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歌う介護士

看取りをしたご入居者から「あなたの声は癒される」と。お一人一人を思い浮かべながら、ずっと歌い続けています。

山から小僧がおりてきた

2011-01-14 21:47:43 | Weblog
お~、さすがに冷えますね!
冬は寒く、夏は暑い、が当たり前なのですが、カラカラ天気です。
地球の反対側では、豪雨で大洪水の被害が怖ろしいですね。

施設内の湿度計は40%を切っていました。
これじゃあ、喉をやられます。
霧吹きくらいでは追いつかないのですが、予算が組めないので加湿器は望めない。
新しい建物だと、加湿装置が組み込まれている施設もあるのですが・・・、
ウイルスは湿度60%くらいあると舞い散らないようです。

春には早いですが、なにやら花粉の気配もしてきたよ~ナ。
まだ寒いんだよ~!
予防薬はとっくに使用してますが、それでも、ネ。


再就職(再々?)して3ヶ月。
少しづつ少しづつ改善を試みています。
8年以上経った施設で、スタッフもはじめからのスタッフが多く残っている。
「私たちがしてきたケアが最高のケア!」と言う自負がつき物。
新しい考え方や実行を受け入れるには、難しい。
他を知らないと言うことは前を見ることが出来ない可能性がある。

あまり多くは言わないでいるし、必要以外は黙っているが、
「介護職満足のケアになっていないか?」
これだけは伝えていきたい。


23日は、10月の「フィガロ」と同じホールで「椿姫」。
合唱のエキストラですが、この合唱は歌ったことがないので暗譜できるかな?
練習合わせは、後1回。
この団体は、府中でオペラを始めたときの団体のつながりですが、当時のメンバーは誰もいません。
名前だけは残っているので、原点に返ったみたいな感じもしてます。
私たちも、こんなだったのかなあ・・・?

エンの赤い糸は(?)か細いながら、まだ切れずに繋がっているのかしら?

雪が降ってきた、ほんの少し

2011-01-12 00:20:33 | Weblog
「私の満州」のご照会に、いつもよりたくさんの訪問があったようです。
感謝いたします。

さすがに冷えますね!
今年初めての雪が、ちらつきました。ほんの30分でしたけど。
「私の満州」の筆者さんが「私、寒いの苦手なの!」といっていかれました。(笑い)
満州は、もっと寒いだろうに。
天然冷凍庫だろうと思います。


季節が変わると、高齢者の体調も変わります。
先週から調子が悪かった方、心不全の疑いで入院。
我慢してしまって、スタッフに本音を言ってくれませんでした。
「ホントは夜横になると息が苦しくて辛いの。」
本音を言えなくしていた私たちは、なんだったのでしょう。
ご本人が我慢強いだけとは私は思えません。
もう1歩踏み込んで聞いて差し上げなければいけなかった。

終業前には、想像外のところへはまり込んでしまったインシデント。
車椅子のフッとレストに足が内側に行かないように着けてあるべるとと座面の間からずり落ちたのだろう、座面の下にきっちり身動きできないまでにはまり込んでいた。

考えられないことがリスク管理では必要なのです。
ベッド柵に首を挟んで亡くなったと言う事故も実際にあるのですから。
足を引っ掛けて骨折など、普通に考えておかねばならない。
柵を乗り越えてしまう場合もあるくらいです。


高齢の方々を見ていると、些細な変化が大事に結びつくことが多い。
「様子観察」はそういう意味で重要なケアなのです。


今夜は、今年初めてのアンサンブル練習。
新しい曲に取り組みますが、これまでと系統を少し変えて選曲してみました。
今日は男性がお休みだったのでちょっと寂しかったな!(笑い)
今月は、「椿姫」の合唱をお手伝いに言ってるので声を出せる機会が増えているので、それはありがたいですが、口を出さず手も出さず、おとなしく歌っているのはストレスもありますね!(笑い)

「私の満州」

2011-01-08 23:56:37 | Weblog
本当に辛い体験と言うのは、語れるようになるまで長い長い年月が必要なのだと思う。

私はこれまでお会いしてきた、シベリア抑留された人、満州引き上げしてきた人は、押し並べて話をするのを避けておられた。

「それほど大変ではありませんでしたから。」
「向こうの人たちが良く助けてくれましたので」
幼かった子供2人を連れて帰ってきた人だが、それ以上は語ろうとなさらなかった。

