2021年2月6日 NHK「おはよう日本」
これまでロシアの人たちは
毎年述べ4千万人が
ヨーロッパやトルコ、エジプトなど外国で休暇を過ごしてきた。
ところがいま新型コロナウィルスの感染拡大で外国への旅行が制限されている。
そこで注目されているのが国内観光である。
(ロシア官公庁 PRビデオ)
“冬”それは旅に出る最高の季節
ロシア政府は2020年秋
国内を観光をロシア人の数を今後10年で3倍に引き上げようと
新たなプロジェクトを開始。
旅費の一部を補助するなど国内観光振興に力を入れている。
ロシアでは各地で新型コロナウィルスの感染拡大が収まらず
連日新たに1万5,000人以上が感染確認されるなど厳しい状況が続いている。
ロシア政府としては感染対策と経済活動の両立を図りたい考えである。
背景にはプーチン大統領の思惑もあるとみられる。
国民に自国の魅力を再発見してもらうことで
愛国心を高め
自らの求心力につなげる狙いである。
(ロシア プーチン大統領)
「国内の観光発展は大事なことだ。
政府としてもインフラ整備など必要な支援を行なっていくべきだ。」
この恩恵を受けているのが旅行業界。
モスクワにある旅行会社には国内旅行を計画している人たちの姿が多く見られた。
(客)
「ロシアにも魅力のある国内旅行ツアーがあります。」
「ボルゴグラードに行って第二次世界大戦の記念碑を見たいです。」
この会社の経営は海外旅行激減に一時危機に陥ったが
国内旅行で持ち直しつつあるという。
(旅行会社代表)
「2020年は試練の年
可能性を試す年だった。
いま国内旅行のプログラムを開発中です。」
旅行先にも変化が出ている。
これまで定番だったモスクワやサンクトペテルブルグ以外の新しい観光地が人気を集めている。
モスクワ郊外のコロムナ。
16世紀に作られた城壁や教会が数多く残る歴史ある町である。
人口20万ほどのこの町にロシア人観光客が次々と訪れている。
(旅行者)
「以前は海外旅行に行っていたが
今回はコロムナに来ました。」
「祖国のことを知るのも大事ですよね。」
一際多くのロシア人ツアー客が訪れていたのは
ロシア伝統のパン作りを紹介する工房である。
ここで作られるパンは
ロシア伝統の「カラチ」と呼ばれる
小麦と塩を使った白パンである。
(客)
「おいしくてびっくり!」
かつてロシアでは小麦と塩は貴重で
肉よりも高級な食べ物として人気があったことなど
このパンの歴史についても紹介している。
(パン職人)
「いまはどこにでもある塩ですが
かつて世界に通用する通貨でした。
価値は金と同等で
塩で何でも買えました。」
(客)
「この白パンのことは知っていましたが
初めて詳しい説明が聞けました。」
「これこそが昔の生活
祖国ですよ。」
さらにツアー客が回ったのは町にある博物館。
19世紀の商人の衣装を着た女性が出迎える。
「これが伝統のお菓子“パスチラ”です。」
りんごを使った焼き菓子パスチラに温かい紅茶。
パスチラは当時の皇帝が視察に訪れた時にも献上された
地元が誇るお菓子だと説明された。
(客)
「とても甘いわ。」
(カフェ経営者)
「パスチラは私たちの歴史です。
単なるお菓子ではありません。」
地元観光業界は
伝統のお菓子や歴史をPRすることで
さらに観光客を呼び込みたい考えである。
(カフェ経営者)
「この状況は自分たちや国のことを知る貴重なきっかけになる種をまいてくれました。
これがとても重要なことなのです。」
新型ウィルスの感染拡大に見舞われるロシア。
しかしそんな逆境を自国を見直すきっかけに生かそうとしている。
2021年2月3日 NHK「おはよう日本」
芋焼酎などの本格焼酎は
一時“ブーム”と言われた時期もあったが
ここ10年ほどは消費量が減少傾向である。
そこで鹿児島の蔵元では
あえて芋らしさを捨てるという作戦に出た。
バナナのような香りがする芋焼酎に
ぶどうの香りを思わせる芋焼酎。
しかし香りづけをしているわけではない。
原料はどちらも芋。
製造工程を変えて香りを引き出した。
いま鹿児島では果物のような香りがする芋焼酎が次々と発売されている。
その1つを開発した創業150年を超える蔵元。
社長の濱田さんは焼酎離れが進む状況に一石を投じたいという。
(濱田酒造 濱田社長)
「新しい飲み口というか
新しい切り口の味わい・香り
素人の方でも違いが分かる
はっきりとした特性を持った焼酎が作れないかと。」
目をつけたのが果物の風味のお酒。
年々増えて人気が高まっている。
芋焼酎でもフルーティな香りを出すことができないか。
この蔵元では焼酎の香りを大きく左右する芋の熟成に注目した。
熟成温度・湿度・期間を100回以上見直したのである。
その結果完成したのがライチのような華やかな香りがする芋焼酎。
3年前に発売したこの焼酎は国際的なお酒の品評会で最高賞に選ばれるなど人気を博している。
