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当時の“常識”覆した革命児 ピエール・カルダン氏

2021-01-31 07:00:00 | 報道/ニュース

2021年1月13日 NHKBS1「国際報道2021」


フランスのファッションデザイナー
ピエール・カルダン氏。
2020年12月29日 98年間の生涯に幕を閉じた。
戦後間もない頃からキャリアを築いて世界的に有名になったカルダン氏だが
今あたり前だと思っていることを
当時の常識を覆して取り入れ
いわば“革命を起こした人物”でもあった。

独創的でカラフルなデザイン。
なかには近未来を意識したものまで。
さまざまなデザインを世に送り出し「モード界の革命児」とも言われたピエール・カルダン氏。
(映画「ライフ・イズ・カラフル」より)
「10代のとき学校で聞かれた。
 “将来は何になりたい?”
 “ファッションデザイナーです”
 意味も知らずに。」
これはカルダン氏の半生を描いた映画である。
幼い頃イタリアからフランスに移住したカルダン氏は
戦後 ファッションデザイナーのクリスチャン・ディオール氏のもとで会働いた後 独立。
めきめきと頭角を現していく。
(映画「ライフ・イズ・カラフル」)
「パリで求められるのは創造性で
 多くの女性に提供されるべきだ。
 金持ちの特権階級の女性に限定してはならない。」
ピエール・カルダン氏の“革命”その① 既製服の概念を覆す
当時ファッションと言えば富裕層などの特権階級などが楽しむもの。
カルダン氏はこの常識を覆し
“侯爵夫人だけでなく家政婦向けにも服を作る“として既製服の市場に参入。
デザイン性のある大衆向けの服を比較的安い値段で提供したのである。
これが爆発的な人気を呼んだ。
「これは1966年~67年にカルダンがは票した既製服です。
 価格もとても安かったんですよ。」
カルダン氏のアシスタントを務めていたルネ・タポニエさん。
14歳でカルダン氏のもとで働き始め
60年近くに渡り傍で支えた。
(ルネ・タポニエさん)
「とても裕福になってからも布切れ一枚も無駄にしないんです。
 イタリアからの移民で
 幼い頃貧しかったことも影響していたのかもしれません。」
ピエール・カルダン氏の“革命”その②  モデルの多様化
カルダン氏はモデルの多様性という点でも革命を起こした。
モデルの中でひときわ目を引く女性は松本弘子さん(2003年死去)。
(映画「ライフ・イズ・カラフル」)
「日本人ですね?」
「ええ日本人です。」
「なぜフランスに?」
「カルダン氏のおかげです。
 彼は5~6年前に来日。
 日本人モデルが必要だったんです。」
カルダン氏が1950年代に来日した際
モデルとして活躍していた松本さんの美しさにほれ込み
パリで自分のブランドのモデルになってほしいと猛アタックした。
松本さんの長女 オリビア・バーガウアーさん(53)。
(バーガウアーさん)
「『弘子が着た服はみんなが欲しがる』なんて言われました。
 母を通して
 フランス人は日本の文化の洗練された美しさに興味を持ったんだと思います。
まだモデルと言えば白人女性ばかりの時代に
日本人を起用したヨーロッパのブランドはカルダン氏が初めてだった。
当時珍しかった男性モデルや黒人女性モデルも相次いで起用し
ファッション業界に多様性をもたらした。
さらに
当時開放政策が進められていた旧ソビエトや中国に乗り込みいち早くショーを開催。
欧米の最先端の音楽やファッションを熱望していた若者たちから絶大な支持を得た。
新進気鋭のパリのファッションデザイナー クリストフ・ギヤーメさん(42)。
「まさに60年代のファッション業界を改革した人です。」
カルダン氏と同じくギヤーメさんも自身のブランドに多様なモデルを起用している。
(ギヤーメさん)
「カルダン氏の影響は大きいです。
 ファッションは民主化さsれるべきで
 現実世界と離れてはいけません。」
ファッション業界に新しい風を吹き込んだカルダン氏。
フロンティアを追い求め続けた姿勢は次の世代に着実に引き継がれている。
(映画「ライフ・イズ・カラフル」)
「幸せになれる唯一の方法は働き続けることだよ。
 私は決して立ち止まらない。
 人生の終わりをただ待つのはごめんだね。」




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助けられて生きる

2021-01-30 07:07:36 | 編集手帳

2021年1月8日 読売新聞「編集手帳」


 季節外れの記憶で恐縮だが、
昨夏の酷暑の日、
をついて太陽の照りつける道を歩く高齢の男性を見かけたことがある。
マスクが酸素と体力を奪うのか、
苦しそうに肩で息をしていた。

マスクを外してもらってもかまわないのにと思いつつ、
ふと感謝の念を覚えた。
このお年寄りのように真面目な人が多くいるおかげで、
自分は無事でいられるのではないかと。

