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南米ベネズエラ 政治的対立 難民が逃れる国外でも

2019-09-30 07:00:00 | 報道/ニュース

9月4日 NHKBS1「国際報道2019」


ベネズエラでは
独裁を続けるマドゥーロ大統領と
暫定大統領への就任を宣言してアメリカの支援を受ける反政府側のグアイド国会議長の対立が続いている。
国内では食料や医薬品などが極端に不足していて
難民として周辺国に流れている人は約400万人にのぼっている。
これはベネズエラ国民の1割以上で
世界的に見ても中東シリアからの難民に次いで多くなっている。
逃れた行先の内訳は
コロンビア 約130万人
ペルー 約80万人
チリ 約29万人
エクアドル 約26万人
ブラジル 約17万人など
今後もさらに増えるとみられ
来年末までには約800万人に達する可能性があるとも指摘されている。
難民が急増するにしたがって受け入れ国での支援は難しくなっていて
難民たちを取り巻く状況は悪化の一途をたどっている。
マドゥーロ政権側と反政府側の対立は難民を受け入れている国々へも広がっていて
中には双方が大使館を置いて正当性を争うというケースまで出てきた。

ペルーの首都リマにあるビル。
今年6月 反政府側はここに臨時大使館を設けた。
暫定大使のカルロス・スク―さん(33)を始め5人が働いている。
インターネットを使って難民ビザの申請の手伝いや困っている難民を支援している。
(在ペルー 暫定ベネズエラ大使 カルロス・スク―さん)
「同胞のベネズエラ人がここで自活できるように
 最善を尽くそうと思っている。」
スク―さんはベネズエラ難民の生活を改善しようと直接難民を訪ねて回っている。
1日に数か所 難民の暮らす教会などを訪問。
難民から要望を聞き
アメリカ大使館やペルー政府とも話し合い対策を講じている。
(ベネズエラ難民)
「子どもが病気だが医薬品や食料を買うこともままならない。
 国を出て仕事もなく生活資金を稼がなくては。」
自活できず厳しい生活を強いられている難民たち。
スク―さんはあらためてその現実を受け止めた。
(在ペルー 前提ベネズエラ大使 カルロス・スク―さん)
「難民に必要な援助をしたいのですが国が難しい状況にあります。
 ベネズエラの家に戻れるのが最善でそのために活動しているのですが・・・。」
難民への支援を行う暫定大使のスク―さんだが
実際に多くのベネズエラ難民が利用しているのはマドゥーロ政権側の大使館である。
ペルー政府は2年前
マドゥーロ大統領が指名した大使を“好ましくない人物”として国外に追放。
他の職員についても外交官の資格を認めていない。
しかし今のところパスポートの更新などベネズエラ難民がペルーで暮らすための手続きができるのは
マドゥーロ政権側の大使館だけなのである。
(ベネズエラ難民)
「外国人登録証をとりに来ました。」
こうしたなか反政府側は存在感を高めようと
アメリカとともに新たな取り組みを始めた。
ベネズエラ難民への食糧の提供である。
毎日100人ほどに無料で昼食を配っている。
暫定大使のスク―さん自らコックの姿で食事を配る。
スク―さんの横にいるのは反政府側を支援する
アメリカのクリシナ・ウース ペルー駐在大使である。
2人が着るエプロンには
アメリカ政府参加の援助機関USAIDの文字が描かれている。
現在ベネズエラ国内にアメリカの支援物資を持ち込むことは難しいため
周辺国の難民に向けて活用しているのである。
こうした施設はアメリカ大使館の主導でペルー国内だけで21か所作られた。
この日 難民に食事をふるまう様子はペルーのメディアが報道。
スク―さんにとってベネズエラの正式な大使であるとアピールする絶好の機会にもなった。
一方 日ごとに増え続ける難民に対し受け入れ国の対応は限界に近付いている。
ペルーに3か月前に来たディアスさん。
妻と
6歳の娘ビクトリアちゃん
その弟の4人暮らしである。
母国ではディアスさんが石油の技術者
妻は教師をしていたが
今はレストランでアルバイトをして生活費を稼ぎ
ビクトリアちゃんは地元の学校に通わせている。
ペルー政府は正式なビザがない難民のために特別なクラスを開き対応している。
クラスメート20人のうち19人がベネズエラからの難民である。
しかしこの学校では
4年前には10人しかいなかったベネズエラ人の児童が200人以上に急増。
費用や人繰りが厳しく
これ以上の対応は難しいという。
(校長)
「ここ3年でベネズエラ人の子どもが増え
 4,5,6年生の空きはもうありません。」
母国での混乱に収集の見通しが立たないなか
難民たちは避難先でも厳しい生活を強いられ続けている。
 


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進化する49歳 泳ぎ続ける理由は

2019-09-29 07:00:00 | 報道/ニュース

9月4日 NHK「おはよう日本」


成田真由美選手(49)。
パラリンピック初出場は1996年のアトランタ大会。
以来5大会に出場し
獲得した金メダル15個。
“水の女王”ともいわれるレジェンドが上を目指し続ける原動力は。

東京パラリンピックの代表内定がかかる世界選手権を2週間後に控えた8月。
中学生の時の脊髄炎が原因で下半身に障害がある成田選手。
この日泳いだのは3,000m以上。
約2時間 自らを追い込む。
圧倒的な練習量で進化を続け
去年47歳にして200m自由形では日本記録を更新した。
(NHK 三上リポーター)
「戻ってきたかと思うとまたすぐ戻っちゃう。
 成田さんは足が使えないということがあるので
 腕だけで泳いでいくことが本当にすごいことだと見ていて思う。」
(成田真由美選手)
「疲れない練習はない。
 楽な練習はない。
 腕だけ腕のみ腕しか。
 3拍子揃っちゃった。」
成田選手を突き動かしているひとつの思いがある。
心のバリアフリーを浸透させたい。
20代前半で競泳を始めた成田選手。
練習場所を探していたが
車いすを使っていると伝えると多くのクラブから電話口で入会を断られた。
7か所目にようやく受け入れてくれたのが現在のクラブ。
成田選手の練習を見て何をどこまでできるか確認したうえで入会を認めてくれた。
このクラブで24年目の成田選手。
築き上げてきた信頼の証があるという。
それがクラブの中にある段差である。
成田選手は1段の段差なら乗り越えることが出来るため
あえて工事はせず
そのままにしてある。
成田選手ができることは任せ特別なサポートしない。
成田選手はクラブの姿勢に信頼を感じている。
(成田真由美選手)
「24年経つのにスロープにならないところが私にとっての心地のいいバリアフリー。
 なんでもかんでもスロープを作ればいいかというと
 それはそれでいいけど
 自分ができることを尊重してくれているじゃない。
 そういうことなんだよね
 心のバリアフリーって。」
競技人生の集大成と位置づける東京大会。
自分の泳ぎを多くの人が見て何かを感じ取ってもらいたい。
成田選手はその思いを胸に泳ぎ続ける。
(成田真由美選手)
「たくさんの方が応援して注目してくれていることは素敵なこと。
 自分が東京パラに出ていくことによって
 見てもらって
 社会が変わる部分もあると思ったので
 そうやって何かメッセージを送れたらいいのかなと思う。」
 


