暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

2021年「口切の茶事」を終えて・・・(1)

2021年11月29日 | 社中の茶事(2018年~)

(11月半ばを過ぎ、京都や箱根から紅葉たよりが届くころになりました。アップが遅くなりましたが・・・)

 

8月から9月にかけてコロナウイルス第5派が猛威をふるった後、10月になり急速に鎮静化へ向かいました。

それで予定通リ、2021年11月14日(日)に「口切の茶事」をすることが出来ました。亭主は社中のM氏、暁庵は半東、懐石は小梶由香さんです。

忙しすぎた10月のツケが回ったのか、膝と腰の痛みがひどくなり、今年が最後かしら??・・・と思いながらの「口切の茶事」、そんな思いを知ってか、知らずか、亭主M氏が渾身の思いでやり遂げてくださって、とても嬉しく有難いです。

膝や腰の故障を抱えてからは社中で口切の茶事をやりたい方がいらしたら、半東または水屋として精一杯お手伝いが出来たら・・・と思っています。

それなのに、会席膳を落としてしまうという失態をしてしまい、お手伝いどころか、足を引っ張ってしまいました。廊下だったのが不幸中の幸いでした・・・。

ところが、ご亭主M氏は嫌な顔一つせずに冷静に対処してくださり、M氏に口切の茶事を託して本当にヨカッタ!と思いました。

口切の茶事への切なる思いや失敗談が先になってしまいましたが、口切の茶事の最初から最後までいろいろな見どころがあり、それら一つ一つに亭主M氏の・・、或いは暁庵の・・、または懐石・小梶由香さんの思いが込められています。

そんな口切の茶事へ馳せ参じてくださったお客さまは5名様、正客KTさま(社中)、次客Yさま(小堀遠州流)、三客TIHOさま(小堀遠州流)、四客AYさま(社中)、詰NYさま(社中)です。

皆さま、素敵な着物でいらしてくださって、口切らしい華やかな雰囲気が漂います。しばし見惚れてしまいました(写真がないのが残念!です)。

 

     (亭主の迎え付け後に蹲をつかって席入りです)

 

席入は11時、詰NYさまの打つ板木の音が高らかに聞こえ、桜湯を志野の汲出しでお出ししました。

風もなく暖かな陽ざしが射す待合の掛物は色紙「且坐喫茶」、相国寺・有馬頼底師の御筆です。

「お召し上がりになりましたら、腰掛待合へお出ましください」とご案内しました。

それから炉へ下火を入れました。席入、口切と、初炭まで間があるのと、濡れ釜をお見せしたかったのでなるべく遅くに下火を入れました。敷香は梅ヶ香です。

亭主M氏が水桶を持って蹲へ向かい、あたりを清めてから迎え付けをしています。その間に濡れ釜を掛けました。釜は霰唐松真形、美之助造。濡れ釜にすると、霰と菊花のような唐松が浮き上がり、その美しい風情に我が釜ながらうっとりします。(お詰さままで濡れ釜が見られますように・・・)

 

   (初座の床・・・網袋に入った茶壷を飾りました)

 

席入後、お一人お一人親しく挨拶が交わされ、正客からいろいろなお尋ねがあり、床の御軸になりました。

「応無所住 而生其心」(おうむしょじゅう にしょうごしん)、足立泰道師の御筆です。

詠み下しは「住するところを無くして しかも其の心を生ずべし)

諸々の物事にとらわれる心を無にして 其の心から発するものを大切にしなさい・・・これは暁庵の勝手な解釈ですが、転勤族のM氏にぴったりの禅語だと思い、お勧めしました。

転勤のため赴任する先々で新たに茶道の師を求め、苦労しながら、ひたすら茶の道を歩んでいるM氏。その中で自らの茶へ向かう心を奮い立たせ、精進している姿はまさしく「応無所住而生其心」に通じるのでは・・・と思いました。

正客から「ご都合によりお壺の拝見を・・・」と声が掛かり、いよいよ口切が始まったようです。(つづく)

 

