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マツタケ人工栽培 “夢の技術”実現なるか

2020-12-31 07:03:11 | 報道/ニュース

11月27日 NHK「おはよう日本」


マツタケの国内の生産量は
戦前のころをピークに大幅に減少。
天候の影響も大きく
簡単には手が出せない値段がつけられている。
こうしたなか全国有数の生産量を誇る長野県では
マツタケを人工栽培し
産地の未来をつなぐ研究に挑んでいる。

秋の味覚と言えばマツタケ。
生産量が少なく
“キノコの王様”とも呼ばれる。
さらに今年 国際的な自然保護団体が絶滅危惧種に指定。
その希少性があらためて注目されている。
その貴重なマツタケを人工栽培できないか。
(県林業総合センター 特産部長)
「マツタケの人工栽培を目指して苗木を成育させている部屋。」
ずらりと並んだカプセルの中に入っているのはアカマツの苗木。
その根元に広がる白いものがマツタケのもととなるマツタケ菌のかたまりである。
この状態を作り出せたことで人工栽培の研究は大きく前進した。
マツタケ菌はそれだけではマツタケにならない。
菌がアカマツの根に定着して養分をやり取りすることで菌のかたまりが作られる。
このかたまりからマツタケが生まれるため
人工栽培は菌をどのように定着させるかが課題だった。
研究者の1人 古川さんは
信州大学などと共同で
土などをほぼ無菌の状態にすることでマツタケ菌が根に定着するのに最適な環境を作り出したのである。
(県林業総合センター  古川特産部長)
「マツタケの場合は
 アカマツとマツタケの菌を人為的にくっつけて発達させるという意味では
 非常に大きな技術の前進だと思う。
 日本全体でみるとマツタケの生産量は落ちていて
 長野県も今後どうなるか分からない。
 人工栽培の技術が活用できればと。」
全国有数のマツタケ産地である長野県。
ただ今年は状況が違う。
夏場の長雨とその後の高温でマツタケの生育に大きな影響が出ているのである。
(買い物客)
「マツタケは少ない。
 1時間もかけて朝早くから来たのだから買いたかった。」
「一昨年の半分だと言ってた。
 やはり秋の名物なので買いたかった。」
(店の担当者)
「一時は山のきのこさえ出なかった。
 毒きのこも食べられる雑きのこも採れた年に比べれば半分以下。」
影響はこんなところにも。
マツタケが特産の辰野町。
ふるさと納税の返礼品として人気だが
今年は数が足りず一部の人に発送できていない。
(辰野町ふるさと納税の担当者)
「マツタケがあとどれだけ採れるか
 正直分からない。
 あとは神頼みで待つだけ。」
多くの人に親しまれ
地域の経済を支えてきたマツタケ。
古川さんは
長野県に欠かせないものだからこそ守っていきたいという気持ちを強めている。
(県林業総合センター 古川特産部長)
「日本人にとってマツタケは食文化として継承しているので
 なんとか増やしたい はやしたい。」
そしていま研究は次の段階に入っている。
マツタケ菌をアカマツの根に定着させて菌のかたまりまでは作れた。
ただこれまでの研究から
かたまりをさらに大きくしなければマツタケが生えないことが分かってきた。
そこで菌のかたまりが広がるよう苗木を広いアカマツ林に移し替えている。
古川さんは菌が広がっているかの確認を続けている。
「根の部分の一部を切り取って持ち帰り調べる。」
こうしたなかで問題が。
移し替えたあとに根からマツタケ菌が検出されないものが出てきたのである。
カプセルの中の無菌状態と異なり
自然界では他の菌と競合してしまうことが原因ではないかと古川さんは見ている。
そこでアカマツ林に移し替える前にもうひと手間加えた。
他の菌に触れにくい環境を作って
あらかじめマツタケ菌のかたまりを一定程度成長させることにしたのである。
まだ誰も成功していないマツタケの人工栽培。
古川さんは手探りながらも一歩ずつ進んでいる。
(県林業総合センター 古川特産部長)
「人間が気づいていない何らかの要因があると思うので
 それを1つ1つつぶしていけば
 人工栽培できる可能性近い。
 確実に出るだろうと思ってやっている。」



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ヨンピョン島砲撃から10年 最前線の島民の思いは

2020-12-29 07:00:01 | 報道/ニュース

11月26日 NHKBS1「国際報道2020」


北朝鮮に近い 韓国ヨンピョン島。
2010年11月
北朝鮮軍の砲撃を受け
民間人を含む4人が死亡した。

ソウル近郊のインチョンから船で約2時間半。
ヨンピョン島。
島の高台にある展望台からは北朝鮮側の島が見える。
その向こうの陸地までも10キロほどしか離れていない。
島では韓国軍が訓練を行ない警戒に余念がない。
2010年11月23日
北朝鮮の砲撃が島の静けさを切り裂いた。
80発もの砲弾が着弾。
住宅にも被害が出て民間人2人と兵士2人が犠牲になったのである。
当時アメリカはオバマ政権。
“北朝鮮が非核化に動かなければ直接交渉はしない”
「戦略的忍耐」というというアプローチで圧力をかけていた。
それに北朝鮮が反発を強めるなかで起きたヨンピョン島への砲撃で南北の緊張は一気に高まった。
島にはいまも破壊された建物や砲弾が当時の姿のまま保存されている。
「ここ一帯が全ても得てしまいました。
 今は建て直されましたが。」
民宿を営むソンさん。
10年前の砲撃の様子をいまも鮮明に覚えているという。
(ソンさん)
「まさに戦場でした。
 一方的に攻撃されました。
 住民は不意打ちされたのでどうすることもできませんでした。」
島では事件を受けて北朝鮮に対する備えが強化された。
新たに8か所の避難施設を建設。
頑丈なシェルターでは約460人が1週間ほど過ごすことができる。
ソンさんは被害を受けた民宿を修復し営業を続けている。
静かな島は砲撃以降大きく変わった。
(ソンさん)
「いろんな施設を作るために行き来する人も増えました。
 好奇心で“ヨンピョン島にいってみたい”と来る人もいます。」
南北をめぐる緊張がいかに自分たちの生活に直結しているか
砲撃事件で思い知らされた。
(ソンさん)
「以前は南北関係にあまり関心を持ちませんでしたが
 事件後は南北関係のニュースを関心を持ってみるようになりました。」
しかしこの10年
南北や米朝の関係は一進一退を繰り返すばかりで大きな進展は見られなかった。
2017年 就任当初は北朝鮮に強硬姿勢だったトランプ大統領。
(アメリカ トランプ大統領)
「ロケットマンは自滅の道を歩んでいる。」
翌年には一転して史上初の米朝首脳会談を行ない
キム・ジョンウン委員長との蜜月ぶりをアピール。
朝鮮半島は融和ムードに包まれた。
ヨンピョン島でも北朝鮮軍から狙われるのを警戒して消されていた灯台に45年ぶりに灯が灯されるなど
雰囲気が和らいだという。
(島民)
「トランプ大統領は文大統領とキム委員長と会い対話をしたので期待が持てた。」
しかし融和ムードは長続きしなかった。
米朝首脳会談は3度行われたものの
アメリカは“北朝鮮の非核化への動きが足りないとして制裁の解除に応じず
朝鮮半島は再びこう着状態に陥っている。
2020年9月には
(KBS 韓国 9月24日放送)
「ヨンピョン島会場で行方不明になった我が国民が北朝鮮の銃撃で亡くなりました。」
ヨンピョン島のすぐ近くで韓国の船の乗組員が北朝鮮軍によって射殺される事件が起き
衝撃が走った。
(島民)
「今も不安だ。」
「いつまた砲撃が起きるか分からない不安はいつも持っている。」
北朝鮮との最前線で国際情勢に翻弄されてきたヨンピョン島の人たち。
アメリカの政権が変わる今後
南北関係の改善が実現することをソンさんは望んでいる。
(ソンさん)
「トランプ氏は見当がつかない人だったが
 バイデン氏の方が民主主義的で安心感があります。」
しかし同時にその道のりは容易ではないとも感じている。
(ソンさん)
「最近 北朝鮮と歩み寄ったりとか往来ができたりするのかと期待もしたが
 結局足踏みでした。
 どうしようもなく
 簡単なことではないと感じています。」