熟成方法を変えると芋焼酎の香りが変わることは職人の間では広く知られていたが
それを商品化しようという発想がなかった。
(商品開発研究室長 原さん)
「我々の視点だと固定観念で“芋焼酎らしくない香り”としていたが
全然焼酎の香りを知らない人が『いい香りがする』というところでも
私も発想を変えた。」
蔵元では消費者のすそ野を広げる取り組みも進めている。
フルーツの香りの芋焼酎を使ったカクテルの開発である。
レシピづくりに協力しているバーテンダーは
海外でも広がる可能性があるという。
(バーテンダー 南雲さん)
「非常にユニークで
カクテルに向いている香りがたくさんある。
この数年でグローバルで通用する酒にどんどん変わっていくんじゃないか。」
色々なの見方を提示し焼酎との接点を増やしていきたいと蔵元では考えている。
(濱田酒造 濱田社長)
「カクテルから入っていって
本体の本格焼酎そのものに市場が開かれていく。
こういう手順も必要ではないか。」
2021年2月2日 読売新聞「編集手帳」
大舞台で感じる重圧を多くのスポーツ選手が口にする。
五輪や世界選手権ともなれば、
その大きさは計り知れない。
「人生で初めて空気に重みを感じた」。
そう振り返る選手もいる。
横綱は水の重みに耐えている。
と言えば、
お察しの方もいるだろう。
駿河湾で発見され、
ヨコヅナイワシと命名された新種の深海魚である。
生息する深さの海中では、
小指の先ほどの面積に数百キロの水圧がかかるという。
体長1メートル超の体全体で受け止めてきた力の大きさを想像するのは難しい。
暗く冷たい深海での暮らし――
思えばコロナ禍の巣ごもり生活が、
それに似ている。
感染拡大で再発令中の緊急事態宣言が延長される見通しとなった。
宣言下にある地域の多くで、
医療体制は依然厳しい。
我慢の日々が、
今しばらく続くことになる。
深海の横綱は厳しい環境に適応し、
人知れず生きてきた。
辛抱強さを見習いたいところだが、
気がふさぐときもあるだろう。
同じく海に暮らす生き物を詠んだ句がある。
<憂(う)きことを海月(くらげ)に語る海鼠(なまこ)かな>(黒柳召波)。
だれかに愚痴でも言って、
気を紛らわす。
そんな時間があってもいい。
2021年2月2日 NHK「おはよう日本」
京都景観を象徴する「京町家」と呼ばれる古い木造住宅。
京都市内には4万軒が残っている。
風情がある一方で
ひとたび火が出れば
周辺に一気に燃え広がって被害が広がりやすいとされている。
“町の景観を守りつつ都市の防災力を高める“
注目されたのは伝統の材料と技。
訪れる人たちに京都らしさを感じさせる京町家。
昭和25年より前に京都市内に建てられた木造住宅を指す。
密集して建てられている木造の町家の弱点は
火が燃え広がりやすいこと。
平成30年5月
祇園で起きた火災では火元の日本料理店が全焼し
隣接する5棟にも延焼した。
火災から京町家を守るためにできることは何か。
京都市は4年前
大学の研究者を交えた検討チームを起ち上げた。
外からの火を防ぐためには
窓や出入り口など
火が室内に入り込むすき間をできるだけなくさなければならない。
開発を目指したのは京町家になじむ木製の防火戸である。
カギを握るのは消防が駆けつけるまで延焼に耐えられるようにすること。
木は火に決して弱いわけではない。
水分を多く含み“燃えるのに時間がかかる“という特性を生かせると考えた。
(京都市建築指導部 高木部長)
「もともとあった町家の姿のままでも火に強いものができるということになりますので
これは非常に大きい。」
手がけるのは伝統の技を持つ宮大工たち。
手に入りやすい杉材を使って
2年間試行錯誤を続けてきた。
火が入り込まないよう
厚さ30ミリの木材のすき間をなくさなければならない。
木材に凹凸をつけて組み合わせていく。
苦労したのが木のそりを防ぐことである。
これまでの実験では
熱でそってしまった結果
防火戸は割れ一気に燃え上がってしまった。
そりやすい大きな板は使わず
縦と横に補強材を加えて改良を重ねてきた。
(京都府建築工業協同組合 木村理事長)
「割れた瞬間火が中にはいるからだめ。
一番難しい。
実験やるまでわかりません。」
2020年12月 大阪池田市の試験所。
この日行われたのは木製防火戸の燃焼実験である。
消防が現場に到着するまでにかかるのは長くて20分。
その間耐えることができるのか。
反対側まで火が通らなければ成功である。
すぐに燃焼温度は800度近くまで上昇。
煙と一緒に木に含まれる水分が蒸発し始めた。
10分後には木材から出る水滴を確認。
そして
20分経っても火が反対側に達することはなく
実験は見事に成功した。
1000度近い炎で焼かれたとの裏面は焼け焦げたが
厚さ30ミリの木材は最も薄い部分でも10ミリ残っていた。
木製の防火戸は十分な強さを備えていることが証明された。
昭和8年に建てられた京町家を改装したカフェ。