社会生活を送りながら感染しないことは一人ではできない。
見ず知らずの人の助けが大きい。
政府の緊急事態宣言を聞きながら、
助けてもらう飲食業の方々を思った。

苦しみのうえの苦しみだろう。
折からの時短要請でぎりぎりの経営を迫られながら、
宣言のもとでさらに「午後8時まで」に営業が短縮される。
「きちんと要請に従います」と生真面目に話す男性の店主さんをテレビで見て胸が痛くなった。

コロナ禍の中で見方を変えた永六輔さんの歌の詞がある。
<生きているということは
 誰かに借りをつくること>
(『生きているということは』作曲・中村八大)。
家族や友人ばかりではない。
知らない人にも助けられて生がある。
借りの返せる日を。

 

 

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“きつ音の大統領“ 就任に期待寄せて

2021-01-29 07:16:10 | 報道/ニュース

2021年1月5日 NHK「おはよう日本」


アメリカのバイデン次期大統領の就任を特別な思いで見守っている人たちがいる。
それはきつ音に悩む人たちである。
会話の際に言葉が出てこなかったり詰まったりするきつ音。
バイデン氏も子どものころから向き合ってきた。
バイデン大統領の誕生に希望を見出している。

バイデン氏のビデオメッセージを送る少年。
「バイデンさんは
 僕たちは同じクラスの仲間だと教えてくれました。
 僕たちはきつ音なんです。
 ぼくと同じような人が副大統領になったなんてすごい。」
2020年8月 民主党全国党大会で紹介され全米に発信された。
メッセージを送ったハリントンさん(13)。
幼い頃からきつ音に悩んできた。
そのハリントンさんがバイデン氏と知り合ったのは2020年2月。
父親に連れられて訪れた集会でバイデン氏から声をかけられたのである。
(バイデン氏)
「私もきつ音のとき
 こういうふうに話していた。
 練習が必要だったが約束する。
 君にはできる。
 きつ音に将来を決めさせてはいけない。」
これをきっかけにバイデン氏との交流が始まった。
(バイデン氏)
「何万人もの人々の前に立ち
 私に話しかけ励ましてくれることがいかに難しいか。
 きつ音でなければわからない
 とても勇気がいることだ。」
ハリントンさんがバイデン氏からすすめられたことがある。
詩の朗読である。
バイデン氏が子どものころ重いきつ音に苦しんでいたときに実践した発声の練習法だった。
それ以来ハリントンさんは詩の朗読を続けている。
交流を通じてきつ音と向き合う勇気をもらったというハリントンさん。
将来 同じ悩みを抱える子どもたちを助ける仕事に就きたいと考えている。
(ハリントンさん)
「将来は言語聴覚士になりたいと思っています。
 きつ音の子どもたちを助けたいからです。」
バイデン大統領の誕生に社会の変化の兆しを感じる人もいる。
雑誌記者のララットさん(44)。
きつ音が原因で
仕事で出演していたラジオ番組の放送中に突然追い出された経験があり
社会に受け止められていないと感じてきた。
以来 SNSなどできつ音のことを発信してきたララットさん。
バイデン氏の存在は大きなたすけになるという。
(ララットさん)
「彼は我々に誇りを与えてくれました。
 きつ音のことをまだ多くの人が知らないのが現状ですが
 きつ音を抱えるバイデン次期大統領のおかげで認識が高まりつつあります。」
支援の現場でも変化への期待が高まっている。
きつ音の研究者でセラピーを行なっているテキサス大学のバード博士は
これが正しい理解を広げるきっかけになればと願っている。
(セラピーに参加した学生)
「きつ音についてみんなに分かってもらいたいのは
 その人の知性や学習能力とは関係がないことです。」
(テキサス大学オースティン校 バード博士)
「見方を変えて
 きつ音は障害とみなされる必要はないと理解することです。
 私たちは今
 きつ音者が大統領になる世界を目の当たりにしています。
 私がバイデン氏で伝えてほしいメッセージは
 きつ音があってもいいということです。」
きつ音と向き合う多くの人たち。
アメリカを率いることに安るバイデン氏の姿にいま
新たな希望を見出している。



 

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土俵の技術で水不足の農家を救え!

2021-01-28 07:04:38 | 報道/ニュース

2021年1月4日 NHK「おはよう日本」


受賞者は日本
世界各地から寄せられる水にまつわる環境保護の研究で
ストックホルム水大賞はその中の優れた研究に贈られる。
20歳以下の高校生などの部門で
大賞は
名久井農業高校のチームである。

チームの研究は
アフリカなどの広い範囲でトウモロコシなどの栽培に使われる方法の改善につながるものだった。
“ザイ”と呼ばれ
乾燥した地域に導入されているこの栽培方法。
雨の多い雨季
地面に掘った穴に雨水をため作物を植えて育てる。
チームのメンバー 宮木さん。
授業で知ったこの栽培方法について興味を持った宮木さん。
水の流出を食い止めることで改善できないかと考えていたとき
固い土でできた祖母の家の土間のことを思い出したという。
(名久井農業高校3年 宮木さん)
「床が土でできているということを聞いて
 “たたき”という技術を使って作っていると知って
 使えると思って参考にした。」

