【近代知識人の苦しみ】
「吾輩」は「主人」の日記を紹介する。
「主人の様に裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自分の面目を暗室内に発揮する必要があるかもしれないが、(略)」
いわゆる「近代知識人」は、世間一般の人たちと次元の違うことを考えていた。これは「近代知識人」の見栄だったかもしれないし、「西洋文化」を吸収した人の必然だったのかもしれない。いずれにしても世間との乖離に苦しみながら生きていくことになる。
【単なる語り手ではない「吾輩」】
猫は単に人間社会を語る語り手ではない。自分自身も活動し、それも語っている。
「吾輩」は雑煮のもちを食べる。噛み切れず、のどにつかえる。持ちを前足二本で取ろうとする。二本足で立ち、踊りを踊っているようになり、人間たちに笑われる。
三毛子に会いに行く。三毛子の飼い主は琴のお師匠さんである。元気が回復するし、車屋の黒とも話をする。
【「吾輩」の批評眼】
「吾輩」は家にもどると越智東風が来ている。このあたりは単に人間の世間話を聞いているだけだ。
東風は詩人である。迷亭のトチメンボー事件を主人に語って聞かせる。西洋料理店に行って、「トチメンボー」といった名の実在しない料理を注文したというたわいもないいたずらである。東風は主人に朗読会について語る。近松の芝居の朗読会だという。「主人」にそのメンバーになるように依頼する。東風はカステラを盗み食いする。
迷亭がやってくる。そこに寒月もやってくる。迷亭は「首懸の松」の話をする。首つり自殺をしてみたくなるような松があり、首をつってみようと思い立つ。しかしすでに約束していた東風が家に来て待っていると気の毒だと思い、一旦家に帰ってから出直す。再びやってきたら、すでに別な者が首をつっていた、という話だ。冗談話なのか怪談話なのかよくわからない怪談話である。
寒月も話を始める。ある忘年会で、寒月の知り合いの若くてきれいな女性が病気になったと聞く。その帰り道、吾妻橋の川上から女性が自分を呼ぶ声が聞こえる。その声に導かれるように橋から飛び降り気を失う。気が付てみると濡れていない。実は川に飛び込んだのではなく、橋のほうに倒れただけだったのだ。これも怪談話にしては中途半端である。
次に主人が自分の病気のエピソードを語る。これも中途半端にしか思えない話である。
すると「吾輩」は次のように言う。
「吾輩は大人しく三人の話しを順番に聞いていたが可笑しくも悲しくもなかった。人間というものは時間を潰す為めに強いて口を連動させて、可笑しくもない事を笑ったり、面白くない事を嬉しがったりする外に能もない者だと思った。」
この批評は厳しい。猫から見ればどんなことを人間がしゃべっても意味がないことなのだろう。しかし、実際にもどうでもいいことをしゃべって時間をつぶしているの人間なのかもしれない。さらに「吾輩」は主人の話の意味のなさを攻撃し、主人を軽蔑したくなる。
「彼れはなぜ両人の話しを沈黙して聞いていられないのだろう。負けぬ気になって愚にもつかぬ駄弁を弄すれば何の所得があるだろう。」
【三毛子の死】
三毛子のことが気になり、出かけてみるとすでに三毛子は死んでいた。三毛子の飼い主は「吾輩」のせいで三毛子が死んだと話している。