ドキュメンタリー映画『教育と愛国』を見ました。政府が教育に思想統制的な介入をしているという内容でした。この映画は一方的な視点からではあり、批判される点もある。しかし近年の保守派の圧力によって無理を通す政治の危険性を訴えている点は納得できる。
この映画の中で「慰安婦」の問題が取り上げられている。「従軍慰安婦」という用語は、日本軍が強制的に女性に売春行為を行わせたというものであり、国家的な政策としては実際になかったのだろうと私も考える。そういう非人道的なことを正式な方針としていたとは思えない。しかし、「慰安婦」は実際にいたのは事実である。そして正式な方針ではなくとも、軍隊に対する忖度があったということは、現在の日本社会をみても十分想像できることである。さらにたとえそういう忖度がなかったとしても、戦争によって多くの女性が性的な犠牲者となったということは事実なのだ。それを無視してはいけない。
近年の日本の一部の言論は「慰安婦」というだけで、「反日」だと騒ぎ圧力をかける。きちんと議論をすることを避けているように思われる。自分が「慰安婦」であったと勇気を出して申し出た女性が、犯罪者のように苦しめられている姿をみると、かわいそうでしょうがない。
慰安婦問題について日本と韓国は解決済みと合意しているわけであり、これを国家的に蒸し返す態度に対しては厳しく抗議をすべきである。しかし人道的な問題として「慰安婦」問題を考え、発言することまで認められないわけではない。また、解決済みであるということは事実がなかったということを意味しているわけではない。たとえ「従軍慰安婦」はいなかったとしても、「慰安婦」がいたことは事実であり、今後このような存在があってはならないことなのである。そのことを封印させるように圧力をかけることはあってはならないのだ。
見たくないものを隠して「愛国心」を育てても、それは真の「愛国心」にはならない。人道的で、平和と正義を愛する国民であるからこそ、日本人は日本を愛するのだという意味での「愛国心」を育てるというのならば反対しない。そういう国民を育てるのならば、見たくないものを隠すような圧力をかけることはやめるべきである。
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