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2021年炉開きと口切の会・・・その3(古伊万里鑑賞会)

2021年11月21日 | 暁庵の裏千家茶道教室

 

つづき)

「炉開きと口切の会」の閉めは、N氏の骨董鑑賞会です。

昨年は「古染付」でしたが、今年は「伊万里に魅せられて」と題して初期伊万里から明治期の印判手まで時代を追って、伊万里焼の歴史、見どころや特徴などをお話してくださいました。

折角の機会なので、暁庵も伊万里焼についてウンウン勉強しながら鑑賞作品をご紹介します(汗)。

① 「伊万里焼(いまりやき)」とは、「古伊万里」とは

日本で磁器が本格的に焼かれるようになったのは、約400年前の豊臣秀吉の朝鮮出兵後の有田(現在の佐賀県有田町)が最初だといわれています。

有田周辺で焼かれた磁器は伊万里津(津とは港の意味です)に運ばれ、船で積み出されました。伊万里から積み出されたため「伊万里焼」と呼ばれるようになりました。有田のほか、三川内焼、波佐見焼、鍋島焼などを含みます。
現在、当時の伊万里焼と現代の伊万里焼を区別するため、江戸時代に焼かれたものは「古伊万里」と呼ばれています。

 

 初期伊万里

 1610年~1630年代頃までの初期製品を「初期伊万里」と称し、次のような特徴や歴史があります。

(1)「生掛け」技法・・・白磁に青一色で模様を表した染付磁器が主で、絵付けの前に素焼を行わない「生掛け」技法を用いている点が特色です。

(2)「砂目積み」技法・・・窯焼き時に製品同士の熔着を防ぐために砂を挟む技法が使われている。中国製の磁器にはみられない朝鮮独特の技法なので、朝鮮から渡来の陶工が携わったと考えられます。

(3)一方で当時の朝鮮半島の磁器は、器面に文様のない白磁であったので、呉須(コバルトを主原料とする絵具)で文様を描く染付の技法や意匠は中国由来(中国出身の陶工作)と考えられます。

(4)初期伊万里は絵付けの発色が安定せず、生地も厚く歪みや押指の跡が残るなど粗雑な部分があり、次第に九谷焼や柿右衛門焼などに押され市場から姿を消していきます。

しかし後に1960年頃より「初期伊万里」の素朴な美しさや叙情美が再評価され、流通量の少なさから希少性が高く高値で珍重されるようになりました。

③ 「古九谷様式」あるいは「初期色絵

1640年代には有田西部の山辺田窯(やんべたがま)などで色絵磁器の生産が始まり、国内向けの大皿などの色絵磁器が生産されました。これらは、加賀(石川県)の九谷が産地であると長年考えられていたことから「古九谷」と称され、現代では「古九谷様式」あるいは「初期色絵」と称されています。

④ 「鍋島様式」あるいは「鍋島焼」

1640年頃から鍋島藩が将軍や諸大名への贈答用高級磁器を製造する藩窯の生産を開始し、この藩窯製品を、「鍋島様式」あるいは「鍋島焼」と呼んでいます。

   (右:初期伊万里  左下:鍋島焼   左上:初期色絵(古九谷様式))

⑤ 輸出品

中国では1644年に明が滅亡し、清へ。1656年に清により商船の航行が禁止され、中国陶磁の輸出が一時途絶えてします。

この間にオランダ商館長ツァハリアス・ヴァグナーから中国製陶磁器を見本としてヨーロッパ人の好みに合う製品の制作依頼があり、伊万里焼の海外への輸出が始まりました。ヨーロッパへは伊万里津(港)から長崎の出島へ向かい、そこのオランダ商館を通じて輸出されました。

当時のヨーロッパでは神秘的な東洋への憧れがあり、部屋を東洋の焼き物で飾ることが王族や貴族に流行していたとか。

 

   (輸出品の古伊万里のワインのデカンタ(?)で、近年、日本へ里帰りの一品)

 

