真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

ジャングル大帝 11

2006年09月02日 15時54分33秒 | 虫プロジャングル大帝
8月お盆が過ぎた頃、三洋電機の亀山という宣伝担当重役さんと宣伝担当課長さんが、手塚社長に挨拶に訪れた。社長室はすぐに穴見常務に報せ、山本暎一さんを呼んでもらった。
穏やかそうで、芯にたくましさを感じられ、山本暎一さんは握手を求められ。
「視聴率など気にせず、良いものを作って下さい」と言われた、山本暎一さんはとても好感を持ったとそのときのことを語っている。
「ジャングル大帝」は、日本PTA全国協議会の、第一回推薦番組に指名された。この時試写を見た役員やお母さん方は、涙を流し、絶賛したと言う。
そして手塚治虫先生は、
「数年前までは、マンガ焼却運動が起こった、マンガは非難され、俗悪と決め付けられた。その時の文部省や、PTAの団体が、やっと理解してくれるようになった。」
と述べている。
 海外向けセールスも、穴見さんたちの、苦労で、NBCへのセールスが決まり契約のため、手塚社長は穴見さんと、渡米して行った。
9月 教育者懇談会も「ジャングル大帝」の推薦を決めた。

そしてあの事件が起きた。
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