 

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スポーツは対立を超えて技を競う

2019-09-28 07:00:00 | 編集手帳

9月4日 読売新聞「編集手帳」


「男はつらいよ」など名曲の数々を手がけた作詞家の星野哲郎さんは、
自身の作品を「演歌」とは称さなかった。

遠くにありて歌う遠歌、
人との出会いを歌う縁歌、
自分や誰かを励ます援歌…。
書くときは「えん歌」とペンを走らせた。
映画の主題歌としてヒットした「柔道一代」も、
人生の何事かを歌う「えん歌」だろう。
次の一節がある。
<この世の闇に 
 俺は光をなげるのさ>。
この詞を贈り、
頑張ってと呼びかけたい柔道家がいる。

世界柔道81キロ級の前大会覇者、
イランのサイード・モラエイ選手である。
先月の東京大会で祖国から圧力を受けたという。

イランが国家として認めていないイスラエルの選手との対戦を避けるべく、
途中棄権を求められたと国際柔道連盟(IJF)に打ち明けた。
事実とすれば、
対立を超えて技を競うスポーツの価値を台無しにする関与と言うほかはない。
祖国との関係が心配されるため連盟が支援を検討している。

モラエイ選手は黙ることもできた。
勇気もいった告白だろう。
紛争の絶えない世界情勢に負けずにスポーツの本分が守られるよう、
彼の「柔道一代」に共感する。

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お茶の楽しみ 最前線

2019-09-27 07:00:00 | 報道/ニュース

9月4日 NHK「おはよう日本」


東京六本木で開かれた新商品の発表会。
神奈川県の高級茶飲料メーカーが開いたこの発表会にはマスコミは料理店の関係者が集まった。
グラスに注がれているのは静岡県産のお茶。
価格は1本なんと30万円。
注文販売がスタートした。
(ロイヤルブル―ティージャパン 吉本桂子社長)
「どうやって最高のパフォーマンスを出せるかとなったとき
 新しい様式にならなければお茶の未来はない。」
(試飲した人)
「華やかなお茶の香りの裏に奥深い渋みがある。」
材料は浜松市天竜区の農家が作った高級な手摘み茶。
手作業と水にこだわり
3日間かけて水だししたこのお茶。
(ロイヤルブル―ティージャパン 吉本桂子社長)
「フルボトルに入れることによって皆様でこの感動を分かち合う。
 本物のお茶の味を魅力を
 正確に安全に
 皆様にお伝えしたい。」
ターゲットは国内外の高級レストラン。
そして贈答用としても。
メーカーによると
ここ数年こうした超高級緑茶のっ需要が増えてきているという。
「ワイングラスで飲む日本人の感覚がないので
 ギャップでびっくりされる。
 非常に喜んでいただいています。」
茶の生産をめぐっては価格の低迷やペットボトル入りのお茶の普及を背景に
高級茶を作る茶農家の技術の伝承が困難になっているという。
メーカーではワインボトル入りの茶の開発で茶農家を支援するとともに
本物の日本の高級茶を世界に売り出したいとしている。
(ロイヤルブル―ティジャパン 吉本桂子社長)
「日本茶を世界一のブランドにするためです。 
 世界一の日本茶を世界中の人に
 いつでもどこでも誰がサーブしても
 パーフェクトな味で日本茶を伝えたい。」
県産茶の消費拡大を狙った取り組みは新たな広がりを見せている。
静岡市の老舗ステーキ店。
お茶の使い道は何とビール。
(客)
「すごいすっきりしていておいしいです。」
「飲みやすい。
 なんかビールじゃないみたい。」
静岡の茶業界を何とか活性化させたい。
大手ビールメーカーとJA静岡経済連が開発した。
シニアソムリエと日本茶インストラクターの資格を持つ店の代表も太鼓判を押す。
(ルモンドふじがや 白鳥智香子代表)
「最近ビールのワイン化というのが始まっていて
 いろんな個性のあるビールをお食事と合わせて楽しむという
 新しい楽しみ方が出てきている。
 ビールの世界で静岡茶ビールは海外の方にもとても受け入れられる要素がある。」
作り方は県産茶のパウダーを溶かしてビールを注ぐ。
お茶の香りとさっぱりした味わいが特徴の“ビアカクテル”。
今年春から販売が始まったが
評判は上々である。
日本伝統のお茶の新たな味わい方も知ってもらおう。
お茶と料理の組み合わせを味わってもらう“ティーペアリング”
楽しむメニューも提供している。
(ルモンドふじがや 白鳥智香子代表)
「普段のお茶をちょっと角度を変えて楽しんでみたり
 新しいお茶の付加価値が生まれて
 それがゆくゆくはお茶の消費の拡大につながっていけば。」


 

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どん底から奇跡の復活の金メダリスト

2019-09-26 06:52:12 | 報道/ニュース

9月4日 NHK「おはよう日本」


アメリカのアンソニー・アービン選手。
男子自由形で東京オリンピックを目指している。
8月 自らの経験を子どもたちに伝えるため来日した。
アービン選手は19歳の時シドニーオリンピックの50m自由形で金メダルを獲得。
翌年の世界選手権ではあのイアン・ソープ選手をおさえて男子100m自由形で優勝した。
ところがその後10年余競泳の表舞台から姿を消した。
アービン選手に何があったのか。
(アンソニー・アービン選手)
「金メダリストになったけれど
 思っていた理想と現実は全然違っていた。
 それをなかなか受け入れられずに心を病んでしまった。」
黒人の父と白人の母の間に生まれたアービン選手。
アメリカで競泳は長く“白人のスポーツ”とされ
注目されたのは“ルーツが黒人”ということばかりだったのである。
泳ぐ目標が見いだせなくなったアービン選手は
22歳の若さで現役を引退。
やがてアルコールや薬物に依存し生活はすさんでいった。
(アンソニー・アービン選手)
「人生で困難や挫折を経験しない人なんていない。
 そんなときは自分でもどうしていいのかわからない。
 私も本当に苦しかった。」
どん底の日々に転機が訪れたのは競技から離れて7年後。
仲間に誘われ子どもたちに泳ぎ方を教えたときのことだった。
(アンソニー・アービン選手)
「子どもたちが水中で無邪気に楽しむ姿を見て
 大事なことを忘れていたと気づいた。
 まるで出口の無い日々に光がさしたようだった。」
泳ぐ楽しさを思い出したアービン選手は現役復帰を決意。
自らを駆り立て再び厳しいトレーニングに向き合った。
そして2016年のリオデジャネイロ・オリンピック。
(実況)
「アービンが勝った!
 16年ぶりの金メダル!」
競泳史上最年長
35歳での金メダル。
奇跡の復活を果たした。
(アンソニー・アービン選手)
「1位になったと分かった瞬間
 支えてくれた人たちの顔が頭に浮かんだ。
 挫折もあったが
 今はその日々にも感謝している。」
アービン選手はトレーニングのかたわら
立ち直るきっかけをくれた子どもたちへの恩返しにと水泳の楽しさを伝えている。
「水の中ではひざや足首を曲げず
 1本の竹のようにしならせることが大切なんだ。」
(指導を受けた子)
「教えてもらったら少し泳ぐのが楽になりました。」
「プレッシャーに打ち勝つやり方を教えてもらったので生かしたいと思います。」
(アンソニー・アービン選手)
「水泳の上達は終わりがない旅と一緒。
 いつも新たな発見がある。
 皆さんもその旅に加わってくれてありがとう。
 自分の金メダルを目指そう!」
子どもたちの声援を背にアービン選手は39歳で東京オリンピックに挑む。
Q.東京五輪で金メダルを目指す?
(アンソニー・アービン選手)
「もちろん!
 どんな結果になろうともね。」
 
