ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

埼玉県川島町を流れる越辺川に、今年もコハクチョウが飛来しています

2014年01月15日 | 季節の移ろい
 埼玉県比企郡川島町を流れる越辺川(おっぺかわ)の河畔に、今年もコハクチョウの群れが飛来ています。

 川島町の越辺川河畔の大きな水門がある場所は、支流との合流点で川幅が広く、川の流れが緩やかなことから、白鳥(主にコハクチョウ)の飛来地として有名です。しかし、昨年2013年12月時点では、この水門近くで河川工事が始まり、工事の騒音によってコハクチョウが飛来場所を変えたと、Webサイトのニュースなどで報じられていました。

 ところが、毎年飛来する場所の水門の下流側に、コハクチョウが飛来していると聞いて、出かけました。

 越辺川の水門の数10メートル下流に、30数羽のコハクチョウがいました。







 コハクチョウを見に来た方々が続々と集まり、20人ぐらいがコハクチョウがいる対岸の岸辺に集まると、コハクチョウたちは、エサをくれると考えたようで、観察者の近くに寄ってきます。





 コハクチョウたちは、エサを採るのに苦労していて、お腹が空いているようです。

 羽根の色が灰色のコハクチョウは、昨年、ユーラシア大陸の北側で産まれた幼鳥です。



 画像の左側にいるコハクチョウが幼鳥です(逆光のために、羽根の色が分かりにくくなっています)。)

 今回は残念ながら、コハクチョウが飛翔するシーンにはお目にかかれませんでした。

 コハクチョウが飛ぶシーンの撮影を狙う野鳥観察愛好家たちは、早朝からコハクチョウが飛ぶのをひらすら待っているのだそうです。30分ぐらい河川敷にいると、吹きさらしなので身体がやはり冷え込んできます。この河川敷に数時間いるのはかなりの至難のことです。

 越辺川はこの水門から数キロメートル先の下流で、入間川に合流し、さらにその下流で荒川に合流する河川です。川島町は越辺川や入間川などの川に囲まれた地域になっています。

日本経済新聞紙の「盛衰の岐路 続いた誤算 日米協定発効」を拝読しました

2014年01月14日 | 日記
 2014年1月12日に発行された日本経済新聞紙朝刊の中面に掲載された「シリーズ検証 半導体興亡史」の第二回目の「盛衰の岐路 続いた誤算 86年日米協定発効」を拝読しました。「日曜日に考える」欄のコラムの一つです。

 今回のシリーズ第二弾は当時、半導体で世界首位のNEC(日本電気)の話です。先週の第一回目は日立製作所の半導体事業部の苦悩でした。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版では、見出し「盛衰の岐路 続いた誤算 86年日米協定発効 NECに覇者の奢り」として掲載されています。



 第二番弾の今回は、日本企業の半導体事業が頂点を極め、“覇者の奢り”から事業衰退を招いた歴史を解説しています。

 1986年に締結された日米半導体協定は、現時点で再考すると、「日米半導体協定の実像は、当時世界ナンバーワンとナンバーツーの日米による国同士の官製談合」だった。これによって、当時の半導体の主力製品だった半導体メモリー(DRAM)は、日米半導体協定によって、日本が輸出量を減らし、輸入量を増やすという数値目標によって、半導体の国際市場が安定した結果、日本企業の半導体事業は好成績を続けました。

 この事業好調は「日本企業の半導体事業での技術開発の成長を遅くした」と指摘します。日本企業が半導体技術の研究開発の手を緩めた結果、「韓国や台湾の半導体メーカーの研究開発力を高める事態を招いた」と、分析します。

 10年後の1996年7月に、日米半導体協定が失効したことによって、実力を高めた韓国のサムソン電子、SKハイニックス、台湾の台湾積体電路製造(TSMC)などが高品質で低価格という半導体製品を供給し、グローバル市場で実力を発揮します。

