ヒンズーの理想都市のあり方を記した書物として、マウリヤ朝を創始したチャンドラグプタ王(前317-293年頃)を助けた、名宰相カウティリヤが書いたとされる『アルタシャーストラ(実利論)』がある。
その『アルタシャーストラ』には、第2巻第3章『城塞の建設』、第4章『城塞都市の建設』が記されている。それを基に、応地利明氏は都城の形態と構成を以下の如く復元した。それによると、都城の中心は神殿(寺院)であり、その北東に王宮があると云う。---(1)
その都城を囲む環濠と城郭内には、東西南北に三大路が走る。東西南北の各面に3つの城門を持っている。
写真はグーグル・アースから借用した、チェンマイの現在の衛星写真である。メンライ王建国当時、都城の中央にサデゥ・ムアング寺(現在のチェデイルアン寺)、サオ・インターキン(国の御柱)、その北東にチェンマン寺(王宮併設)を建立したという。
これは応地利明氏の先の中央神域の構成図そのものである。但しチェンマイ都城は東、北、西面に一門、南面に二門と城門の数は合計五門、さらには南北軸(東西軸)が僅かに傾いており、全く同一ではないが、その構成理論を具現化したものと考えられる。
いきなりチェンマイ都城について言及したが、理解しやすい事例から見ていきたい。
アンコール最後の都城であるアンコール・トムは、約3km四方の都城で約8mの城壁、幅100mの濠によって囲われている。十字路によって正方形の都城がほぼ均等に分割されている。正方形の東西南北の各面中央に門を持ち、東西、南北直交する十字路の交点に、中央神殿バイヨン配するアンコール・トムの基本設計理念を『アルタシャーストラ』に求めたことは間違いない。
バイヨンはサンスクリットで山を意味する『ギリ』の名でも呼ばれ、山岳を象徴する寺院である。ヒンズー教、仏教のコスモロジーに基づいてバイヨンは、この世界の中心山岳メール山を象徴しているのである。メール山頂上の平頂面には、宇宙創造神のブラフマンを含め神々の座が所在する。バイヨン寺院は、この神々の神聖な座を象徴するものである。
さらにヒンズー教のコスモロジーでは、メール山を真ん中にして四囲を正方形に四つの山脈が走っている。その四山脈にあたるのが、正方形の京域を囲む切石で構築された、高さ8mの壁である。それを取り巻いて環濠がある。
このようにアンコール・トムの構成は『アルタシャーストラ』が説く理想的な都市であると理解することができる。ただ、特徴となるのは、東門の北にもう一門、計五門あることである。
スコータイは、東西2.6km、南北約2kmの矩形をしている。三つの環濠に囲まれた東南北の各面に城門が各一門、西には二門の合計五門が配されている。東と北門は面のほぼ中央に配置されているが、南門は東に寄っている。アンコールで見たように、中央に神域を持ち東西南北の中央に門を持つ単純な形をみることはできない。
中央部分の東に王宮が、西にはワット・マハタート(仏舎利寺院)と呼ばれる最も格式の高い寺院が並んで配置している。そして東門と北門から二つの道の交差部分に、ラック・ムアン(国の御柱)が建っている。
ラック・ムアンはヒンズーあるいは仏教のコスモロジーの中心メール山を象徴し、アンコール朝衰退期の13世紀ころからは、バイヨン寺院に代って建設され始めたと云われる。
都城の中心には、中心寺院とともに王宮が置かれている。つまり王権と教権のシンボルである両施設が、対等の関係で都城の核を構成していることになる。教権を表すバイヨン寺院が『中央神域』としてそびえ、それに王宮が従属していたアンコール・トムとは異なった空間構成であるが、王権はなお教権を凌駕するに至っていない。・・・として、ヒンズーの都市理念により、構築されたと布野修司氏は云う。---(2)
尚、スコータイ都城は南北軸(東西軸)に対し、僅かに西方にずれている。チェンマイ都城が東方にずれているのと対照的である。
話は戻るが、アンコール・トムのようなヒンズー寺院は、天上から降下し、人々のもとに親しく来臨する神の宿る空間、すなわち地上における神の『家』であり、同時にまた神と信者が交流する空間でもある。ヒンズー寺院には『マンダラ』『プルシャ』『宇宙軸』といった、インド文明の鍵となる重要なシンボルが複雑に重層している。
『ヴァーストウ・シャーストラ』という名称で、一般的にインド風水と呼ぶ一連の建築書がある。冒頭紹介した『アルタシャーストラ』と関連を持つ。そのヴァーストウ・シャーストラの内容や、それぞれの項目の配置は、文献によって多少の異同はあるが、ほぼ共通して、寺院や家屋や王宮を建築する際の、敷地の選択の基準や、寸法のシステム、部材の種類や工法、建築物の分類、さらに地鎮祭をはじめとする建築儀礼の次第などを記している。---(2)