 

 

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アメリカ 広がる米中貿易摩擦の波紋

2019-09-25 07:00:00 | 報道/ニュース

9月3日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


対立が剥げエしくなる米中の貿易摩擦。
アメリカは去年7月340億ドル分に25%の関税を上乗せしたのに続き
160億ドル
2,000億ドルと
3回に分けて中国からの輸入品3,500億ドル分に関税を上乗せしてきた。
これに対し中国側は対抗措置として
大豆や食品などアメリカからの輸入品1,100億ドル分の関税を引き上げた。
そして第4弾としてトランプ政権は
日用品を含む1,100億ドル分を対象に15%の関税上乗せ措置を発動した。

アメリカ政府が発表している一連の関税措置。
4人家族の負担が年間約25万円増加するという試算も出ている。
(市民)
「大統領は悪い決断をしています。
 子どもがいるので値上げは望みません。
「出費が増えるので関税には反対です。」
しかし関税の直撃を受ける企業の間では商品の価格に転嫁する動きが拡大するとみられている。
ニューヨークに本社がある創業50年のベビー用品メーカー。
人件費が安く抑えられる中国で完成品を生産しているためほとんどの商品が中国製である。
社長の ジョセフ・シャミーさん。
材料の調達の見直しなどを検討してきたが
どうしても関税の上昇分を吸収できないとして9月から1割程度の値上げに踏み切った。
(ベビー用品メーカー社長 ジョセフ・シャミーさん)
「もともと利益が少ないので値上げするしかありません。 
 多くの人にとって悲惨なことです。」
ベビーカーにも12月に15%の関税が上乗せされるため
値上げが検討されている。
こうした企業に対してトランプ大統領は
(トランプ大統領 )
「アメリカ企業のいくつかは中国から撤退することになる。」
関税の負担が気に入らなければ中国での生産をアメリカに戻すよう求めているのである。
しかしシャミー社長は
中国には会社が所有する大規模な試験施設もあるため
移転ともなれば大きな損失が生じると反発している。
(ベビー用品メーカー社長 ジョセフ・シャミーさん)
「生産を突然他国に移すのは非常に難しいです。
 中国との関係を断ち切れば
 良質な製品を手ごろな価格で販売できなくなるでしょう。」
貿易摩擦で対立を深めるアメリカと中国。
今この対立がアメリカで行われてきた文化交流にも普及している。
南部ルイジアナ州のザビエル大学にある中国語の教育機関「孔子学院」。
孔子学院は中国政府が15年前
中国の言語や文化を世界に広める目的で設立した機関で
アメリカでも大学の校舎を借りる形で100校近くが運営されている。
(生徒)
「漢字に興味があります。
 勉強を続けて中国語を使いたいです。」
ところがアメリカの議会が孔子学院の活動が
“中国共産党の思想を広めている”と疑い始めたのである。
(共和党 ロムニー上院議員)
「孔子学院は中国政府の政治活動の一環で
 アメリカの子どもたちを洗脳しているのではないか。」
議会は貿易摩擦が激化した去年の夏から実態調査を実施。
中国政府がアメリカの大学の教育や運営に介入していると指摘した。
議会で成立した今年度の国防権限法には
“孔子学院を受け入れる大学には補助金を出さない”と規定された。
それ以降アリゾナやオレゴンなど10の大学が
資金を確保できないとして孔子学院の閉鎖を決めている。
(ザビエル大学 孔子学院担当 江さん)
「孔子学院の存続を強く支持し擁護します。
 我々は中国語教育の伝統を残していきたいだけなのです。」
5月には共和党の一部の議員が
中国とのかかわりが深い研究者や留学生のビザ発給を禁止する法案を提出している。
関税の負担を強いられている経営者たちの中にも
トランプ政権が中国に貿易上の改革を求める姿勢自体には賛成している声が多い。
アメリカ国内で中国に対する不信感を口にする人が増えていると感じる。
GDPでアメリカ企業の設備投資や輸出がマイナスに転じたり
ダウ平均株価が8月に今年最大の下落幅を記録するなど
景気に不安要素も出てきている。
中国側にアメリカ産の大量の農産品の購入や国営企業への補助金の見直しなどの要求を
できるだけ急いでのませたいと考えていると思われる。
このあとアメリカの景気が後退して大統領の人気に影響してくるようなことになれば
大統領として対中強硬路線の変更の可能性もある。
一方で中国はアメリカをWTOに提訴すると発表したように一歩も引かない構えを見せている。
しかも中国政府は最近“交渉には長い道のりがかかる”と言及した。
来年の大統領選挙でトランプ大統領が再選するか
それを見るまでは交渉を進めるつもりはないのではないかという見方もある。
この異例ともいえる関税の掛け合いが経済にどのような影響を与えるのか
それを受けて両国がどんな戦略にでるのか
2つの大国の次の1手に注目である。

 