京都市が先行して認めた木の防火戸を設置している。
十分な耐火性を持つ期の防火戸は建物と調和している。
今回の実験の成功を受け京都市は
さらに全国の古い町並みを守ることにも役立ててもらうため
国の認定を取ることにしている。
(京都市建築指導部 高木部長)
「認定を取るということは全国各地どちらでも使えるということですし
京都市内には京町家をはじめとする伝統的な建築物が多く集積する地域ですので
スタンダードに使っていただけるように普及啓発もしていきたい。」
2021年2月1日 読売新聞「編集手帳」
志賀直哉が小説「流行感冒」に書いた<私>とは自身のことらしい。
スペイン風邪が猛威をふるった大正期、
主人公がウイルスを家に持ち込むまいと細心の注意を払っていたところ、
お手伝いさんの一人がウソをつき、
夜芝居に出かけた。
主人公は彼女を辞めさせようとしたが、
妻がとりなして呼び戻したという展開をたどる。
歴史学者の磯田道史さんの言葉を借りるなら、
今で言う「自粛警察」を描いたとも言えよう。
見えないウイルスを恐れるあまり、
他人の非をとがめ、
罰を与えようとする。
人の心に作用するウイルスとは、
本当に厄介な存在である。
政治にも紛れ込んだに違いない。
入院に応じない感染者に刑事罰を科すという政府の感染症法改正案の評判はあまりに悪く、
自民党と立憲民主党が協議し、
刑事罰を撤回する運びとなった。
修正は当然としても、
入院を拒む人や保健所の調査に応じない人への行政罰は残る。
本当に罰則を使うつもりなのだろうか。
小説に戻る。
主人公は後日、
気の緩みから感染するが、
彼女は無事だった。
家族を懸命に世話する彼女に主人公は感謝する。
罰しなくてよかったと。
2021年2月1日 NHKBS1「国際報道2021」
タイの首都バンコクの中心部
路地を抜けた先に現れたのは日本式の旅館。
2年前にオープンしたホテル繭(まゆ)。
中庭は石灯篭に緑の苔が生える日本庭園。
12ある客室は畳に布団と本格的な作りで
宿泊客は浴衣でくつろぐ。
宿泊料は1泊朝食付きで約1万5千円~と
タイでは安くないが
予約が殺到している。
(宿泊客)
「SNSにあげた写真を見た友人たちは
本当に日本にいると思ったみたいです。」
仕掛け人はティダラットさん(42)。
旅館を取り仕切るいわば“女将(おかみ)”である。
(ティダラットさん)
「すべて日本の旅館と同じように準備しました。」
旅館を始めたきっかけは
12年前 日本への旅行で体験した“おもてなし”だった。
かつてタイの高級ホテルに勤務し法人の対応を任されていたティダラットさん。
接客は心得ていたつもりだったが
日本のサービスの質に衝撃を受けたという。
(女将 ティダラットさん)
「旅館のスタッフが客の靴をそろえたり
姿が見えなくなるまでお辞儀で見送る様子に感動しました。
私もこうしたサービスをビジネスに取り入れたいと思いました。」
以来 数十回日本を訪れ研究を重ねたティダラットさん。
旅館に置くものはほぼすべて日本から取り寄せ
こだわりはトイレの便座にいたるまで日本から空輸した。
(女将 ティダラットさん)
「日本に“似ている”のではなく
本当に“日本のもの”でないといけません。
日本が本当に持つものを置かなければいけないのです。」
ただ創業当初は
日本好きの人は直接日本に行ってしまうため
今ほどの人気はなかった。
そうした状況で始まったのがコロナの感染拡大である。
外出規制が敷かれ外国旅行もできなくなるなか
日本好きのタイ人の心にひびく旅館のPR戦略を練り直した。
まず宿に関するSNSの発信をチェックし
何が話題になるか徹底分析。
1泊23時間と長時間滞在できることを売りに
宿の中で楽しめる“おもてなし”を重視した。
その結果
コロナ禍のなかで予約が一気に増えることになったのである。
(女将 ティダラットさん)
「コロナ禍で旅館には良い影響もありました。
タイ人は日本を恋しがっていますが今は行けません。
自宅では退屈なので気分転換に泊まる人が増えています。
今月は満室です。」
なかでもヒットしたのがお風呂である。
常夏のバンコクに入浴文化はない。
そこでティダラットさんは香りと効能を売りにした入浴剤を日本から取り寄せた。
こうしたサービスが旅館の呼び水となった。
(宿泊客)
「肌がすべすべになりました。
気分はもう日本です。」
早朝
自ら厨房に立ちスタッフに支持するティダラットさん。
「もう少しお魚を動かして
葉っぱの花の模様がちゃんと見えるようにね。」
完成したのは味と見た目にもこだわった“日本の旅館の朝ごはん”。
ティダラットさんは今後もタイで“日本のおもてなし”を提供していきたいと考えている。
(女将 ティダラットさん)
「コロナ禍の要望に私たちが応えたいです。
日本の旅館のような“おもてなし”が目標です。
まだ完璧ではないですがベストを尽くします。」
