おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

村上春樹読んだどー!!

2013年04月26日 07時13分04秒 | 日記


日本中に春樹狂想曲が流れているようだが、私もその流れに乗って「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を今朝読み上げた

偏屈な私としてはこういう○○フィーバーというのが好きではないので、冷めた目で批評しようと本を読んだのだが・・・

百田の「永遠の0」とは違う趣向=おもしろみ、違う文体であっという間に読了

長ったらしい題名なので村上独特の哲学的な表現で難解な小説かと思って本を開いたのだが、違った

高校時代の親友5人組の「その後」の話だが、ミステリーが入っている。

前半部の灰田の語りに出てくる緑川の存在。これが後半まで伏線として続いていく。

ある瞬間に人間は「善も悪もない。すべてがひとつに融合している。そして君自身もその融合の一部になる。君は肉体という枠を離れ、いわば形而上的な存在になる。君は直観になる。素晴らしい感覚であると同時に、ある意味絶望的な感覚である・・・」

親友の「シロ」の死が持つ不可思議。そして突然一方的に切断された5人組との関係。

つくるという主人公は駅という「空っぽの箱」を設計するエンジニアになる。空っぽの箱は彼の存在を象徴している。

フィンランドで元親友5人組の一人に再会し、言われた言葉がある。
「君はとても素敵な、心を惹かれる容器だよ。自分自身が何であるかなんて、そんなこと本当は誰にもわかりはしない。・・・君はどこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に」

村上文学には音楽が付き物。今回はクラシック。村上には他人にない鋭い芸術的ないやある意味では動物的な感覚が備わっている。音の組み合わせ=曲、言葉の音の組み合わせ=記号が文章になる。色に組み合わせが美術的な美しさを造形する。この深い感性は学んで作られるものではなく天性のものなのだろう。

村上には「哲学」があり、百田地を這うような検証と実証的熱意が精緻な表現になって魅了する。二人は対照的だ。

さて今日から百田の何ていうのか本屋大賞をもらった受賞作を読み始めるとするかー