日本の教員は働き過ぎである。時間外に月50時間以上働いている人がほとんどである。これではまともな生活が送れない。
時間外労働は授業の準備などのためではない。逆に授業の準備は自転車操業状態であり、まともに準備できないまま授業に臨まなければならない。これが教師のストレスになっている。では教師は何に時間を使わされているのか。主に部活動と事務仕事である。
部活動はやりたい人にとってはいいかもしれない。しかしやりたくない人にとっては苦痛でしかない。とは言えやりたくないという態度をとれば、周りから白い目で見られる。あるいは部活動派と、アンチ部活動派の目に見えない対立が常に緊張感を生みストレスを生み出すことになる。
事務仕事はどんどん増えている。特に会計処理は面倒くさい。主たる仕事以外にしなければいけないのにもかかわらず、正確さを要求されるので、いつもあたまのどこかにひっかかりが残っている。これもストレスを生み出す。
さてこのような状況を問題視して、最近の職場で「働き方改革」のアイディアを募集した。それはそれで悪いことではないのかもしれないが、それは小手先の改革でしかいない。仕事量がどんどん増えているということのほうが問題なのであり、それをこなすためには、仕事量を減らすか学校職員を増やすしかないのだ。根本が違うのだ。
部活動は地域に移すしかない。事務的な仕事は学校職員を増やすしかない。教師が授業に集中する状況を作らない限り日本の教育は衰退するか、教員が過労死するしかない。しかし財源不足のため、結局は政府は現状の教員にすべてをまかせる方策しか考えられないのだ。小手先の改革は馬鹿にされているようにも感じる。政府はもっと真剣に改革に取り組んでほしい。
「教育は国家百年の計」という言葉がある。この言葉を百年後に改革が成就すればいいみたいに勘違いしている人がいるのではないか。今しっかりと改革してこそ百年後にその効果が現れるという意味である。改革を先送りしてはいけない。
時間外労働は授業の準備などのためではない。逆に授業の準備は自転車操業状態であり、まともに準備できないまま授業に臨まなければならない。これが教師のストレスになっている。では教師は何に時間を使わされているのか。主に部活動と事務仕事である。
部活動はやりたい人にとってはいいかもしれない。しかしやりたくない人にとっては苦痛でしかない。とは言えやりたくないという態度をとれば、周りから白い目で見られる。あるいは部活動派と、アンチ部活動派の目に見えない対立が常に緊張感を生みストレスを生み出すことになる。
事務仕事はどんどん増えている。特に会計処理は面倒くさい。主たる仕事以外にしなければいけないのにもかかわらず、正確さを要求されるので、いつもあたまのどこかにひっかかりが残っている。これもストレスを生み出す。
さてこのような状況を問題視して、最近の職場で「働き方改革」のアイディアを募集した。それはそれで悪いことではないのかもしれないが、それは小手先の改革でしかいない。仕事量がどんどん増えているということのほうが問題なのであり、それをこなすためには、仕事量を減らすか学校職員を増やすしかないのだ。根本が違うのだ。
部活動は地域に移すしかない。事務的な仕事は学校職員を増やすしかない。教師が授業に集中する状況を作らない限り日本の教育は衰退するか、教員が過労死するしかない。しかし財源不足のため、結局は政府は現状の教員にすべてをまかせる方策しか考えられないのだ。小手先の改革は馬鹿にされているようにも感じる。政府はもっと真剣に改革に取り組んでほしい。
「教育は国家百年の計」という言葉がある。この言葉を百年後に改革が成就すればいいみたいに勘違いしている人がいるのではないか。今しっかりと改革してこそ百年後にその効果が現れるという意味である。改革を先送りしてはいけない。