2021年2月1日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」
パキスタンでいま注目されているシドルハニーと呼ばれるハチミツ。
ビタミンやミネラルが豊富と言われ
健康志向を背景に人気を呼んでいる。
シドルハニーは
イスラム教の聖典コーランに「楽園の木」とうたわれているシドルの木から集められた
とても貴重なハチミツである。
首都イスラマバードの中心部にあるハチミツ専門店。
店内にはさまざまなハチミツがところ狭しと並べられている。
中でも一番人気なのがシドルハニーである。
古くからアラブの王族や貴族に愛用され
サウジアラビアなど湾岸諸国を中心に輸出されてきた。
価格は1kg約3,000円。
普通のハチミツに比べ3倍以上の値段だが
贈答品としてまとめ買いする人も少なくないという。
(客)
「ハチミツの中では一番のお気に入り。
体にもいいし
力の源です。」
(店員)
「コロナ禍で健康に気をつける人が増え
シドルハニーがよく売れています。」
健康志向が高まり富裕層を中心にシドルハニーを愛用する人が増えている。
毎朝食パンにたっぷりとつけたり
砂糖の代わりにホットミルクや紅茶に入れたりして堪能している家庭。
(母親)
「シドルハニーは栄養があり愛用しています。
もう手放せません。」
「楽園の木」とうたわれるシドルの木は数が少なく
人里離れた乾燥地帯に点在する。
イスラム教では“天国にそびえる光り輝く大樹”として特別な意味を持っている。
古くから葉や樹脂の成分は化粧品やシャンプーなどにも使われ
イスラム教徒の間で重宝されてきた。
パキスタン北西部 カラク。
グルさんは2年ほど前からシドルハニーの生産を始め
現在は150の巣箱で5万匹以上のミツバチ飼育している。
しかし蜜の採取までの作業は楽ではない。
(グルさん)
「これがシドルの花です。
ここから蜜を作るのです。」
シドルの花は小さく咲いている期間が短いことなどから蜜がとれる量は限られるという。
このため蜜を確保するためにはより多くの花が咲く木を見つけ出すことがポイントになる。
グルさんもテントで暮らしながら花の場所探しに奮闘。
こうした苦労のかいがあって
巣箱にはいま蜜が集まり始めている。
蜜が詰まった巣を遠心分離器にかけて5分ほど回転させると
澄んだ黄色の蜜がとりだされる。
シドルハニーは普通のハチミツより色が濃く
ビタミンやミネラルを豊富に含むと言われている。
(グルさん)
「出来は最高。
いい風味です。」
生産量は始めた頃に比べ5倍以上になり
パキスタン各地に出荷できるようになった。
収入も以前 米や麦を作っていたときより3倍以上になったという。
(グルさん)
「非常に儲かるビジネスです。
事業を拡大していけばさらに儲かると思います。」
グルさんのハチミツはSNSや口コミで評判が広がり
直接買いに来る人も相次いでいる。
この日は隣り町から業者がやって来た。
「値段はいくらですか?」
「1タンクで6万5,000円です。」
「高いですね。
値引き出来ますか?」
「大丈夫ですよ。」
交渉の末 1年先まで購入する契約を結んでくれた。
ようやく生産が軌道に乗ってきたグルさん。
シドルハニーの魅力をいま世界中の人に知ってもらいたいという。
(シドルハニー生産者)
「体に優しいシドルハニーをもっと作って
多くの人に食べてもらいたいです。」
2021年1月30日 NHK「おはよう日本」
日本海に面した山口県萩市の浜崎地区。
国の“伝建地区”に選ばれ
景観を維持するための建物の改修工事などに国から補助金を受けられるようになった。
しかしいま課題に直面している。
「ここが江戸期の建物で
いま空き家になっている。」
「これもいま空き家です。
人が住んでいません。」
人口減少や高齢化が進むにつれてあちこちで空き家が出てきたのである。
地区にある伝統的な建物は約130軒。
このうち13軒が空き家になっているのが分かった。
伝建地区の建物は
文化財とはいえ個人の財産。
その所有者が県外にいるケースも多く
空き家になると管理や活用は簡単には進まない。
(町並み保存会 藤山さん)
「10年先20年先にはどうかなと思います。」
浜崎地区で生まれ育った宮田さん。
家業は魚を獲る網や仕掛けなどを扱う船具店。
建物は200年以上前に建てられた。
しかし店を営んでいた父親が死去し
建物をどうするか頭を悩ませていた。
(宮田さん)
「私が継ぐにあたって
船具店はもう商売にならない状態でしたので。」
そんなとき
近くで空き家を回収した宿泊施設がオープンすることになったのである。
モダンな内装が目を引く宿泊施設。
早速 予約も入っている。
(宮田さん)
「結構朽ちていたので
こんなにきれいになって
中がまたすばらしいですね。」
手がけたのは古民家の再生事業などを展開する神奈川県鎌倉市の会社。
(施設の開発・運営 b.note 新井代表)