島は一見すると穏やかな様子だが
軍服姿の人が目立ち
なかにはすぐに非難できるよう荷物をまとめていっるという人もいた。
9月にはすぐ近くの海域で北朝鮮による韓国船員の射殺事件も起きていて
今も不安と隣り合わせの状況が続いている。
国際協調を重視するバイデン氏であれば
米韓が協力して北朝鮮問題にあたっていけるだろうという見方が出ている。
ムン政権への助言を行なってきた専門家は
(北韓大学院大学 ヤン教授)
「バイデン政権は北朝鮮の非核化や朝鮮半島情勢について
 ムン大統領の話に耳を傾けるだろう。」
ただ北朝鮮との融和政策を掲げるムン政権としては
首脳会談を立て続けに行なったトランプ大統領の再選が望ましいとの見方があったのも事実である。
首脳同士の対話で北朝鮮に対応しようとしたトランプ大統領とは異なり
バイデン氏は実務者間で協議を重ねるボトムアップ方式で北朝鮮と向き合っていくとみられ
成果が出るには時間がかかるというデメリットがある。
残りの任期が1年半を切っていて北朝鮮との関係に進展を得たいムン大統領としては
焦りを募らせることになりそうである。

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“東京大会に出られない” ベラルーシのアスリートたち

2020-12-28 07:16:33 | 報道/ニュース

11月27日 NHKBS1「国際報道2020」


ベラルーシでは大統領選挙をめぐる抗議活動が今も続いている。
抗議活動に参加している人の中には東京オリンピックを目指すアスリートも多い。
ただ選手たちは政権からの圧力にさらされていると訴えていて
IOC(国際オリンピック委員会)がベラルーシのオリンピック委員会に対して制裁を検討する事態にまでなっている。

ベラルーシの抗議活動には国から全面的に支援を受けてきたアスリートたちも加わっている。
アスリートたちが中心となって作った公開書簡。
“繰り返される政権側の不正や暴力を断固非難する“と表明。
“デモで拘束された市民全員の解放“を求め
“この事実をIOCに訴える”としている。
連帯を示し
署名したアスリートは1,000人を超え増え続けている。
署名した1人
アンドレイ・クラウチャンカ選手(34)。
(クラウチャンカ選手)
「すべての項目に賛同し決心するのに1分もかかりませんでした。
 そしてサインすると言いました。」
クラウチャンカ選手は2008年北京オリンピックの陸上10種競技で銀メダルを獲得した国民的英雄である。
しかし公開書簡に署名後すぐ
代表チームから外され
仕事も解雇された。
11月外出中だったクラウチャンカ選手は治安当局にいきなり車で連れ去られ
10日間拘束された。
(クラウチャンカ選手)
「私は人生のすべてをベラルーシにささげてきて
 メダルまで勝ち取った愛国者なのに
 理由もなく逮捕されました。
 説明できないほど本当に恐ろしい。」
こうした境遇のアスリートたちを隣国リトアニアから支援する団体
BSSF( ベラルーシスポーツ連帯基金)。
実情を訴え世界中に寄付を呼び掛けている。
(クラウチャンカ選手)
スポーツは私の人生です
私は生きる糧を奪われています
代表を務めるヘラシメニャさん。
元はベラルーシの水泳選手でオリンピックのメダリストだった。
祖国のトップアスリートの多くが圧力を受け
スポーツ界全体に影響が及んでいるという。
(ベラルーシスポーツ連帯基金 ヘラシメニャ代表)
「次の五輪に誰が出られるのか想像もつきません。
 アスリートたちが何を取り上げられても
 私たちは支援する方法を見つけます。」
支援活動は来年のオリンピック開催地東京でも。
「SOS!
 ベラルーシのアスリートからSOS!」
11月
日本に住むベラルーシの人たちが募金活動を行なった。
東京の人たちにも思いを寄せてもらいたいという。
(募金活動の参加者)
「日本から何か協力していただければうれしいと思います。」
競技に人生をかけてきたクラウチャンカ選手。
国の混乱で
オリンピックに出場できるかも今は見通せない。
(クラウチャンカ選手)
「オリンピックはアスリートにとって闘いの象徴です。
 私たちは100%の準備ができないことを知ってほしい。
 そして私たちの苦境を知って
 応援してほしいです。」



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ドローンを学ぶ大学 即戦力を育成

2020-12-27 07:08:26 | 報道/ニュース

11月25日 NHK「おはよう日本」


荷物の輸送や工事現場での調査など
ドローンのビジネス市場は拡大し続けていて
2022年にはドローンの操縦が国家資格の免許制度になる予定である。
こうした動きを先取りして
大阪の大学ではドローンの撮影をカリキュラムに取り入れ
専門知識を社会で役立てようとする学生たちが学んでいる。

