秋冷の候、「霜降」が過ぎて、急に寒くなりました。
10月11日の「むらさき茶会」(私めの古希茶会)について書いておきたいと、
やっと重たい腰をあげました。
「茶会のアップはまだかしら?」
と首を長くして待っていてくださった方、お待たせしました。
遅筆ですが、お付き合い下さると嬉しいです。
お茶の恩師、先輩、友人たちへ次のようなご案内の手紙を差し上げることから始まりました。
ちょうど七十年目の終戦記念日に間に合うように・・・文月のおわりに。
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「日の丸」が咲いています
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暑中お見舞い申し上げます
長かった梅雨が明け、強い日差しに真夏の到来が実感されるこのころですが、
皆さまにおかれましてはご清祥のこととお喜び申し上げます。
今年は戦後七十年ということで、私も感慨ひとしおです。
私は昭和二十年八月二十九日、疎開先の茨城県取手市で生を受けました。
太平洋戦争中、当時両親は東京住まいだったので、三度も空襲に遭いながら
都内を転々と移動し、市ヶ谷で三月の東京大空襲に遭遇。
一晩中、母は炎の中を夢中で逃げ回り、九死に一生を得て、
祖父母が疎開していた取手へ身重の体で辿り着いたそうです。
八月十五日に終戦、戦後の混乱の中、私は産まれました。
その私が七十歳、古希を迎えます。
古希とは「そんなに生きているなんてなんとまあ珍しい」という意味だそうですが、
平均年齢が男性八十才、女性八十七才の昨今では珍しくもなんともありません。
けれど、数年前から人生の区切りとして古希のお祝いだけはしよう、
それも茶会をしてお茶を通してお世話になった方、親しく茶の道を共に歩んでいる方と
お祝いすることが出来たら・・・と願っておりました。
幸い、身近な方々が茶会をサポートしてくださることになり、
本日、ご案内を差し上げる次第となりました。
未だ覚悟が足らず古希を連呼するのも恥ずかしく、古希のお祝いの色は紫だそうで、
むらさき茶会と命名させていただきます。
お忙しいことと存じますが、むらさき茶会へ御参席頂ければ、望外の喜びでございます。
拙いながら心をこめて御茶一服差し上げたく、
横浜・三溪園隣り、原三渓ゆかりの隣花苑へお出ましくださいますよう、謹んでご案内申し上げます。
平成二十七年文月吉日 暁庵
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茶会が行われた隣花苑の秋の庭
手紙を投函してからは
「もう後には引けないぞ! むらさき茶会までの2ヶ月余は体調管理をしっかりしなくては。
あせらずあわてず着実に準備をしていこうね」
と自分自身を励ます日々でした。
このような茶会は一生に一度だけ・・・準備を楽しみながら無我夢中で過ごしました。
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むらさき茶会ー2へつづく