ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

仙台市にある伊達正宗公が眠る瑞鳳殿は江戸時代初期の雰囲気が漂っていました

2011年01月12日 | 旅行
 江戸時代に仙台藩祖になった伊達正宗公のお墓である瑞鳳殿(ずいほうでん)に行ってきました。仙台市青葉区の霊屋下(おたまやした)は、その名の通り、仙台藩を興した伊達正宗の墓所があることを示す地名です。広瀬川を望む八木山の麓にある高台に、伊達正宗の墓所である瑞鳳殿は立っています。

 広瀬川にかかる霊屋橋近くにある入り口から杉木立に囲まれた石畳の参道の階段をいくらか登ります。杉木立は結構育っていて、少し薄暗い中を登ります。長いもので、樹齢370年の杉の巨木があるそうです。

 入り口から左手に曲がってさらに参道を登ると、瑞鳳殿の管理事務所があり、入門します。

 すぐ側に、伊達62万石の藩祖である伊達正宗公が眠る瑞鳳殿があります。その入り口は涅槃門(ねはんもん)です。青森の檜葉(ひば)から削りだした柱に、豪華な飾り彫刻が施されています。桃山形式の建物だそうです。その門の奥に、伊達正宗公の墓である瑞鳳殿があります。




 華やかで鮮やかな極彩色の桃山形式です。サイケデリックです。

 元々国宝だった、この建物は昭和20年(1945年)の空襲で焼失し、昭和54年(1979)年に再建されたそうです。さらに、平成13年(2001年)に柱に獅子頭の彫刻と、屋根に竜頭瓦を復元し、創建(そうけん)当時の姿に復元されました。

 その近くに二代目藩主の伊達忠宗(ただむね)公が眠る感仙殿(かんせんでん)が立っています。




 忠宗公は、仙台藩の基礎を築いた藩主だそうです。さらにその隣に、三代藩主の伊達綱宗(つなむね)公が眠る善応殿(ぜんのうでん)が立っています。感仙殿と善応殿も昭和20年の空襲で焼失し、昭和60年(1985年)に再建されました。

 これらは仙台藩の栄華を示す建物たちです。参道の両側の杉木立は江戸時代の雰囲気を醸し出しています。仙台城が立つ青葉山に対して、尾根が一つ異なる経ケ峯の中腹に瑞鳳殿などがひっそりと立っています。戦国時代から戦い抜いた伊達政宗公は70歳まで生きたそうです。当時としては大変な長生きです。戦国時代から少し平和になった寛永13年(1636年)まで長生きした正宗公は平和を楽しんだ時期がどの程度あったのかなどと考えながら、杉木立の中の石畳を下りました。栄枯盛衰を感じる場所でした。