次々に飛び立つ練習機。
大阪府南部 河南町にある大阪芸術大学は
2年前 全国で始めてドローンをカリキュラムに取り入れた。
学んでいるのは写真学科の43人。
2年生から実習を始め
操縦資格を取得する。
今の4年生が撮影した和歌山県田辺市龍神村の映像。
ドローンの授業を受けた第1期生で
来年春に卒業後プロのドローンカメラマンとしてデビューする予定である。
プロになる技術を身につけたいと
学生は全国から集まる。
(学生)
「実家 東京なんですけど
 わざわざドローンができるということで大阪まで来たんですよ。
 ドローンも使えたら会社とか入りやすいかなぁ。」
いま民間団体が資格を認定しているドローンの操縦を
国は2年後をめどに免許制度に移行する予定である。
この大学は2年前 大学として全国で初めてドローンをカリキュラムに取り入れ
操縦できるプロを育てようとしている。
教えるのはドローン撮影の第1人者。
客員教授として招き入れた。
(大阪芸術大学 坂口客員教授)
「学生の子たちが若いうちからドローンを学べる。
 日頃ドローンに関わる側からすると優位性をすごく感じます。」
一見簡単そうに見えても
ドローンを安定させて飛ばすのは容易ではない。
学生と講師が撮影した映像を見ると
講師の映像はぴたりと止まっているが
学生の映像はふらついてずれていく。
わずかな風にもすぐ影響されるためである。
操作に不慣れだと一歩間違えれば事故につながる。
学生が飛ばすドローンを講師も同時に動かせるように2つのコントローラーを使って練習する。
(学生)
「かぜでバーっとなるんで難しいです。」
「イメージしているのとやっているのとでは違っているので難しい。」
最新設備もそろっている。
風の影響も反映される本格的な趣味レーター。
悪天候や授業のない日でも腕を磨くことができる。
実際に映画やCMの撮影でも使われる高度なドローンも練習する。
飛行ルールなどの専門知識も学び
徹底した教育プログラムで即戦力を育てる。
(学生)
「ドローンを使うことで
 領域というのが広がると思うので
 映像の面でも写真の面でも広がると思ってるんで。
 確実に仕事の幅が広がると思っています。」
(大阪芸術大学 坂口客員教授)
「ぼくらの世代は時間がかかるものが
 言ったらすぐに分かってくれる。
 いろんな産業でもドローンはすごく今活躍しているので
 そこに携わってほしいなと思います。」



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香港 区議選から1年 苦境に立つ民主派議員

2020-12-26 07:00:22 | 報道/ニュース

11月24日 NHKBS1「国際報道2020」


11月 香港政府は立法会の民主派議員4人の資格を取り消し。
これに対し15人の民主派議員が抗議の辞職をするなど混乱が続いている。
こうした民主派への締めつけがいっそう強まるきっかけの1つとなったと指摘されているのが
1年前の11月の選挙である。
2019年11月24日に行われた4年に1度の区議会議員選挙。
市民による直接投票のため
民意が最も反映される選挙とされている。
政府への反発を追い風にした民主派の候補が
それまで議席の約7割を占めていた親中派の候補たちを次々と破り
当選。
8割以上の議席を獲得するという歴史的な勝利をおさめた。
その1人
24歳で初当選を果たした伍健偉さん。
しかしいま苦しい立場に追い込まれている。

民主派の区議会議員 伍健偉さん(25)。
区議会の場で
警察によるデモへの不当な対応を追求してきた。
(区議会議員 伍健偉さん)
「警察は民主主義を求める政治運動を弾圧し
 声をあげる人たちを暴力で脅かしています。」
また地域の議員として独り暮らしの高齢者を訪問し相談事に耳を傾けるなど
地道な活動も続けている。
「電球は取り換えたよ。
 健康に気をつけて。」
「取り替えてもらえて本当によかったわ。」
伍さんの議員活動を一変させたのが2020年6月。
反政府的な動きへの取り締まりを強化する香港国家安全維持法
いわゆる国安法が施行されてからである。
(区議会議員 伍健偉さん)
「国安法が施行されてから
 私たちは中国政府からどれほどの抑圧を受けているでしょうか。」
街なかで国安法への反対を訴えると警察官が。
(伍さん)
「商業施設から街頭演説を認めないという苦情でもあるのですか?」
(警察)
「ないです。」
(伍さん)
「ないですよね!」
伍さんは制止の理由をはっきりと告げられないまま
「当局の許可があるのか」と問い詰められ
スタッフ全員の個人情報を記録された。
ゆく先々で監視されるようになったという。
さらに議員活動を続けることもままならない事態も起きていた。
事務所の家賃や選挙ポスターなど
議員活動費のほとんどが政府から支払われていないというのである。
チラシは民主化を求めるスローガンを描いたことで支払いを却下されたという。
“香港を取り戻せ 革命の時だ”
(区議会議員 伍健偉さん)
「ここが問題だと指摘され
 関連するすべての請求が却下されました。
 私の選挙区には親中派の議員もいますが
 その請求はすぐ処理され支払われています。」
これまでに建て替えた費用は日本円で700万円以上にのぼっているという。
(区議会議員 伍健偉さん)
「節約のため1日1食しか食べていません。
 あとどれぐらい持つかって?
 正直もうそんなに持たないですよ。」
脅迫まがいの事態も起きている。
(伍さん)
「困ったことが起きました。」
仕事帰り高速道路で車に異変を感じたため停車したところタイヤがパンクしていたのである。
「刃物のようなもので穴があけられたようです。
 ここに穴が・・・何でこんなことになるのか。」
犯人は未だに見つかっていない。
(伍さん)
「同じようなことが香港で声をあげる多くの人たちに起きています。」
抗議活動だけでは限界があると感じ
政治を通じて社会を変えようと議員になった伍さん。
今直面しているのは予想もしなかった現実である。
(区議会議員 伍健偉さん)
「1年前
 私たちは選挙を通じ
 平和なやり方で香港の政治を変えようとしました。
 しかし1年経って目にしているのは
 議会が香港市民のためのものではなくなっていることです。
 香港政府は何も自分で決められず
 中国政府の意向に沿うだけのものになっています。」
11月11日
伍さんをさらに追い込むニュースが飛び込んできた。
全人代の幹部の1人が
“区議会議員についても国安法など政府の方針を指示する必要があり
 場合によっては議員資格を取り消すことがある”との考えを示したのである。
(香港選出 全人代 常務委員会メンバー 譚耀宗氏)
「区議会議員も公務員です。
 中国 香港政府に忠誠をつくし基本法を順守するよう求めます。」
民主派の区議会議員の間では
このままでは活動がますます難しくなると危機感が広がっている。
(民主派区議会議員)
「政府は最大の抵抗勢力だった立法会の民主派の弾圧に成功したので
 次はその下
 区議会を狙ってくるでしょう。」
「民主派の区議会議員も
 あす資格を取り消されてもおかしくないと思います。」
「これからますますやりにくくなりますね。」
「そうですね・・・。」
今も街なかでひとり声をあげ続ける伍さん。
議会での闘いに限界を感じ始めている。
(区議会議員 伍健偉さん)
「理想と現実の差は大きかったです。
 今後 私たちは選挙に立候補できなくなるかもしれないし
 民主派の支持者の声を代弁する機会も与えられないかもしれません。
 社会全体が崩壊していく速さは
 私たちの予想よりずっと速かったです。」


