世界の街角

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「陶磁器・パヤオ」シリーズ・36

2016-03-05 07:52:55 | 北タイ陶磁
<続き>

<パヤオと中国・安南陶磁>
●安南諸窯との関係(2)
次に安南とパヤオ・北タイ諸窯の関係である。以下に掲載するのは、上からバンコク大学付属東南アジア陶磁館の白褐釉刻花文陶磁、下は福岡市美術館所蔵の本多コレクションの表紙で、白褐釉刻花龍鳳凰文水注である。いずれも文様に相当する線を彫り込み、褐釉で彩色している点は、ベトナム陳朝の黄白釉褐彩陶磁と同じ技法で、磁州窯から直接と云うより、安南を経由して装飾技法が伝播したと考えられる。

先に紹介した安南鉄絵の菊折枝文は、スコータイでも好んで写された。菊折枝文の安南鉄絵及び青花磁が14-15世紀であるのに対し、スコータイの鉄絵磁は14-16世紀と幅をもって紹介されているが、安南陶磁の影響と云わざるを得ない。下にスコータイ鉄絵菊折枝文盤の写真を示す、前回の記事と比較願いたい。
蛇の目の釉剥ぎは、パヤオに伝播した。このことは既に触れてきたので、ここで再びの紹介は省略する。
これも過去に紹介したが、これは再度紹介する。それはパヤオ・モンオームの盤と、ベトナムの盤の見込みに刻まれた波状文の共通性である。
          (安南・褐釉波状文皿 東南アジア陶磁館蔵)
       (パヤオ褐釉刻花蔓草文盤 出典:「陶磁器・パヤオ」)

以下、蛇足である。北タイ諸窯は雲南と繋がるのであろうと・・・考えてきた。しかし中世の雲南は、いわゆる龍窯と呼ばれる大きな窯であるのに対し、北タイは最大でも8-10m程の横焔式単室窯で、その関連性は認められない。似ている点は、ハニージャーと呼ぶ二重口縁壺と雲南青花に描かれた、魚文の尾鰭で、描き方はサンカンペーン鉄絵魚文の尾鰭に似ている2点のみである。従って両者の縁は薄いと云わざるを得ない。
しかし、大越国(安南)は北タイにつながりそうである。その繋がりを装飾技法と文様の類似性で説明してきたが、窯構造についても云えそうである。
私事で恐縮である。2013年4月から半年間、ベトナム・ハノイに滞在した。目的は一つ、安南陶磁と北タイ陶磁の関連性を素人なりに探る目的である。其の中で、故西村昌也氏が設立に尽力されたドゥオンサー窯址博物館、そこを訪ねると北タイで見る横焔式単室窯ではないか。
北タイから雲南の間で、焼成窯の類似性が見られない中でのドゥオンサー古窯址である。見た瞬間なんとも言い難い感激を覚えたものである。
この窯に似た窯が福建にあるとの記事をみた覚えがあるが、具体的な窯名の記載や出典が記されておらず、安南から中国の繋がりは不明である。しかし、ドゥオンサーの窯には煙道が二つ設けられている。この煙道二つは、磁州・観台窯の半倒焔式窯(饅頭窯)の特徴でもある。・・・ここから先の話は、素人では手におえないが・・・。
以上安南諸窯との関係をみてきた。次回は、これらの装飾技法なり焼成技法が、どのような経路で伝播したのであろうか? 若干の考察を試みたい。
                        
                             <続く>



「陶磁器・パヤオ」シリーズ・35

2016-03-04 06:35:38 | 北タイ陶磁
<続き>

<パヤオと中国・安南陶磁>
●安南諸窯との関係(1)
安南諸窯とパヤオ・北タイ諸窯の関係を考察する前に、磁州窯や福建、広東諸窯が安南に与えた影響を考えてみたい。
次の写真は、ハノイ国立博物館が所蔵する、陳朝(1225-1400年)初期の黄白釉褐彩蓮花鳥文短頸壺である。文様に相当する線を掻きとり、そこに褐色釉で彩色している。これは鉄絵文様が始まる前の段階で、磁州窯の白地黒掻落し技法の装飾を模したものであろう。
鉄絵技法の伝播については、森本朝子氏の論文「ベトナムの貿易陶磁」に、注目すべき一文がある。それによると、“広東省雷州半島・海康窯については、宋代から鉄絵陶磁を焼いたとのことである。報告例では非常にベトナムの鉄絵と関連が強そうに思われる。ここでは菊の折枝文が好んで用いられており、その描き方はベトナムのものとよく似ている。海康はベトナムと地理的に近く、ベトナム陶磁に影響を及ぼすことは大いにあり得ると思われる。”・・・とある。

(上は安南鉄絵菊折枝文碗である。この文様が海康窯のそれと似ていると、森本朝子氏は指摘している。その鉄絵が、下のように安南青花にも写された)
焼成効率向上のため、焼成技法は様々な形で発展した。蛇の目の釉剥ぎもその一つである。華北で始まった蛇の目は、福建や華南へも普及した。下の写真は同安窯の青磁碗で、蛇の目の釉剥ぎが施されている。
それは、安南にも及んだ。下の写真はベトナム・バクニン省博物館で展示されている青磁(褐釉)皿である。
中国から直接パヤオや北タイに装飾技法・文様や焼成技法が伝播したとは考えずらい。そこには安南という経由地があったと思われる。今回は中国から安南へ伝播した事柄を見てきた。




