晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

「鉄人ルー・テーズ自伝」を読んで

2010年07月26日 13時56分57秒 | 昭和のプロレス
先日、君津市立中央図書館で 寅さん「男はつらいよ 第1作」のビデオを借り、何気に本棚を見ると
「鉄人ルー・テーズ自伝」の文庫本を見つけ、借りることにしました。

■鉄人ルー・テーズ自伝
パラパラと見ると、初めてルー・テーズをテレビ(国際プロレス(TBS放送初回))観戦したグレート
草津選手(熊本工業高校、元八幡製鉄所でラクビー選手)とのTWWA世界選手権挑戦試合を思い出
します。
1本目、バックドロップでマットに沈み、失神状態、2本目は棄権となり王座を防衛。
S43(1968)年1月、ルー・テーズ 51歳、グレート草津(25歳)は、プロレス入りから2年半
足らず、海外修行から戻ったばかり、TBSテレビがエースに登用するため超大物のルー・テーズ
挑戦した結果でした。
高角度のハイスピードのバックドロップに受け身も満足に取れない草津はマットに沈みます。
その時代のマットは米国・国内とも硬いマットで現在のトランポリンの様なマットとは違います。

○米国ミシガン州生まれる。17歳でプロレス・デビュー、21歳で旧NWA世界チャンピオンとなり、
以来NWA(旧・新)世界チャンピンに6度王座に就き、7年間無敗の936連勝という不滅の記録を
達成する。日本では「鉄人」の異名を取り、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田ら数々のレスラーに影響
を与える。空前絶後、不世出の大レスラーであった。74歳での引退まで実に58年間もの現役生活
を通した。

今回、自伝を読み、「そうだったのか!」の内容は、
①14歳から父の靴修理工場の手伝い(靴職人)ながら、ジムで練習、17歳でデビューし、二足の
わらじを履きながらプロレスを続けていた。19歳でフル・タイムのプロレスラーになる。
②第二次大戦の招集、任務はテキサス州のヒューストンの戦艦工場で格闘のテクニックを兵士に
教えること。そしてテキサス州一帯で行われていたプロレス興業に出場していた。
③3回目の世界王座獲得時、オリジナルのバックドロップを開発。
その後のプロレス黄金期に全米を統一、プロレスラー1,700名のトップに君臨。
④ヨーロッパ遠征、イギリスへ単身サーキット、フランスへも。
⑤49歳の時、世界王座をジン・キニスキーに奪われるが、三本目はリングアウトと思っていたが、
反則負けで王座移動(本来は2フォールを奪われないかぎり王座防衛のル-ルあり)。
⑥74歳で現役引退、引退試合は蝶野戦。

一気に読みましたが、昭和のプロレスを思い出しました。
<写真>
①鉄人ルー・テーズ自伝 文庫本
②グレート草津選手
③グレート草津選手をバックドロップでしとめる
④若き日のルー・テーズ
⑤全盛期のルー・テーズ
⑥マネージャーのルイス(元世界王者)
⑦バックドロップ
⑧46歳、最後となった6度目の王座帰り咲き




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