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フランス 街の書店を支援 “アマゾンに負けるな”

2020-12-25 07:00:00 | 報道/ニュース

11月24日 NHKBS1「国際報道2020」


10月30日から2度目の外出制限を続けているフランス。
マクロン大統領が近く一部規制を緩和するという見方が強まっている。
しかし食料品店や薬局など生活必需品を取り扱う店以外は
これまで3週間以上店内での営業が禁止され
注文を受けて配達するか店頭で商品を手渡すしか認められていない。
街なかの書店もフランスそうした規制の対象で
いまネット通販との厳しい競争を強いられている。

パリ近郊で書店を経営するシャルブニエさん(49)。
2019年6月 それまで続けてきた仕事を辞め書店を開いた。
子どものころからの夢だったという。
(書店主 シャルブニエさん)
「書店は本を読むだけでなく本への情熱を伝える仕事です。
 それが何よりも好きなんです。」
お薦めの本は熱のこもった手書きのポップで紹介。
子ども向けの本から小説に専門書まで幅広く取り揃えている。
しかし2020年春
新型コロナウィルスの感染拡大による外出制限で売り上げは50%近く落ち込んだ。
2度目の外出制限が発表されたときは憤りを感じたという。
(書店主 シャルブニエさん)
「外出制限は不公平だし
 受け入れられない。
 中小の店が閉めなければならないのは苦痛です。」
シャルブニエさんの憤りの背景にあるのが
いわゆる“巣ごもり需要”で売り上げを伸ばすネット通販大手アマゾンの存在である。
街の小さな書店は客を入れての営業を禁じられたため
不利な闘いを強いられているというのである。
(書店主 シャルブニエさん)
「私たちの仕事は
 訪れた客と交流しながらふさわしい本を薦めることです。
 本当に欲しい本はネットでは見つけられません。
 それが私たちの職業の意義なのです。」
こうしたなかフランスで広がったのが
アマゾンに対抗して街の書店を支えようという動きである。
この日 街の書店を訪れたのはパリ市のイダルゴ市長。
市民に異例の呼びかけを行なった。
(パリ イダルゴ市長)
「パリの市民に
 アマゾンで買うなと言いたい。
 書店に死をもたらします。」
さらにフランスで最も権威のある文学賞コンクール賞を授与する団体も賛同。
(コンクール賞主催団体のウェブサイト)
“困難な時期に直面する書店を全面的に支持する”
11月10日に予定していた賞の発表を延期し
書店の通常の営業再開に合わせて発表するとした。
(アカデミー・コンクール ディディエ・ドゥコワン会長)
「アマゾンで受賞作品を買ったら
 いつもの書店からは買わなくなる。
 フランスでは近くの書店は友人であり景色の一部だ。」
作家たちも動き出している。
各地の書店を訪れ
支援を呼びかける活動を始めたのである。
(作家 ドレコンドさん)
「本を11月末に出版する予定です。」
この日 シャルブニエさんの店にも小説家が訪れた。
SNSを通じて訴えたのは書店の魅力である。
(作家 ドレコンドさん)
「書店ではネットでは得られない新たな発見が味わえる。」
こうした支援もあって
シャルブニエさんの店の売り上げは外出制限前の水準とほぼ同じだという。
店の入り口には注文した本を受け取りに来る客が相次いでいる。
(客)
「できるだけ支えたい。
 アマゾンなどで購入するのはやめるべきだと思う。」
(書店主 シャルブニエさん)
「驚くほどうまくいっています。
 私たちのために客は本の購入を通じて支えてくれています。
 ありがたいことです。」

フランスでアマゾンに対抗しようという動きが広がったことについて
アマゾンフランスのCEOはメディアに
“利益はアマゾンそのものではなく販売車にもたらされている“とコメントしている。


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3か月で現場に すし職人養成学校

2020-12-24 07:00:00 | 報道/ニュース

11月24日 NHK「おはよう日本」


“飯炊き3年にぎり8年”と
10年以上の修業が求められるとも言われるすし職人の世界。
その基本的な技をわずか3か月間で教え込む学校が大阪にある。
いま新型コロナの影響で入学者に変化が表れている。

「作業中に全部気付くことや。」
「お前いいかげんやの。」
「できないじゃなくて集中力が足りないだけや。
 集中してると思ってるけどしてないんだよ。」
大阪にあるすし職人養成学校 飲食人大学の校長 高田さん。
銀座の高級店や海外で30年近くすしを握り続けてきた。
3か月間の受講料は90万円超だが
一流のすし職人を目指したいと希望者は後を絶たないという。
6年前に開校し
1,000人をすしの世界に送り出したが
最近入学者に変化が起きているという。
この学校に10月入学した豊里さん。
福岡市の沖縄料理を中心とした居酒屋から派遣された。
大人数の宴会中心の居酒屋業態は
新型コロナの感染が拡大すると客足が遠のきがちである。
そこで店のオーナーは
カウンター中心で静かに食事をするすし店に商機があると考え
豊里さんをこの学校に派遣したのである。
(10月入学した豊里さん)
「コロナでいろいろ困ってるなか
 すし屋はあまり影響を受けないと。
 2店舗3店舗目に生かす形になると思います。」
この日 豊里さんはレンコダイをさばく練習をしていた。
やわらかいこのサカナ
力まかせに包丁を使うとすぐに身がくずれるため技術の差が如実の現れるという。
「やるときも必ずこうやって骨の音
 骨の音を感じながら1回目2回目とやると
 これはすぐ骨が見えるでしょ。」
豊里さんがさばいた部分は
「これって骨が見えないでしょ
 っていうことはこれだけ身を損してる。
 これがもったいないと思わないとダメ。」
集中した状態で何度も実習を重ねることが短期間での養成の秘密だという。
卒業後 生徒たちが現場で恥をかかないよう
あえて厳しい言葉で教え込む。
「急ぐときは急ぐ。
 “遅くてきれい”に価値はないよ。
 “早くてきれい”に価値があるんだからね。」
「タオルは曲げて置くなって言ってんの。」
「人の話聞かんのう ほんまに。」
「曲がって置いたタオルがきれいか?
 タオルもまともにたためんやつがおいしい料理できるかって言ったらできないよ。
 もっと精度の高い料理作れって言ったら作れるか?
 うわべだけの料理なんかつぶれます 店が。」
新型コロナで飲食店が厳しい状況に追い込まれるなか
美味しいだけでは生き残れないと
経営感覚も教え込もうとしている。
「食材の管理ってのはなぜ大事かって言ったら
 お金をどれだけ残せるか残せないかにつながるからですね。」
豊里さんも食らいつこうと必死である。
「ラップ張ってふたして寝る。
 それはなぜやるんですか?」
「乾燥させないためです。」
「はい正解です。」
(10月入学した豊里さん)
「こちらで学んで自分を磨いてですね。
 その努力をお客さまや会社・世間の方に還元できたらいいなと思います。」
(飲食人大学 高田校長)
「皆さんは卒業後お金を稼ぐためにはそれなりの厳しさが必要なので
 厳しいことをお伝えしています。
 お客様のことを思って料理ができる
 愛のある料理人が育ってくれたらうれしい。」
 