江戸時代には“たたき”の技術で作った土がセメント代わりなどとして使われていた。
相撲の土俵も“たたき”で作られている。
土を固めるこの技術
水と石灰を土に混ぜたたいて固める。
こうすると土は水を通しにくくなる。
宮木さんはこれを使えば“ザイ”の課題を解決できるのではないかと考えたのである。
“たたき”を研究してその成果を世界中の人たちに知ってもらいたい。
宮木さんはストックホルム水大賞を目指してチームメイトたちと実験を始める。
ザイで掘られた穴から水の流出を防ぐためには
“たたき”でどれくらいの土を作ればいいのか。
何度も確かめていく。
実験を重ねるなかで
“たたき”で作った土に肥料を混ぜることになった。

水に溶けだした養分で作物の成長を促していこうという狙いである。
そして臨んだ大賞の審査。
water collection technology using Ta-Ta-ki.
If you place water catchment wings made of Tataki ー
貯めることができた水の量は従来の方法の3倍。
土に肥料を混ぜるとトウモロコシの収穫量は4倍にもなった。
伝統的な技術を農業に応用し

その効果を科学的に証明したことは高く評価された。
宮木さんたちは日本の高校としては16年ぶりに大賞を獲得したのである。
and solve the water and food problems around the world.
快挙を成し遂げた宮木さんたち。
“たたき”の技術を広めるため
技法について英語でまとめたマニュアルを作り海外の農家に配り始めている。
(名久井農業高校3年 宮木さん)
「“たたき”は材料が揃えば
 混ぜてたたいて
 あとは乾燥させるだけの簡単な作業なので
 世界の環境問題の解決に貢献できると考えている。」



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新年の季語 初竈(はつかまど)

2021-01-27 07:16:42 | 編集手帳

2021年1月3日 読売新聞「編集手帳」


 新年の季語に「竈(はつかまど)」がある。
かつては竈の神、
荒神様に1年の無事を祈って火を入れたものらしい。
あるいは「炭(かざりずみ)」。
例句は少ないが、
門松に炭を飾ること。
一説に邪を避けるためだとか。

竈・門・炭…お気づきの方もあろう。
映画作品も大ヒットし、 
話題の漫画『鬼滅』(作・吾峠呼世晴)を遅まきながら、
読み始めたところだ。
鬼たちと闘う主人公の名は竈門(かまど)炭治郎。

舞台は大正期、
炭治郎は炭売りの少年だ。
その幼い頃の回想には、
年の初め、
ヒノカミ様に奉納する神楽が出てくる。
ほかにも民俗学の本を(ひもと)きたくなる設定が目立つが、
時は流れ、
木炭で冬を越すことはなくなった。

正月の景物も変わった。
初竈や飾炭は縁遠くなっていよう。
ただ、
例えば餅はどうか。
家庭用の餅つき機「もちっ子」の登場は半世紀前に遡る。
店で買うことも増えた。
それでも餅は食べる。
新しい年を迎える心は、
形を変えつつ、
今も生きている。

心から除災を願いたい年明けでもある。
ちなみに、
不運にも鬼になってしまう炭治郎の妹は禰豆子(ねずこ)
名前に鬼を払う豆の字が入っている。
節分までに読み進めるとするか。


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年の瀬の景色

2021-01-26 07:06:01 | 編集手帳

2020年12月31日 読売新聞「編集手帳」


東京・丸の内の銀行に勤めていた詩人の石垣りんさんは朝、
会社近くの街路樹の下に空になった盛りソバの器を見かけた。
そこは靴磨きの老いた女性たちが終戦から20年以上座っている場所であった。

「信用」と題して詩を書く。
<重大なのはごく最近
 そばやが出前をはじめたことだ
 財産といったらほうきと座ぶとん
 木箱一杯の商売道具…
 「置いといてくれればいいです」と出前持ちに言わせた
 老女たちの領域
 領域のひそかな繁栄>

丸の内のビル街は今、
幻想的なイルミネーションが夜を照らす。
マスク姿の人が詰めかける景色が年の瀬に見られた。

過日、
その人波に混ざった。
“密”防止を呼びかける記事を書き連ねながら、
いつもの通勤路とはいえ、
そこに身を置く矛盾を思った。
光に魅せられつつ、
靴磨きの女性たちが懸命に働いたという街路樹を探すと戸惑いが増した。
商店が次々に廃業している。
看板の外れた店の跡は、
働く人々がこつこつと築いたひそかな繁栄を陰らせる景色だろう。

街で食事したり買い物したりするのはいいことか悪いことか。
よく分からなくなった悲痛な年が暮れゆく。

 

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訪れた人の心に残る“絶景ピアノ”