 米国も、製品を半導体メモリーからCPU(中央演算処理装置)に切り替えたインテル(INTEL)がグローバル市場で復活するなど、勢いを取り戻します。

 結局、目の前の半導体事業の甘い汁を知った日本の半導体企業が油断し、後塵を拝する事態に陥っていました。油断大敵です。

 1990年代後半から、日本企業の半導体事業は巨大赤字に陥り、その対応に追われます。半導体メモリー事業では、2003年4月に、日立製作所と三菱電機が半導体事業を分社化し合弁によるルネサステクノロジを発足させ、さらに、2010年4月には、NECエレクトロニクスとも合弁した、現行のルネサスエレクトロニクス(川崎市)が発足します。

 日立製作所と三菱電機が半導体事業を分社化し合弁によるルネサステクノロジを発足させる当時は、当初は工場を持たない「ファブレス」企業として創業させる計画があったが、実現できなかったと、当時の新会社創業の裏話を明らかにします。その一方で、台湾のTSMCのような、“日の丸”大型ファウンドリーを日本企業を統合してつくる案もあったと明かします。

 結局、1986年当時の日本企業の“覇者の奢り”による日本企業の「一国一城」という信仰が、2000年代の半導体事業の再編に、間違った判断を招く起点になっていると分析します。日本企業の「一国一城」という信仰は、実は液晶パネル事業でも事業戦略を間違えさせる結果を招きます。

 日本の半導体事業は「“何をつくって、どこに売るか”というビジネスの基本を考える事業戦略ができていなかった」という指摘は、現在でも重い指摘です。この課題を解決することが、今後の日本の成長戦略の成果を決めます。
 

さいたま市緑区にある見沼自然公園では、ロウバイの花が咲いています

2014年01月13日 | 季節の移ろい
 さいたま市緑区にある見沼自然公園では、ロウバイの花が咲き始めています。ロウバイの花は、周囲にロウバイの薫りを漂わせています。

 比較的広大な見沼自然公園の中には、修景池という大きな池があり、オナガガモなどのカモ類やオオバンなどが泳いでいます。

 岸辺にいたオナガガモの雄です。名前の通りに、尾羽が長いです。



 3連休の真ん中の休日なので、子供を連れた親子などが多数来園しています。修景池の開けた端の部分で、親子たちがパンなどのエサをカモ類などに与え始めると、カモたちがたちまち集まってきます。



 修景池を巡る周囲の道の脇に、ロウバイ(蝋梅)の花が咲いて、周囲に独特の薫りを漂わせています。

 ロウバイ(ソシンロウバイかマンゲツロウバイ)の木に陽光が当たり、花が光っています。





 花弁の色と形が少し違う、別のロウバイの木も花を多数咲かせています。





 ロウバイの木の根元に、ツグミやヒヨドリなどが時々、来ています。木の根元の地面で、枯れ葉の下をつっいて、何かエサを探しています。

 冬鳥のシメやシロハラも探したのですが、お目にかかることはできませんでした。

 あまり風もない穏やかな晴天の下で、親子連れの方々は広大な見沼自然公園の草原や池の周りで、休日の穏やかな時間を楽しんでいます。平和な風景です。

万城目学さんの新作単行本「とっぴんぱらりの風太郎」を読み終えました

2014年01月12日 | 
 小説家の万城目学さんが書いた、新刊の単行本「とっぴんぱらりの風太郎」を読み終えました。この単行本は、文芸春秋が2013年9月23日に発行した最新作です。

 小説「とっぴんぱらりの風太郎」の主人公は“ニート忍者”の風太郎です。



 主人公の「風太郎」は“ふうたろう”と読むのではなく、“ぷうたろう”と読ませます。伊賀上野を治める藤堂藩が戦争孤児などを集めて、柘植屋敷という忍者養成所で育成した忍者の一人です。その相棒は、当時の“天川”(あまかわ)と呼ばれたマカオ(現・中国の特別行政区)育ちの“南蛮帰り”忍者の黒弓です。二人とも、腕前は中途半端な“ニート忍者”です。

