2月1日 NHK海外ネットワーク
いまヨーロッパが揺れている。
フランスでのテロ事件をきっかけにイスラム教徒の移民など少数派を排除しようとする動きが広がっている。
第二次世界大戦の悲惨な経験を踏まえて
ヨーロッパは戦後
異なる宗教や民族との融和をかかげてきた。
その原点と言える場所が大戦のさなかナチスドイツによってポーランド南部に作られたアウシュビッツ強制収容所。
ユダヤ人という理由だけで約100万人もの人々がガス室で殺害されるなど
人類史上例を見ない大量虐殺ホロコーストの犠牲となった。
収容所が解放されて今年で70年。
戦後ヨーロッパの精神に逆行しかねない動きが出始めた今こそ
虐殺の悲劇を語り継ごうという取り組みが進められている。
1月 アウシュビッツ強制収容所で開かれた追悼式典。
かつて収容されていた人たち約300人が参加し当時の状況を語った。
(かつて収容された人)
「収容所での1分は1日のように長く感じた。
同じような悲劇を次の世代が繰り返してはいけない。」
追悼式典はフランスやドイツでも開かれ
首脳たちはヨーロッパ中に移民を敵視する空気が広がっていることに強い危機感を示した。
いまドイツなどでは移民の受け入れ制限を求めるデモが相次いで行われている。
「イスラム教徒にはドイツにもうこれ以上来てほしくない。」
ホロコーストの反省から多様性を尊重してきたヨーロッパで
少数派の排斥につながりかねない動きが出ている。
こうした風潮の中でもホロコーストの悲劇を語り継ぐ取り組みが市民によって続けられている。
強制連行の犠牲者の名前を刻んだプレートをかつて暮らしていた場所に埋め
人々の記憶にとどめようというのである。
ネリー・ヘンリエッテ・ライスさん
1942年9月5日にベルリンから連行され8日に殺害された。
ヨハンナ・クレーマーさん
1945年にケルンから連行され殺害された。
(取り組みを提唱したグンター・デムニッヒさん)
「授業で“600万人のユダヤ人が虐殺された”と習うが大まかなことしか理解できていない。
1人1人の運命をたどることで子どもたちの理解は深まる。」
収容所解放70年を前に新たにプレートが作られた犠牲者がいる。
当時19歳で殺害されたユダヤ人のクララ・ハベルさんである。
ハベルさんの人生ををたどりプレートを制作したのはゼバスティアン・プフルムさん(30)。
ベルリン市内で暮すブプルムさんは
普段通って言うrパン屋の近くにはプレートがあるのに自宅前には一つもないことが気になっていた。
近所に強制連行された人がいたのではないか。
1年近くかけて調べハベルさんの存在を突き止めた。
最初は名前しかわからなかったが遺族などとも連絡が取れ
強制連行までの詳しいいきさつがわかった。
ハベルさんはナチスから逃れようと親戚の家に身を寄せ3年間息をひそめるように暮らしていた。
しかし1941年の11月に連行っされて森の中で銃殺されたのである。
ハベルさんのプレートが完成したこの日
ブフルムさんの呼びかけでプレートづくりに必要な寄付をした市民などが集まった。
現在イギリスで暮らすハベルさんのおいもかけつけた。
(ハベルさんのおい)
「私たちの家族の苦しみが繰り返されないようにという人々へのメッセージになってほしい。」
ブフルムさんはいまの時代こそホロコーストの悲劇を風化させないことが大切だと考えている。
(ゼバスティアン・ブフルムさん)
「ドイツではいま難民への対応が課題だ。
この取り組みで外国人を排除する考えが少しでも無くなればと思う。」
路上に静かに輝くプレート。
多くの人たちが犠牲になった過去を忘れてはいけないという市民1人1人の思いが込められている。