 

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DX 加速 ITスキルを習得せよ

2020-12-23 07:01:04 | 報道/ニュース

11月24日 NHK「おはよう日本」


DX=デジタルトランスフォーメーション
企業がデジタル技術を導入してビジネスや組織を変革していくこと。
ITを使いこなしてスキルを学ぼうという人が増えている。

都内の会社に勤める37歳の男性。
9月から昼休みなどを使ってオンラインのプログラミングの学習を始めた。
ウェブサイトを構築する言語を初歩から始めた。
「パソコン以外にスマホもできるので
 通勤の時間とかに。」
利用しているのは月額980円のオンライン学習サービス。
説明を見て問題演習を繰り返し
初心者でもゲーム感覚でスキルが身に付くという。
入社以来営業一筋。
ITとは無縁だったこの男性。
学習を始めたきっかけはコロナ禍を受けて会社が始める新たなサービス。
クラウドファンディングを取り入れたウェブサイトの立ち上げを任された。
今後 学んだことを生かしてサイトの開発に積極的に関わっていきたいと考えている。
(プログラミングを勉強中の37歳男性)
「IT企業の方と同じくらい知識とか経験を持って会社に存在すると
 すごく市場価値が高いというか
 存在価値が出せるんじゃないかと思う。」
ITスキルを学ぼうという動きは中高年の間にも広がっている。
4月の緊急事態宣言以降利用者が増え
40~70代まで約40人が学んでいるプログラミング教室。
ネット通販サイトの制作を教わっている女性。
授業は1回3時間で
ホームページの管理や運営などに役立つ言語を基礎から勉強する。
(プログラミングを勉強中の62歳女性)
「自分の母が有料老人ホームに入っていて
 母が生きている間は収入がある生活がしたい。
 年金が少ないので年金の足しになればいい。」
新規事業を始めたいという中手企業の経営者も。
(プログラミングを勉強中の62歳男性)
「例えば通販サイトとかそういう部分を自分たちでやれないかとか
 IT化ができなければ消えていくしかないのかなと。」
最終的には生徒1人1人が在宅でIT系の仕事をこなし
少しでも収入を得られるようにするのが目標である。
(プログラミング講師)
「自分自身が経験してきたビジネスの知識と
 ITの知識を組み合わせて新しいことをやるとか
 そういったことを考えている人も多い。
 定年退職したあとの次の新しいステップ。」


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日光 「結構!」

2020-12-22 07:05:11 | 報道/ニュース

11月23日 読売新聞「編集手帳」


栃木県の日光東照宮は古来、
〈日光を見ないうちは結構と言うな〉とたたえられてきた。
語呂のよさからか、
この成句、
明治の訪日外国人にもウケたようである。

英国の女性旅行家、
イザベラ・バードは1878年(明治11年)、
日光に滞在し、
自分には〈「結構!」という言葉を使う資格がある〉と記す(『日本奥地紀行』)。
便もよくなり、
日光はニッポン観光の定番となる。

1885年秋に訪ねた仏海軍士官、
ピエール・ロチも、
自著『日本秋景』に成句を掲げている。
皮肉屋だった人だが、
荘厳な東照宮はもとより、
実は日光街道にも賛辞を惜しんでいない。

宇都宮から急ぐうちに日が暮れる。
金色の光に杉並木が照らされ、
〈太古の神殿での祭儀〉のよう。
さらに側道の苔(こけ)や落葉には幼少期の記憶がよみがえり、
〈一瞬、私は自分がフランスにいるような気がした〉という。

秋色に染まる人里の美しさは、
万国共通なのだろう。
さる都道府県ランキングで最近、
栃木県は魅力度最下位に沈んだ。
地元からすれば「結構!」どころではないが、
慕わしい風景に暮らす幸福度はむろん余所(よそ)と比べるものでもない。

 

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「007」ロケ地 鹿児島より愛をこめて

2020-12-21 07:00:13 | 報道/ニュース

11月17日 NHKBS1「国際報道2020」


2020年10月に亡くなったイギリスの俳優 ショーン・コネリーさん。
007シリーズのジェームズ・ボンド役で有名である。
007で日本を舞台にした作品が「007は二度死ぬ」。
相手役は浜美枝さん。
丹波哲郎さんも重要な役で出演。
撮影は東京や姫路城
そして鹿児島などで行われた。

[007は二度死ぬ」のロケ地となった鹿児島県南さつま市坊津町秋目。
集落の高台に建てられているのは記念碑。
タイトルロゴやコネリーさんのサインが刻まれている。
設置に携わった宮内さんは住民役のエキストラとして撮影にも加わった。
(宮内さん)
「コネリーさんはオーラが漂っていた。
 船の前のほうで和服姿でまたを広げて座っている姿が印象に残っています。」
作品で日本人に変装したボンドが住んだ家は今も残されている。
訪れるファンにガイドを務めることもある宮内さん。
映画は町の財産だという。
(宮内さん)
「ショーン・コネリーさんのおかげで記念碑もできて
 世界各国から『007は二度死ぬ』のファンが50人くらい来て
 “日本を回ったけど秋目が最高だ”と。
 秋目を世界中に広めたいですね。」
作品に間近で携わっていた福岡に住む川邉さん(89)。
現在は脚本の評論などを行なっている。
「これはコールシート。
 予定表なんですね。
 撮影が始まった日の予定表。」
(川邉さん)
「なんというか残念でしたね。」
当時 映画会社に所属していた川邉さんは「007は二度死ぬ」の日本側の助監督を務めた。
(川邉さん)
「大有名人だから誰も寄りつかないんですよ。
 ぽつねんとしている。
 誰も話しかけないでいるという状態。」
台本など当時の資料を今も保管している。
(川邉さん)
「これには映ってないけど
 こんな具合でショーンと泳いだんですよ。
 横泳ぎを教えようかっていったら『いいよ(遠慮するよ)』なんて。」
自己紹介をしたとき
スコットランド出身のコネリーさんらしい言葉をかけられた。
(川邉さん)
「ホテルの1部屋で彼はメークをしていた。
 そこに私は1人で勝手に入っていって
 『ミスターコネリー』って話しかけて自己紹介をして
 『お前 俺より英語うまいじゃないか』ということを言う。
 どうしてそんなことを言ったのか当時はよく分からなかった。
 彼はスコットランドなまりをかなり気にしていたし
 ボンド映画でなまりをそのまま使っているところもある。
 そのことだったのかなと。」
川邉さんにとって特別だったというコネリーさんとの仕事。
いずれまた彼に会える気がすると語る。
(川邉さん)
「Nice to meet you againって言いますね。
 彼がホテルにいてロビーで会ったとしますね。
 そうしたら近寄って行って
 出会ったときと同じように手を出して握手をして
 Nice to meet you againって言いますね。」