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ベネチアで注目 “是枝作品”の魅力

2019-09-24 07:00:00 | 報道/ニュース

9月2日 NHKBS1「国際報道2019」

世界3大映画祭の1つ
イタリアのベネチア国際映画祭。
是枝裕和監督の新作が日本人の監督として初めてオープニング作品に選ばれた。
その理由について主催者は
(映画祭ディレクター アルベルト・バルベーラ氏)
「是枝監督は家族の関係を描くのに秀でたすばらしい監督です。
 オープニング作品にふさわしいという意見ですぐに一致しました。」
キャストはすべて外国人。
撮影は全編フランスで行われた。
是枝監督にとって初めての挑戦となった。
映画「真実」。
フランスの国民的大女優が自伝を出版したことをめぐって
娘とときに激しく対立しながらもお互いを理解していく物語である。
パリ市内の一軒家を舞台にした作品には
主演にフランスを代表する俳優 カトリーヌ・ドヌーブさん
ドヌーブさんの娘役にジュリエット・ビノシュさんなど
世界的に活躍する俳優が出演している。
(出演したフランス人俳優 ジュリエット・ビノシュさん)
「是枝監督が映画を作り始めたころから大好きで
 尊敬しています。
 彼の作品は繊細かつ複雑で
 とりわけ子どもに対する愛に
 いつも感銘を受けます。」
監督の長年のファンだと明らかにしたビノシュさん。
2011年に来日した際
監督に「一緒に映画を作りたい」と声をかけたという。
これを受け是枝監督は
長年あたためてきた日本の女優が主人公の脚本を
フランスを舞台に大幅に書き換え制作することにしたのである。
去年12月
パリ近郊の制作現場。
主演のドヌーブさんの室内シーンの撮影。
スタッフのほとんどがフランス人というなか
細かい動きを確認しながら撮影が進められる。
ビノシュさんのシーンでは
(出演した緋勇 ジュリエット・ビノシュさん)
「撮影が進むにつれ
 徐々に自分の役の居場所を見つけていきました。
 監督は私たちの感情表現を遮りませんでした。
 演じ方よりも女優の生き方に興味を持っていたようです。」
さらに撮影にあたって最も印象に残ったのが
監督が俳優たちにインタビューを行ったことだった。
(出演した俳優 ジュリエット・ビノシュさん)
「隠された何かを探すジャーナリストのように
 監督は私たちに質問しました。
 監督は答えではなく質問することで私たちに何かを与えてくれたのです。」
(是枝裕和監督)
「初めて芝居を演じた時のこととか
 それを見に来てくれた両親に何と言われたとか
 女優という生き物がどういうふうに誕生するのかと・・・。」
その内容は一部 脚本にも盛り込まれ作品により現実味を与えたという。
オープニング上映後
評論家らから高い評価の声が相次いだ。
(イスラエルのジャーナリスト)
「日本映画とフランス人俳優という異なる要素を融合させています。」
(ドイツのジャーナリスト)
「さまざまな受け止めができ
 映画館を出た後もずっと考えさせられる作品です。」
是枝監督は初めて挑戦した海外での政策に手ごたえを感じたという。
(是枝裕和監督)
「自分の作りたい映画を掘り下げて作っていけば
 日本映画であろうとフランス映画であろうと届くところには届くと思い
 それを今回やった。
 本当に目指したところに着地できたんじゃないかと思う。」
(出演した俳優 ジュリエット・ビノシュさん)
「ひとつひとつのシーンが驚きに満ち
 すばらしい経験でした。」

 

 

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セーリング 岡田・外園 東京大会で活躍誓う

2019-09-23 07:00:00 | 報道/ニュース

9月2日 NHK「おはよう日本」


神奈川県江ノ島で行われていたセーリング男子470級で
東京オリンピックの代表に2人の選手が内定した。
岡田奎樹選手(23)と外園潤平選手(28)のペアである。
ペア結成の2年目の去年
日本の男子として初めてW杯優勝した急成長のふたりである。
3つの選考レースで好成績をおさめ
代表入りを勝ち取った。
(男子470級 岡田奎寿選手)
「夢見てきた場所(五輪)にようやくたどり着いたといううれしさがある。」
(男子470級 外園潤平選手)
「世界のトップ選手と渡り合っていけるようにしていきたい。」
この2人に期待されるのはオリンピック470級で3つ目のメダル獲得である。
実は岡田選手は
アトランタ五輪で銀メダルを獲得した重由美子さんとアテネ大会で銅メダルを獲得した関一人さんの
メダリスト2人から指導を受けた経験がある。
外園選手はセーリングに打ち込む前は
(外園潤平選手)
「駅員さんをしていて
 そのあとは車掌さん。」
実は6年前に九州の鉄道会社に就職し車掌をしていた経験がある。
東京オリンピックへの意気込みは?
(外園潤平選手)
「未来の潤平に向けて
 出発進行!」
(岡田奎寿選手)
「いいっす!いいっす!
 完璧です!完璧です!」
着合い 根性 (外園潤平選手)
金への挑戦  (岡田奎寿選手)
セーリング会に3つ目のメダルをもたらせるのか
注目である。


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広がる「はるかのひまわり」

2019-09-22 07:00:00 | 報道/ニュース

8月31日 NHK「おはよう日本」


「はるかのひまわり」。
阪神淡路大震災で亡くなった少女にちなんで名づけられたひまわりで
命の大切さを伝えるシンボルともなっているが
今年 歌会始で上皇さまの歌に詠まれたことからあらためて注目されている。

去年 西日本豪雨で大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町。
この夏初めて「はるかのひまわり」の花が咲いた。
東日本大震災の被災地など全国の被災地をつなぐシンボルとして各地で花を咲かせている。
このひまわりのためを配布し全国に広げる活動を続けている菊地いつかさん。
いつかさんは阪神淡路大震災で妹を亡くした。
妹の加藤はるかさん。
当時 小学6年生だった。
はるかさんが亡くなった自宅の跡地にはたくさんのひまわりが咲いた。
それが「はるかのひまわり」と名づけられ
命の大切さを考えるきっかけにしてほしいと
全国の学校などに種が配布されたのである。
(菊地いつかさん)
「震災がいろんな人の記憶から薄れていくから
 ひまわりを通して“忘れないで”と言ってたのかな。
 とりあえず自分が動ける間は咲かせ続けたい。」
今年は「はるかのひまわり」が大きく注目されるきっかけがあった。
2月に皇居で行われた平成最後の歌会始で上皇さまの歌に詠まれたのである。
(上皇さま)
贈られし ひまわりの種は 生え揃ひ
葉を広げゆく 初夏の光に
上皇ご夫妻は14年前
天皇皇后として阪神淡路大震災の追悼式に参列。
そのとき ひまわりの種を受け取り
お住いの庭で大切に育てられてきた。
反響は大きく
種を送ってほしいという依頼が全国から相次ぎ
例年の5倍の1万5千件にものぼった。
(菊地いつかさん)
「びっくりしましたね 本当に。
 まさか震災から24年経って
 いまだにそうやって気にかけてくださって
 すごく感謝です。」
「はるかのひまわり」が注目されたこの夏
いつかさんは去年生まれた娘とひまわりを育てている中学校を訪れた。
(中学生)
「大切な貴重なひまわりをこの学校で育てることが出来てうれしい。」
「ひまわりの種を植えていくことで
 震災があったことをこれからも伝えていくことが出来たらなと思います。」
(菊地いつかさん)
「来年25年を迎えるけれど
 ここの中学生たちも生まれる前の話ですし
 ひまわりを植えて
 自分たちで何かを考えようとしてくれているのはうれしい。
 娘が自分もやりたいと言ったらいいし
 やりたくないというのならそれでいいのかな。
 ただ どこか他の所で一緒にひまわりを見てみたりしてみたい。
 来年くらいは一緒に種まきできるかな。」
 



