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今回は弥生期展示品の中から石器・土器類を紹介する。
今回は土器類を中心に紹介した。
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長岡京市の弥生遺跡といえば懐かしさが先にたつ。定年までの約10年間は(株)村田製作所の本社勤務であった。その本社ビルが建つのが、弥生時代中期の神足環濠遺跡の環濠内に位置している。
今回は、その神足遺跡と弥生時代前期の環濠集落であった雲宮遺跡の出土物を中心に、その出土遺物を紹介する。
雲宮遺跡も神足遺跡も大量の炭化米が出土した。稲作に必要な水は桂川水系の小畑川が供給したのである。
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過日、長岡京市埋蔵文化財センターへ行ってみたので、その展示品を時代順に紹介する。ご存知のように古くは、平安京遷都前に長岡京が置かれた都の地であるが、そこは旧石器時代ー縄文時代の生活痕や、弥生ー古墳時代にかけても多くの集落が存在していた処である。
今回は、「石の文化・土器の出現」としてテーマ展示されている『旧石器時代・縄文時代』の展示遺物を紹介する。
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印岐志呂(いきしろ)神社には古墳が二つあり、銅鐸も出土している。式内社で大己貴(おおなむち)命を祀ることから、相当古いと考えられる。
近江でなぜ出雲神である大己貴神=大国主が祀られているのかと云う疑問と、境外社として先に紹介した、天日槍を祀る安羅神社が鎮座している。
播磨国風土記には、伊和大神(=大己貴神と同神)と天日槍は土地争いをしたと記されている。云わば敵同士が祀られている。この印岐志呂神社をみていると、大己貴命と天日槍の関係が分からなくなってくる。近江は不思議な国である。
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当該ブログを御覧の各位、アリドオシの花を御存知であろうか。小さな可憐な花を咲かし、今がその時期である。標高40-50mの山中で小さな株を見つけ、植木鉢に移植した。今年で5年目であろうか、初めて花が咲いた。
以下、ウキペディアからの転載である。高さは、30-60Cm。主茎はまっすぐに伸びるが、側枝はよく二叉分枝しながら横に広がる。葉は対生し、長さ1ー2.5Cmの卵形で、質は固く表面に光沢がある。葉腋に1対の細長い長さ1-2 cmの棘がある。葉が枝から水平に広がり、それに対して棘は垂直に伸びる。花期は4-5月頃。葉腋に筒状の白い4弁花を通常2個ずつ咲かせる。花冠の長さは約1cm。果実は液果で直径5-6mmの球形。冬に赤く熟し、先端にガクが残る。
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