過去の話で恐縮である。現在(2010年6月)、遅ればせながら1988年出版の「NHK海のシルクロード:全6巻」を読んでいる。その第4巻は中国と中近東のほぼ中間に位置するスリランカの論考である。これを読みながら触発された訳ではないが、1999年4月にバンコクのパンダ・バスツアー社に申し込み、タイ正月に、4泊5日の予定でスリランカへ旅行したことを思い出した。その旅行後、簡単に概要をまとめていたが、それを紛失したままになっており、今回思い出しながら、まとめ直してみた。
1999年4月10日
BKK19:50発のAir Lanka(1999年からスリランカ航空に名称変更したが、4月はまだエアー・ランカであった)に搭乗するため、当日の午後CNXを出発しBKK・ドンムアン空港にて、ツアーに同行する5人と合流し合計7人のツアーとなった。
コロンボの北30kmほどの国際空港に22時前に着陸し、入国審査後コロンボの宿泊先にマイクロバスで到着したのは夜12時近くであった。宿泊したホテル名は記憶になく、ホテルの名刺等の印刷物も持ち帰っておらず不明である。
4月11日
ビュッフェを摂っていると、隣から日本語が聞こえてくる。先方は2人であったが、その先方から声がかかり、企業の駐在員かとの質問である。旅行者であると応え、短いながらも話をすると、先方はコロンボ日本人学校の先生とのことだった。後刻アヌラーダプラへ向う車中からYKK等の日系企業の工場が見える地点を通過した。当時当該ブロガーはタイ北部工業団地内の日系に勤務していたが、生活環境はコロンボのほうが厳しそうである。日本人がそう多くもない当地での勤務はご苦労なことである。
日本語ガイド氏の名前は忘れた、それなりの日本語をはなす高身長の青年であった。彼は今日から最終日まで同行してくれることになっている。今日は北部のアヌラーダプラへ行く予定である。当時そこから北は、LTTE(タリームイーラム解放の虎)の勢力圏で危険であるとのこと。
3時間弱走ったであろうか、人造湖が幾つもあり、大きなストゥーパがある一画に着いた。アヌラーダプラである。シンハラ人の先祖がインド北部からこの島に移り住んできたのは前5世紀のことである。以来、10世紀まで都はアヌラーダプラにおかれた。この人造湖を望むレストランにて昼食だったが、何を食べたのか覚えていない。人造湖を望み、ヤシの木が散在する周囲の田園風景が、好印象として残っている。
スリランカに仏教が渡来したのは前307年、アショーカ王の息子マヒンダ王子によって伝えられたことにはじまる。インドで仏教が誕生したのが前5世紀頃なので仏教誕生後、早い段階で伝来したことになる。
中国僧法顕は当地のアバヤギリ大僧院で修行した。399年法顕は64歳の高齢で長安を旅たち、陸路シルクロードを経由してインドに至り、7年の修行ののち、スリランカに立ち寄り、「海のシルクロード」にて帰国したが、法顕はこの僧院で2年間修行した。このアバヤギリ大僧院を見学したかどうか記憶がないが、写真のスリ・マハ菩提樹は記憶に残っている。
二千数百年もたっている(?)とのことなので、老木でさぞ大きいものと考えていたが、実に細い。直径30cmもあろうかと思われるほど細い。前3世紀にインド・ブッダガヤの菩提樹の分け枝が、アショーカ王の王女であるサンガミッタによりもたらされた。それが世界最古といわれるこの菩提樹である。
マイクロバスに向って歩いている途中、子供が小遣い銭せびりに付きまとう。周囲には当地の猿が大勢いる。30度以上と気温が高いので、その猿の動作も緩慢で、こちらも気だるさを感ずる。
10世紀末、アヌラーダプラは、南インドのチョーラ朝の侵略によって滅ぶ。そしてチョーラ朝は都をアヌラーダプラから南東へ100kmのポロンナルワへ移した。マイクロバスはポロンナルワへ向けて走り出したが、20分も走ったであろうか、本日の宿泊先に着いた。ホテルの名前はコロンボ同様覚えていないが、コテージタイプのホテルであった。
<続く>