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エチオピア 日本 時空を超える旋律

2019-09-21 07:00:00 | 報道/ニュース

8月29日 NHKBS1「国際報道2019」


エチオピアの首都アディスアベバのナイトクラブ。
ジャズやロックなど様々なジャンルと融合したエチオピアの音楽が楽しめる。
キーボードを演奏するのは音楽プロデューサーのアベガス・シオタさん(56)。
エチオピア人の父と日本人の母を持つアベガスさん。
エチオピアを代表するプロデューサーとしてこれまで数々のヒット曲を生んできた。
(アベガス・シオタさん)
「エチオピア音楽の独特さは
 これまで社会が閉鎖的であったことに由来します。
 外国音楽の影響も受けてはいますが
 エチオピア人は民族音楽的な曲を好みます。」
エチオピアの民族音楽は
千年以上の歴史があるエチオピア正教の讃美歌などから派生したと言われる。
その特徴はどこにあるのか。
(アベガス・シオタさん)
「エチオピアらしさは音階にあります。」
エチオピアに古くからある音階は日本の伝統音楽によく似ている。
(アベガス・シオタさん)
「偶然にも“平調子”(日本の箏で使われる音階)にとても良く似ています。」
それだけではない。
アベガスさんはエチオピア音楽は実際に日本の歌謡曲から影響を受けたと指摘する。
(アベガス・シオタさん)
「エチオピアの兵士は朝鮮戦争に派兵されました。
 休暇中 日本を訪れた人々もいました。
 中にはミュージシャンもいて
 日本の音楽の影響を持ち帰ったのです。」
エチオピアは今から70年近く前
朝鮮戦争に約6,000人を派兵した。
120人以上のエチオピア兵が命を落とすという厳しい戦いの一方で
つかの間の休暇で日本を訪れる兵士も数多くいた。
当時 日本を訪れた兵士(87)は
(元兵士 ステファノスさん)
「たくさんの日本の音楽を聴き
 とても興味深いと感じました。
 いくつかの曲はエチオピアの音楽に似ていました。」
さらに帰国した兵士の1人が滞在中の恋の体験を曲にし大ヒットした。
(作曲者 シェワンダンネさん)
♪ 極東にいたあのころ
 日本人女性と恋に落ちた
 熱愛に燃えたあのころを決して忘れない
(作曲者の息子 ミキヤスさん)
「その日本人女性は日本の音楽をたくさん聴かせてくれたそうです。
 日本の音楽に着想を得て
 この曲のメロディーができたんです。」
今でも知らない人がいないというこの曲。
エチオピアに昔からあるメロディーと似ていたため
人々を強く引きつけたという。
(音楽プロデューサー アベガス・シオタさん)
「その時代以降
 エチオピアにも演歌っぽい曲が出てきました。」
ナイトクラブの舞台に立ったアベガスさん。
演奏するのはもちろんこの名曲である。
♪ 極東にいたあのころ
 日本人女性と恋に落ちた
 熱愛に燃えたあのころを決して忘れない
(客)
「みんな大好きな曲。
 世代を超えて受け継がれている。」
「エチオピアと日本は同じ音階を共有しているんだ。」
遠く離れた日本とエチオピア。
両国の間には時代を超えた共通の旋律が流れ続けている。
(音楽プロデューサー アベガス・シオタさん)
「1950年代
 ごく短い間に生まれた両国のつながりが
 こんなに長く続くなんて驚きです。
 私の夢はさらに新たな日本とエチオピアの合作を生むことです。」

 

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ケニアの「イノベーション」

2019-09-20 07:00:00 | 報道/ニュース

8月28日 NHKBS1「国際報道2019」


アフリカでは今
スマートフォンや携帯電話などの情報通信機器が爆発的に広がっている。
先進国が段階的に長年かけて積み上げてきた技術の進歩を一気に飛び越えて最新の技術が普及することを
リープフロッグ(カエル跳び)現象”と呼ぶが
アフリカではまさにリープフロッグが起きている。
こうした新しい技術を使ってアフリカにある長年の課題を解決しようと
アフリカの若者たちが次々と新しいビジネスを起ち上げている。
そのことに日本を含めた世界中の投資家たちが熱い視線を送っている。