初期伊万里はシンプルな文様が多いのですが、徐々に器を埋め尽くすような唐草文、網手文なども人気を博しました。緻密な手描きの文様は職人技の真骨頂でした。

  (精密な手描きの文様が素晴らしい古伊万里の大皿(取っ手が珍しい一品))

 

⑥ 明治期以降
 
明治期に入って藩窯などの制約が廃止されると、一般庶民向けの日常用器の大量生産が始まり、「印判」という技法が登場します。一方で手描きの染付ももちろん制作されています。

「印判」技法は写し(印刷)のことで、「摺絵(ずりえ)」「転写」などの方法があります。

摺絵は文様を彫った型紙を器面にあてて、刷毛などで絵具を付着させる方法。転写は銅版を使ったエッチングの技法で、顔料も“ベロ藍”というものを用い鮮明な発色が得られるようになっていきます。

印判は肥前で明治初期に始まり、その後、美濃や砥部など全国の磁器生産地に広がっていきました。

      (印判の日本地図の大皿(明治初期?))

     (十一代今泉今右衛門の錦地文菓子鉢)

(手描きの染付? それとも印判手? う~~ん?・・・正解は印判手でした)

 

「初期伊万里」の素朴な抒情美が愛されるように、印判の微妙なずれを見つけ、それを不完全な美として愛でるコレクターも多いとか・・・。

伊万里焼に魅せられる人たちの深遠な心のうちは凡人の暁庵にはなかなか測り知れないのであります・・・。

   

こうして2021年「炉開きと口切の会」の骨董鑑賞会は貴重な古伊万里を手に取って見せて頂くという、贅沢な時間となり、皆で熱心に鑑賞しました。大物のコレクションを運び込み、惜しげなく見せてくださったN氏に深く感謝いたします。

N氏はもちろん古伊万里たちも久しぶりの展示解説に身を正し、興奮し、飛び上がって喜んでいることでしょう。

ありがとうございました!!  

再び、お茶事などで貴重な品々にお目にかかれますように切に願っています・・・。 (この章終わり)

      

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2021年炉開きと口切の会・・・その2

2021年11月19日 | 暁庵の裏千家茶道教室

 

つづき)

昼食後、銅鑼が打たれ再び茶席へ入り、濃茶が始まりました。

濃茶は2席あり、寿棚(淡々斎好み)に水指は萩焼・割高台、薄器は大内塗秋草蒔絵の中棗にしました。

1席目の亭主はSさんです。客は3名、正客Uさん、Y氏、T氏の順で四畳半入りしました。

炉で初めての濃茶点前になりますが、昨年とは違い、とても落ち着いて点前しています。コロナ禍でSさんは思うように稽古に来れない日が続きました。それでも自主稽古を重ねていらしたので、良い意味での自信が出来てきたように思います。

各服点なので2椀を練ってもらい、1碗は水屋からお出ししました。濃茶はIさんが口切で選んだ「壷切抹茶」(丸久小山園)、主茶碗は光悦写しの赤楽(杉本貞光)です。

お道具拝見の声が掛かり、茶入、茶杓、仕覆が拝見に出されました。茶入は丹波焼肩衝(石田陶春)、茶杓は銘「好日」(玉龍寺明道師)、仕覆の裂地は俵屋金襴です。

暁庵はちょっと見学席で覗いただけで、中途半端に口出ししない方が良さそうなので皆さまにお任せしました。

会後に亭主Sさんから頂いたメールに「先日の口切りの会は久しぶりの炉のお点前でしたが、皆様に暖かく見守っていただいたおかげで、あまり緊張せずに楽しみながら出来た気がします・・・」とあり、喜んでいます。

 

  (濃茶点前中のSさん・・・暁庵もいただきたいわ!)

   (濃茶点前中のT氏・・・端然として緊張感を感じる点前がステキです)

濃茶・第2席の亭主はT氏です。なんと!入門して初めての稽古が「炉開きと口切の会」の濃茶の亭主でした。

正客はKさん、F氏、Iさんの順で、濃茶を2服練って頂き、Iさんには水屋からお持ち出ししました。お服加減はいかがでしたか?