「浜崎みたいに飲食店もできるし宿泊もできるし古い建物も残っているまちというのは
実は日本のなかにもすごく少ない
貴重な場所だった。
もったいないし
ギリギリのところにいる。
そのまま目をそらしておけない。」
萩市も動き出した。
浜崎地区での事業展開に関心がある不動産業や飲食店の経営者も参加。
増加する空き家の課題や活用方法を地元の人たちと考える。
「売ってほしいけど売らない。
それを粘り強く
それが一番だともう。」
まちで見え始めた変化の兆し。
建物をどうするか悩んでいた宮田さんは
夫婦でカフェを開こうと計画していた。
「はがしたんです とりあえず。
かっこよく昔のはりが出るのではないかと思って。」
(宮田さん)
「私が事業をやっていくにはやっぱりカフェだろうなと思いまして。
近所の人や地元の人にくつろいでもらう。
同時に観光客も呼びたい。
まちがどんどん変わっていけばいいなと。」
地域の誇りである町並みをどう残していくのか。
外からの活力も巻き込んだ
まちづくりが動き出している。
2021年1月30日 NHK「おはよう日本」
愛媛県松山市沖合の興居島。
かんきつ栽培が盛んな島である。
かんきつ農家の石村さん(29)。
朝6時前 島の対岸にある松山市の自宅を出発。
向かったのはフェリー乗り場。
フェリーにも仲間の農家たち。
興居島では最近こうした通勤農家が増えている。
トラックに乗り換え農園まで5分で到着。
家から農園までにかかった時間は約35分である。
作業を終えて午後6時半ごろに帰宅する生活を週に6日繰り返している。
(かんきつ農家 石村さん)
「都会の通勤に比べたら全然 苦じゃないと思います。」
愛媛県出身の石村さん。
一昨年まで東京のIT企業に勤めていた。
(石村さん)
「電車通勤で家に帰るときは
日付が変わっていたりとか
ハードワークでしたね。
みかん農家 農業やっていたら融通が利くところもあるんじゃないか
というのがいいなと思いました。」
通勤農家のことを知ったのは2年前。
農業に就く人向けの研修で初めて耳にした。
石村さんは現在松山市内で妻と2人で暮らしている。
自宅から通えばフリーカメラマンの妻も仕事を問題なく続けられることも
判断の後押しになったという。
(石村さん)
「お互いの仕事に支障なくできているので
問題ないと思っています。」
(石村さんの妻)
「やっぱり私も仕事をしているので
お互いにとって良い選択肢。」
興居島と由良支部と釣島支部の通勤農家は13軒に増えている。
その7割が
通勤できなければ農業をやらなかったと答えているという。
(通勤農家 青井さん)
「島の中で生活していくのは
特に小さな子どもがいる世帯にとっては大変。
子どもたちの生活の環境を考えて
自分が通勤する方がいいかなと思った。」
興居島の通勤農家は比較的若く
単価の高いかんきつを栽培する人が多いため
産地の生産額も増えているという。
通勤歴6年の青井さん。
この動きに注目し
新たな挑戦を始めた。
(青井さん)
「ここの畑も2年前ぐらいから耕作ができなくなっているところですね。」
高齢化で条件のいい農園でも耕作放棄地になっている。
(青井さん)
「もったいないな
残念だなという気はしますね。
何とか再生できたらいいんですけど。」
こうした放棄された農園を集めて整備して
農業に興味がある人を島の外から募って就農してもらう法人を
来月にも作る予定である。
(青井さん)
「島にいる人だけでは限界があるので
島外から来てくれる方が増えるとその分だけの授業できる人が増えるのでありがたい。」
(農業経営学が専門の愛媛大学大学院農業研究科 山本和博准教授)
「どこに住もうが農業者が増えるわけですから
生産者数が増えるということにはなかなかならないんですけど
生産者数の減少を抑制する効果があります。
作付け面積の減少も抑制しているということになります。」
深刻な担い手不足。
島のかんきつ産業の活性化につながる今後の動きが注目される。
地元のJA関係者は
通勤の場合でも農作業の遅れなど生産面への影響はなく
高級かんきつの安定した収入が得られているという。
ただ通勤の場合は
ガソリン代など交通機関の運賃で年間30万円程度のコストがかかり
この通勤農業の定着には地域をあげた支援のあり方を考えることも今後求められる。
2021年1月28日 NHKBS1「国際報道2021」
1月27日に開かれた
ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺ホロコーストの犠牲者を追悼する式典。
毎年ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所の跡地で開かれてきたが
今年は初めてオンラインでの開催となった。
アウシュビッツが解放されてから76年。
年々生還者が少なくなり
悲惨な歴史を伝えるのが難しくなっている。