「もう忘れた、聞かないでくれ」
「覚えていない」
シベリア抑留され、5年6年して帰国された人たちです。

「私の満州」も65年経って、ようやく語り継がねば誰も知らないままになってしまうと、思い口を開かれ筆をとられたもののようでした。
「半分も書ききれていないのよ。」

引き上げ途上で生まれた次女さんがワードで構成をして助けてくれたそうです。


20歳で結婚され、大連(藩陽)を経て東安(密山)で新婚生活を始められたのが昭和17年。
翌18年に長女が生まれる。
昭和20年8月、次女を妊娠し予定日がまじか。
(略)
夫がある日、軍の幼児で軍隊へ行ったら『早く奥さんや子供さんを日本に帰した方がよい』と言われたと言う。
社宅の皆さんを裏切って私たちだけで帰国するなんて、とても私には出来ない。
私は皆と行動を共にすると答えた。
気のせいか街がだんだん歯の抜けたように寂しくなってきた。
(略)
変だなあと思っているうちに電線と言わず屋根と言わず「カラス」の大群で真っ黒になっている。
8月9日、上空を飛行機が飛んでくる。
昨夜、国境あたりの開拓団がソ連軍の空襲を受けて大変な被害だったと後になって知った。
翌朝、長女を背負い臨月のお腹を抱えて、会社の奥さん子供と一緒に駅の改札に向かう。
(略)
満鉄の車輪は私の背丈くらい合った。1両めまではとても行けず、何べんも失敗しながら、やっとの思いで3両めに乗り込む。
娘を膝の上に、でも一寸でも動くと元の位置を人にとられるほど狭い。
私の前のとは30センチほど、どうしても閉まらない。
なんと、夜明けと共に、ソ連兵が、飛行機から狙い撃ちを始めた。30センチの隙間から自動小銃の弾がどんどん入ってくる。忽ちバタバタ何人も倒れる。
血の海、悲鳴、・・・
飛行機から銃を構えた兵士の顔が見える。まだ少年だ。

窓もない貨車、水ー水ーと言いながら、いとも簡単に子供たちは亡くなっていく。

会社の家族の大半が乗っていた1両めへ。
なんと機関車めがけた集中攻撃の弾がそれて、1両車に命中して、会社の家族の大半は亡くなっていた。
(後略)


50年住んでおられた地の図書館から、朗読の会で使いたいと申し出があったそうで、本当に良かったと思いました。
語りたくても語れない方もいらっしゃるので、少しでも語り継がれればと思いました。

残さないと消えるのよ。

2011-01-07 18:57:39 | Weblog
一緒に帰って来た人も次々いなくなって、話をできる人がどんどん周りからいなくなってしまうのよ。

あんまり辛くて話が出来なかったけどね。

やはり、語り残しておかないと誰も知らないことになってしまう、と考え直して少しづつ思い出しながら書いていったそうです。

満州からの引き揚げ当時のことが、小冊子ながら書かれてあります。

次回から少し内容をご紹介する予定です。
ブログに掲載するについては、御本人と御家族、入居施設から承諾を頂いています。

〓megu

ウサギも歌う?

2011-01-04 21:53:13 | Weblog
おしとやかな私はダンスは致しませんので(笑)。



ん?ウサギ、鳴きましたっけ?

ウサギはともかく、私は今年も歌います!

昨年は5月から、次々と本番の予定があり充実した1年でした。
こんな生活、介護職になってから初めて!
つまり10年ぶりです。



10月の「フイガロ」での楽屋写真。本番の最中です。
メイクさんが入っていたので化粧もヘアもお任せでした。

小さなコンサートでは、なかなか写真を残せないのです。
9月の「ナブッコ」は合唱参加、おまけにエキストラだったので特に何もいただけなかった・・・。
何とか録ったオケアワセの録音CDがあるのみ。

年末のジルベスタコンサートは、練習参加も合わせも出席は無理になり、お断りしてしまった。
ちょっと残念・・・。


今年の予定は、まだはっきりとは決めていないですが、
1月23日、府中ウイーンホール「椿姫」合唱エキストラ。
ソリストさんたち、暗譜、頑張ってね!

7月は地元の合唱祭に参加。

永山サロンライトコンサート申し込みと、聖蹟桜ヶ丘のロビーコンサート申し込むことかな。
老人ホームコンサートも2箇所くらいは企画したい。
自主企画をそろそろやって見たいのですが、時間が取れるかなあ?


年末から、同居しているまわりの人と顔をゆっくり合わせていなかった!
いやはや、隣の部屋は何する人ぞ!だよね。(笑い)

柏にいるもう一人の人と母のホームへ。「kamirinの部屋」というブログを作ってます。

そうそう、母は「日本橋」と同い年!誕生日は少し早いですね。
このところ、訪問すると、布団を換えて、洗濯してという仕事が。
1年前までは掃除だけだったが、汚すことが増えた。
乾燥はヘルパーさんに頼んで帰る。


よりいっそう跳ね回らなければならない年になりそうな予感が・・・。