主茶碗は 飴釉(13代大樋長佐衛門(年朗))、茶入は薩摩焼胴締め(15代沈壽官)、茶杓は銘「雲錦」(聚光院 戒仙師)、仕覆の裂地は大黒屋金襴です。 

ベテランさんとはいえ初稽古、社中の皆さまとも初対面だったので、ちょっぴり心配していました。

会後にT氏から次のようなメールを頂き、安堵しています。

 T氏より

土曜日は「炉開きと口切の会」に参加させていただきありがとうございました。

先生の教室での初稽古が口切という改まった日と重なり、一層感慨深いものがございました。

先生にはご準備も大変なところこのような会を催していただき、本当に有難く思います。また、社中の皆さまも初めての私によくしていただき感謝しております。

当日はお天気にも恵まれ、茶人の正月に相応しい晴れやかで、楽しい時間を過ごさせていただきました。

茶壷の封印を切るところでは少しどきどきしましたが、後で伺えばIさんは左利きとのこと、なかなかできることではないと思いました。葉茶漏斗の背を叩くリズムも徐々に軽やかになり風情を感じたところでございます。

また、床の菊も鮮やかで「献上」飾りが素敵でした。

お軸の點笑のとおり社中の皆さま和気藹々と和やかな一会でございました。

   口切や日の当たりゐるにじり口     星野立子

 

濃茶が終わり、薄茶が2席続きました。

   (薄茶点前中のY氏。袴姿で点前するのは初めてですが、なかなか決まっています)

薄茶1席目の亭主はY氏、2席目の亭主はF氏です。

実はお二人とも炉での薄茶点前は初めての経験でした。でも、風炉の薄茶点前はしっかり出来ているので、あまり心配せずにお二人にお任せすることにしました。

多少間違えても薄茶が美味しく点てれれば大丈夫ですし、きっと先輩方が優しく(?)教えてくれることでしょう・・・。

それに私が席へ入るとお稽古みたいになってしまうので、それも避けたいな・・・と思いました。ある意味でお稽古ではなく、人前でお点前をすることが大事、人前で緊張しながら点前をしてこそ初めて得られるものが多い・・・と考えています。

(高校時代茶道部で鍛えられたF氏の薄茶点前、所作がとてもきれいです)

 

それにしても、炉での薄茶点前が初めてだというお二人の堂々と落ち着いた姿に感心しました。

Y氏の袴姿も凛々しく、この日のためにスーツを新調(?)して臨んでくださったF氏の心意気にも感激でした・・・。これからが益々楽しみです。 (つづく)

 

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2021年炉開きと口切の会・・・その1

2021年11月15日 | 暁庵の裏千家茶道教室

    (「點笑」のお軸、茶壷、花の諸かざり・・・終了後の撮影です

 

2021年11月6日(土)に「炉開きと口切の会」をしました。

茶人の正月とも言われている「炉開き」のお祝いと、新茶を茶壷に入れて保存し、11月になって茶壷の口を切って初めてその年の茶を飲むという「口切」の行事、暁庵の裏千家茶道教室ではその2つを一度に行う「炉開きと口切の会」を開催し、毎年交代でいろいろなお役を担当してもらいます。

今年は参加人数が多くなり、11月14日(日)の「口切の茶事」へ参加する方と、泣く泣く二手に分かれて頂きました。

10時に待合集合です。

茶人の正月にふさわしく、皆さま素敵な着物でいらしてくださり、「炉開き&口切の会」らしいお目出度い雰囲気が漂います。男性4人が参加、N氏は十得、Y氏とT氏は袴姿、若武者F氏は新調の黒スーツで、きりりと座を引き締めてくれました。
(私は薄紫の紋付に紺地に円文白虎の帯を締めました。書いておかないと毎年同じになりそう・・・