この小倉泰氏の記事には、寺院や王宮について記述され、都城については言及されていないが、所謂インド風水には都城建設についても、対象に含まれていると解釈している。
そのヴァーストウ・シャーストラには、『ヴァーストウ・プルシャ・マンダラ』という図形について記述されている。これは、まず地鎮祭儀礼のなかで地面に描かれる図形であるが、同時に寺院の平面設計の基礎となる図形でもある。その名前から明らかなように、ヒンズー寺院の二次元空間の構成理念と、インド独特の宗教図形であるマンダラの観念との密接な関連を示している。
ヴァーストう・プルシャ・マンダラとは、建築用地を正方形にとり、その正方形を各辺9、すなわち合計81区画に分割される。そして分割されたそれぞれの区画に、それぞれ固有の神格が勧進される。---(2)
中央の9区画には宇宙の創造主であるブラフマーが宿り、これを中心にして、東側のアリヤマン(太陽神)以下8柱の神々が宿る区画が囲んでいる。これらの神々は太陽の進行を表しているという。そして正方形の最も外側の区画には、それぞれ北東隅のアグニ以下の32柱の神々が宿っている。これらは、それぞれの方角を守護する神々や星宿の神である。従って上の図形は大宇宙の姿を模したものということになる。---(2)
このヴァーストウ・プルシャ・マンダラには、この図形の名称の由来となっているヴァーストウ・プルシャがうつぶせに横たわっている。プルシャは人とか男を意味しており、土地に宿る精霊のようなものと考えていいが、その身体のそれぞれの部位の上には、ヴァーストウ・プルシャ・マンダラに宿る神々が位置している。
例えば、頭にはアグニ(火神)が、口にはアーパス(水の女神)という具合である。つまり、ヴァーストウ・プルシャ・マンダラとは、建設用地の上にうつぶせに横たわるヴァーストウ・プルシャの身体の上に神々が乗って、これを押さえつけている姿を表していることになる。
ヴァーストウ・プルシャは、原初の天と地を身体で覆っていた一種の魔物であり、それを神々たちが捕えて、うつ伏せに組み敷き、それぞれの神が魔物の身体のそれぞれの部位を押さえつけると、創造主はこれをヴァーストウ・プルシャという土地を守護する一種の精霊をなしたという。この魔物が原初のカオスを象徴していると考えれば、ヴァーストウ・プルシャ・マンダラという図形は、神々がカオスを統御することによって秩序づけられた空間が創世された、という太古の神話的出来事を視覚化したものといえる。そしてヴァーストウ・プルシャを含むこの図形は、仏教寺院に描かれているようなマンダラと同じく、大宇宙の模式図としての性格をもっている。
この図形が実際の建物の敷地の上にも描かれるということは、寺院の平面という二次元空間がそれ自体、大宇宙の縮図であることを意味している。後代のヴァーストウ・シャーストラは、この図形をあたかも方眼紙の設計グリットのように用いて、平面設計を行う手順を具体的に記している(所謂インド風水)。---(2)
中央は記載されていないが、ケートゥ(計都)で何やら中国の九曜、所謂宿曜道より派生した中国風水と同じではないか・・・との印象をもつ。
以上、縷々長々と記述してきたが、アンコール、スコータイ、チェンマイの都城建設にあたっての根本思想はインド思想であったことを説明してきた。しかしそれでは説明のつかない不可思議な点がある。
応地利明氏によればアルタシャーストラは、理想的な都城として各方位3門を持つ姿で復元しておられる。忠実に具現化していると思われるアンコールは、それに対し1門であるが、なぜか東辺のみ2門である。同様なことはスコータイやチェンマイでも発生している。
またスコータイは東西軸に対して僅か西方にずれており、チェンマイは東方に僅かにずれている。これらの点は何を物語るのか、文献は何も示していない。
しかし、これはチェンマイで発刊されている日本語情報誌『CHAO』225号の記事を参考に、当該ブロガーの勝手な推測だが、各地に2門設置された方位が、インド風水で鬼門に相当すると考えられ、その鬼門封じというか鬼門避けのための2門だと、想定している。また僅かの方位のずれは、CHAO225号記載のとおり、運気の通りを良くするためのものと考えられる。
参考文献
1)インドと中国―それぞれの文明の『かたち』 応地利明 2012年2月イスラム世
界研究 第5巻所収
2)ヒンズー寺院のシンボリズム 小倉泰 東洋美術全集 インド(2)所収
3)曼荼羅都市 布野修司 京都大学学術出版会刊
4)CHAO 225号 2012年08月25日発行
5)CHAO 039号 2004年11月25日発行
6)http://chandash21.astro459.com/
7)http://www.geocities.jp/goldeneggfamily4/details1014.html
