世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

バラバラになったシーサッチャナーライの人物肖形と縄文土偶

2019-01-30 07:38:23 | 古代と中世

シーサッチャナーライの人物や動物の肖形物は、ツカタ(ตุ๊กตา人形)窯で16世紀頃に焼成されたと云われている。青磁、白磁、白濁釉、鉄釉、黒褐釉を基に鉄絵や掛分け等幅広い。

関千里氏はその著書の中で、人物や動物肖形は、精霊信仰との関りの中で生まれた祈りの造形ではないか。この背景には、精霊信仰と結びついたインドラ神信仰や中国の山岳信仰の影響もあるという・・・と記す。更に、タイ社会のアミニズムの体系には『ピー』の他に『クワン』という生霊の観念が認められている。人間の成長に伴う過程で生霊に祈願する儀礼が行われ、その考え方は穀物、家畜にまで及んでいる。中でも稲には人間と同様に最も精霊が宿っていると信じられてきた。陶人形や小動物も、この生霊とかかわっているようにも思う・・・と記されている。

(京都・北嵯峨 敢木丁(カムラテン)コレクション)

しかし人物肖形は完品もさることながら、頸と胴が離れて出土している事例が多々存在する。それは故意に頸を折ったとしか思われない。雲南の佤(ワ、北タイでルワ、ラワないしはワー)族には、つい最近まで豊穣や戦勝を祈願する首狩りが存在した。この陶人形も、そのような儀礼に由来したのであろうか・・・とすれば、首を狩られた人物肖形は、豊穣を願った地主や農民の身代りであったろうと、関千里氏は想定しておられる。

このような見方に対して、意見を述べる知識を持たないが鳥越憲三郎氏は、佤族は倭族と定義付けておられる。何やら語呂合わせに感じなくもなく、この説には与しない。しかし、チェンマイ郊外のルワ族は水牛儀礼を行なう。それは弥生期の倭人も行っており、何らかの類似関係を思わせるが、その先に論を進める知識を持たない。

バラバラの人物肖形に似た話が、我が日本にも存在する。時代は大幅に遡り縄文の話である。それは壊れた状態で出土する縄文土偶である。壊すことで災厄を土偶に転嫁する儀礼的行為であろうか。

(山形県立博物館HPより)

これは食べ物の起源と、豊穣の神話に関する儀礼行為とみられる。『古事記』に登場する大気都比売が須佐之男命に、体の穴から食べ物を出して馳走したが、須佐之男命にその場面を見られ、穢れたものを食べさせたと、殺さればらばらにされた。そのばらばらになった体から、麦などの穀物が生えて来た・・・とある。

これら2つの話には大きな時代差が存在する。尚且つ、縄文土偶と須佐之男神話の関連も明らかではない。それを承知で牽強付会すると、やはり儀礼の場でばらばらにされたと思わざるを得ない。それが豊穣祈願であるのか? 土偶は必ずしも頭と胴がバラバラではなく、同じ胴体で手足がばらばらになっている事例も存在する。体の悪い部分・病気の部分を分離して祈願したのか? あくまでも推測の域を出ないものの、古代から中世まで広い範囲で共通のアミニズム的土壌が存在したであろうか?・・・謎は尽きない。

<了>