2021-01-25 07:03:25 | 報道/ニュース

2020年12月25日 NHK「おはよう日本」


誰でも自由に演奏することができるストリートピアノ。
三重県では
ちょっと変わった場所にお目見えして
癒しの空間として人気を集めている。

美しい音色を響かせる1台のグランドピアノ。
誰でも自由に弾くことのできるストリートピアノである。
人が集まる理由は
(訪れた人)
「海がすごくきれいで気持ち良いですね。」
「景色に没頭しながら気分良く弾ける。」
山の上に静かにたたずむ三重県の鳥羽展望台。
標高約160mの箱田山の山頂である。
施設の一角に置かれた
“絶景ピアノ”と呼ばれている。
新型コロナウィルスの感染が広がるなかピアノの音色で訪れた人を元気づけようと
2020年の夏この場所に設置された。
(鳥羽展望台スタッフ 野村さん)
「コロナのニュースもあって暗い雰囲気になっていたので
 気分が明るくなってほしいなと。
 なるべくお客さんに絶景を見せてあげたい。」
ピアノのもとには毎日多くの人が訪ねてくる。
京都府からやってきた女性。
この日は家族旅行である。
♪ アラベスク第1番 ドビュッシー
中学生の時に発表会で弾いた曲。
(母親)
「懐かしかったですね。
 昔 練習してた曲だなと思って。」
春には実家を離れ社会人に。
三重県多気町から訪れた男性。
ここで弾くのは3回目である。
♪ 幻想即興曲 ショパン
ピアノは高校時代から独学で。
“絶景ピアノ”が唯一の披露の場。
「一番印象に残るような舞台というか
 景色を含めてこういう空間は他にはない。」
ピアノに感謝したいという女性もいる。
亀山市でピアノ教室を開いている。
絶景ピアノで演奏したことがコンクールでの金賞受賞につながったという。
「ピアノに本当にありがとうと伝えたい。」
♪ 前奏曲集第1巻から 第5曲 アナカプリの丘 ドビュッシー
イタリアの青い空と海をモチーフにした曲。
このピアノに出会う前は演奏に“もの足りなさ”を感じていた。
鳥羽の景色や海の輝きを曲の表現に取り入れた。
「以前は下に落ち気味な音になっていたが
 景色を見てからは上向きの音に輝いたと思います。」
“絶景ピアノ”は訪れた人の心に残る特別な場所となっている。

この“絶景ピアノ”は当初は年内いっぱいで終了する予定だったということだが
利用客からの要望を受けて
常設が決まったということである。



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台湾 メガソーラー建設 生態系に影響も

2021-01-24 07:13:07 | 報道/ニュース

2020年12月24日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


台湾の蔡英文総統は2016年の就任以来
脱原発を掲げ
再生可能エネルギーへの転換を積極的に推し進めている。
特に力を入れているのが太陽光発電で
「メガソーラー」と呼ばれる大規模な太陽光発電所が続々と作られている。
環境に優しいはずのこの太陽光発電だが
一部の地域では生態系や環境に悪影響を及ぼすことが懸念されている。

台南市にある台湾最大級のメガソーラー。
214ヘクタール
サッカーコートが300面とれる広さに46万枚を超える太陽光パネルが敷き詰められている。
2020年9月から試運転を開始していて
電力会社によると
将来本格的に稼働すれば
5万~6万世帯分の年間消費電力を賄えるという。
かつてこの地域一帯には塩田が広がっていたが
天日で乾かす塩づくりは産業として成り立たなくなり
今世紀の初めにすべての塩田が廃止された。
あとに残された広大な土地はこれといった使い道がなかったが
当局の新しいエネルギー政策により一気に脚光を浴びることになった。
(台湾電力 経理)
「塩田があった場所なので日差しがたくさん降り注ぎます。
 太陽光発電所の建設で荒れ果てた土地を活用できます。」
しかし塩田の跡地を先に利用していた生き物がいる。
クロツラヘラサギである。
東アジアに4,800羽ほどしか確認されていない希少な鳥で絶滅のおそれがある。
全体の半数以上が台湾で冬を越し
このあたりの湿地だけで400羽前後飛来する。
ここで保護活動を続けている台湾クロヘラサギ保護学会の陳さん。
日本など各国の保護団体と連絡を取りながら個体数の増減を毎年観察している。
陳さんによると
今シーズン初めの9月下旬~10月上旬にかけて飛来したクロツラヘラサギの数は
去年の同じ時期より大幅に減った。
ここ1か月ほどは平年並みの数に戻ったが
以前は3か所に分かれてエサを捕っていたクロツラヘラサギが
今はほぼ1か所に集中しているという。
メガソーラーの建設が関係しているのではないかと推測している。
(台湾クロツラヘラサギ保護学会理事 陳さん)
「鳥は飛来する場所に変化がない限り毎年そこにやってきます。
 太陽光パネルがもっと増えればエサが減り鳥の数も減るでしょう。」
メガソーラーの間近にある頂山里という集落。
塩田が閉鎖された後は目立った産業がなく
若い世代を中心に人口が流出している。
一方 湿地には今の季節クロツラヘラサギの他にもいろいろな野鳥が集まってきて
その姿をカメラにおさめようとする人が少なくない。
集落のトップである里長の陳さん。
自然豊かなふるさとが無機質な太陽光パネルで覆われることにが違和感をおぼえている。
メガソーラーをこれ以上増やすよりも
渡り鳥を生かす方が自地元のためにもなるのではないかと考えている。
(頂山里 里長 陳さん)
「製塩をやめたあと雇用機会が全くなくなりました。
 もし現状を維持できれば
 エコ観光に活路を見出せるかもしれません。」

