを交えながら根気よく観客を歌の輪に引きずり込んでいき、最後には「スタンド・バイ・ミー」の大斉唱で終わりました。もう凄い!の一言。




お待ちかねの「珠玉の名画映像」は、「雨に歌えば」「グレン・ミラー物語」「駅馬車」の3曲。
演奏だけでなく映像が加わると、一段と臨場感が増大して映画音楽ならではの迫力を楽しめました。
「「駅馬車」は使いたい名場面が多くて編集に苦労したけれど、楽しんでね」と言っていた息子。
まるで「駅馬車」の映画をみるような映像展開が渾身の演奏と調和して、ハリウッド・オーケストラ・フェスティバルならではの世界を生み出していて、もう感動!しました。

前回、心揺さぶられた「風と共に去りぬ」は演奏されないのかしら?
と思っていたら、アンコール曲でした。
スカーレット・オハラの逞しくも悲しい生き様、南北戦争で負傷した兵士たちが群がる停車場のシーン、
燃え盛る炎の中を馬車で脱出するシーンなど、簡潔にして迫力のある映像が演奏を盛り上げ、
オーケストラ、映像、聴衆が一体になりました・・・これをアンコール曲にしたのも大成功です。

「うーん!もっといつまでも聞いていたい・・・ご招待ありがとう!」 





Program C は
 「第一部」
 ◇懐かしの名作より
  1.ザッツ・エンターテインメント/ハリウッド序曲メドレー
  2.スティング
  3.ひまわり
  4.サウンド・オブ・ミュージック
  5.愛と青春の旅だち
  6.ある日どこかで
  7.ニュー・シネマ・パラダイス

 ◇ハリウッド最新作/超人気作
  8.ミッション・インポッシブル
  9.レイダース/失われたアーク
  10.タイタニック
   
 ◇オードリー・ヘップバーンの姿と共に
  11.ローマの休日
    -マイフェア・レディ
    -ティファニーで朝食を
    -シャレード

 「第二部」
 ◇ビリー・キング~感動のメロディ
  1.007 ロシアより愛をこめて
  2.スタンド・バイ・ミー
  3.慕情

 ◇レ・フレール~ピアノの饗宴
  4.ポパイ・ザ・セイラーマン
  5.クラブ・イクスピアリ
  6.ル・シュマン
  
 ◇珠玉の名画映像
  7.雨に唄えば
  8.グレン・ミラー物語
  9.駅馬車
  10.風と共に去りぬ


能「泰山府君」と桜の命

2018年03月16日 | 歌舞伎・能など

 横浜能楽堂の舞台にいけられた「桜と松」

ここのところ暖かいですね! 
5月の陽気だそうで、今年の桜の開花が大幅に早まりそうです。
4月8日に”さくらの茶事”を予定しているので、その頃には桜花がどうなることかしら?・・・とやきもきしています。

そんな折、3月10日(土)に「能の花 能を彩る花」第5回「桜」・能「泰山府君(たいさんぷくん)」を見に横浜能楽堂へ行きました。
泰山府君は、道教の聖地である「五岳」の一つ、生死を司る「泰山」への信仰から生まれた神です。
能「泰山府君」は、桜花爛漫の季節を舞台に、万物の生命を司る道教の神・泰山府君に、桜の命を永らえさせてもらおうという願いを歌い上げた曲となっています。
我が願いも同じで、泰山府君に今年の桜の花の命をどうか永らえさせ給え・・・と。


  横浜能楽堂 (横浜市西区紅葉ヶ丘27-2)

2017年(平成29年)は、華道・池坊の開祖と呼ばれる池坊専慶がいけばなの名手として文献に登場してから555年に当たるそうです。
これを記念し、横浜能楽堂では花に関係する5つの能を上演し、次期家元の池坊専好が舞台を花で彩るという企画公演を催しました。

  第1回「菊」 平成29年10月28日(土) 能「菊慈童 酈縣山」(観世流)梅若玄祥
  第2回「紅葉」平成29年11月23日(木・祝) 能「紅葉狩 紅葉ノ舞 群鬼ノ伝」(金春流)金春安明
  第3回「牡丹」平成30年1月13日(土) 能「石橋 大獅子」 (観世流)片山九郎右衛門
  第4回「梅」 平成30年2月10日(土) 能「東北」     (観世流)大槻文藏
  第5回「桜」 平成30年3月10日(土) 能「泰山府君」   (金剛流)金剛永謹

