9.11アメリカ同時多発テロの被害者遺族への補償金を分配するという仕事を引き受けた弁護士を描く映画『ワース 命の値段』を見ました。苦しい仕事であるのは予想がつく。しかしそれは大きな価値のある仕事です。それを成し遂げる人間の苦悩がいたいほどわかる映画でした。
弁護士のケンは、同時多発事故の被害者遺族への補償金を分配する困難だとわかっている仕事を引き受けます。対象者は約7000人。ケンはこの困難な仕事をできるだけ公平におこなうために、例外を認めないという方法に固執します。私がそういう仕事をするとしてもそうしているでしょう。例外はひいきです。そんなひいきをしてはいけないと考えるからです。
しかしうまくいきません。被害者遺族は納得しません。自分の個別の事情を訴えます。ケンは最初はそれを無視しようと努力していたのですが、補償金の申し込み者が少ないことによって追い詰められていきます。自分のやり方のなにがいけなかったのか、苦しい日々を過ごすことになります。
ケンのやり方は正当なものです。しかし遺族の主張も正当なものなのです。遺族によりそった解決策を見つけるのが本来のケンの仕事だったということに気が付きます。遺族の主張には聞けないものもあります。しかしその主張を政府や自治体に伝え、交渉することはできるはずです。
ケンの努力を人々は認め、補償金の申し込みは締め切りまじかになって9割を超えます。
人の命に値段はつけられないのは当たり前です。しかしそれでは前に進めません。とは言え機械的に人の命を扱うわけにもいきません。だからこそ人間の力が必要なのです。AIの時代だからこそ人間の力を信じなければいけません。
仕事の意義を見つめなおすきっかけになる、いい映画でした。
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