その『アルタシャーストラ』には、第2巻第3章『城塞の建設』、第4章『城塞都市の建設』が記されている。それを基に、応地利明氏は都城の形態と構成を以下の如く復元した。それによると、都城の中心は神殿(寺院)であり、その北東に王宮があると云う。---(1)
その都城を囲む環濠と城郭内には、東西南北に三大路が走る。東西南北の各面に3つの城門を持っている。
写真はグーグル・アースから借用した、チェンマイの現在の衛星写真である。メンライ王建国当時、都城の中央にサデゥ・ムアング寺(現在のチェデイルアン寺)、サオ・インターキン(国の御柱)、その北東にチェンマン寺(王宮併設)を建立したという。
これは応地利明氏の先の中央神域の構成図そのものである。但しチェンマイ都城は東、北、西面に一門、南面に二門と城門の数は合計五門、さらには南北軸(東西軸)が僅かに傾いており、全く同一ではないが、その構成理論を具現化したものと考えられる。
いきなりチェンマイ都城について言及したが、理解しやすい事例から見ていきたい。
アンコール最後の都城であるアンコール・トムは、約3km四方の都城で約8mの城壁、幅100mの濠によって囲われている。十字路によって正方形の都城がほぼ均等に分割されている。正方形の東西南北の各面中央に門を持ち、東西、南北直交する十字路の交点に、中央神殿バイヨン配するアンコール・トムの基本設計理念を『アルタシャーストラ』に求めたことは間違いない。
バイヨンはサンスクリットで山を意味する『ギリ』の名でも呼ばれ、山岳を象徴する寺院である。ヒンズー教、仏教のコスモロジーに基づいてバイヨンは、この世界の中心山岳メール山を象徴しているのである。メール山頂上の平頂面には、宇宙創造神のブラフマンを含め神々の座が所在する。バイヨン寺院は、この神々の神聖な座を象徴するものである。
さらにヒンズー教のコスモロジーでは、メール山を真ん中にして四囲を正方形に四つの山脈が走っている。その四山脈にあたるのが、正方形の京域を囲む切石で構築された、高さ8mの壁である。それを取り巻いて環濠がある。
このようにアンコール・トムの構成は『アルタシャーストラ』が説く理想的な都市であると理解することができる。ただ、特徴となるのは、東門の北にもう一門、計五門あることである。
スコータイは、東西2.6km、南北約2kmの矩形をしている。三つの環濠に囲まれた東南北の各面に城門が各一門、西には二門の合計五門が配されている。東と北門は面のほぼ中央に配置されているが、南門は東に寄っている。アンコールで見たように、中央に神域を持ち東西南北の中央に門を持つ単純な形をみることはできない。
中央部分の東に王宮が、西にはワット・マハタート(仏舎利寺院)と呼ばれる最も格式の高い寺院が並んで配置している。そして東門と北門から二つの道の交差部分に、ラック・ムアン(国の御柱)が建っている。
ラック・ムアンはヒンズーあるいは仏教のコスモロジーの中心メール山を象徴し、アンコール朝衰退期の13世紀ころからは、バイヨン寺院に代って建設され始めたと云われる。
都城の中心には、中心寺院とともに王宮が置かれている。つまり王権と教権のシンボルである両施設が、対等の関係で都城の核を構成していることになる。教権を表すバイヨン寺院が『中央神域』としてそびえ、それに王宮が従属していたアンコール・トムとは異なった空間構成であるが、王権はなお教権を凌駕するに至っていない。・・・として、ヒンズーの都市理念により、構築されたと布野修司氏は云う。---(2)
尚、スコータイ都城は南北軸(東西軸)に対し、僅かに西方にずれている。チェンマイ都城が東方にずれているのと対照的である。
話は戻るが、アンコール・トムのようなヒンズー寺院は、天上から降下し、人々のもとに親しく来臨する神の宿る空間、すなわち地上における神の『家』であり、同時にまた神と信者が交流する空間でもある。ヒンズー寺院には『マンダラ』『プルシャ』『宇宙軸』といった、インド文明の鍵となる重要なシンボルが複雑に重層している。
『ヴァーストウ・シャーストラ』という名称で、一般的にインド風水と呼ぶ一連の建築書がある。冒頭紹介した『アルタシャーストラ』と関連を持つ。そのヴァーストウ・シャーストラの内容や、それぞれの項目の配置は、文献によって多少の異同はあるが、ほぼ共通して、寺院や家屋や王宮を建築する際の、敷地の選択の基準や、寸法のシステム、部材の種類や工法、建築物の分類、さらに地鎮祭をはじめとする建築儀礼の次第などを記している。---(2)
この小倉泰氏の記事には、寺院や王宮について記述され、都城については言及されていないが、所謂インド風水には都城建設についても、対象に含まれていると解釈している。
