ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

埼玉県所沢市中富にある宝塔山多聞院では、大輪のボタンの花が咲いています

2018年04月27日 | 季節の移ろい
 埼玉県所沢市中富にある真言宗豊山派の寺院である宝塔山多聞院では、大輪のボタンの花が咲いています。

 所沢市中富の雑木林と農地などが多い村里風景の中にある宝塔山多聞院は“花の寺”として知られています。特に、毎年5月連休ごろには、大輪のボタン(牡丹)の花が咲く寺として有名です。

 今年の4月は暖かい(暑い)日々が多く、今年はもう大輪のボタンの花が満開です。

 多聞院本堂の周囲では、大輪のボタンの花が咲いてます。多聞院の本堂の背後以外の前と左右の3面では、それぞれでボタンの花が咲いています。







 深紅の大輪の花が咲いています。





 桃色の大輪の花も咲いています。





 黄色の大輪の花も咲いています。





 白色の大輪の花も咲いています。



 多聞院本堂の本尊は大日如来です。この本尊の大日如来像は、12年に一度、寅年の5月1日にご開帳されるそうです。次回のご開帳は2022年の5月1日だそうです。

 約2週間前に、所沢市中富にある宝塔山多聞院を訪れた時には、山野草のクマガイソウがたくさん咲いていました。その話は、弊ブログの2018年4月10日編をご覧ください。

埼玉県入間郡三芳町にある多福寺の境内では、フジの花が咲いています。

2018年04月26日 | 季節の移ろい
 埼玉県入間郡三芳町上富にある多福寺の境内は、新緑に包まれ、フジの花がよく咲いています。

 正式には三富山多福寺という名称の臨済宗妙心寺派の寺院です。

 その境内は、木々が新緑に染まり、フジ棚のフジが淡い紫色の花をよく咲かせています。







 フジ棚のフジは長い花穂を垂らしています。







 境内には、サクラの木々が植えられていますが、どれも葉桜になっています。

 多福寺の境内では、ツツジが花をいくらか咲かせています。



 多福寺の境内は一部に墓地があり、これ以外は広大な雑木林が広がっています。その雑木林は、木々がもう葉を繁らせて、いくらか薄暗い感じになっています。

 そのややうっそうとした雑木林の地面から、キンランが点々と生えて、黄色い花を咲かせています。





 どのキンランも、その側には、添え木の枝が立てられていて、キンランを践まないように工夫してあります。

 三富山多福寺は、元禄9年(1696年)8月に、三富新田(上富、中富、下富)の開拓を命じた川越藩主の柳沢吉保が、それぞれの“菩提寺”として上富に臨済宗三富山多福禅寺を、祈願所として中富に毘沙門社などを設けました。こうした歴史の流れから、三富新田に入村した農家の菩提寺を多福寺にしたとの経緯があるようです(詳細はあまり調べていませんが・・)。

朝日新聞紙のコラム「天声人語」が取りあげた作家の加藤廣さんの話を拝読しました

2018年04月25日 | 日記
 2018年4月24日に発行された朝日新聞紙の朝刊のコラム「天声人語」が取りあげた作家の加藤廣さんの定年退職語の話を拝読しました。

 歴史小説家としていくつかの話題作を書いた加藤廣(ひろし)さんは、定年後に小説家になった遅咲きの作家です。

 朝日新聞紙のWeb版である朝日新聞 DEGTALでは見出し「遅咲きの大輪」と伝えています。



 コラム「天声人語」は、以下の文章から始まります。法律の勉強に身が入らない。好きな文学を読みふけり、大学の成績表には「不可」もある。昭和29年(1954年)に東京大学法学部生だった加藤廣さんは焦燥にかられていた・・。

 この文章は以下のように続きます。この昭和29年はまれにみる就職難の年だったそうです。朝鮮半島で、朝鮮戦争の砲声がやみ、日本から戦争特需が去った直後だったからです。加藤さんは父とは死別し、母と祖母を支えるために就職を目指します。

 縁あって、中小企業金融公庫(現在の日本政策金融公庫)に就職します。この金融公庫に入行して、同金融公庫の幹部は大蔵省(現在の財務省)からの天下り組であることに気がつきます。いくらかがっかりしたようです。

 それでも加藤さんは、仕事に励み、中小企業金融公庫から山一証券経済研究所顧問などを経て、経営コンサルタントとして独立します。ここまでがイントロです。

 元々、文学好きだった加藤さんは、定年後に小説を書き始めます。実は、定年前にも、ビジネス経済書の解説本を多数、書かれています。

 日本経済新聞社がたまたま募集した小説に応募し、当選します。それが「信長の棺」(2005年、日本経済新聞社発行 )でした。 同名でテレビドラマ化もされ、加藤さんは人気小説家になります。