アフリカンイノベーションの中心地の1つ ケニア。
広いサバンナに建つ質素な家。
電線も水道もガスも通っていないこの場所。
しかしここに暮らす遊牧民のマサイの男性の手にはスマートフォンが。
牛の売り買いの情報を集めるため今では手放せない道具となっている。
「毎日情報が入ってきて役立つし
 うれしい。」
充電は太陽光発電を利用している。
ケニアでは中国やインドから手ごろな価格のスマートフォンが出回り
携帯電話の普及率は100%以上。
1人1台以上持っている計算である。
誰もがインターネットにアクセスできるようになったことで
新たなビジネスが次々に起ち上がっている。
その1つがスマホを使った“郵便革命”をもたらしている。
ケニアではほとんどの建物で詳しい番地が割り振られていないことから
多くの人が郵便物を郵便局まで取りに行っていた。
新たなサービスでは郵便物にQRコードを貼り付ける。
読み取ると
受取人の携帯電話に届け物があることが通知される。
受取人が今いる場所に届けてほしいと希望すれば
配達人は携帯電話のGPS機能を使って場所を特定する。
その場所めがけてバイクを走らせる。
携帯電話があればどこででも荷物が受け取れるのである。
このサービスは人気を呼んで利用者が急拡大し
現在4万人が登録している。
(サービスを利用した人)
「ネットで購入すると通知や追跡など
 携帯電話1台で何でもできるようになった。」
このサービスを始めた起業家のアブドゥルアジズさん。
アイデアのきっかけは自分自身の苦い経験だった。
アブドゥルアジズさんはかつて公務員試験の合格通知を期限内に受け取れず
就職のチャンスを逃してしまったのである。
(起業家 アブドゥルアジズさん)
「“必要はイノベーションの母”
 職には就けなかったが
 おかげでこの会社が生まれた。」
この企業を支援している日本人の若者がいる。
寺久保拓磨さん(28)。
去年 アフリカに特化したベンチャーキャピタルを設立。
アフリカに関心を持つ日本企業などから出資を受け
現地のスタートアップ企業に投資している。
寺久保さんはアブドゥルアジズさんの考えたサービスでケニアの物流は一変すると考え
今年1月 約1千万円を投資。
サービスの実用化を後押しした。
(寺久保さん)
「物流のインパクトってすごく大きいので
 そこのインパクトによって経済が一気に加速するので
 可能性しか感じない。」
寺久保さんはケニアで起きている変化をさらに大きくするために
日本企業との連携にも力を入れている。
現地に進出している大手バイクメーカー ホンダ。
物流が拡大すれば配達用のバイクの需要が急増すると期待するこのメーカー。
貧しい人でも元手なしでバイクを使った仕事を始め
ゆくゆくはバイクを自分のものにできる仕組みを作ろうとしている。
(ホンダ プロジェクトリーダー)
「先進国や今あるビジネスに凝り固まっている僕らにとって
 非常に刺激を受け
 かつ可能性が見いだせる土地だと思う。
 会社として何か発展するチャンスが見えてくるのではないかと考えている。」
寺久保さんは大学生のとき
貧しい人たちに小口の投資をするバングラデシュのグラミン銀行でインターンシップを経験。
企業がたちがビジネスの力で課題を解決していく姿に感銘を受けたことが投資家を目指すきっかけとなった。
アフリカ各地を飛び回り有望な起業家を探す。
(寺久保さん)
「アフリカは世界で一番課題を抱えているところが大きい。
 ここで解決出来たら世界中どこでも解決できるだけのノウハウを得られると思ったので
 それを一緒に起業家と作りたい。」
寺久保さんはアイデアを競い合うコンテストも行っている。
7月に開かれたコンテストには11人の起業家が参加した。
漁業や農業に携わる人たちの急な出費に対応する保険を提供する事業。
AIを使ってビジネス情報を交換し合うサービスなど
さまざまな計画が披露された。 
(起業家)
「魚を冷蔵保存ボックスに入れます。
 その場で販売もできますし
 トラックに積んで遠くに運ぶこともできます。」
優勝したのはケニアの起業家。
冷蔵庫や保冷車が発達していないため
取った魚の40%が無駄になってしまっていることに目をつけた。
太陽電池を使って冷蔵配達する仕組みを作り
地方から都市部まで新鮮な魚を運べるというアイデアを披露。
10万ドルの融資を獲得した。
(寺久保さん)
「ビジネスとして実態が全然ない状態なので
 それが形になり大きくなるか見極めるのが怖さでもあり面白さでもある。
 起業家が一番大変なのが創業期なので
 しっかり支援するのが僕の役割。」

 



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アンゴラ 中国の融資 光と影

2019-09-19 07:00:00 | 報道/ニュース

8月27日 NHKBS1「国際報道2019」


アンゴラの首都ルワンダ。
1975年にポルトガルから独立してから30年近く。
豊富な石油資源の利権をめぐって政府軍と反政府勢力の間で激しい内戦が続いた。
しかし今その面影は全く無い。
ポルトガルの統治時代をしのぶ古いビルは次々取り壊され
真新しい高層ビルの建設が進んでいる。
石油の輸出に支えられ
経済成長率は2000年代には年率10%を超え15%を超えた年もある。
富裕層や中間層も誕生している。
(市民)
「ビル 住宅 娯楽施設
 どんどんできてるわ。」
街のいたるところで目に飛び込んでくるのは中国語の看板である。
アンゴラには合わせて450以上の中国企業が進出。
特に象徴的なのが大規模なインフラ開発である。
5000ヘクタールの敷地に建設された700棟ものマンションビル。
一部の裕福なアンゴラ人のために全く新しい都市が丸ごと作られているのである。
アフリカで最大規模とされるこの住宅開発。
総事業費35億ドル(3,800億円余)。
全て中国からの融資である。
中国企業が建設している郊外の大規模な住宅街の中心通りでは
道路標識も東や西の方角が中国語で記されている。
学校や商業施設のほか独自の発電所や浄水施設
それに交通網も整備され
すでに7万人が暮らしている。
今後さらに拡張される予定で
将来的には20万人が暮らす新都市が出現する。
住民の1人 エンジニアのサンバさん(39)は妻と5人の子どもの7人家族。
6年前に広さ120㎡の3LDKのマンションを約800万円で購入。
20年のローンを組んだ。
(サンバさん)
「このキッチンは中国人が作った。
 これも中国製だよ。」
「ポルトガルとブラジルの建設会社の住宅は非常に高い。
 中国の参入はいいですね。
 家を持つという夢がかなった。」
しかしこうした開発をを支える融資の裏には大きなからくりが用意されていた。
インフラ整備のための中国からの融資で
多くの場合担保となっているのがアンゴラの唯一ともいえる輸出品の原油である。
中国からの多額の融資はアンゴラでのインフラ建設などに使われる。
しかしその工事を受注するのは多くの場合地元の業者ではなく中国企業である。
多額の債務を抱えることになるアンゴラは
原油を売り捻出した外貨を債務の返済に充て続けなければならない。
その原油を多く買っているのも中国なのである。
中国にしてみると
融資した資金は戻ってくる上に
企業にも還元され
さらに原油も手に入るという仕組みなのである。
Q.原油での編成は国にとって負担?
(アンゴラ アゼベド石油相)
「その話には詳しく立ち入りたくないが
 我が国は返済の義務は果たすしかない。」
こうした融資による借金が膨らみ続けるなか
そのしわ寄せは国民生活を直撃。
高層ビルの建設が進む中心部のすぐ横にはトタン屋根の住宅が未収するスラム街が広がっている。
一部の国民が豊かさを享受する一方
国民の30%は1日1,9ドル以下で暮らす貧困層である。
アンゴラの債務の返済はいまや利息だけで国の支出の12%(約3,300万ドル)に達している。
これは医療と教育のそれぞれの支出を上回っていて
国の財政を圧迫しているのである。
(市民)
「中国の投資の恩恵は企業や金持ちだけで
 私たちは全く感じていない。」
こうしたっ融資にサインしてきたのがドスサントス前大統領である。
40年近い長期政権により腐敗が横行。
各国がアンゴラへの融資を渋るなか積極的に融資をしてきたのが中国だった。
地元の経済の専門家は
こうした融資が中国に有利な条件で行われたと批判する。
(カルロス・ロサド氏)
「石油が担保できたからこそ
 中国はリスクを承知で融資をした。
 お金は全くアンゴラには落ちない。」
一方でここにきて変化も起きている。
ドスサントス氏は長期政権や中国との関係に批判が高まり
一昨年 退陣に追い込まれた。
新たに就任したロウレンソ大統領は
これまでの中国依存からの脱却を目指して
他の国や国際機関からの融資を受ける方向に転換しようとしている。 
中国企業が担っている新空港と鉄道の工事にも
膨れ上がった事業費を問題視して
工事のストップと見直しを命じた。
こうしたなか政府関係者からは日本からの投資に期待する声も上がっている。
(アンゴラ アゼベド石油相)
「日本企業はすでにさまざまな産業に進出している。
 石油産業への進出も期待している。」




