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各地から出土する鶏冠人面土器が語ること

2021-10-14 08:32:28 | 古代日本

過日、島根県立古代出雲歴史博物館で<企画展>『COME ON 山陰弥生ライフ』なる展示会が開催されていた。各地の博物館からの借り物が多く、写真撮影禁止である。仕方ないので下写真表紙の企画展目録を購入した。その一部の写真を拝借する。

上掲4遺跡から出土した鶏冠人面土器が展示されていた。見るといずれも西日本の弥生遺跡出土品である。東日本の弥生遺跡から出土しているのか、いないのか、その知識を持たない。

おのおのの遺跡から出土した鶏冠人面土器を紹介する。先ず地元・松江市西川津遺跡の鶏冠人面土器から。

松江市西川津遺跡出土 弥生時代前期 出雲古代歴史博物館蔵 常設展の画像

丹後の鶏冠人面土器 京都府与謝町温江遺跡出土 弥生時代前期 出典目録より

讃岐の鶏冠人面土器 香川県鴨部・川田遺跡出土 弥生時代前期 出典目録より

吉備の鶏冠人面土器 岡山県総社市上原遺跡出土 弥生時代前期 出典目録より

これらをみて各位どのような感想をお持ちであろうか。まるで鶏の鶏冠(トサカ)をあたまに被っているように見える。髪型をそのようにしているとも思える。この鶏冠の人物は、弥生時代の線刻絵画土器にも見ることができる。

線刻土器は、その頭部に突起を描く。唐古鍵考古ミュージアムでは、これを鳥装のシャーマンとして想定復元している。本当にそうなのか・・・と云う疑問を持ち続けている。

このことについては、過去にも記事にした。『鳥装の羽人は、本当にシャーマンか?(ココ参照)』を参照願いたい。

つまり、古代の呉越の地に居住した百越の民の習俗ではなかったのか。弥生時代前期に百越の一派が渡来し、西日本各地に住み着いた。その習俗を土器に残したと考えたい。呉越から別の百越の一派が南越や雲南・貴州に移動し、それらの人々が本貫の地である呉越の習俗を残した、あるいは今日も残していると考えている。

尚、『鳥装する鳥巫(ココ参照)』を合わせて御覧頂ければ、幸いである。

<了>



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