世界の街角

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文献による北タイ諸窯創始説について(3)

2019-02-19 07:54:37 | 北タイ陶磁

<続き>

元史をみると、後述するランナー王国と違い、スコータイ王国と元朝は友好関係にあったと思われる。それは前回(文献による北タイ諸窯創始説について・2)の各本紀や列伝に記述されている内容の多くが、遣使や朝貢に関することから、伺うことができる。

その遣使、朝貢は13世紀末から14世紀初めにかけての記事である。考古学上のスコータイ、シーサッチャナーライ窯開始時期との関係はどうであろうか。

世界陶磁全集16巻「南海」には、プジョン・チャンタウェイ氏が「タイの陶磁」と題して寄稿しておられるが、スワンカーロク陶磁は中国の影響を受けているという。それは・・・

1.    端反りの青磁皿などで、元時代の龍泉窯で焼造されたものに似ており、玉壷春瓶や瓢形瓶もそのようだと指摘している

2.    文様への影響は、蓮花文様で蓮の種類や形式は元青磁に施された蓮花文様と同じであると指摘している

それは、スコータイ時代に製陶の技術を教えるためにタイ国へやってきた中国人陶工によって、これらのやきものが焼造されたことを示唆しているようである。・・・と指摘している。

また、スワンカーロク陶磁はベトナムの影響も指摘している。見込みに花文様を釉下鉄絵の技法で描いた白釉陶の形式と文様にとくに著しくあらわれている。ただし、スワンカーロクは安南とは違って、その素地は薄く、高台内には褐色の鉄銹を塗っていない。スワンカーロクが安南に似ているということは、ベトナムの陶工が生活費をかせぐためにスコータイにやってきたことを物語るかもしれない。

この記事は必ずしも、陶窯の開始時期について述べている訳ではないが、その関連について記述しており転載した。

スコータイ、シーサッチャナーライ両窯についての見識を筆者は持たないが、考古学上の発掘にて、その創始時期は確定しているものと思われる。したがってタイの年代記集成の記述内容の証明は、考古学上の事例を積上げる必要があり、単に焼造された陶磁の器形、文様の類似性のみならず、陶窯の構造や窯道具迄含めた、体系的な考察が求められる。

 

<続く>