そうしたなか注目されているのが
ホロコーストの現場から救い出された1本のスプーンである。
持ち主から聞き取ったエピソードとともに展示され
差別や憎悪が行き着く先に何があるのかを静かに語りかけている。
第二次世界大戦中 ナチスドイツに占領されたポーランド。
首都ワルシャワにあるホロコーストの悲劇を今に伝えるユダヤ人歴史博物館。
「ある生還者がナチスの迫害から逃れる時に手にしていた銀のスプーンの複製です。」
ホロコーストを生き延びた人から寄贈された“銀のスプーン”。
新型ウィルスの感染拡大で生還者の体験を直接聞く機会が減るいま
“悲惨な過去を知る貴重な展示物“として注目されている。
(ユダヤ人歴史博物館 学芸員)
「このスプーンはとても価値のあるものです。
なぜなら“歴史の証人”だからです。
若い人たちがホロコーストの実態を知る貴重な機会になるはずです。」
銀のスプーンにはいったいどんな歴史があるのか。
寄贈したワルシャワに住む エルジビエタ・フィツォスカさん(79)。
エルジビエタさんがユダヤ人の家庭に生まれたのは1942年。
当時ポーランドではヒトラーひきいるナチスが
ユダヤ人を絶滅させる計画を進めていた。
生後間もないエルジビエタさんが両親とともに連れていかれたのは
ワルシャワにあるユダヤ人を隔離して住まわせるゲットーと呼ばれる居住区だった。
待ち受けていたのは
容赦ない暴力と厳しい飢え。
エルジビエタさんがいたゲットーでは月5、000人が死亡したと言われ
その多くは体力がない子どもたちだった。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「私が生き延びられる確率は宝くじの1等当選と同じくらいでした。
大人たちは赤ん坊が泣き始めると
顔に枕を押しつけました。
もしナチスに気づかれたら皆殺しにされてしまうからです。」
さらにナチスは
ゲットーのユダヤ人を次々とアウシュビッツをはじめとする強制収容所へ移送し
ガス室での大量虐殺を進めていく。
救いの手が差し伸べられたのはそんなある日のことだった。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「生後半年が過ぎたころ
私はゲットーから救出されました。
木の箱に入れて運び出されたそうです。
その時に一緒に入れられていたのが銀のスプーンです。」
エルジビエタさんがいたゲットーには
ポーランド人によるユダヤ人を救出するための地下組織“ジェゴタ”がひそかに潜入していた。
子どもたちだけなら助けられると考えたジェゴタのメンバーは
ユダヤ人の親たちを説得。
子どもたちを鎮静剤で眠らせると
銀のスプーンとともに木箱やスーツケースに隠してゲットーの外に運び出し
教会や修道院 ポーランド人の里親に託したのである。
なぜジェゴタは銀のスプーンをエルジビエタさんに持たせたのか。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「このスプーンには私の愛称と生年月日が刻まれています。
これはゲットーに残らざるを得なかった両親と私をつなぐためのものだったのです。」
名前と生年月日が刻まれた銀のスプーン。
それはジェゴタのメンバーが
生き別れになったエルジビエタさんと両親が
いつか再会を果たせるようにと
願いを込めて持たせてくれたのである。
その後 各地の学校などで自らの体験を語り続けてきたエルジビエタさん。
将来この銀のスプーンが
自分の代わりに
次の世代に語り継いでくれると信じている。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「おそらくは母は殺されてしまい
再会を果たすことはできませんでしたが
このスプーンには愛情が込められています。
このスプーンからは他者への思いやりを学ぶことができます。
憎しみが何を生むのか
学ぶことができるはずです。」
2021年1月27日 NHK「おはよう日本」
人生の節目 成人式。
新型コロナウィルスの影響で取りやめた自治体もあるなか
北九州市は感染対策を取って実施に踏み切った。
例年 新成人がド派手な衣装に身を包むことで知られているが
今年はド派手
かつ静かに行なわれた。
1月10日
派手な振袖に
銀色の羽織はかま。
北九州の成人式はド派手な新成人で知られている。
今年は密を避けるため2部制で行われるなどコロナの影響を色濃く受けた。
(新成人)
「コロナも不安だなと思いました。
マスクちゃんとしたり
写真撮るときも外さないようにしています。」
新成人のひとり上田さん(20)。
成人式を盛り上げるため毎年結成される地元のグループの今年のリーダーである。
グループでは代々 そろいの衣装を引き継ぐのが決まりである。
小物や着付けはレンタル着物店と打ち合わせる。
そのやりとりもすべてLINE.