 この小説の舞台は、1614年11月の大阪冬の陣の前の年です。1600年に関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、1603年に江戸に幕府をひらいた後の過渡期です。戦に敗れた豊臣家は、豊臣秀頼を主君とした65万石の大大名として大阪城で、ある程度の勢力を維持しています。徳川家康は、安定した政権をつくるために、1614年11月の大阪冬の陣と、1615年5月の大阪夏の陣を仕掛けて、豊臣家を滅ぼします。

 万城目学さんの芸風の呪術・魔法らしき話が横糸の話です。これに対して、戦国時代からの織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が主人公だった時代の戦では、主戦闘者の武士以外にも、戦禍に巻き込まれて家や田を焼かれて、殺された庶民も多数います。この小説の横糸は、戦争孤児などの被害者が主人公グループを占めていることです。

 Webサイトの「とっぴんぱらりの風太郎」特別サイトに掲載された登場人物たちです。



 結局、戦争は戦争孤児という悲劇をつくり出すというテーマが何回も出てきます。叙情的に、かなり読ませる部分です。

 現在の日本では、直接的には戦争孤児を産み出していません。しかし、海外の紛争地では、相変わらず戦争孤児を産み出し、それが悲劇を起こしています。

 一見ファンタジー風で、実は人の死と孤児という人間の悲劇の物語である点が、これまでの小説とは違う点です。そして、たぶん関西人である万城目学さんの関西好き、近畿好きがよく描かれています。

 総ページ746ページの長い小説ですが、半分を過ぎると、読むのが止められなくなります。ただし、初出の週刊文春で読み続けるのは、しんどかった気がします。単行本でないと、読み通せない感じがします。

埼玉県の荒川河川敷で、冬鳥のタゲリの群れに約10年ぶりに出合いました

2014年01月11日 | 季節の移ろい
 幸運にも、冬鳥のタゲリの群れを、約10年ぶりに観察することができました。

 ある野鳥愛好家の方から「埼玉県桶川市と比企郡川島町に挟まれた荒川の河川敷に、タゲリが時々来る」と教えていただき、早速行ってみたら、幸運にもタゲリの群れに出会いました。



 タゲリは、チドリ目チドリ科タゲリ属の野鳥で、ハトぐらいの大きさです。警戒心が強く、遠目に人影を見つけると、すぐに飛び去ることが多いために、なかなか近くで観察できない冬鳥です。





 タゲリは、背中の羽根が濃い緑色系のメタリックな光沢を持っています。このため、太陽光のあたる角度によっては、とても美しい色合いになるため、観察対象として人気が高い冬鳥です。頭部には、冠(かんむり)のような冠羽あります。顔の隈取り模様も目立ちます。





 10数羽のタゲリの群れは、互いに50メートルぐらいの間隔でそれぞれエサを探しています。

 夏にユーラシア大陸の中緯度の地域で繁殖し、冬にはアフリカ大陸北部やユーラシア大陸南部などの移動して越冬するそうです。その内のいくらかが越冬のために、日本の本州の中部・関東地方などに飛来するようです。

 タゲリは警戒心が強いので、見通しのよい視界が開けた場所に飛来します。10年ぐらい前までは、近所の稲を刈り取った後の広大な田んぼに、冬になると10数羽の群れが来ていました。この時も、数100メートルぐらいまで近づくと、タゲリの一羽が飛び立ち、群れが続きます。そして、さらに数100メートルぐらい先に降りたつ感じでした。10数羽が一直線に並んだ飛ぶ姿は美しいものです。この時は、双眼鏡でないとタゲリを観察できませんでした。

 昨年2013年2月にも、埼玉県戸田市の荒川河川敷にある彩湖・道満グリーンパーク行った時に、「昨日はタゲリの群れが草原部分に来ていた」と伺いました。その時は、もう飛来しませんでした。

 4月末から5月初めごろに、田んぼに水が張られて、水田となって田植えが始まるころには、タゲリは北に向かう体力をつけるために、田んぼの中の昆虫や節足動物、ミミズなどを食べることに夢中になり、比較的近くまで近づけるとの話です。しかし残念ながら、この時期にタゲリに出会ったことがありません。