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成長続くエチオピア

2019-09-18 07:00:00 | 報道/ニュース

8月26日 NHKBS1「国際報道2019」


エチオピアは
1970年代半ばから15年以上
社会主義を掲げる軍事独裁政権が統治した歴史がある。
軍事費が膨らみ
数十万人の国民が“反体制派”とみなされて政権側から殺害されるなど
国は混乱を極め
飢餓へとつながったのである。
首都中心部には軍事政権時代に作られた銅像が今も残されている。
実は銅像はエチオピアが社会主義だったころに北朝鮮が製作したものである。
飢餓にまで至った混迷から30年ほどが経ち
いまエチオピアはナイジェリアに次いでアフリカで2番目に人口が多い国となり
若い世代が急速な発展を支えている。
(市民)
「この変化に乗り遅れないようにしないと。
 もちろん未来は明るいよ。」
「仕事のなかった人たちも今は働いています。
 教育や経済が良くなっていると感じます。」
インフラの整備も着々と進んでいる。
電車もエチオピアの経済発展を象徴する存在と言える。
4年前に開通した首都を走る電車は
日本円で10円程度から乗車できるとあって大勢の市民が利用している。
(利用客)
「いつも利用しています。」
「早いし涼しくて快適です。」
去年開通した貨物鉄道。
エチオピアは内陸国のため港がないが
アディスアベバから隣国ジブチの港を結ぶ全長750kmが中国の資本で作られた。
新たなインフラを活用して輸出を拡大しようとする企業がある。
エチオピアは世界有数の花の生産大国で
アディスアベバも現地の言葉で“新しい花”という意味である。
エチオピアは日照時間が長くバラの栽培に適している。
ひと月100万本を生産するという農園。
農薬を使わず
品質も高いことから
ヨーロッパや中東
アジアにも輸出している。
鉄道ができると輸送コストを大幅に削減できると期待を寄せている。
(バラ農園 栽培責任者)
「オーストラリア人や日本人も我々の花を買っています。
 我々の会社をさらに成長させたい。」

アディスアベバの郊外にある工業団地。
ここには中国を始め世界各国の衣料品メーカーが進出している。
その1つ インドのメーカー。
世界的なファストファッションのシャツをアメリカの店舗向けに製造している。
タグはMADE IN ETHIOPIA。
エチオピアは“世界の縫製工場”と呼ばれるバングラデシュよりもさらに賃金が低いため
世界中の衣料品メーカーが注目している。
(インドの衣料品メーカー デバラジ副工場長)
「インドのイメージは大きく変わりました。
 当初は“大変なところに来た”と感じたが
 実際には難しいことはありませんでした。」
一方で課題もある。
生産性の低さである。
進出した繊維業界の関係者は
同じ人数や時間だとエチオピアではバングラデシュの4分の1程度の量しか作れないと言う。
(インドの衣料品メーカー デバラジ副工場長)
「エチオピア人は基本的にとてものんびりしています。
 世界のどこよりも賃金が低い一方
 作業効率が非常に悪い。
 だから低賃金が強みにならないのです。」
エチオピアでいま求められているのは
作業員を効率よく配置するといった
能力を持った現場責任者の育成である。
こうしたなか日本企業による生産性向上への取り組みが始まっている。
8月中旬
日本の大手商社が地元の繊維業界の団体と
産業育成と振興に関する覚書を締結した。
日本のものづくりのノウハウで生産性や品質を向上させようという狙いである。
(伊藤忠商事 アディスアベバ事務所所長)
「エチオピアは本当にポテンシャルがある。
 繊維産業だけでなく
 いろんなところに成長の芽があると考える。」
エチオピアの投資委員会は
高い技術力を持つ日本企業の進出に大きな期待を寄せている。
(エチオピア投資委員会 ハナ副委員長)
「直接投資の8割以上が製造業につぎ込まれています。
 製造業の拠点を目指す国として
 日本からの投資の増加を強く希望します。」
一方 地方の農村部では法律整備の遅れなど経済発展から取り残された地域も多くある。
首都から車で1時間ほどの農村。
小麦などを栽培する農家のウォルクさん。
エチオピアの今の法律では
土地は国が所有し農家は借りるだけとされ
国の決定には従わざるを得ない仕組みである。
15年前ウォルクさんの一族は国の決定で突然 大農園に農地を奪われ
何の保証も受けられないまま苦しい生活を余儀なくされている。
現在の政府はこうした問題に取り組む姿勢も見せているが
ウォルクさんらは未だに救済されないままである。
(農家 ウォルクさん)
「なんと説明すればいいか
 私だけでなく多くの人がしかるべき回答を求めています。
 我々のような農家はないがしろにされているのです。」
村では日中にもかかわらず仕事がなくたむろする若者が多く目についた。
「仕事がない。」
「毎日村をうろついているよ。」
去年41歳で就任したアビー首相は
こうした農村部の若者に雇用を生み出すことが喫緊の課題だとしている。
(エチオピア アビー首相)
「エチオピア人はマラソンが得意な生まれながらのランナー。
 これはやる気と責務とスタミナの証だ。
 教育水準を上げ
 若者のやる気を生む投資を行い
 新たな雇用の機会を生まねばならない。」

 

 

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シンガポール 官民の気温上昇対策

2019-09-17 07:00:00 | 報道/ニュース

8月26日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


常夏の国シンガポールでは
近年
急激な気温上昇に見舞われている。
1年間の平均気温は
去年までの10年で
世界平均の約2倍にあたる0,25℃も上昇。
エアコンの室外機から排出される熱などによるヒートアイランド現象の影響が大きく
シンガポール政府は危機感を強めている。

