おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

老後の理想とは?

2013年04月10日 07時05分27秒 | 日記


火曜日は妻が実家に帰って親の世話をしている。両親ともに80台後半になる年齢で世話が必要になっている。

父親はデイケアー、母親にもヘルパーがついている。しかし、親は自分で生んだ子どもと会うことが一番の生きる力(活力)になっているようだ。

妻は私の両親の世話も死ぬまで続けた。ヘルパーの免許を持っているので実にテキパキと世話をする。

私達夫婦には子どもがいないので、いよいよ動けなくなった時にはやはり介護施設のお世話になる。老老介護、7歳に年が離れているので、順にいけば私が早く動けなくなるし、惚けるので年下とはいえ老人を老人が介護するのは大きな負担になる。

終末は家でが理想だ。しかし、他人の世話に(迷惑)になってまで私欲を通すことはできないと考えている。
まだ、体が動くのでできるだけ考えないことにしてるがそうもいくまい。

昔の人は覚悟ができていた。西行も良寛も・・・私淑する良寛は、最後には貞心尼がそばにいた。

今有吉佐和子の「木瓜の花」(上下)を読んでいる。主人公の正子が古い友人から自分の惚けた母親を押し付けられてしまい、仕方なく自分の料亭の一部屋に住まわせる。そして付きっ切りで世話をする看護婦瀬川という女性が登場するのだが、この女性が愛想ない女なのだが、老人の下の世話を小まめにする場面が出てくる。

こういうシチュエーションっていうのは今では考えられない。血のつながら惚けた人間を引き取って最後まで世話をやき、延いては葬式まで取り仕切る善意。

介護の仕事に携わっている人達の一部には暴力とか窃盗(認知能力を失っている患者や老人を預かっている病院・施設では対象者の持ち物、所持品特に金品が野晒し状態ともいえる環境になっているのでこういう起こってはならないことが時に発生する)とかを行う不心得者もいるようだが、妻の両親がお世話になっているケアマネージャーやヘルパー、介護施設の担当職員は皆心から相手を心配し、家庭を尊重し、自分の時間を割いてまで世話をしている。これは見ていて自然と頭が下がる。

世の中の不公平さがここにも端的に現れている。介護の仕事に携わっている職員への報酬が極めて低いのが現実
医療関係従事者と比べると大きな開きがある。この苦労と知られている差別を社会的に真剣に考えるべき時がきている。

さてさて老後に備えて、まず体をできるだけ鍛えること。特に足腰だ。動けなくなることを極力避けたい。

そして頭だ。脳の神経細胞は毎日毎日数多く死滅している。そして再生されないのだから、知的能力の劣化は止むを得ない。そこをどれだけ緩慢にするかー

本を読み、ブログもそうだが文章を書く。文章をかくことは頭の中で書こうとする内容を構想し、書くためには正確さを期する為に辞書とかウィキぺデアとかグーグルとか専門図書で調べる必要が出てくる。

こうして頭を回転させる。段々スピードが落ちているし、問題は記憶力。この衰えが中高年者の人物としての能力を測る尺度になっている。政治家、実業家、学者・・・テレビに出てくるそういう老いた知名士を見ていると凄いと思う。今国会が開かれていて中継を見ていると、総理、各大臣、長官などよく知っているし、覚えていると感心する。筋書きは誰か裏にライターがいるのかもしれないがそれにしてもスラスラ出てくるものだ。安倍さんの質問に対する回答の内容はよく分からないこともあるけど理路整然として切り込める隙がないように感じる。もうあの人も60に近いのだろうが・・・

惚けの進行スピードを出来る限り抑える為に、今日もがんばろうっと