<続き>
<パヤオと中国・安南陶磁>
●安南諸窯との関係(2)
次に安南とパヤオ・北タイ諸窯の関係である。以下に掲載するのは、上からバンコク大学付属東南アジア陶磁館の白褐釉刻花文陶磁、下は福岡市美術館所蔵の本多コレクションの表紙で、白褐釉刻花龍鳳凰文水注である。いずれも文様に相当する線を彫り込み、褐釉で彩色している点は、ベトナム陳朝の黄白釉褐彩陶磁と同じ技法で、磁州窯から直接と云うより、安南を経由して装飾技法が伝播したと考えられる。
先に紹介した安南鉄絵の菊折枝文は、スコータイでも好んで写された。菊折枝文の安南鉄絵及び青花磁が14-15世紀であるのに対し、スコータイの鉄絵磁は14-16世紀と幅をもって紹介されているが、安南陶磁の影響と云わざるを得ない。下にスコータイ鉄絵菊折枝文盤の写真を示す、前回の記事と比較願いたい。
蛇の目の釉剥ぎは、パヤオに伝播した。このことは既に触れてきたので、ここで再びの紹介は省略する。
これも過去に紹介したが、これは再度紹介する。それはパヤオ・モンオームの盤と、ベトナムの盤の見込みに刻まれた波状文の共通性である。
(安南・褐釉波状文皿 東南アジア陶磁館蔵)
(パヤオ褐釉刻花蔓草文盤 出典:「陶磁器・パヤオ」)
以下、蛇足である。北タイ諸窯は雲南と繋がるのであろうと・・・考えてきた。しかし中世の雲南は、いわゆる龍窯と呼ばれる大きな窯であるのに対し、北タイは最大でも8-10m程の横焔式単室窯で、その関連性は認められない。似ている点は、ハニージャーと呼ぶ二重口縁壺と雲南青花に描かれた、魚文の尾鰭で、描き方はサンカンペーン鉄絵魚文の尾鰭に似ている2点のみである。従って両者の縁は薄いと云わざるを得ない。
しかし、大越国(安南)は北タイにつながりそうである。その繋がりを装飾技法と文様の類似性で説明してきたが、窯構造についても云えそうである。
私事で恐縮である。2013年4月から半年間、ベトナム・ハノイに滞在した。目的は一つ、安南陶磁と北タイ陶磁の関連性を素人なりに探る目的である。其の中で、故西村昌也氏が設立に尽力されたドゥオンサー窯址博物館、そこを訪ねると北タイで見る横焔式単室窯ではないか。
北タイから雲南の間で、焼成窯の類似性が見られない中でのドゥオンサー古窯址である。見た瞬間なんとも言い難い感激を覚えたものである。
この窯に似た窯が福建にあるとの記事をみた覚えがあるが、具体的な窯名の記載や出典が記されておらず、安南から中国の繋がりは不明である。しかし、ドゥオンサーの窯には煙道が二つ設けられている。この煙道二つは、磁州・観台窯の半倒焔式窯(饅頭窯)の特徴でもある。・・・ここから先の話は、素人では手におえないが・・・。
以上安南諸窯との関係をみてきた。次回は、これらの装飾技法なり焼成技法が、どのような経路で伝播したのであろうか? 若干の考察を試みたい。
<続く>
<パヤオと中国・安南陶磁>
●安南諸窯との関係(2)
次に安南とパヤオ・北タイ諸窯の関係である。以下に掲載するのは、上からバンコク大学付属東南アジア陶磁館の白褐釉刻花文陶磁、下は福岡市美術館所蔵の本多コレクションの表紙で、白褐釉刻花龍鳳凰文水注である。いずれも文様に相当する線を彫り込み、褐釉で彩色している点は、ベトナム陳朝の黄白釉褐彩陶磁と同じ技法で、磁州窯から直接と云うより、安南を経由して装飾技法が伝播したと考えられる。
先に紹介した安南鉄絵の菊折枝文は、スコータイでも好んで写された。菊折枝文の安南鉄絵及び青花磁が14-15世紀であるのに対し、スコータイの鉄絵磁は14-16世紀と幅をもって紹介されているが、安南陶磁の影響と云わざるを得ない。下にスコータイ鉄絵菊折枝文盤の写真を示す、前回の記事と比較願いたい。
蛇の目の釉剥ぎは、パヤオに伝播した。このことは既に触れてきたので、ここで再びの紹介は省略する。
これも過去に紹介したが、これは再度紹介する。それはパヤオ・モンオームの盤と、ベトナムの盤の見込みに刻まれた波状文の共通性である。
(安南・褐釉波状文皿 東南アジア陶磁館蔵)
(パヤオ褐釉刻花蔓草文盤 出典:「陶磁器・パヤオ」)
以下、蛇足である。北タイ諸窯は雲南と繋がるのであろうと・・・考えてきた。しかし中世の雲南は、いわゆる龍窯と呼ばれる大きな窯であるのに対し、北タイは最大でも8-10m程の横焔式単室窯で、その関連性は認められない。似ている点は、ハニージャーと呼ぶ二重口縁壺と雲南青花に描かれた、魚文の尾鰭で、描き方はサンカンペーン鉄絵魚文の尾鰭に似ている2点のみである。従って両者の縁は薄いと云わざるを得ない。
しかし、大越国(安南)は北タイにつながりそうである。その繋がりを装飾技法と文様の類似性で説明してきたが、窯構造についても云えそうである。
私事で恐縮である。2013年4月から半年間、ベトナム・ハノイに滞在した。目的は一つ、安南陶磁と北タイ陶磁の関連性を素人なりに探る目的である。其の中で、故西村昌也氏が設立に尽力されたドゥオンサー窯址博物館、そこを訪ねると北タイで見る横焔式単室窯ではないか。
北タイから雲南の間で、焼成窯の類似性が見られない中でのドゥオンサー古窯址である。見た瞬間なんとも言い難い感激を覚えたものである。
この窯に似た窯が福建にあるとの記事をみた覚えがあるが、具体的な窯名の記載や出典が記されておらず、安南から中国の繋がりは不明である。しかし、ドゥオンサーの窯には煙道が二つ設けられている。この煙道二つは、磁州・観台窯の半倒焔式窯(饅頭窯)の特徴でもある。・・・ここから先の話は、素人では手におえないが・・・。
以上安南諸窯との関係をみてきた。次回は、これらの装飾技法なり焼成技法が、どのような経路で伝播したのであろうか? 若干の考察を試みたい。
<続く>