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スウェーデン 持続可能な社会へ 現場の試み

2020-12-20 07:00:02 | 報道/ニュース

11月17日 NHKBS1「国際報道2020」


気候変動への対応が求められる今
世界中で多くの企業が環境対策に乗り出している。
その中で注目されているのが北欧のスウェーデン。
国民のリサイクル意識も高く
環境対策で先進的な企業が多いこともあって
2030年までに17の分野で持続可能な社会を目指す
国連の「SDGs (持続可能な開発目標)」の達成度でも1位となっている。
そんなスウェーデンで今広がっているのが循環型ビジネスである。
さらなる持続可能な社会を目指して企業が取り組んでいるものである。

スウェーデン南部のショッピングモール。
雑貨や家具などの店が並び
一見 他のモールが変わらないように見えるが
販売されているのは中古品を中心とした“持続可能な”商品。
ここは正解で初めてとされるリサイクル商品専門のモールである。
(客)
「1か月に2~3回来ます。
 ここは大好き。
 リサイクルは環境を守るために大切なことよ。」
モールは地域のリサイクルセンターに隣接。
ここに市民が運び込む不用品の中から再利用でいるものを使って商品を作り出している。
古いたんすも白いペンキを塗って大胆にリメイク。
不用品を生かし
より価値の高い製品に生まれ変わらせることは“アップサイクル”と呼ばれている。
店舗ではこうしたアップサイクルされた商品が販売されている。
価格も手ごろでユニークだと評判は上々である。
モールはオープンから5年で店舗が14店に倍増し
売り上げは3倍に伸びたという。
(ショッピングモールマネージャー)
「以前はみんなここがどのような場所か理解していませんでした。
 けれど今はアップサイクルなどによる循環型モールだという認識が確立しています。」
循環型ビジネスには世界的な大企業も乗り出している。
11月 このモールに期間限定の店舗を開設したのが
家具や雑貨を扱うイケアである。
「’80年代や’90年代の品物もありますよ。
 このCD・DVD用のラックとかね。」
並んでいるのはかつてイケアで販売されていた中古の品々。
イケアにとって初めてとなるリユース商品専門の店舗である。
回収したものを修理するなどして通常の半額以下で販売している。
(客)
「思ったより安く買えました。」
イケアでは2030年までには
全製品を再生可能素材などで生産する循環型ビジネスの実現を目指している。
限られた資源を循環させ
常に新しい価値を生み出し続ける。
この店舗はこうしたビジネスの実演に向けた第一歩として位置づけられているのである。
(イケア スウェーデン サスティナビリティ―担当)
「このモールでは中古品ビジネスについて多くを学ぶことができます。
 私たちもこの循環型ビジネスに加わり
 国内や海外でどのように展開できるか模索したい。」
スウェーデンはいま循環型の経済を成長の柱に据えようとしている。
2020年7月に発表された国家戦略では
限りある資源の効率的な利用と
新しい環境技術の開発で
経済を大きく成長させるという目標を掲げた。
こうした成長戦略を担うベンチャー企業もすでに生まれている。
(ベンチャー企業のPRビデオ)
あなたのジーンズや古い衣類をください
自然に還る素材に生まれ変わらせます
スウェーデンの王立工科大学の研究をもとに
循環型の布地を開発したベンチャー企業。
古いジーンズなどを裁断。
圧縮して紙のような状態にしたうえで
特殊な薬剤を使って糸を作り出し
新たな繊維に仕上げていく。
通常 綿の生地を生産する場合は大量の水を必要とするなど環境への影響を指摘されているが
この方法だとリサイクルした水を使って廃棄物もほとんど出すことなく生産できるという。
(アパレル ベンチャー企業 CEO)
「まさにサスティナブル(持続可能)なモデルとして期待されています。」
この記事は去年本格的に販売を開始。
今年に入り大手メーカーを協力したドレスやジーンズなどの商品が次々と生まれている。
(アパレル ベンチャー企業 CEO)
「循環型の技術は
 雇用や成長をもたらす将来有望な分野であり
 持続可能な社会を実現することになるでしょう。」

モールは幅広い年齢層の人たちが利用していて広く根付いている。
売られているものも工夫してアップサイクルされたり
きちんと修理されたりしていて
使い古されたものがただ並んでいるという印象はない。
さらにこのモールにはリサイクルやアップサイクルについて学ぶ学校もある。
隣接するリサイクルセンターで探してきた不用品を利用して制作し
商品として売られることもあるという。
このモールにオープンしたイケアの店舗の店長は
イケアとしては世界で最も小さい店舗かもしれないが
持続可能性という点では最も大きな可能性を秘めているという。
やはり企業としては採算を度外視した取り組みはできない。
イケアもまずは6か月という期間限定で
さまざまな角度から検証し
その後の展開を考えていくということである。
またアパレル ベンチャー企業は正式な展開を始めてからまだ2年足らずだが
ビジネスは順調で
新たな工場の設置も進め増産体制を整えている。
H&Mやリーバイスといった身近なブランドと提携して
広く普及を図ることで価格を抑え
利益を確保する狙いもあるとみられる。
環境問題を自分のこととしてとらえる消費者が増えるなか
新しいものを生み出し続け販売するという従来のビジネスモデルも転換点に来ている。
環境への取り組み自体も
企業価値を高めることにつながるとみられ
循環型というビジネスモデルはすでに世界の潮流として根付き始めている。

 

