真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

悟空の大冒険

2006年09月21日 14時25分36秒 | 虫プロ悟空の大冒険
第5スタジオでは「ぼくの孫悟空」のパイロットフィルムの制作が始まっていた。チーフディレクターに杉井 儀三郎、制作担当が、手塚先生の連絡役をしていた、富岡 厚司さん、演出には出崎 統さん、作画は山本 繁さん、や吉川 惣司さんと、近くのスタジオアートフレッシュが全面的に協力していた。
5月には完成 次の虫プロの放送予定として題名が「孫悟空がはじまるよー 黄風大王の巻」として6月12日の 虫プロ友の会の映画大会で上映し、アンケートをとった。
 その後も東京都内の小学校で試写会を開き、やはりアンケートをとった。その結果は「キャラクターがおとなし過ぎて優等生だ」と言う意見が多いと、手塚先生に報告された。
しかし、子供がそんな難しい意見を筈があるであろうか、疑問が残る。「手塚が口出しするとスケジュールが遅れてしまう」これはもう、うえの者といわれる人たちの恐怖にさえなっていた。だから、「手塚治虫先生の口出しを封印する、」複線であったのだ、(言い切っていいのであろうか?)手塚先生は気づかなかった。

 そして、放送に向けては、手塚先生のキャラクターではない2頭身の悟空のキャラでタイトルも「悟空の大冒険」と替えて、プロデューサー 川端 栄一さんで準備が始まっていった。
 このキャラクターを見た私たちは、ずいぶんと、東映動画的なキャラクターだなぁと思った。
それは、アニメーターにとって、手塚治虫先生の丸みを帯びた、キャラクターより、数段、角ばったキャラクターのほうが、作画にとって、やりやすいからであり。東映動画もそうであったが。あの、ディズニープロでさえ、角ばったキャラクターになってしまった。
コメント (4)
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