今日は、教育センター主催で、今年新しく通級の担当者になられた先生のための研修会というのがあり、僭越ながら私がその講師役を務めさせていただきました。そのために、今までの授業をたくさんビデオに収め、DVDを作るべく、教室のハードディスクレコーダーにダビングをしてまとめてきたのに、先週、編集作業中にそのHDレコーダーが故障するというアクシデントがありました。本来は授業を直接見てもらえれば良いのですが、研修会当日の時間帯は誰も授業のある子どもがいない。そこで、今回のVTR撮影となったのですが、一番大事なビデオが全部だめになったので、全てを自宅へ持ち帰り、自宅のハードディスクに全てを入れ直し。日曜日もフルに使い、月曜日の授業を録画して夕べも殆ど編集に使い、クタクタになって本日を迎えました。さんざん時間を使い果たして臨んだビデオなのに、今日の流れの中ではほんの僅かの時間しか見ない。たったあれだけの時間のために今までの連日の編集時間は使われたのかと思うと、ビデオ参観ほど無駄なものはないと痛感しました。唯一良いところは、大事なポイントでビデオを止めて話が出来るところですかね。解説をつける分だけ、分かりやすくなるということはメリットだと思います。それにしても、今日のために費やした時間は膨大で、本当に疲れだけが残りました。
しかし、実際にやってみると、どんな資料も、かつて自分で作った指導案や結果報告書ばかりが教科書でしたから、いろいろなことが思い出されて、自分の実践を振り返る良い機会でした。16年もの間、伊達にやってきたわけじゃないな、と改めて思った次第です。恩師が仰った「一隅を照らす」を実践してきた結果です。これで後を継ぐ人が育ってくれたら、何も思い残すことはないのですが・・・。私はいつまでこの世界の主であり続けなければならないのでしょうか?
しかし、実際にやってみると、どんな資料も、かつて自分で作った指導案や結果報告書ばかりが教科書でしたから、いろいろなことが思い出されて、自分の実践を振り返る良い機会でした。16年もの間、伊達にやってきたわけじゃないな、と改めて思った次第です。恩師が仰った「一隅を照らす」を実践してきた結果です。これで後を継ぐ人が育ってくれたら、何も思い残すことはないのですが・・・。私はいつまでこの世界の主であり続けなければならないのでしょうか?