今年は異例づくめである。
(上田さん)
「わいわい人で密集して騒ぐんじゃなくて
グループで出来るだけ集まらんようにしたい。」
レンタル着物店。
200人近い顧客と連日LINEでやりとりが続く。
来店する客に書いてもらうのは
“不要な会話をしない”
“大声を出さない”など
感染対策に協力を求める誓約書である。
一方で今年ならではの心づかいも考えた。
衣装に合わせたマスクのプレゼントである。
(レンタル着物店「みやび」 店長)
「ことしだからラッキーだったと思ってもらえるよう。
コロナに負けないでいい1日を過ごしていただければなと。」
多くの人が静かに
そして熱い思いを込めて準備を進めた成人式。
上田さんも先輩から引き継いだ衣装で参加する。
例年通りド派手な新成人たちだが
例年ほどのにぎやかさはない。
上田さんは会場に母親を呼んでいた。
(上田さん)
「感謝とありがとう。
泣けるやろう。」
(上田さんの母親)
「やんちゃだったけどものすごく優しい子なので
この姿を見てじんとします。
本当に大人になったかなって。」
(上田さん)
「めちゃめちゃしてきたけど
この成人式で切り替えて
大人として頑張っていきたいですね。」
コロナ禍の成人式は新成人の心に刻まれる式となった。
2021年1月26日 NHK「国際報道2021」
東京の新大久保駅で線路に転落した男性を助けようとして
韓国人留学生と日本人のカメラマンが電車にはねられて死亡した事故から20年。
26歳で亡くなった韓国人のイ・スヒョンさんは
“日韓の友好の懸け橋になりたい”と日本に留学していた。
いま日韓関係は慰安婦問題をめぐる判決などで冷え込んでいるが
スヒョンさんの遺志は多くの留学生に引き継がれている。
事故が起きた駅では
26日
黙とうがささげられた。
2001年1月26日午後7時過ぎ
通勤客が多く行きかうなか男性がホームから転落。
スヒョンさんと日本人カメラマンは男性を助けようと線路に降り
電車にはねられて亡くなった。
事故から20年の節目を迎え行われた追悼式。
スヒョンさんの母親のシン・ユンチャンさん。
命日には毎日来日していたが
今年はかなわず
ビデオメッセージを寄せた。
(スヒョンさんの母 シン・ユンチャンさん)
「息子を失ってもう20年です。
温かい愛情をくださった皆様のおかげで悲しみを乗り越えられました。」
“日韓の友好のための仕事がしたい”という夢を持って来日したスヒョンさん。
当時通っていた都内の日本語学校でも
夢をかなえるため勉強に励む姿が印象的だったという。
(スヒョンさんを教えていた田中さん)
「好青年で精悍で
とにかく友だちが多かった。
事故翌年の日韓ワールドカップで日本語・韓国語・英語の通訳ボランティアをしたいと。
だからスヒョン君が生きていたらどう活躍していたかなって。」
命を懸けて見知らぬ人を助けようとしたスヒョンさんの行動に
日本や韓国からこれまでに2,000通の手紙や見舞金などが寄せられた。
事故の翌年
両親は息子と同じように“日本語を学ぶアジアの留学生を支援したい”と
見舞金で奨学金制度を作った。
現在は日本の支援者が引き継ぎボランティアで運営している。
これまでに奨学金を受け取った留学生は1,000人近くにのぼる。
その1人
一昨年来日したオ・スンフンさん(24)。
スヒョンさんと同じ日本語学校に通い始めて
スヒョンさんのことを詳しく知るようになり
感銘を受けたという。
(奨学金を受けた オ・スンフンさん)
「勇気ある行動で日韓両国に感動を与えたことは
後輩としてとても尊敬しています。」
日本のゲーム会社で働くことを目指しているオ・スンフンさん。
得意のイラストをSNSに投稿すると
日本人からも多くのコメントが寄せられ
励まされるという。
スヒョンさんの志を受け継ぎ
将来 日本と韓国をつなぐ仕事がしたいと考えている。
(奨学金を受けた オ・スンフンさん)
「日韓関係がどこまで悪くなるのか不安です。
関係が良くなってほしいので
私が懸け橋になれるならそれ以上うれしいことはありません。」
スヒョンさんの母親は毎年この日に事故現場を訪れてきたが
今年は新型コロナの影響で来日できず
プサン(釜山)にある墓の前で開かれた追悼式に出席した。
多くの韓国メディアがこれを取材して
なかにはこんな見出しを取った新聞もあった。
数多くの韓日両国の外交官ができなかったことを
スヒョンさんは1人で成し遂げた
韓国ではこのところスヒョンさんをしのぶ本が出版されたり
追悼碑が設置されるといった動きも出ているという。
2021年1月26日 読売新聞「編集手帳」
俳人の前田吐実男さんは猫の暮らしを観察して過ごしたという。
寒い日でも外を平気で裸で歩く冬猫の姿だろうか、
次の一句がある。
<靴下手袋大嫌い俺猫だから>
服を着て人に連れられている犬はたまに見かけるが、
猫は防寒具を嫌がる動物であるらしい。
その理由はなぜかと人間に考えさせない独立した凜々しさが、
この自由で気ままな小動物にはある。
猫の家畜化の始まりは中東付近で約9500年前に遡るとされる。
マタタビを与えると、
なぜ喜ぶのか。
こちらの疑問も長らく人間が遠巻きに「猫だから」で済ませてきた生態だろう。
世界史的なこの謎を解明したのが岩手大などの研究班である。
マタタビの葉が蚊を遠ざける成分を含むことを発見し、
猫が葉に体をこすりつけるのは蚊よけの行動であることを確認した。
蚊の媒介するウイルスから身を守るため、
進化の過程で獲得した本能だという。
マタタビに反応している間、
猫の脳内に幸福な気分が増す神経伝達物質が出ていることも分かった。
そう聞くと時節柄、
転げ回って喜ぶ姿が感染症に“打ち勝った証し”のように思えてくる。
うらやましい。