最終回の「泰山府君」は、シテ方五流の中で唯一上演曲としている金剛流でも長らく演じられなかったそうで、1960年に復興されました。
私にとって「泰山府君(たいさんぷくん)」という能の名前も観るのも初めてでした。

既に横浜能楽堂の舞台正面には桜と松が活けられていて、どうやら池坊專好さんが舞台で活けるというパフォーマンスはなさそうです。
第3回「牡丹」の時には白と紅の牡丹を1本また1本と丁寧に石橋の前に活けられていた姿が心に残り、能「石橋 大獅子」への期待がいや増して、能といけばなの新たなコラボレーションを実感したのですが・・・残念!


  京都の紫雲寺頂法寺(六角堂)の白牡丹 (平成30年1月末撮影)

さて気を取り直して、能「泰山府君」のあらすじを記します(パンフ参考)。

桜町中納言(ワキ)は桜の花の命が7日と短いことを惜しく思い、ものの命を司る泰山府君を祀り、延命を祈念しています。
そこに天女(前シテ)が降り立ちました。
天女は、あまりの桜の美しさに、どうにかして一枝持って帰りたいと思います。
しばらく待っていると月が入り辺りは暗くなりました。それに乗じて天女は桜に立ち寄り、ひそかに手折ると、胸に抱えて天上へと帰ります。

そのことに気づいた花守(間、アイ)は、急いで中納言に告げ、泰山府君へ祈るように促します。

やがて、泰山府君(後シテ)が現われました。
泰山府君は通力で天女が桜を折ったことを知ると、天上から天女を呼び寄せます。
すると、天女(ツレ)が桜の枝を持って再び姿を現し、天女之舞を舞い、枝を樹へ戻します。
泰山府君は天女が戻した枝に命を吹き込み、元の通りに接ぎます(舞働)。
そして、花の盛りを愛で、花の命を二十一日まで延ばすのでした。





春になると、美しく絢爛豪華に咲き競う桜に誰でも心奪われます。
けれどもあっという間に散ってしまうはかなさは桜を愛でる人の心を妖しくかき乱します。
桜を一枝折って持ち帰ってしまう天女に大いに共感したり、天女が戻した桜の枝に命を吹き込む泰山府君のおどろおどろした舞にびっくりしたり、21日の延命をうらやましく思ったり、のどかな春を謳歌する舞台を堪能しました。

泰山府君が左右の袂で接いだ桜の枝を覆い、命を吹き込む所作に、思わず「アッ!」と声が出てしまいました。
接いだ枝が再び折れてしまうのでは・・・と心配だったのです。そのくらい舞台と一体になっていました。
大鼓の「イヤッ」という掛け声とともに太鼓や音曲が鳴り止み、泰山府君が舞納めました。



シテやツレの床に吸いつくような足の動きに見惚れ、自分が舞っているようで楽しかった。
ただ、いくつか違和感も感じました。
前シテの天女は金剛永謹、ツレの天女(後半の)は金剛龍謹が演じたのですが、面も衣装も雰囲気もまったく違っているので同じ天女と思えず、何度もパンフを確かめました。
物語的には天女を同じ方が演じた方がわかり易く、二人の天女の違いが違和感として残りました。

それもこれも「桜」の持つ妖気の成せることかもしれませんね・・・・
そう思うと違和感ありもまた良し・・・でしょうか。


  横浜能楽堂近くからランドマークタワーをパチリ


(忘備録)
横浜能楽堂企画講演  能の花 能を彩る花 第5回「桜」
           平成30年3月10日(土) 午後2時開演  
                
  能 「泰山府君」  シテ(天女・泰山府君) 金剛永謹
            ツレ(天女)     金剛龍謹 
            ワキ(桜町中納言)  森 常好
            間(花守)      高野和憲    
        
            囃子方  大鼓  國川 純   太鼓  林 雄一郎
                 小鼓  曽和正博   笛   竹市 学
                 


能「楊貴妃」を観て・・・

2017年09月28日 | 歌舞伎・能など
              
                   (写真が無いので、写真は京都・智積院にて)

平成29年9月18日(月・祭)、横浜能楽堂で能「楊貴妃」を観ました。

筝曲山田流の祖・山田検校(宝暦7年・1757年~文化14年・1817年)の没後200年を記念した公演です。
「芸の縁 山田流と宝生流」
  新作・筝曲「小町」      萩岡松韻  舞:宝生和英
     筝曲「長恨歌曲」    (山田流) 山勢松韻
     能 「楊貴妃 玉簾」  (宝生流) 武田孝史