 その後も「秀吉の枷」(2006年、日本経済新聞社発行)、「明智左馬助の恋」(2007年、日本経済新聞社発行)とヒット作を続けます。

 青年時代に目指した文学を、定年後に追求し、実現したという点では、高齢者の鑑のような人生です。定年後の時間ができた時に、青年時代の夢を叶える人生は幸せなものです。参考にしたいものです。

 今回、「天声人語」が作家の加藤廣さんを取りあげたのは、今年4月7日に87歳でお亡くなりになったからです。その生き様をたたえる記事がいくつか掲載されています。

埼玉県川越市の伊佐沼では、冬鳥のヒドリガモやコガモが少し残っていました

2018年04月25日 | 季節の移ろい
 埼玉県川越市伊佐沼にある伊佐沼に、越冬していたカモ類などの様子を見に行ってきました。伊佐沼は田植えシーズンが近づき、農業用水として蓄えている水量を最大限にしています。

 ハス田の上にかかる歩道橋から南側を見た景色です。水量が満杯のため、すぐ側にあるハス田は水没し、冬には見えていた干潟も水没しています。



 南西側のサクラ並木がある岸側です。ソメイヨシノの並木は葉が繁っています。



 今ごろの伊佐沼は、越冬していた冬鳥のカモ類が去って、春に立ち寄る水鳥などが観察できる時期です。

 冬には干潟になっていた浅瀬付近には、ヒドリガモやコガモが少し、水面に浮かんでいます。日本から帰る冬鳥の最後発隊です。



 伊佐沼は大まかには長方形に近い形の池で、南北方向にが800メートル・東西方向に200メートルほどの大きな池です。いくらか西側に傾いています。

 夏にはハス田になる浅瀬部分では、コガモやヒドリガモ、カルガモなどが集まっています。見た目では、コガモが一番多い感じです。

 のんびりとしているコガモのオスです。





 ヒドリガモのオスです。







 本来は、冬鳥のカモたちが帰ると、留鳥のカルガモが結果的に多くなるのですが、水面から少し出ている杭の上にいるカルガもが数羽、見える感じでした。

 この時期は、カモ類に比べて身体が小さいカイツブリが元気です。



 カイツブリのオスは盛んに大きな声で鳴いて、メスを呼んでいます。あるいは自分の縄張りを宣言しています。



 冬鳥のカモ類がほとんどいなくなった伊佐沼では、姿が小さいカイツブリが元気に泳いでいます。

 実は、春の伊佐沼は、渡りの途中の水鳥が一時、立ち寄る場所です。この春の時期に観察できる水鳥などを目当てに、野鳥観察愛好家の方々が来ています。

埼玉県川口市にある埼玉県花と緑の振興センターでは、シャクナゲが花を咲かせています

2018年04月24日 | 季節の移ろい
 埼玉県川口市安行にある埼玉県花と緑の振興センターでは、ツツジやシャクナゲなどが花を咲かせています。

 地場産業の植木生産の振興などを担っている埼玉県花と緑の振興センターは、ウメやサクラなどの園芸種などの木々が育てられています。品種改良も行われています。

 その埼玉県花と緑の振興センターでは、ヤエザクラ(八重桜)はほぼ花期を終え、ツツジやシャクナゲ(西洋石楠花)などが花を咲かせてます。

 今年の4月は暖かい天候だったために、5月初めの5月連休ごろに咲く花がもう咲いています。

 ツツジは品種による開花度合いがかなり違います。入り口付近では“シロヤマツツジ”という標識があるツツジが満開です。





 明るい白っぽいクリームイエローの花が存在感を示しています。

 花が白色や桃色などの“芸”を示しているツツジです。



 セイヨウシャクナゲ(西洋石楠花)の花がちょうど満開です。





 セイヨウシャクナゲの華やかな花がよく咲いています。





 ボタン(牡丹)ももう大輪の花を咲かせています。





 このボタンにはそれぞれ品種名の札がかかっています(品種名のメモを紛失)。

 落葉樹の中では、ヤマボウシが花を咲かせています。



 埼玉県花と緑の振興センターは、春爛漫の風景がいたるところで拝見できます。

 埼玉県花と緑の振興センターでは、約2000種類の木々や園芸種の草が育てられているそうです。