2021年1月25日 NHK「おはよう日本」
独特の自然が育まれた鹿児島県の奄美は
今年 世界自然遺産の登録を目指している。
奄美の自然を長年追い続けてきた写真家は
登録の実現で貴重な自然がさらに守られることを期待している。
“生きた化石”と言われ特別天然記念物(国)のアマミノクロウサギ。
国の絶滅危惧種に指定されているアマミトゲネズミ。
亜熱帯の森に生きる動物たちの生態をとらえた数々の写真。
撮影したのは自然写真家の常田守さん。
40年以上 奄美の自然を見続け
これまでに撮影した写真は10万枚を超える。
「これは夜のアカショウビン(リュウキュウアカショウビン)。
私に起こされて
こうやって大きなあくびするの。
こういったいろんなのが見られるのが奄美大島。」
世界遺産登録に向けて一昨年
IUCN(国際自然保護連合)の調査団が奄美を訪れたときには案内役もまかされた。
調査団にアピールしたのは
ここにしかない動植物である。
「これがアマミフユイチゴ。
固有種です。
奄美と徳之島しか生えない。」
植物だけでも奄美群島には分かっているだけで約50の固有種が存在する。
常田さんは
これまで地元では見向きもされてこなかった動植物にも保護の必要性を訴えてきた。
(自然写真家 常田守さん)
「動植物を含めて
ひと言でいえば多様性ですよね。
365日24時間どの時間もどの季節も面白い。」
森に通い続ける常田さんが心を痛めているのが盗掘被害である。
2020年5月に撮影したコゴメキノエラン(絶滅危惧種)。
希少さから採取や販売が禁止されているが
闇ルートで高額で取引されているという。
(常田さん)
「コゴメキノエランがなくなってますね。
後ろの方にもかろうじて残ってたんですけど
それすらもないですね。」
2021年1月に撮影に来た際には全て盗掘されていた。
なんとか盗掘をくい止めたい。
常田さんが期待するのは
世界自然遺産に登録されることで保護の網をかけることである。
しかし世界遺産への道は平坦ではなかった。
(平成30年5月 環境省の会見)
「世界遺産一覧表への記載
もしくは審議を延期することが適当。」
3年前IUCNは
推薦地が分断されるなど希少種の保護が十分でないと指摘し
登録の延期を勧告。
いわば“出直し”を求められた。
当時のNHKの取材に対して常田さんは
「奄美の自然がダメだってことではないので
また宿題をもらったなという感覚ですね。」
それから3年。
宿題をを出された形の奄美で常田さんは
未来を担う子どもたちに保護の必要性を学んでもらおうと
自らの知識を語り伝えてきた。
そして地域でも外来種の駆除が行われるなど
貴重な動植物を守ろうという動きが各地で高まってきている。
世界遺産への3年越しの再挑戦となる今年
常田さんは手ごたえを感じるとともに登録のその先も見据えている。
(自然写真家 常田守さん)
「最大の目的は自然を守ることであるので
世界自然遺産は通過点ではある。
日本の宝から世界の宝になるわけだから
ちゃんと段階を踏んで保護ということを念頭に置きながら
そうしないと観光も長く続かないだろうし
壊れやすい自然でもあるので
いつでも考えて行動してほしいですよね。」
2021年1月25日 NHK「おはよう日本」
ガチャガチャッとハンドルを回しておもちゃを取り出すカプセルトイ。
中にはいっているのは
なんと真珠。
今この国産の真珠が入ったカプセルトイが注目され
全国で売り上げを伸ばしている。
そこにはささやかな幸せが詰まっているようである。
カプセルの中にはいっているのは宇和海などでとれた国産真珠のアクセサリー。
いま全国の観光地や商店街に置かれ
女性を中心に人気を集めている。
1回1,000円ではずれはなく
必ず手に入る。
(客)
「ちゃんと認定書が入っている。」
「何万円もするのが普通だと思うので
1,000円と書いてあったので
なおさらちょっとやってみようかなと思ってやりました。」
愛媛県南部の宇和海沿岸。
真珠の生産量日本一を誇るが
不況や高齢化の影響で売り上げは最盛期の3割以下に落ち込んでいる。
真珠のカプセルトイを作っている宇和島市の真珠卸業者。
考案した専務の松本さん。
業界を元気づけるためには
高級路線だけではなく
より多くの人に真珠に触れてもらいたいと考えている。
「生産者自体も年々減少しているような状況なので
アコヤ真珠としての需要喚起につなげていければ。」
使われているのは“あまり玉”と呼ばれる真珠。
大きさや色のわずかな違いで市場に出回らなかったものである。
カプセルに入れる真珠のアクセサリーはひとつひとつ手作業で作る。
手に取ったひとに幸せになってもらいたい。
思いを込めて全国へ送り出す。
販売を開始して1年。
意外性に加え認定書がつく安心感もあって人気に火がつき
今では全国30か所以上に設置されている。
出荷数も月に1万個以上になるという。
(客)
「ネックレスかイヤリングか
どっちか当たればいいなと思っていたので
よかったです。」
ささやかな幸せをもたらしてくれる真珠のカプセルトイ。
このカプセルトイを気にかけるふたり組がいた。
東京からやってきた50代の夫婦である。
この日が誕生日の女性。
じつは結婚したときに夫からプレゼントされた真珠のネックレスをなくしてしまったという。
また買ってほしいとはこの20年間ずっと言えなかった。
「昨日の夜はこれなんだろうって言っていて
きょう来たら引きたい引きたいとかって
誕生日だからいいかと
それで引いています。」
「真珠普通に買えば高いじゃないですか。
すごくつやがあってすてきかな。」
忘れられないプレゼントになった。
1回1,000円の小さな宝石箱。
ちょっと高価なカプセルトイは
日常にささやかないろどりを添えてくれる。