                          <続く>






「陶磁器・パヤオ」シリーズ・34

2016-03-02 07:28:54 | 北タイ陶磁
<続き>

<パヤオと中国陶磁>
●景徳鎮窯との関係
パヤオに直接は繋がらないが、シーサッチャナーライ出土鉄絵陶片に、元染め蓮池水禽文を直摸したものが存在する。
下の写真は、奥の盤が明青花の見返りの麒麟文、手前がそれを写したカロンの鉄絵皿である。この麒麟文は、デザインが異なるもののサンカンペーンにも存在する。


またカロンでは、明青花楼閣雲気文を直摸した碗が、存在することはよく知られている(上写真がカロン鉄絵碗、下が明青花碗)。この景徳鎮青花磁が、直接パヤオに影響を与えた形跡は見当たらないが、パヤオの周辺には影響を与えていたのである。




                                <続く>



「陶磁器・パヤオ」シリーズ・33

2016-03-01 07:21:50 | 北タイ陶磁
<続き>

<パヤオと中国陶磁>
●龍泉窯・同安窯(系)との関係
位置関係を示すため地図を再掲する。龍泉窯や同安窯との位置関係を確認願いたい。
従来から国内及びタイ王国の識者は、シーサッチャナーライの青磁盤、特に稜花縁は龍泉のそれの影響を受けていると云う。また、シーサッチャナーライやパーンの青磁は、櫛歯による文様が特徴であるが、それは同安窯(系)の特徴でもある。
中国とタイは全く無縁で、北タイ諸窯はそれぞれが単独で、オリジナリティーを持ったであろうか?・・・先に記述した「タイの年代記集成」には、磁州窯の陶工云々の記事があり、陶磁の装飾技法や窯道具等が似ている点を踏まえれば、影響を受けたと認識せざるを得ない。更に「タイの年代記集成」は、龍泉窯の陶工云々の記事もある。成るほどシーサッチャナーライの稜花縁は龍泉に似ている。
従来、龍泉青磁については、その青磁貼花双魚文盤が、パヤオやサンカンペーンの印花双魚文盤に影響を与えたと、内外の識者が説いている。以下の写真はバンコク大学付属東南アジア陶磁館の展示である。
写真の左はサンカンペーン青磁(褐釉)印花双魚文盤で、右は龍泉窯青磁貼花双魚文盤である。常にこのように対比され、北タイの印花双魚は龍泉窯の影響だと・・・。
これに対し当該ブロガーは、違和感を覚えていた。片や印花、片や貼花で技法的には全く異なり、魚文の形も異なっている。そのような訳で、北タイの印花魚文は、北タイのオリジナルであると考えていた。
ところが、パヤオを訪れ驚愕と云ってもよいほど驚いた。龍泉窯と同じような魚文を見たのである。
          (京都市埋蔵文化財センター 南宋―元)
               (ブア村出土陶片)
まさに瓜二つの魚文である。ブア村出土の陶片は貼花ではなく、凹版のスタンプを用いた印花である。凹版ゆえに文様は、器面より浮き上がり、貼花の趣である。またカべットには、幾重にも重なる三角形状の印花鋸歯文で装飾されている。この形状の鋸歯文は、パヤオでのみ見かける特徴であり、この陶片はパヤオ焼成以外の何物でもない。
蛇足も記したが、この陶片を見るに及び、龍泉窯の影響を認めざるを得ず、「タイの年代記集成」に記された龍泉窯陶工云々について、可能性を否定できないであろう。
更なる蛇足である。ブア村出土の陶片は背鰭1箇所、腹鰭2箇所で、パヤオの印花魚文のそれと同じである。思うにブア村出土の陶片は、パヤオ操業の最初期のものであろう。この陶片の科学的年代測定が望まれる。

またまた驚いたことにKriengsakChaidarung氏は、その著書「陶磁器・パヤオ」で、興味深い盤片を紹介しておられる。それは元時代の福建省同安窯にて焼成された、青磁印花双魚文盤片だという。先ず写真を紹介したい。
写真の解像度が低く、印花魚文の詳細が分かりにくいが、腹側の鰭が2箇所ある。背側の鰭は残念ながら分かりにくい。パヤオの印花双魚文盤の魚文の特徴は、腹側の鰭が2箇所、背側の鰭が1箇所である。断定はできないが、なにやら示唆するものがありそうだ。
このKriengsak Chaidarung氏の記述に、驚きを禁じ得ない。上の写真の説明文を何度も読み返す。下の棒線部分は、タオ・トンアン(窯・同安)と記され、同安窯産となる。
この印花双魚文盤片の説明書きを翻訳すると、青磁釉のかかった双魚文盤で、元時代の福建省同安窯にて焼成された。ウィアン・ブア窯群とチェンマイ県のサンカムペーン窯群で作られた皿と非常によく似ている・・・となる。
 この盤片の出所はウィアン・ブア古窯址であろうか? いずれにしても、この盤片は大きな課題を突きつけている。それは従来の考察を覆すに値する資料を提供したことにある。
先に検討したように、龍泉窯の双魚貼花文が、印花文に変化した可能性も大いに考えられる。しかし、Kriengsak Chaidarung氏は同安窯の陶片の出自について、詳細に述べていないので即断はできないが、この同安窯陶片の双魚印花文が、パヤオのそれに直接的な影響を与えたと考えることもできる。
同安窯と云えば、枯葉色の黄緑褐色の釉薬に櫛歯文の珠光青磁を思い出す。写真のように貫入をもつ翠色の青磁も存在するのか?・・・、当該ブロガーは語る知識を持たない。
以上の事どもは、パヤオの訪問で明らかになった課題で、従来の説に一石を投じている。信憑性を確かめるには、更なる追及が必須である。若い新進気鋭の研究者に、是非とも追及して頂きたいテーマである。

                                 <続く>