<続き>
●ランナーからの交易陶磁:パーン陶磁(2)
今回は、当該サンカローク陶器博物館に、パーン陶磁として展示されていた、謎の大壺を紹介する。これら謎の大壺については、過去に「魅了する大壺の彷徨える焼成地」と題して11回のシリーズで、当該ブログにUPしてきた。
魅力と共に内外の専門家も様々な焼成地を候補に挙げ、百家争鳴の様子も紹介してきた。その中でバンコク大学付属東南アジア陶磁館だけは、焼成地不詳とキャップションに記している。不詳のものは表示できないとの態度は、立派なものである。前置がながくなった、以下展示品を紹介したい。
キャップションにはパーンと記し、16-17世紀としている。この年代観も14-15世紀と表示している展示施設もあり、まちまちである。文様は、写真では見にくいが、謎の陶磁に頻出する、巻貝の印花文と、滴のような先端が尖った長丸の中に点文をみることができる。肩には紐を親指と人差し指で、挟み込んだような耳が4箇所につき、頸から口縁にかけ喇叭(ラッパ)形状となっている。まさに北タイでみる姿形である。
これもまた巻貝の印花文をもつ双耳壺で、2色の掛け分け釉で装飾している。口縁もまた北タイでみる盤口タイプである。
これも最初と同じ耳が4箇所についている。これら3点は、日本で云えば重文級である。
当該陶器博物館は、これらがパーンであるという根拠を何ら示していない。そして当該ブロガーの浅薄な知識で云えば、パーン陶磁で2色の掛け分けをみた記憶がなく、窯址の陶片にもそのような掛け分けや、印花文をみた経験がない(但しこれもいい加減な私見であるが・・・)。
アデレード大学のドン・ハインはラオと比定しているが、北ラオスの窯址から、このような陶片は出土していない。
関千里氏も産地が定まらないようだが、その著書「ベトナムの皇帝陶磁」でパーンと記述しておられる。その根拠を伺いたいものだが、その出所は当該陶器博物館の、この展示によるものかと、勝手に勘繰っている。いずれにしても、若く新進気鋭の学者に追及して欲しい、大きなテーマである。
当該ブログの写真は、各博物館や美術館で撮影許可されたものを掲載しています。従いまして全て無断転用可能です。各位の学習や研究に役立てば幸甚です。
<続く>
●ランナーからの交易陶磁:パーン陶磁(2)
今回は、当該サンカローク陶器博物館に、パーン陶磁として展示されていた、謎の大壺を紹介する。これら謎の大壺については、過去に「魅了する大壺の彷徨える焼成地」と題して11回のシリーズで、当該ブログにUPしてきた。
魅力と共に内外の専門家も様々な焼成地を候補に挙げ、百家争鳴の様子も紹介してきた。その中でバンコク大学付属東南アジア陶磁館だけは、焼成地不詳とキャップションに記している。不詳のものは表示できないとの態度は、立派なものである。前置がながくなった、以下展示品を紹介したい。
キャップションにはパーンと記し、16-17世紀としている。この年代観も14-15世紀と表示している展示施設もあり、まちまちである。文様は、写真では見にくいが、謎の陶磁に頻出する、巻貝の印花文と、滴のような先端が尖った長丸の中に点文をみることができる。肩には紐を親指と人差し指で、挟み込んだような耳が4箇所につき、頸から口縁にかけ喇叭(ラッパ)形状となっている。まさに北タイでみる姿形である。
これもまた巻貝の印花文をもつ双耳壺で、2色の掛け分け釉で装飾している。口縁もまた北タイでみる盤口タイプである。
これも最初と同じ耳が4箇所についている。これら3点は、日本で云えば重文級である。
当該陶器博物館は、これらがパーンであるという根拠を何ら示していない。そして当該ブロガーの浅薄な知識で云えば、パーン陶磁で2色の掛け分けをみた記憶がなく、窯址の陶片にもそのような掛け分けや、印花文をみた経験がない(但しこれもいい加減な私見であるが・・・)。
アデレード大学のドン・ハインはラオと比定しているが、北ラオスの窯址から、このような陶片は出土していない。
関千里氏も産地が定まらないようだが、その著書「ベトナムの皇帝陶磁」でパーンと記述しておられる。その根拠を伺いたいものだが、その出所は当該陶器博物館の、この展示によるものかと、勝手に勘繰っている。いずれにしても、若く新進気鋭の学者に追及して欲しい、大きなテーマである。
当該ブログの写真は、各博物館や美術館で撮影許可されたものを掲載しています。従いまして全て無断転用可能です。各位の学習や研究に役立てば幸甚です。
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