真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

展覧会の絵 アニメーションフェスティバルへ

2006年09月29日 17時14分40秒 | 虫プロ展覧会の絵
エンディングの実写の撮影は、ムンムンする暑いさなか、杉山卓さんが立会い、東京交響楽団に冬の正装で、舞台に上がって演奏してもらって、撮影をした。
手塚先生とスタッフはラッシュ試写でその演奏場面を見たが、暑苦しい演奏はとても作品に使える代物ではありませんでした。 そこで今度は、秋風が吹く頃また全部を取り直しました。
これはほんの一例で、予算はどんどん食っていったのです。
手塚先生は、アニメーション・フェスティバル’66 の 「かいせつ」文に「いろいろな方面のかたがたにいろんなふかいご援助を頂いたが、そのご好意が無になったのではないか、と本番を見ながら首をすくめている。映画の結末については、おそらく反撥する方が多いと思うが、ぼくの好みとしてこうしたまでである。」と 書いております。

「展覧会の絵」は10月21日から11月4日まで東京草月ホールで始まる「アニメーション・フェスティバル」に間に合わせるために突貫作業となる。手塚先生の息子さんの手塚 真さんが通う南光幼稚園の園児に絵を描いてもらいキャラクターの参考にしたり。作画の女性をモデルにしてデッサンをし、過熱しすぎて、その女性を泣かせてしまったり。夜間戸外へ大きく描いた絵を立てて、 10メートル以上レールをひいて、トロッコでその絵をトラックバックで撮影したり、その撮影が1日がかりで撮影しても終わらなかったので、どこにしまおうかと苦労したり。などなど...。 それでも何とか、当日東洋現像所から上がった35mmのフィルム缶を「アニメーション・フェスティバル」会場に上映時間ぎりぎりに届けたりしました。会場ではまたまた、久里洋二さんに冷やかされたりしてしまいました。それでもアニメーション・フェスティバル」は楽しかったのですが。その日から、すぐに、11月11日 都市センターホールで行われる、「虫プロダクション・フェスティバル」に向け徹夜の修復作業とリテークが続いたのでありました。
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