<続き>
紀元前からの環濠集落を引続き紹介する。シーテープ遺跡は巨大な環濠集落である。下は高度4010mからの衛星写真で、このような広大な環濠集落は日本には存在しない。
シーテープはタイ中部から東北部への交通の要衝である。左側の円形部分が紀元前に築造されたが、ドヴァラバティーの時代に東の方形部分が拡張された。この方形に関しては、ドヴァラバティー時代に西方インドの都城建設思想である「アルタシャーストラ」が伝来し、それに従ったものと思われる。
遺跡からドヴァラバティー時代に作られたビシュヌ、シバ、クリシュナほか多くのヒンズー神像や石造の法輪も出土している。
環濠遺跡の北西郊外には、巨大な仏塔遺跡のカオクランノックが建立された。この仏塔は一辺100mほどのラテライトによる3段の方形基盤の上に、ボロブドゥールの仏塔のような巨大な釣鐘形をしいた煉瓦造りの頂部が載っていた。このような巨大環濠と巨大な宗教施設を建造できる富が蓄積されていたことになる。
同じように紀元前から、ドヴァラヴァティー時代に渡って続いた環濠集落に、スパンブリー県のウートン遺跡がある。
規模はシーテープ環濠集落には及ばないが、大規模である。ドヴァラバティー時代にはタイ湾の湾岸であったと云う。紀元前の時代からベトナム南部との交易を証明する遺物が出土している。
次回からモン族が築いた環濠集落を紹介したい。このモン族がタイの陶磁生産に大きく関わっていると考えており、その形状や規模、分布に興味を持っている。
<参考文献>
鹿児島大学法文学部紀要所収:東南アジアの都市形成とその前提・新田栄治著
<続く>
紀元前からの環濠集落を引続き紹介する。シーテープ遺跡は巨大な環濠集落である。下は高度4010mからの衛星写真で、このような広大な環濠集落は日本には存在しない。
シーテープはタイ中部から東北部への交通の要衝である。左側の円形部分が紀元前に築造されたが、ドヴァラバティーの時代に東の方形部分が拡張された。この方形に関しては、ドヴァラバティー時代に西方インドの都城建設思想である「アルタシャーストラ」が伝来し、それに従ったものと思われる。
遺跡からドヴァラバティー時代に作られたビシュヌ、シバ、クリシュナほか多くのヒンズー神像や石造の法輪も出土している。
環濠遺跡の北西郊外には、巨大な仏塔遺跡のカオクランノックが建立された。この仏塔は一辺100mほどのラテライトによる3段の方形基盤の上に、ボロブドゥールの仏塔のような巨大な釣鐘形をしいた煉瓦造りの頂部が載っていた。このような巨大環濠と巨大な宗教施設を建造できる富が蓄積されていたことになる。
同じように紀元前から、ドヴァラヴァティー時代に渡って続いた環濠集落に、スパンブリー県のウートン遺跡がある。
規模はシーテープ環濠集落には及ばないが、大規模である。ドヴァラバティー時代にはタイ湾の湾岸であったと云う。紀元前の時代からベトナム南部との交易を証明する遺物が出土している。
次回からモン族が築いた環濠集落を紹介したい。このモン族がタイの陶磁生産に大きく関わっていると考えており、その形状や規模、分布に興味を持っている。
<参考文献>
鹿児島大学法文学部紀要所収:東南アジアの都市形成とその前提・新田栄治著
<続く>
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