とにかく書いておかないと

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『千と千尋の神隠し』の分析的読解4「山の神々」

2023-01-28 08:23:38 | 千と千尋の神隠し
 国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。

 四つ目のキーワードは「山の神々」。

 千尋の一家は引っ越しをしてきます。場所は郊外の丘陵地帯にできたニュータウンのようです。なぜ引っ越したのか。映画を見る限り特に隠された事情があるとは思えません。車のナンバーは多摩ナンバーです。おそらく、貸家暮らしだった家族が少し不便な郊外の丘陵地帯のニュータウンに一軒家を買って引っ越したのでしょう。


 さて、自動車は道を一本間違えて、舗装されていない道に迷い込みます。その道には鳥居があったのですが、邪魔になるからなのか、道のわきに移動させられています。そこには神様の祠があります。その山は神々が住む山だったのでしょう。しかし今は新しい住宅街ができ、さらにはテーマパークまでもできていました。しかしそのテーマパークも今は閉園し廃墟となっています。つまり山の自然は、人間によって破壊されたのです。


 家族は行き止まりで車を降り、荒廃した建物を通り抜けます。通り抜けた先はテーマパークの残骸があります。父と母はそこで食事を始め、食べ過ぎて豚になります。バブル時代の日本人を表しているようです。

 夜になると、神々が船に乗って人間の世界から、この山に集まってきます。人間の世界では透明だった神々は、この世界では姿を現します。そして「油屋」という名の「湯屋」で疲れをいやします。その「油屋」を仕切っているのが湯婆婆です。


 本来、この山は神々の居場所でした。しかし人間が奪い去り自分たちのものにしてしまい、神々の居場所が奪われたのです。人間は川を生みたて人間の住処にしたように、山を削って人間の住処にしたのです。人間は神々にとっては迷惑な存在です。ここに作品のテーマが明確に表れています。

 湯婆婆は悪人のように描かれます。しかし以上のことを考えてみると、この湯屋を経営している湯婆婆は正しい行いをしていると考えることができます。神々のために湯屋を経営し、しかもその湯屋に人間が入ることを許しません。湯婆婆は悪者扱いされがちですが、冷静に見てみれば筋の通ったことをしているように思われるのです。
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1 コメント

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グローバル鉄の道リスペクト (元鉄鋼商事関係)
2024-11-21 00:29:41
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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