初座は正客から順にN氏、Uさん、Y氏、F氏、T氏、詰Sさん、亭主はIさん、初座の半東はKさん、後座の半東はUさんでした。

待合の掛物は「秋耕(しゅうこう)」野沢蓼州画(川合玉堂門下)です。

詰のSさんが板木を打つと、半東Kさんが白湯の入った汲出し(笠間焼)をお出し、腰掛待合へ案内しました。

蹲を清め、心身を清め、亭主Iさんが迎え付けをしました。蹲をつかって順次席入りし、全員で挨拶を交わしました。最初に暁庵がご挨拶し、あとは亭主Iさんにお任せしました。

床のお軸は「點笑(てんしょう)」、東大寺・清水公照師の御筆で、「笑いを絶やさないこと」という意味です。コロナウイルスの脅威が約2年間続きましたが、その中で笑いがあることの大切さ、笑いを絶やさないように心がけることを教えてくださっています。花は黄色の小菊、「献上飾り」にしてみました。

 

   (黄色の小菊の献上飾り)

「ご都合によりお壺の拝見をお願いします」正客N氏から声が掛かり、いよいよ茶壷の拝見と口切です。

この日のために自主練習を重ねて臨んでくださったIさん、床の間から壷を持って網袋を脱がし、正客前へ運びます。皆さま、茶壷を回しながら慎重に拝見し、御茶入り日記が出され、茶壷が戻されました。

茶壷は丹波焼、小さいながらもきりりと緊張感のある形や釉薬の味わいが楽しめる、市野信水作です。

    

 (刃が入り、皆、固唾をのんで見守ります)

葉茶漏斗(じょうご)が運び出され、皆が固唾をのんで見守る中、小刀の刃が入り、茶壷の合口がゆっくりと切らていきました。

「いずれのお茶にいたしますか?」

「ご亭主にお任せいたします」とN氏。

いつも通リの口切の所作と問答ですが、毎回主役が違うのでとても新鮮な気持ちでドキドキしながら魅入ります。

詰茶が葉茶漏斗に出され、選ばれたのは「壷切抹茶」、丸久小山園詰で口切の時期だけに登場します。

 

       (詰茶が葉茶漏斗から挽家へ・・・・)

その後の所作と音がステキ・・・でした。詰茶が葉茶漏斗から挽家へ、それから茶壷へ戻されるのですが、

サラサラと葉茶が流れる様子、トントントーンと葉茶上戸を叩くリズミカルで力強い音が微妙に変化します・・・口切の楽しみの一つです。

糊がたっぷり塗られ、再び口が紙で封され、葉茶漏斗、茶壷、入り日記の順で水屋へ下げられました。

これにて口切が終わり、初炭になりました。

 

       (湿し灰が撒かれ、大きな炉の炭が置かれました)

初炭はKさんです。初掃で皆が炉辺に進み、炉中や湿し灰を撒く様子、炉を全員で囲んで炭手前を拝見するのはY氏とF氏にとって初めての経験ではないかしら・・・あとで感想を伺うのが楽しみです。

瓢の炭斗、香合は赤絵宝珠香合、京焼の岡本為治作です。練香は松栄堂の「雲井」でした。

サラサラと初炭が終わり、次は台天目で濃茶です。

台天目の点前はUさん、正客N氏、次客Sさんで、四畳半に入っていただき、あとの方は見学です。

炉になって初稽古を兼ねての台天目、しっかり自習をしてきてくださって、こちらもすらすらと進みました。

天目茶碗で濃茶がN氏に出されました。各服なので次客の一碗は水屋からお出ししました。お菓子は練切で、銘「錦秋(?)」です。

天目茶碗と台はいつもの稽古道具ですが、茶入は薩摩焼・胴締め、15代沈壽官造、仕覆は大黒屋金襴。茶杓は象牙の利休形です。

 

ここで昼食のため休憩に入りました。昼食はなだ万の弁当と吸物をお出ししました。

昼食後に主菓子の汁粉(小さな餅入り)と柿と栗の小皿をお出しました。(つづく)

 

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風流な鉄風炉で一服

2021年11月11日 | お茶と私

 

