過日、北タイの幟であるトゥンの役割や、日本古代の幟・幡(旗)の役割を探ってきた。下に掲載したブログテーマをクリックして頂ければ、それらの内容を再確認して頂ける。
これらは、今回のテーマである『竹原装飾古墳の三角文様は旗なのか?』についての実に長いプロローグであった。竹原古墳とは福岡県若宮市に在る装飾古墳で築墳年代は、6世紀後半と云われている。下に古墳壁画(奥壁)の模写図とパンフレットを掲げておく。
ここで今回のテーマは、パンフレットの『⑤連続三角文』である。パンフレットの解像度が低く、読みにくいとは思うが「赤と黒の三角形が縦に並んで旗のようにみえるよ」と記されている。
この連続三角文の謎解きである。誰かと云う記載は避けるが、某著名学者によれば、これは幾何学文であるとの表現で終わりである。流石に金関丈夫氏は、「右側の赤と黒の三角形。棒の上の方がわずか内側に曲がっている。これは風になびく旗なのか、それとも幾何学文か。」・・・と記されている。
上掲の2つのブログを御覧になった方は、やや曲がった線(旗竿か?)に並ぶ5つの赤・黒の三角文。これは旗で『死者の葬送に関して聖なる空間を示し、かつ死者の魂の依代』を示すであろうと、お気付きになられた方が多いと考える。
しかし、問題がないわけではない。この三角形が旗を示しいているかどうか・・・である。『日本書紀 巻第一神代上 一書(あるふみ)第五』のイザナミは、以下のように記るされている。紀伊国の熊野の有馬村に葬った。そのとき鼓・笛・旗をもって歌舞してお祭りする・・・と。残念ながら、一書第五はこれ以上語らず、この旗がどのような旗なのか不明である。従ってこの三角旗が、『死者の葬送に関して聖なる空間を示し、かつ死者の魂の依代』を示すかどうか確証はない。しかしながら、7ー8割程度の確率でそうであろうと考えている。
ここで、連続の三角文であるが、これを鋸歯文と呼ぶ。この鋸歯文自体が辟邪文様である。
(国宝 加茂岩倉 23号銅鐸 古代出雲歴史博物館にて)
銅鐸の鰭に相当する部分に連続の文様が刻まれている。これが鋸歯文で辟邪文様である。弥生や古墳時代の人々は自然の営みと共に生きていた。万物には霊が宿ったのである。その悪霊を避けるための辟邪文は、古代人必須のアイテムだったのである。
鋸歯文は古墳時代も必須であった。下は、茨城県ひたちなか市の虎塚古墳の石室の入口である。両立ち上がり部と天井部の縁に、鋸歯文が並んでいる。死者が収まる棺に悪霊が侵入するのを防止する意味をもつ。
この鋸歯文は、雲南・貴州や東南アジア北部の少数民族も辟邪文として、現実世界にいきている。したのアカ族の結界(ロコンと呼ぶ)は鳥居状の構造物である。
笠木の上には黒と赤に塗り分けられた鳥の肖形が並ぶ。これは日本の鳥居の原形であろう。鳥居も神社の内と外を区別する結界に他ならない。やや横道に逸れたが、上掲写真の鋸歯文をご覧願いたい。三角文様の色は、白・黒・赤である。竹原古墳の三角旗は赤と黒でよく似ている。この黒と赤について、アカ族集落で確認していないので、どのような意味をもつのか不明であるが、この色も魔除けや辟邪の意味をもつであろうか。
悪石島の神社に立つ鳥居である。そこにはアカ族のロコンと同じように鋸歯文が刻まれている。
そこで主テーマに再び戻る。竹原古墳の連続三角文(鋸歯文)は旗なのか、それとも辟邪文様なのか。個人的には旗と考えたいが、先述のように確証がない。ここは東南アジアの山岳民族の葬送場面が参考になりそううだ。葬送場面に旗が用いられているのか否か。訪泰時の課題がまた一つ増えた。
<了>
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