桜田義孝前五輪相が「子どもを最低3人くらい産むようにお願いしたい」と発言したことがインターネットニュースになっていた。「またこの人か、懲りないな。」とは思ったものの、私はそれほど大きな問題だとも思わない。桜田氏の発言を擁護するつもりはないが、それ以上にこの異様な報道のありかたのほうが問題がある。
桜田議員の発言は、一昔はみんな言っていたことである。田舎のじいさんなんてみんなそう言っていた。現在はそれは言ってはいけないことになった。しかしそれはタブーなんだとわかったとしても、子供をたくさん産むのがいいことなのだという価値観を持っている人はそう言ってしまう。それはそれでしょうがないことなのではないか。これを封じ込めたら言論の自由を放棄したことになるはずである。
こういう人を議員にしてはいけないというのは選挙の問題である。桜田議員は選挙で選ばれるべきでない人ということはわかったが、それをインターネットであおって大きく取り上げるほどの問題ではない。有権者の個人の判断だ。
もちろん桜田氏が大臣だったら大きな問題である。しかし今桜田氏は大臣ではない。今はただの議員である。己の信条で発言してもそれを必要以上に責められる必要はない。逆にこれをこんな形で追い詰めていくことは、言論の自由の放棄である。それ以上に異様に感じるのは桜田氏はいくら悪く言ってもかまわないという雰囲気である。みんなでだれかの悪口を言い、それに同調して快感を得る。いじめ構造と同じである。
インターネット時代のニュースのありかたについてもっと批判的に見ていく必要がある。
マスコミは話題性を第一優先として報道し、その中に知性を感じません。
マスコミはその強大な力(影響力)があることを自覚すべきと考えます。
意見を吟味するのではなく
封殺するなんてひどいことです。