(シンガポール リー・シェンロン首相)
「我々だけで温暖化は止められないが
 手助けはできる。
 このままでは子や孫の世代が我々の行動を恥じることになる。」
今年の夏
シンガポール政府は気温上昇に対する危機感を一層強めている。
政府も指摘している気温上昇の大きな要因は
エアコンの使用によって屋外に放出される熱い空気である。
1年を通して屋外の気温が35℃を超える日もある常夏のシンガポール。
商業施設でも
多くの人が住む公営住宅でも
エアコンは欠かせない。
シンガポールの電力消費でエアコンが占める割合は約50%。
去年の電気使用量は2005年の約1,5倍に増加し
エアコンの使用も急激に増えているとみられる。
気温を押し上げているエアコンの使用をどう減らすか。
政府が進めている解決策の1つがマリーナ・ベイ地区の地下25mにある。
国営の電力会社が13年前から導入している巨大な冷却システムである。
0℃に近い冷たい水が貯められたタンク。
水が暑さをしのぐのに役立つという。
タンクで冷やした水をポンプを使って
1秒間に4,2トン
周辺のビル群の配管に循環させている。
このシステムを使うことでエアコンの使用を大幅に控えることが出来
月に10億円もの電気代の節約を実現した。
いまでは当初の2倍にあたる23のビルで導入されていて
今後は公営住宅向けのシステムも設置する計画である。
(シンガポール ディストリクト・クーリング クーCEO)
「エネルギーの節約や効率的な利用は
 温暖化対策の上で非常に重要です。
 冷水で地域全体を冷やせばエアコンの使用も減ります。」
気温の上昇によるエアコンの使用増加と
それに伴う高い電気代は
庶民にとって大きな悩みになっている。
そうしたなか
住まいに手を加えることによってエアコンの使用を減らす試みに注目が集まっている。
建築士のチューさん。
10年ほど前から室内の気温を下げる工夫を凝らしたリフォームを実践してきた。
「部屋の壁をなくし
 空間を1つにしました。」
注目したのは
風の通り道の確保である。
部屋の風通しを良くすることで体感温度を下げようというのである。
トイレや風呂などでも
壁やドアの上の部分は風が通るようにしてある。
(建築士 チューさん)
「大きな窓からは風が自然に入ってきます。
 風を感じられる空間が生まれるように考えて設計しています。」
さらに家具の下にキャスターを取り付け自由に動かせるようにすることで
風通しはさらに良くなるという。
チューさんがこのアイデアに行きついたのは
毎週訪れる自宅近くの市場。
「いい風が吹いていて暑さを感じません。」
建物内の上に仕切りがなく
風通しがいいので
涼しさが保たれているのである。
また
その構造の原点はマレー半島の古い住宅にあった。
暑さをしのぐための昔の知恵を
チューさんは公営住宅のリフォームに取り入れたのである。
チューさんの試みは口コミで広がり
これまでに500件余を手掛けた。
(住民)
「エアコンより扇風機を使います。
 窓を開ければいつでも風通しがよくて
 部屋の中がとても涼しくなりました。」
チューさんは今後も古くからの知恵を生かし
暑さとの付き合い方を模索していくという。
(建築士 チューさん)
「暑いことを受け入れ
 正面から向き合うことが必要です。
 自然の風を楽しむことで
 温暖化対策につながればと思います。」




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移民の声明を守る メキシコの女性たち

2019-09-16 07:00:00 | 報道/ニュース

8月23日 NHKBS1「国際報道2019」


首都メキシコシティーから車で5時間走ったところにあるベラクルス州の農村。
ここに地元の主婦たちが運営する施設がある。
名前は「パトロナス(守護聖女)」。
パトロナス代表 ノルマ・ロメロさん(49)。
壁に描かれたメキシコの地図には
赤い線で
メキシコからアメリカに向かう貨物列車が通過するルートが示されている。
(ノルマ・ロメロさん)
「ここから皆アメリカンドリームを目指すのよ。
 休みの無い長旅で疲れ果てて列車から落ちる人もいるわ。」
雨露をしのぐこともできない貨車にしがみついて命がけで国境を目指す人たち。
その命だけは守ってあげたいと
ロメロさんは地元の女性たちに呼びかけて
水や食料を手渡す活動を始めた。
(ノルマ・ロメロさん)
「彼らには誰かが手を差し伸べなければならなかったの。
 女性だけで始めたのは女性の方が慈悲深いからよ。
 命がけで生き延びようとしている人々を愛情ややさしさで助けたかった。」
しかし活動を始めた20年余前は周囲からの理解が得られず強く非難されたという。
(ノルマ・ロメロさん)
「こんなふうに言われたわ。
 “あの女性たちは頭がどうかしている”
 “人に危害を加え泥棒するような連中になぜ食べ物を上げるのか”ってね。」
それでもロメロさんたちは人々に命の尊さを訴え続けた。
その結果 次第に支援の輪が広がり始め
近くの人や店が協力を申し出るようになった。
食料を袋詰めする作業は結構な重労働である。
1日1,000袋以上準備することもある。
貨物列車は不定期なのでいつ来るのか分からない。
来ることがわかるとロメロさんは猛ダッシュする。
でもこの日は貨物列車に乗り込んでいる移民の姿は見えなかった。
そのときロメロさんは男性に気づいた。
差し出した水をキャッチ!
「1人だけだったわね。
 でも運転士が速度を落としてくれた。」
(ノルマ・ロメロさん)
「これが毎日続くのよ。
 1歩ずつしか進めないけど毎日頑張るしかないわ。
 幸せになる権利は誰にでもあるの。」

ロメロさんたちも決して不法な移住を奨励しているわけではなく
移民の人たちが危険にさらされている状況を目の当たりにして自発的に始めた。
さらにいま危機感を強めているのが
女性と子どもたちだけでアメリカに向かおうと列車に乗っているケースが増えていることである。
こうした女性や子どもたちがアメリカに行かずとも
メキシコで安定した生活が送ることができるよう女性たちが立ち上げた施設がある。

アメリカを目指してやってきた女性たちを支援する施設。
壁には女性たちの笑顔が生き生きと描かれている。
「移民女性の教育と自立の家 CAFEMIN」。
5人の女性によって運営されている。
施設には70人ほどが滞在している。
そのほとんどはパスポートやお金を持たず近隣の国々からメキシコへ逃れてきた女性や子どもたちである。
「私は4月にエルサルバドルからここに来ました。」
エルサルバドルで教師をしていた女性はギャングに狙われて逃げてきたと言う。
「エルサルバドルでは教師は高給だと思われ
 ギャングに狙われます。
 私も脅かされて娘2人を連れて国を出るしかありませんでした。」
施設の担当者は
女性たちは豊かさを求めるより自らの身を守るため祖国から逃げてきていると言う。
(CAFEMIN副代表 エルナンデスさん)
「彼女たちは暴力から逃れてきています。
 移民の女性は深い問題を抱えているから
 施設を作ったのです。」
身寄りのない女性たちがこの先どう生きていくのか。
施設に常駐する弁護士が相談に乗っている。
(弁護士)
「カナダもあなたのように安全を確保できない人の受け入れ国の1つね。」
不法移民としてアメリカを目指すのではなく
合法的にメキシコに定住することも勧めている。
(弁護士)
「彼女たちに現状を伝え話を重ねながら
 定住してもらいたいと思っています。」
定住の1歩として女性たちの自立を支援する場が併設されているカフェ。
接客や調理のノウハウを学びながら報酬を得ることができる。
「とても感謝しています。
 来てまだわずかですが助けようとしてくれています。」
(CAFEMIN副代表 エルナンデスさん)
「ここで女性としての誇りをもって
 これからの人生に立ち向かえる人になってほしいのです。」
 


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