北タイ陶磁に興味を持ち、サンカンペーン陶磁については、僅かながら収集もしている。その北タイ陶磁の装飾には、魚文様が多用されている。単魚文なり双魚文での魚の向きは、どちらを向いてるかと云う噺である。見方によっては、どうでも良い噺である。
景徳鎮の元染めについては、多くを見ていないが、例えば大英博物館や出光美術館の青花魚藻文盤に描かれる厥魚は、頭部が左を向き、尻鰭は右側に描かれる。この向きというか描き方は、右利きの手による描き方で、左から右に向かって運筆すればよく、極自然な描き方である。

中華の優等生である安南はどうであろうか、上に掲げる写真の出典は『世界陶磁全集16 南海』から引用している。事例がすくなく断言できるほどの自信はないが、写真の魚文は自然と云えば自然ではあるが、いずれも頭部が左を向いており、右利きの仕業である。
ところが、北タイ陶磁では、頭部が右を向き尻鰭が左側に向く、サウスポーの描き方が多用されている。北タイ陶磁の不思議のひとつである。その様子を表でもって説明したい。
上表の出典は、敢木丁コレクション(東南アジアの古陶磁(8)、(9):富山市佐藤記念美術館刊)、本多コレクション及び『東南アジアの古陶磁:関千里著』、サンカンペーン及びパヤオについては清邁堂HPから引用している。
大雑把であるが、右向きと左向きが50:50の比率である。右向きの魚文をサウスポーが描いたと決めつける訳にはいかないが、それにしても・・・の多さである。右利きでも、右から左に運筆できるわけであり、右向きの魚文描いた陶工(絵付工)もいたのであろう。
他の窯場ではどうであろうか?景徳鎮の元染盤については少ない事例を冒頭紹介した。しかし酒会壺には頭部が右を向く厥魚も描かれている。元染もどちらもあるということである。
では北タイ陶磁は、何故頭部が右を向いているのか?。中世は知らないが、現代のタイ人も日本人同様、左利きは10-15%の比率と云われている。タイ人にとっては、左手は不浄の手というが、現地ではそんなことはない。変な日本人の吹聴によるものだが、確かにヒンズー教徒は、左手を不浄としており、その影響でタイ人云々であろうか?。
中世の北タイでも同じようであるのか、ないのか不明だが、頭部の右向きの多さの背景がわからない。
但しムエタイ選手にはサウスポーが多い、一説にはサウスポーは3割と云われ、利き腕は右だが、グローブをつけると左という矯正を行っているという。何故かといえばサウスポーが有利であると、一般的に喧伝されていることによる。
中世、北タイの陶工も矯正してサウスポーで仕事したのであろうか?。このようなことを研究している、専門家はいないのであろうか?。
景徳鎮の元染めについては、多くを見ていないが、例えば大英博物館や出光美術館の青花魚藻文盤に描かれる厥魚は、頭部が左を向き、尻鰭は右側に描かれる。この向きというか描き方は、右利きの手による描き方で、左から右に向かって運筆すればよく、極自然な描き方である。

中華の優等生である安南はどうであろうか、上に掲げる写真の出典は『世界陶磁全集16 南海』から引用している。事例がすくなく断言できるほどの自信はないが、写真の魚文は自然と云えば自然ではあるが、いずれも頭部が左を向いており、右利きの仕業である。
ところが、北タイ陶磁では、頭部が右を向き尻鰭が左側に向く、サウスポーの描き方が多用されている。北タイ陶磁の不思議のひとつである。その様子を表でもって説明したい。

上表の出典は、敢木丁コレクション(東南アジアの古陶磁(8)、(9):富山市佐藤記念美術館刊)、本多コレクション及び『東南アジアの古陶磁:関千里著』、サンカンペーン及びパヤオについては清邁堂HPから引用している。
大雑把であるが、右向きと左向きが50:50の比率である。右向きの魚文をサウスポーが描いたと決めつける訳にはいかないが、それにしても・・・の多さである。右利きでも、右から左に運筆できるわけであり、右向きの魚文描いた陶工(絵付工)もいたのであろう。
他の窯場ではどうであろうか?景徳鎮の元染盤については少ない事例を冒頭紹介した。しかし酒会壺には頭部が右を向く厥魚も描かれている。元染もどちらもあるということである。
では北タイ陶磁は、何故頭部が右を向いているのか?。中世は知らないが、現代のタイ人も日本人同様、左利きは10-15%の比率と云われている。タイ人にとっては、左手は不浄の手というが、現地ではそんなことはない。変な日本人の吹聴によるものだが、確かにヒンズー教徒は、左手を不浄としており、その影響でタイ人云々であろうか?。
中世の北タイでも同じようであるのか、ないのか不明だが、頭部の右向きの多さの背景がわからない。
但しムエタイ選手にはサウスポーが多い、一説にはサウスポーは3割と云われ、利き腕は右だが、グローブをつけると左という矯正を行っているという。何故かといえばサウスポーが有利であると、一般的に喧伝されていることによる。
中世、北タイの陶工も矯正してサウスポーで仕事したのであろうか?。このようなことを研究している、専門家はいないのであろうか?。