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苦境に立たされたマンゴー農園

2020-12-19 07:09:49 | 報道/ニュース

11月17日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


ジューシーな甘さがオーストラリアに夏の訪れを告げるマンゴー。
オーストラリア北部 ダーウィン。
熱帯性気候のこの地域はオーストラリア最大のマンゴーの産地。
国内で生産されるマンゴーの半数余りを占めている。
マンゴーの収穫は海外からの季節労働者が主な担い手である。
しかし今年は感染拡大防止対策として3月に国境が封鎖された結果
労働者を確保できない事態に陥った。
対応を迫られた州内の生産者団体。
(生産者団体代表)
「労働力の不足に気づき
 人材確保のため対策が必要になりました。」
(生産者団体の求人動画)
一緒に働きましょう
きっと楽しく過ごせます
あなたの支援が必要です
団体ではマンゴー農園での仕事を紹介する動画を作成し
国内の人たちに仕事への応募を呼びかけた。
しかし国内でも移動の規制が続いたことから十分な人数を集めることは困難だった。
そこで特別に呼び寄せたのが
南太平洋の島国 バヌアツの人たちである。
団体がオーストラリア政府と交渉した結果
バヌアツから約320人の入国が特別に許可された。
これまでもオーストラリアの農園に季節労働者として多くの人たちを送り出していたバヌアツ。
国内で感染者が1人も確認されていなかったことから
入国が許可されたのである。
飛行機のチャーター代も
入国後の2週間の隔離費用も
地元のマンゴー農家が分担して支払うことで合意。
その額は約100万オーストラリアドル(約7,600万円余)にのぼったが
必要な出費だったという。
(生産者団体 代表)
「私たちの選択肢は
 マンゴーを収穫せずに無収入になるか
 別の方法をとるかでした。
 結果
 海外労働者の確保が最適な方法ということになりました。」
バヌアツの人たちが働いている農園。
10月に到着したトゥングさん。
バヌアツでは飲食店の従業員として働いていたが
新型コロナウィルスの影響で閉店に追い込まれ半年以上仕事がない状態が続いていた。
(バヌアツからの労働者 トゥングさん)
「観光客がバヌアツに来なくなり
 多くの人が仕事のお金もない生活を強いられることになりました。」
過去にもマンゴー農園で働いたことがあるトゥングさん。
大きくなった実を慣れた手つきで手際よく収穫していく。
この農園を任されているダルグリッシュさん。
何とか13人のバヌアツの人を雇い
例年通り収穫できるようになったという。
(ダルグリッシュさん)
「バヌアツの人たちのおかげで私たちの不安は消えました。」
仕事の時給は25オーストラリアドル(1,900円余)と
バヌアツの最低賃金の10倍近くである。
バヌアツに3才と6才の子どもを残してきたトゥングさん。
この仕事のおかげで家族に十分な生活費を送ることができるようになったという。
(トゥングさん)
「ここで家族を助けるために働いて
 お金を稼げることを誇りに思います。」
バヌアツにとってもこうした労働者からの送金は
新型コロナウィルスで打撃を受けた国内経済の回復の大きな支えになっている。
(バヌアツ サロング議員)
「観光が主要産業のバヌアツでは
 国境封鎖以降 経済が落ち込んでいます。
 我が国にとっても人々の経済活動の継続は重要です。」
人手不足と仕事不足という
それぞれの課題に直面した2つの国の間で
お互いにとって利益となる助け合いが進んでいる。

オーストラリアの経済にとって海外の労働者は重要な担い手で
特に農業ではマンゴーだけでなく
ベリーなど他の果物や野菜でも収穫の人出が足りないという懸念の声が相次いでいる。
また例えばオーストラリアで有名な羊毛産業はニュージーランドからの毛刈り職人によって支えられていて
経験のない人がすぐに技術を身につけられることは簡単ではないことから
労働者を早く受け入れるよう待ち望む声が上がっている。
政府は国の経済に大きな影響を及ぼしかねないとして
季節労働者の入国再開については前向きな姿勢を見せていて
北部のマンゴーの事例をきっかけに他の州でも
果物の収穫のために季節労働者を特別に受け入れる動きが始まりつつある。
一方で労働者を送り出す側の国々は医療体制が十分でないところが多く
新型コロナウィルスへの不安が広がっている。
バヌアツでも11月に初めて感染者が確認された。
オーストラリア政府はバヌアツなど太平洋島しょ国に対し
医療体制を支えるための資金
それにウィルスの検査キットや医療従事者向けのマスクの供給など
支援を続けている。
オーストラリアの感染の拡大は徐々に収まってきていて
11月に入ってから1日当たりの新たな感染者数は十数人程度にとどまっている。
これは海外からの入国だけでなく
国内でも州を越える移動を厳しく規制していた結果ともみられ
もっとも感染状況が深刻だった第2の都市メルボルンも
国内で唯一続いていた外出制限が10月末に解除された。
日本からの入国は規制が続いているが
11月18日から日本を訪問していたモリソン首相は
菅総理大臣との会談で
両国間の往来再開についても協議する見込みである。
ただ
観光客や留学生が海外からたくさん訪れるようになるまでにはまだ長い時間がかかりそうで
観光業や教育機関そして農業など
海外からの人材に支えられてきた産業への影響は長く続くことになりそうである。

 

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イギリス人と挑む 新たな砥部焼

2020-12-18 07:04:36 | 報道/ニュース

11月17日 NHK「おはよう日本」


愛媛県の伝統工芸品 砥部焼。
200年以上の歴史があるが出荷額は年々減少している。
そこで県は
砥部焼の代表的なデザインである唐草模様と肩を並べるような新たなデザインを生み出すプロジェクトをスタート。
2020年2月
県が砥部町に招いたのはイギリス在住の陶芸家 トム・ケンプさんである。
ケンプさんの作風は竹などを大胆に使ったデザイン。
独創的な作品はSNSで注目を集めている。
ケンプさんは参加を希望した陶芸家6人と1か月間交流し
新たなデザインを探る手助けをする。
(イギリス在住 陶芸家 トム・ケンプさん)
「最終的な目標は砥部焼をもっと売っていくことです。」
初日は身近なものを使って絵を描くワークショップ。
「動きをつけて。」
歯ブラシで挑戦するのは小田原さん。
メンバーの中では陶芸家として一番長いキャリアを持っているが
慣れない道具をどう動かせばいいのか苦戦する。
「まずは道具の自然な使い方を見つけ出すことです。」
ケンプさんは道具の形状を理解して動かすことが大事だと伝える。
(小田原さん)
「ふだん考えていないんだなっていうちょっとショックと
 自分の動きを見つけるのがひとつ課題として見つかったかな。」
小田原さんは砥部町で最も古い窯元で絵付けの仕事を続けて27年。
今回のプロジェクトに参加したのは
砥部焼を広めるため新たなものに挑戦したいと考えていたからだった。
(小田原さん)
「自分の中に斬新さがないなっていうのはちょっとある。
 育ったのが砥部で戸部の食器をずっと見慣れているから
 刺激を受けたいっていうのはありました。」
ワークショップの最終日。
この日は身の回りで気になったデザインをもとに試作してくるよう課題が出ていた。
小田原さんが試作した作品。
彫刻刀で扇形に掘り
切り取られた世界を表現した。
(ケンプさん)
「うまくやったと思う。」
(小田原さん)
「砥部焼っぽくものをとは思ってはいるんですけど
 砥部焼っぽくなっちゃいます。」
(ケンプさん)
「次に会うときは目標に向かって順調に進んでいることを願っています。」
ケンプさんが帰国して約7か月後の10月。
小田原さんの自宅。
小田原さんのデザインは形になりつつある。
描いている模様はメンバー全員で決めたもので
ケンプさんから使い方を教わった平筆を生かした。
小田原さんがこだわったのは砥部焼らしさを残すこと。
菊などの草花の模様を重ねて描いていく。
(小田原さん)
「伝統を入れたいなっていうのが大きかった。
 あとは焼き上がりを見てみないと。」
2週間後 試作品を見せ合う日。
(小田原さん)
「濃淡のバランスはうまくできたな。
 自分の今までに無い感じはします。」
小田原さんは完成に向け手ごたえを感じている。
(小田原さん)
「私の今までの中ではちょっと大胆になったような気がします。
 年齢とか性別関係なくなるべくいろんな人がこれいいねって
 ぱっと見て思ってもらえるものができたらいいかなっていうのが率直にあります。」
完成品のお披露目は2021年。
それまで陶芸家たちの探求は続く。