筝曲などめったに聞く機会を持たぬ門外漢ですが、能を観るのは好きでして時々ノコノコ出かけていきます。
・・・そして能を観ていると、なぜかしきりにお茶やお茶事のことが思われます

橋がかりから舞台へ出てくるときの足の運び、足裏が鏡板に吸い付くような白足袋の動きに魅せられ・・・頭の片隅で茶の点前での足運びを思います。
抑制された動き、90度身体を動かすだけなのに気が遠くなるほど時間を掛ける所作、
さらに言えば、能における高度な演技表現は動かぬことである・・・らしいのです。

無駄な所作を省いたシンプルな点前、シンプルゆえに動きでごまかさず如何に美しくあるべきか・・などと、ついお茶の妄想が・・・。
能とお茶、能は私にとって普段気づかぬことを気づかせてくれ、眠っていた感性を揺さぶり起してくれる、そんな存在になりつつあります。

               


能「楊貴妃 玉簾」(金春禅竹作)は、はじめて観る演目でした。
最初に布で覆われた作り物(小宮・蓬莱宮)がゆっくりと運び出され、舞台中央に置かれます。
・・・もちろん、中に楊貴妃(シテ)が潜んでいるのですが、この演出に先ずドキドキしました。
いつ、どのように楊貴妃が登場するのでしょうか。
楊貴妃と言えば絶世の美女、その瞬間を待ち遠しい思いにて、ひたすら待つのみです。

あらすじをパンフより記します。

玄宗皇帝に仕える方士は、勅命で今は亡き楊貴妃の魂のありかを探しに。常世の国の蓬莱宮へ赴く。
現れた楊貴妃に、方士は玄宗皇帝の悲嘆する様子を伝え、会った証として形見の品を請う。
楊貴妃が釵(かんざし)を取り出すと、方士は二人にしか分からない契りの言葉が聞きたいと頼む。
楊貴妃は、かつて七夕の夜に玄宗皇帝と二人で
「天にあっては比翼の鳥のように、地にあっては連理の枝のようにありましょう」と誓い合った言葉を方士に伝え、思い出の「霓裳羽衣の曲」(げいしょうはごろも)を舞う。
やがて方士は都へ戻り、楊貴妃は涙ながらに蓬莱宮にとどまるのでした。


比翼の鳥・・・雌雄がおのおの一つの目と一つの翼をもち、常に雌雄一体となって飛ぶという、伝説の鳥。
 連理の枝・・・一本の木の枝が他の木の枝と連なり、木目が通じ合っているという枝。)



              

待ちに待った楊貴妃が姿を現す場面になりました。

楊貴妃の魂を探し求めて、方士が常世の国の蓬莱宮に行ってみると、中から女性の声がします。
「昔はあの方と一緒に見た、春の花。しかし世の中は移り変わるもの。今では一人で、秋の月を眺めるばかり…。」
方士が玄宗の使者であることを述べると、玉の簾が上がり、一人の貴婦人が姿を見せます。声の主は、捜し求めていた楊貴妃その人でした。


ロビーに張り出されたシテの面は「節木増(ふしきぞう)」。
面の名前も初めてでしたが、憂いに満ちた楊貴妃の魅力を表わすのに相応しく、面の力は偉大です。
なんせ、作り物を覆っていた布が取り外されても、蔓帯が垂らされた蓬莱宮の奥深くに静かに(動かず)座っている楊貴妃、なかなか御姿が見えない(見えにくい)のもにくい演出でした。

玄宗皇帝との誓いの言葉を会った証として、去ろうとする方士を呼び止める楊貴妃。
華やかな宮廷生活を思い出し、かつて玄宗皇帝の前で舞った「霓裳羽衣の曲」を方士の前で舞うのですが、優雅に舞う楊貴妃が次第に・・・鬼界島に一人取り残される「俊寛」に見えてきたのでした。

              


低いけれどはっきりと聞こえる地謡が、楊貴妃の深い闇を照らしだして能は終わります。

   君にハこの世逢い見ん事も逢が島つ鳥 浮世なれども戀しや昔 
   はかなや別れの蓬莱の臺(うてな)に 伏し沈みてぞ 留まりける
 

おみやげに名菓「鏡板」(諸江屋製)を買いました。