台湾当局が策定した計画では
2025年の太陽光発電の設備容量を2,000万kwになっているが
業界関係者や専門家からは野心的な目標だという声が聞かれる。
つまり高い目標だということである。
2020年末までに6050万kwに達するはずだったが
当局はこれが2021年前半まで遅れることを認めた。
また計画では当初2,000万kwの内訳は
太陽光パネルを地面の近くに設置する地上型が1,700万kw
建物の屋上に設置する屋上型が300万kwとなっていたが
現在は修正されていて
地上型が1,400万kw
屋上型が600万kwとなっている。
地上型は立地によっては農業や生態系に影響への影響が懸念されて
思ったほど簡単ではなかったようである。
(経済部エネルギー局 李副局長
「目標への道筋を変えないというわけではありません。
 環境も変化しますし
 実際にやってみないとどんな困難があるか分からないからです。」
台湾では一部の例外を除いて太陽光発電所の建設を前に環境アセスメントの必要がない。
このことが各地で住民や環境保護団体との対立につながった要因の1つだと言える。
メガソーラーの近くにある別の塩田の跡地でも
野生生物の保護を担当する部門が生態系が影響を受ける恐れが高いという線引きをしているにもかかわらず
エネルギー局は太陽光発電所の建設計画の申請を受け付けていた。
この計画は結局2020年11月に退けられたが
住民たちが不信感を抱いても不思議ではない。
エネルギー局は
漁業に影響が出る可能性がある水面での太陽光発電所の計画について
地元の住民から意見を聞いたか
野生動物の保護区などに面していないかといったチェックリストを作って
民間の専門家を交えた会議で審査する制度を作った。
一歩前進と言えるが
こうした審査に透明性を持たせて
影響を長期的に検証できるようにしていくことが課題となる。

 

 

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サンタさんとトナカイ

2021-01-23 07:18:16 | 編集手帳

2020年12月24日 読売新聞「編集手帳」


先端技術で知られるフィンランドはかつて貧しい農業の国であった。
冷戦時代、
隣接するソ連の脅威にさらされ続け、
当時のケッコネン大統領が繰り広げたのは「サウナ外交」である。

ソ連の指導者らを招き、
裸になって語り合う。
蒸気に包まれて友好関係を深めつつ、
内政干渉をしたたかにかわしたという。

クリスマスには身を清める神聖な場所であり、
国民の9割が週1回は入る。
「フィンランド式サウナの伝統」が先週、
ユネスコの無形文化遺産に登録されることになった。
空前のサウナブームに沸く日本の若者らも喜んだようだ。

サンタクロースの故郷はフィンランド北部とされる。
その国の外務省の発表に、
頬が緩んだ。
サンタが外交ルートを通じて各国に確認したところ、
オーロラ近くの空を飛ぶトナカイは、
新型コロナウイルスによる旅行制限が適用されない、
と判明したという。

世界保健機関(WHO)も負けていない。
感染症の専門家は「サンタは免疫を持っているからプレゼントを無事に届けられます」とほがらかな笑顔を見せた。
世界中のたくさんの子どもたちはどれほどほっとしただろうか。


 

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胃に優しくて家計にも優しい野菜

2021-01-22 07:00:16 | 編集手帳

2020年12月23日 読売新聞「編集手帳」


作家の井上ひさしさんは貧しい学生時代を過ごした。
毎日キャベツばかり食べていたと、
随筆に書き留めている。

<わたしは醤油をかけたでキャベツを主食にしていた。
 安く、
 しかも大好きだったのでそういうことになったのだろう。
 大量に食べると、
 胃の調子もよかった。
 なぜ胃にいいかについては「キャベジン」という胃腸薬が出来るまではらなかったけれど>

おいしいうえに胃に優しい野菜は最近、
家計にまで優しくなっている。
近所のスーパーで、
ひと玉100円で売られているのを見た。
宴会自粛などの影響らしい。

だが優しすぎるのも考えものだろう。
群馬県版の10大ニュースの3位、
猛暑を振り返る記事中にこうある。
<少雨により野菜の生育に影響が出た。
 嬬恋村の特産キャベツは例年より小ぶりになり、
 生産量も減った>。
夏の不作に冬の値崩れ。
群馬に限るまい。
もう一つ足せば、
春にも昨季の暖冬の影響で葉物野菜の値崩れが起こっている。
生産者にとっては苦しい1年が暮れようとしている。

この稿の中ほどあたりに、
<優>しいとあえて漢字で書いてみた。
人の横に、
憂いが立っている。

 

 

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“隊員の食事に” ジビエ新戦略

2021-01-21 07:09:22 | 報道/ニュース

2020年12月19日 NHK「おはよう日本」


新型コロナウィルスの影響で外食業界の低迷が続くなか
シカなど野生動物の肉を使ったジビエ料理の需要も落ち込んでいる。
長野県ではジビエの消費拡大にと新たな販路を開拓する動きが出ている。

サックサクのメンチカツ。
使われているのはシカの肉である。
陸上自衛隊松本駐屯地の給食として提供された。
日々厳しい訓練を行なう自衛隊。
激しく体を動かす隊員にとって
食事は重要な要素である。
タンパク質や鉄分が豊富なシカ肉は疲労回復や筋力アップにもってこいだという。
(松本駐屯地の隊員)
「激しい訓練をするわれわれにとって
 たんぱく質など含まれているのは非常にありがたい。」
「生臭いとか独特なにおいがある印象だったが
 食べてみてそんな印象もなかった。
 午後の活力になった。」
シカ肉のメンチカツを自衛隊に提案した日本ジビエ振興協会代表理事の藤木さん(59)。
フランス料理店を営む藤木さんはシカ肉などジビエの普及に努めている。
(藤木さん)
「シカ肉の背ロースと言われる一番柔らかくておいしいところ。
 赤みが多いということは鉄分が多いので
 持久力
 疲れづらいとか疲労回復
 そういったところに優れているのでは。」
自衛隊にシカ肉を提案したきっかけは新型コロナウィルスだった。
外食の自粛が広がるなか
一般になじみの薄いジビエ料理の需要は落ち込み売り上げは大きく減少。
企業相手に㏚したが大量の消費にはなかなかつながらない。
そこで目にとまったのが自衛隊だった。
全国の自衛官の定員は約25万人。
1食当り80gとすると
約20tの消費につながる巨大マーケットである。
(藤木さん)
「ものすごい数の消費が生まれる。
 どうやったら採用いただけるか。」
全国で増え続けるシカなどによる農作物の被害。
農林水産省によると平成30年度には約158億円にのぼる。
消費が落ち込んでも捕獲の手をゆるめることはできない。
その結果
行き場をなくしたジビエが大量に余る状況が生まれている。
(信州富士見高原ファーム)
「せっかくいただいた命が消費されず残っているのは苦しい。」
長年ジビエの普及に取り組んできた藤木さん。
消費拡大に向けて起ち上がった。
自衛隊が地産地消の食事に力を入れていることを知り
それならばと防衛相に提案した。
するとさっそく試食会が開かれることになったのである。
コストを抑えつつ
ジビエの魅力が伝わる新たなメニューの開発に試行錯誤した。
「肉肉しいというのがシカ肉の特徴。
 その肉感をいかに出すか。
 1食にかけられる給食の費用があるので
 費用に収まるよう肉感・味を工夫するのが大変。」
用意したメニューはシカ肉を使ったメンチカツやマーボー豆腐など12種類。
料理の特徴を分かりやすく示したランチョンマットも用意。
全国の駐屯地で採用してもらえるよう
調理方法や栄養価などもあわせて紹介した。
「和洋中・ハム・ソーセージ
 いろいろな食べ方があるんだねということを見てもらいたかった。」
試食会には当時の河野防衛大臣も出席。
好評だったという。
手ごたえを感じた藤木さん。
いまも防衛相に通い
全国の駐屯地での提供を目指して交渉を続けている。
(藤木さん)
「いまは防衛相・自衛隊で使ってもらえることを目標にやっていくが
 家庭の食の中にジビエが根付いていくことが最終的な目標。
 そこまでは道遠いですがやっていく必要があると思う。」


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市場拡大するフェムテック最前線

2021-01-20 07:08:58 | 報道/ニュース

2020年12月18日 NHKBS1「国際報道2020」


生理や不妊 更年期症状など
女性特有の体の悩みをテクノロジーで解決しようというグッズやサービス
Female と Technologyと を合わせて
FemTech “フェムテック”と呼ばれ
いま世界中で開発が進んでいる。
女性の社会進出などを背景に投資や起業が相次いで
世界の市場規模は2025年には5兆円にのぼるという試算もある。
市場拡大をけん引する国の1つ
アメリカの最前線はー。

新しいフェムテックが次々と生まれているアメリカ シリコンバレー。
妊婦の悩みを解決するフェムテックで世界的に注目を集めるスタートアップ企業がある。
エリック・ディ代表。
2年前に開発したのが陣痛モニター。
お腹に貼りつけ子宮の動きと妊婦と胎児の心拍を計測できる。
妊娠後期になると時々子宮が収縮するが
それが出産につながる陣痛なのか
多くの場合 妊婦自身には分からず病院に行くのが遅れて胎児に危険が及ぶこともある。
このモニターを使うとスマホで子宮収縮の頻度を確認でき
それが規則的になると陣痛が始まった可能性があるといち早く分かるという。
(陣痛モニターを開発 bloomlifeエリック・ディ代表)
「女性たちが自宅にいながら自分の体に何が起きているか分かる初めての装置です。
 これによって妊娠中もより安心して過ごせます。」
このモニターを特に支持しているのが働く女性である。
パーキンスさんは去年 妊娠中にこのモニターを活用していた。
看護師として1日12時間以上働いてきたパーキンスさん。
14年前の1人目の出産は予定日より3か月早い早産だった。
長男は1500gで生まれ集中治療室で5週間治療を受けた。
(パーキンスさん)
「私のせいだと自分を責めました。
 私が仕事をしていたのがいけなかったのか。」
アメリカでは妊婦の10人に1人
年間38万人が早産している。
早産で生まれた子どもは病気や障害のリスクが高く医療コストもかかるため
大きな社会問題となっている。
去年 妊娠中にこのモニターを知ったパーキンスさん。
利用料は月額20ドルと手ごろで
安心して過ごせるならと使い始めた。
すると出産予定の2か月前
異変に気付いた。
(パーキンスさん)
「波形を見て驚きました。
 陣痛が始まっていることを示していたのです。
 病院に駆け付け医師に見せると
 急を要することがすぐに伝わりました。」
病院で子宮収縮を抑える薬を投与されたパーキンスさん。
なんとか早産を回避でき
その後 娘のアメリアちゃんを無事出産した。
(パーキンスさん)
「私たちの命を救ってくれました。
 これなしに妊娠生活を送ることはもう想像できません。」
ディさんがこのモニターを開発した背景には自身のつらい経験があった。
妻は1人目が生まれるまでに3回流産を経験。
その過程で
妊婦検診でしか胎児の状態が分からないなど
周産期医療のあり方に問題意識を持ったという。
(陣痛モニターを開発 bloomlife エリック・ディ代表)
「これほどイノベーションが起きていない医療分野は他にありません。
 この十数年 出産年齢の上昇など出産に関わるリスクは高まっていて
 解決すべき課題だと思いました。」
ディさんは今このモニターによって収集されたビッグデータの活用にも取り組んでいる。
「これが女性たち1人1人のデータです。
 子宮収縮が記録されています。」
このモニターを使った妊婦はこれまでに1万2,000人以上。
ディさんは蓄積された100万時間以上の記録をデータベース化している。
これをそのほかの医療データと組み合わせAIで解析することで
胎児の異常や突然死 早産などの兆候を早期発見できないか研究しているのである。
「モニターの電極を増やしました。
 これで妊娠初期から胎児の心拍のデータが取れ異常を早く検知出来ます。」
(提携する産婦人科医)
「すばらしい。
 周産期医療のあり方自体を大きく変えていきそうですね。」
このモニターが世界中に普及し新たな治療法などにもつながる可能性があるとして
投資家や大手製薬会社 海外の研究機関などが注目。
これまでに1,400万ドル超の投資が集まっている。
「こうしたデータには非常に価値があるということを彼らは知っています。
 投資家などが『女性の健康が巨大な未開拓市場だ』と気づいたことが
 資金の流入につながっているのです。」


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どうする集合美?新しい阿波おどり

2021-01-19 07:14:36 | 報道/ニュース

2020年12月17日 NHK「おはよう日本」


11月末
徳島市で行われた阿波おどり。
Withコロナ時代を見据え新たな開催方法を探るために行われた。
来場者は感染防止のため非接触型のチケットで来場。
消毒を徹底してから間隔を取ってから着席した。
踊り手もお互い2メートルの間隔をあけ列も減らした。
密集した踊り手たちが成す集合美が特徴の阿波おどり。
去年と比較するとー。
踊り手たちを見守る男性がいた。
“連”と呼ばれる踊り手グループの副連長の立川さん。
感染対策と阿波おどりの魅力を両立させようと奮闘し
この日を迎えた。
(阿呆連 副連長 立川さん)
「誰もが分からないことで難しい状況・ 内容だと思うが
 いろいろ考えて検証すべきではないか。」
感染対策を講じた阿波おどり。
前例のない難しい挑戦となった。
春先から中止していた練習を再開するために
さまざまな資料を集めて仲間とともにガイドラインを作成した。
(立川さん)
「何をしたらいいか分からないけど
 一般的に言われることを調べ上げて
 阿波おどりに適したものを作っていったという感じ。」
2020年10月
立川さんの所属する連では8か月ぶりに練習を再開した。
「今コーンを置いてます。
 横の間隔が3メートル間隔
 縦の間隔が4メートル間隔。
 前との間隔ね
 しっかり4メートルあけてください。」
最大の課題は踊り手の一体感をどう保つか。
間隔をあけることでお囃子の音と踊りが揃いにくくなり
集合美を失いかねない。
踊り手たちは戸惑うばかりだったが
感染防止のため対面を避け
低めの掛け声でリズムを合わせて一体感を保つことにした。
(踊り手)
「安全にみんなが楽しめるように
 見に来て良かったなと思えたらなお良いかなと思う。」
そして迎えた当日。
Withコロナ時代の阿波おどりを初めて披露する。
立川さんは踊り手同士の距離が確保されているか厳しく目を光らせる。
演舞の最後は阿波おどり最大の見せ場の1つ“総おどり”である。
14の連から約330人が参加し
間隔をきちんと保ちながら息の合った踊りを披露した。
(観客)
「久しぶりに見られて良かった。」
「魂が震えました。」
(阿呆連 副連長 立川さん)
「とりあえず何事もなく無事に終えられたことが1つの成功になったのではないかと。
 ぼくたちができることはしっかり準備して
 来年の夏に向けて準備していきたいと思う。」


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ウィーンの若手デュオ “歌の贈り物”を世界へ

2021-01-18 06:59:49 | 報道/ニュース

2020年12月16日 NHKBS1「国際報道2020」


ウィーンを拠点に活動する
ソプラノ歌手の森野美咲さん(32)と
ピアニストの木口雄人さん(31)。
森野さんは2020年9月
若手音楽家の登竜門として知られるヨハネス・ブラームス国際コンクールに出場し声楽部門で優勝。
伴奏を務めた木口さんも最優秀歌曲伴奏賞に選ばれた。
2人はともに岡山県出身で高校の同級生。
新型コロナウィルスの感染拡大で2人での練習が思うようにできず苦労を重ねてきただけに
喜びもひとしおだったという。
(ピアニスト 木口雄人さん)
「最優秀賞をいただいたこともデュオとして評価していただいたことだから2人で喜んだ。」
(ソプラノ歌手 森野美咲さん)
「これからももうちょっと頑張りなさいと勇気づけてもらったような気がした。」
コンクール優勝の快挙を受けて一層の活躍が期待された2人だったが
そこに立ちはだかったのが新型コロナの感染再拡大だった。
オーストリアでは11月から2度目の外出制限が始まり劇場なども閉鎖。
2人が計画していた受賞後初のコンサートなど公演はすべて中止となってしまったのである。
例年ならクリスマスシーズンでにぎわうウィーンの街も今年は閑散としている。
(森野さん)
「さびしいよね。
 ウィーンじゃないみたい。」
(木口さん)
「文化を奪われているような感じ 今は。
 悲しい。」
(森野さん)
「心が痛い。」
コンサートはできなくても自分たちの音楽で同じように苦しむ人たちを元気づけられないか。
2人が考えたのが“歌の贈り物”である。
自分たちの歌に冬の美しい景色などの映像をつけ
クリスマスイブまでの24日間
毎日1曲ずつをインターネットで無料で配信する取り組みである。
ヒントとなったのは
子どもたちがクリスマスに向けて1日ずつカレンダーの中のお菓子などを楽しむ
ヨーロッパ伝統の習慣である。
(森野さん)
「家で毎日1つずつクリスマスのプレゼントを開けていく楽しみは今年もできる。
 本当に楽しみのひとつ
 今日の占いみたいな感じで開けてもらえたらいい。」
過去のコンサートを映像に加え
今回 新たに日本語や英語 ドイツ語で冬の歌を収録することにした。
2人の思いに賛同したウィーンのベテランの録音技師も収録を手伝ってくれた。
「始まりの部分はこちらがいいよ。
 ピアノの音も静かに響いているし。」
さらにコロナ禍で仕事が減ってしまった友人のプログラマーやデザイナーが
動画の制作などをボランティアで引き受けてくれた。
(森野さん)
「それこそ仕事がなくなった方も中にはいる。
 最初始めたことはすごく小さかったけれど
 いろいろな方が関わってきて
 どんどん雪だるまみたいに大きくなってきて
 すごく幸せな気持ち
 ありがたい気持ちでいっぱい。」
準備を始めて約1か月。
みんなの思いが詰まった“クリスマスの贈り物”が完成した。
(ピアニスト 木口雄人さん)
「うれしい気持ちに音楽が持っている力でなってもらえることこそが喜び。
 温かいものが届いて
 気持ちよく聴いていただけたらと思う。」
(ソプラノ歌手 森野美咲さん)
「音楽
 歌うことは絶対私はやめることができない。
 どんな形でも届けたいという気持ちをずっと大切に持っていたい。」
 



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小松の親分 あんたはエライ!

2021-01-17 07:08:57 | 編集手帳

2020年12月16日 読売新聞「編集手帳」


先週、
小松政夫さんのに接した。
享年78。
急逝を悼みながら、
本棚から小松さんの自伝的小説『のぼせもんやけん』を引っ張り出した。

植木等さんの付き人になる前、
横浜で車のセールスマンをしていた時代を書いている。
営業先で何時間も粘るのが常で、
女性をつかまえては
「いやあ、キレイ! たまりませ~ん、どうしてどうして?」。
活字からあの甲高い声が聞こえてくる。

「のぼせもん」とは故郷の博多で、
何でもすぐに夢中になる人を言う。
自伝の題にしたのは、
がむしゃらな明るさで頑張って良かったと思えたからだろう。

横浜時代の会社の仲間への感謝も多くつづっている。
有名なギャグのうち「どうかひとつ」は、
同僚のセールストークから着想したという。
つぶやいてみると何がおかしいのかわからないけれど、
おかしい。
人間関係のなかで、
嘲笑のようなものとは反対に身を置く小松さんだから導けたおかしみなのではないか。

思えば、
「のぼせもん」は「しらけ鳥」のムードと対極にある。
コメディアン人生を夢中で駆け抜け、
お茶の間に笑いを届けてくれた小松の親分、
あんたはエライ!

 

 

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