そのヴァーストウ・シャーストラには、『ヴァーストウ・プルシャ・マンダラ』という図形について記述されている。これは、まず地鎮祭儀礼のなかで地面に描かれる図形であるが、同時に寺院の平面設計の基礎となる図形でもある。その名前から明らかなように、ヒンズー寺院の二次元空間の構成理念と、インド独特の宗教図形であるマンダラの観念との密接な関連を示している。
ヴァーストう・プルシャ・マンダラとは、建築用地を正方形にとり、その正方形を各辺9、すなわち合計81区画に分割される。そして分割されたそれぞれの区画に、それぞれ固有の神格が勧進される。---(2)
中央の9区画には宇宙の創造主であるブラフマーが宿り、これを中心にして、東側のアリヤマン(太陽神)以下8柱の神々が宿る区画が囲んでいる。これらの神々は太陽の進行を表しているという。そして正方形の最も外側の区画には、それぞれ北東隅のアグニ以下の32柱の神々が宿っている。これらは、それぞれの方角を守護する神々や星宿の神である。従って上の図形は大宇宙の姿を模したものということになる。---(2)
このヴァーストウ・プルシャ・マンダラには、この図形の名称の由来となっているヴァーストウ・プルシャがうつぶせに横たわっている。プルシャは人とか男を意味しており、土地に宿る精霊のようなものと考えていいが、その身体のそれぞれの部位の上には、ヴァーストウ・プルシャ・マンダラに宿る神々が位置している。
例えば、頭にはアグニ(火神)が、口にはアーパス(水の女神)という具合である。つまり、ヴァーストウ・プルシャ・マンダラとは、建設用地の上にうつぶせに横たわるヴァーストウ・プルシャの身体の上に神々が乗って、これを押さえつけている姿を表していることになる。
ヴァーストウ・プルシャは、原初の天と地を身体で覆っていた一種の魔物であり、それを神々たちが捕えて、うつ伏せに組み敷き、それぞれの神が魔物の身体のそれぞれの部位を押さえつけると、創造主はこれをヴァーストウ・プルシャという土地を守護する一種の精霊をなしたという。この魔物が原初のカオスを象徴していると考えれば、ヴァーストウ・プルシャ・マンダラという図形は、神々がカオスを統御することによって秩序づけられた空間が創世された、という太古の神話的出来事を視覚化したものといえる。そしてヴァーストウ・プルシャを含むこの図形は、仏教寺院に描かれているようなマンダラと同じく、大宇宙の模式図としての性格をもっている。
この図形が実際の建物の敷地の上にも描かれるということは、寺院の平面という二次元空間がそれ自体、大宇宙の縮図であることを意味している。後代のヴァーストウ・シャーストラは、この図形をあたかも方眼紙の設計グリットのように用いて、平面設計を行う手順を具体的に記している(所謂インド風水)。---(2)
中央は記載されていないが、ケートゥ(計都)で何やら中国の九曜、所謂宿曜道より派生した中国風水と同じではないか・・・との印象をもつ。
以上、縷々長々と記述してきたが、アンコール、スコータイ、チェンマイの都城建設にあたっての根本思想はインド思想であったことを説明してきた。しかしそれでは説明のつかない不可思議な点がある。
応地利明氏によればアルタシャーストラは、理想的な都城として各方位3門を持つ姿で復元しておられる。忠実に具現化していると思われるアンコールは、それに対し1門であるが、なぜか東辺のみ2門である。同様なことはスコータイやチェンマイでも発生している。
またスコータイは東西軸に対して僅か西方にずれており、チェンマイは東方に僅かにずれている。これらの点は何を物語るのか、文献は何も示していない。
しかし、これはチェンマイで発刊されている日本語情報誌『CHAO』225号の記事を参考に、当該ブロガーの勝手な推測だが、各地に2門設置された方位が、インド風水で鬼門に相当すると考えられ、その鬼門封じというか鬼門避けのための2門だと、想定している。また僅かの方位のずれは、CHAO225号記載のとおり、運気の通りを良くするためのものと考えられる。
参考文献
1)インドと中国―それぞれの文明の『かたち』 応地利明 2012年2月イスラム世
界研究 第5巻所収
2)ヒンズー寺院のシンボリズム 小倉泰 東洋美術全集 インド(2)所収
3)曼荼羅都市 布野修司 京都大学学術出版会刊
4)CHAO 225号 2012年08月25日発行
5)CHAO 039号 2004年11月25日発行
6)http://chandash21.astro459.com/
7)http://www.geocities.jp/goldeneggfamily4/details1014.html
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます