またまた字面の多さと、古い話で恐縮である。以下は今から10年前の2009年頃に考えていたことで、当時スコータイ朝やランナー朝下の北タイ諸窯の操業開始時期に興味をもっていたころの話である。その一つが下に紹介する文献資料からの調査で、今となってはその操業開始の陰に、モン(MON)族が介在している可能性が大きいと考えるが、2009年当時はそのようなことは考えてもいなかった。以下、当時考えていたことを修正せずに紹介したい。
過去から内外の先達によりタイ諸窯、なかでもスコータイ、シーサッチャナーライ窯を中心にサンカンペーン窯の始まりについて言及されてきた。要旨は南宋や金後期から元、明初期の磁州窯、景徳鎮窯、龍泉窯の直接的、間接的な影響により、創始されたとの説である。またベトナムの安南諸窯の影響を受けたとも述べられている。
サンカンペーン窯の創業が突然彼の地で発生したとは考えられず、その周辺の影響を受けてのことであろうとの思いより、当時のランナー王国と周辺諸国との関係等について調べてきた。しかし、ランナー王国成立過程と周辺諸国との関係をみても、諸国間の侵略や紛争、朝貢記事が主体で、わずかに交易にかんすることが記述され、タイ諸窯の創始については、「タイの年代記」に部分的に記載されているにすぎない。
その年代記についてであるが、チェンマイ年代記は、貝葉の束にして7束本が1806年に、8束本が1828年に完成した。ランナーー朝初代のメンライ王の事績についていえば、500年後に編纂されたものである。
一方、アユタヤ王朝年代記なるものも存在する。その最古本は1640年にオランダ語に翻訳されたもので、年代は書かれていないという。タイ語の最古本はルワン・プラスート本と呼ばれ、1680年の成立といわれているが、王の徳を強調する内容で、アユタヤ王朝(1351-1767)以前の歴史については記述がない。
このアユタヤ王朝年代記に限らず、その成立過程ではチャムラと呼ぶ校訂が行なわれたと云われており、意図的かどうかは別にして、不確かな情報が紛れ込んでいる可能性がある。またタイ各地に伝承される年代記や伝本をまとめた「タイの年代記集成」なるものも存在する。これはダムロンラーチャヌパープ親王(略称・ダムロン親王 ラーマ5世王の異母弟 1862―1943)の著述で19世紀の編纂と云われている。
先ずこれらの年代記の信憑性である。前述のようにチェンマイ年代記によるメンライ王の記事は、王没後500年後に編纂されたもので、本邦で古事記、日本書記の神武天皇以降10代天皇までの事績のみならず、実在さえも議論の対象になっているのと、同じような位置付けの年代記と考えたほうが妥当とも思われる。つまりこのことを考慮しながら考察する必要がある。
<続く>