10月の或る日、YKさまから薄茶一服のお招きをいただきました。

YKさまが茶友から風流な鉄風炉をもらい受けたというのです。伺っていると、前から興味を持っていた茶飯釜に使う風炉のようです。

「是非その鉄風炉を拝見したいし、薄茶一服いただけないかしら?」とお願いしたところ、お招きのメールが届きました。

 暁庵さまへ

久しぶりに爽やかな陽気となりました。その後如何お過ごしでしょうか。

10月はお忙しいとのことですが、〇〇日となれば少しはお時間が出来ますでしょうか。

簡単に栗ご飯とお漬け物でお昼を差し上げたく思いますので、正午頃〇〇駅東急のエレベーター前で茶友のYさまとご一緒に待ち合わせて頂けますか? 車でお迎えに行きます。

食後、鉄風炉で一服差し上げますので風炉の終わりを楽しんでくださいませ。

お気軽に洋服でいらしてください。   YKより

 

 

3階の茶室へ通されると、床には「水掬月在手」のお軸、心惹かれる字は大心和尚御筆です。

宗全籠に7種の名残りの花が生けられて、ご亭主様の心意気を感じます・・・。

(ススキ、野牡丹、秋海棠、ホトトギス、貴船菊、え~と・・・)

点前座は、想像していたよりも小柄な鉄風炉の中置、侘びの風情を感じます。釜が小さいので3人分の湯が入るのかしら?と心配になりました。

ご挨拶もそこそこに点心が運ばれました。栗ご飯とお漬物で・・・とありましたが、とんでもありません。

和え物、焼物、山芋の煮物、吹き寄せ、吸物など、懐石上手のYKさまならではの点心に舌も心も満たされて完食しました。ごちそうさまでした。

いつも感心するのは栗ご飯の栗がしっかりと甘いのです・・・これには秘伝があって、前にも伺いましたがすっかり忘れて、また同じ質問をしています。

 

 

食後に主菓子「秋の山里(・・だったかしら?)」、栗の茶巾しぼりでYKさんのお手製です。しっとりと程よい甘みがこれからの濃茶への期待を誘ないます。

濃茶点前が始まりました。

「だいぶ前から炭を入れたのですが、空気穴が小さいのかしら? 火の熾りが今一つで火相と湯相が難しいです」

「火床も小さいけれど小さな前瓦も入っていて、灰形もされたのですか? 炭は小さいのを選んだのかしら?」 YKさまは矢継ぎ早やの質問に答えながらしっかり濃茶を練ってくださいました。

 

 

茶友Yさまとは初対面ですが、3人で茶談義やお能(金剛流をお習いしていたとか)、懐石の話が愉しく弾み、あっという間に時間が過ぎていきました。

干菓子代わりに大好物のイチジクのワイン煮が出され、薄茶が一段と美味しいです。

陶器がお好きで、よく窯元めぐりをされたというYKさまが選んだ茶碗はどれも一味違う魅力があります。御贔屓の倉敷の作家さんのお名前が出てこないのが残念・・・。

お点前を交代して、YKさまへ一服お点てしました。

実際に釜へ柄杓を入れるとすぐに底へついてしまいますが、見た目より底は深く、鉄風炉や釜の構造だけでも話題が尽きません。そばで拝見すると「飢来飯」という鋳出があり、釜は全高20センチくらいでしょうか。

これで御飯が焚けるのかしら? 

    (「飢来飯」(きらいはん)の鋳出)

茶飯釜(宗徳釜の本歌)の側面にも「飢来飯、渇来茶」の鋳出があります。

 腹が減ったら飯を食べにいらっしゃい

 喉が渇いたら茶を飲みにいらっしゃい

なんて!シンプルで温かいお言葉なのでしょう・・・。

 

 秋のほっこりとした一日、さらさらと自然体のおもてなしが素晴らしかった・・・です。

YKさんのおもてなしに心地よい刺激を受けて、我が家でも一服差し上げたいと思いました。

茶友Yさんといらしてくださると嬉しいです。