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シリーズ⑨:サンカローク陶器博物館:その3

2016-11-01 15:23:55 | 博物館・タイ
<続き>

写真のような焼締め陶が展示されている。これがシーサッチャナーライで、最も古そうである。従ってそれに触れたのち、施釉陶磁を紹介したいと考えている。
(貼花垂飾帯文焼締壺)
灰黒色や灰色の素地をもつ無釉の焼締め陶が、シーサッチャナーライの生産地や住居跡から出土している。この無釉の焼締め陶が、シーサッチャナーライでは最も古いであろうと、云われている。
上写真の貼花垂飾帯文焼締壺は、サンカローク(サワンカローク)陶器博物館の展示品である。シーサッチャナーライの焼締め陶は、一般的に幅広の胴をもち、肩が広くてほぼ平坦で、胴は先細になって平底である。そして筒状の頸の先端はラッパのように開いている。
これと同類と云えそうなスパンブリーのバン・バンプーン窯で焼成された印花象文焼締大壺が、シーサッチャナーライで出土している。その代表的な事例が福岡市美術館の本多コレクションである。本多コレクションの蔵品目録番号234がそれで、年代は14世紀としている。
この類似性をどのように判断すれば良いのであろうか?時代的にはシーサッチャナーライのほうが古そうである。・・・これについては、別途、考察結果を紹介する予定である。
やや横道にそれたので、話を引き戻す。これらの無釉陶は、ワット・チャーンロムの東の旧城内や、バン・コーノイで焼造されたと云われている。特にバン・コーノイでは、高さと幅がそれぞれ1mに及ぶ、焼締めの貯蔵用大壺が焼成された。
バン・コーノイに在るシーサッチャナーライ61番窯博物館で、その実態を知ることができる。以下、61番窯博物館の最下層の窯址、次に焼成されていた大壺の写真を、順次掲載する。
(61番窯博物館)
口縁がラッパ状に開いた壺が、窯址から出土したようで、大型の壺も出土したと思われる。その大型の壺が次の写真である。
(61番窯博物館)
これらのことに直接触れてはいないが、シーサッチャナーライで最も古い古代から中世の都市国家であった、チャリエンについてサンカローク博物館がボードで解説している。

チャリエンと題して以下のように解説されている。ワット・プラ・シー・ラタナー・マハータート、ワット・チョム・チェン、ワット・チャオ・チャンについて1933-1994年の考古学的発掘調査により、そこからはスコータイ王国前期の3-11世紀の遺物が出土した。そこはチャリエンと呼ばれ、ヨム川渓谷の一つの文化的センターであったと云われている。このセンターというか集落について、11世紀とするタイ及び中国側文献に、シーサッチャナーライと呼ぶ地域の古代都市としている。この都市は”ヨーノック年代記”でチャリエンと呼ばれ、それは宋代にChaeng-Lungと呼ばれていた。
シーサッチャナーライの最下層から出土する陶磁は、粗い質感で釉薬の掛りは、不均一であった。
最後の一節は、所謂モン(Mon)陶を云っているのかとも思われるが、無釉焼締陶の自然釉を云っているのか?
いずれにしても、無釉焼締め陶の始まりは、11世紀頃と認識されており(世界陶磁全集巻16南海Page200)、当該陶器博物館の上記解説と齟齬はない。
以上字面ばかり記して恐縮でした。以下、僅かに展示されていた、無釉焼締め陶を紹介して終わりとする。
次回は、所謂モン(Mon)陶を紹介したいと考えている。




                                  <続く>



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