 

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「#MeToo」から3年 映画界の変化

2020-12-17 07:05:04 | 報道/ニュース

11月16日 NHKBS1「国際報道2020」


映画界ではびこってきた男性優位や女性への抑圧。
世界3大映画祭の1つ ベルリン国際映画祭は
今年8月
これまでの「最優秀男優賞」と「最優秀女優賞」を廃止。
来年からは受賞者の性別を問わない「最優秀主演賞」と「最優秀助演賞」を設けると発表した。
そのきっかけとなったのが3年前に始まった性暴力やセクハラを告発する一連の「#Metoo」運動である。
世界的に活躍する女優が次々と被害を名乗り出たことで瞬く間に広がり
それに勇気づけられた多くの女性が声をあげるようになった。

ニューヨーク・タイムズのカンター記者。
3年前 ハリウッドの著名なプロデューサーだったワインスティーンの性暴力事件をスクープした。
(ニューヨーク・タイムズ カンター記者)
「被害者の話はあまりにも強烈で
 絶対に真実を暴かないといけなかったのです。
 ワインスティーン被告のセクハラを世間に知らせないまま死んでいくことはできません。」
しかし取材は難航。
さまざまな圧力がかかったという。
(ニューヨーク・タイムズ カンター記者」
「多くの女優に話を聞きましたが
 当初 被害を話してくれたのは1人だけでした。」
それでも厳しい取材を重ね
ついに真実を明るみに出した。
(2017年 10月5日 ニューヨークタイムズ)
ワインスティーン氏はセクハラ告発者に数十年にわたり口止め料を払い続けた
この記事がきっかけとなりワインスティーン氏は逮捕。
今年3月 性的暴行などの罪で禁錮23年を言い渡された。
この間 多くの女優・歌手・モデルなどが#MeToo運動に賛同。
ハリウッドをはじめ
映画界全体で当たり前とされてきた男性中心の文化に風穴があき始めた。
2年前のカンヌ映画祭では大きな変化が起きた。
コンペティション部門の審査員の半数以上を女性にしたのである。
さらに映画界の根本的な変革を目指す新たな運動も。
その名は「50/50by2020」。
映画界の選考委員や応募作品の監督の女性の割合を増やすため
男女比などを公表するもので
スウェーデン映画協会などが提唱している。
これまでに世界3大映画祭のカンヌやベルリンを含む少なくとも119の映画祭が署名した。
(スウェーデン映画協会 サーナーCEO)
「この運動はまだ始まったばかりですが
 世界の多くの国から受け入れられています。
 映画界にはさらなる多様性が必要で
 変化を求め続けます。」
中でもカンターさんが「きわめて大きな変化だ」と指摘するのが
ハリウッドで当たり前とされてきたキャスティング・カウチ。
“寝て役をとる”ことの見直しである。
(ニューヨーク・タイムズ カンター記者)
「“キャスティング・カウチはハリウッドそのもので今更変えることはできない”
 という風潮でした。
 しかしもう受け入れられません。
 間違った行為だと認識が変わってきました。」

ベルリン国際映画祭が性別の違いによる表彰をやめることは変化の象徴と言える。
映画祭の代表者は
“監督や脚本などの賞では性別は問われない
 俳優の賞も演技の出来栄えだけを基にすると考えた“と説明している。
さらに性別だけでなく広く人権への意識も高まっている。
2020年9月にはアメリカ映画祭最高の栄誉とされるアカデミー賞の主催団体が
作品賞について
出演者の一定以上を女性やマイノリティー・障害のある人などとする新たな選考基準を
2024年から適用すると発表した。
こうした取り組みは社会問題などを描くなどしてきた映画祭として
変わらなければいけないという危機感を表している。
企業や学校などでも #MeToo 運動に触発される形で多くの女性が声をあげ始めている。
一方でニューヨーク・タイムズのカンター記者は
“見過ごされている問題もある”と指摘している。

#MeToo 運動の影響は世界に広がっている。
アメリカではセクハラ関連の申し立てが増加。
また韓国では政府がセクハラの相談窓口を設置した。
日本でも2019年3月
性犯罪の無罪判決が4件相次いだことから
被害者に寄り添う気持ちを花で表現しようという“フラワーデモ”が開かれるようになった。
その一方でカンターさんは
“特に社会的に弱い立場の女性たちにとってはまだまだ声をあげにくい状況だ”と指摘する。
(ニューヨーク・タイムズ カンター記者)
「もし日常的に上司のセクハラを受けるレストランで低賃金で働く女性がいて
 その女性の立場は3年前と変わったでしょうか。
 私は変わったとは思えません。
 “すべてが変わったけれども何も変わっていない”ということです。」
そして“女性の立場を向上させるため声をあげ続けることが大切だ“と訴える。
(ニューヨーク・タイムズ カンター記者)
「変化は誰かが声をあげることで起きるのです。
 過去は変えられませんが
 自分の痛みを社会の変化につなげられるかもしれません。」

新型コロナウィルスの感染拡大によって
日本のフラワーデモは
一時オンラインでの開催を余儀なくされ
運動をどう広げていくかが課題となっている。
さらに多くの国で外出制限が行われ家で過ごす時間が増えたことから
家庭内での性暴力が増えたという報告もあり
職場や家庭で弱い人たちの声に今いっそう耳を傾けるべきである。
日本の場合
性暴力やセクハラの被害を訴えた人がいわれなきバッシングを受けるケースがあるが
これはアジアで広く見られる課題だという。
カンター記者は
背景には
性暴力の被害を口にしたり
被害にあった人が身内にいるのは恥ずかしいと感じる文化があるからではないかと指摘する。
カンター記者が取材の過程をまとめた本の中に出てくる
ワインスティーン被告の事務所で働いていたアジア系の女性は
性暴力の被害にあったということを家族にすら話していなかった。
カンター記者が家を訪ねて家族は初めて知ったという。
家族も受け入れて最終的には実名で公表するまでになった。
日本を含むアジアでは性に関する話題自体タブー視されている現状がある。
暴力やセクハラのない社会の実現のために勇気をもって声をあげるだけでなく
そうした声を受け止めることが重要である。



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科学者 小柴昌俊さん

2020-12-16 07:00:00 | 編集手帳

11月14日 読売新聞「編集手帳」


物理の教科に落第点をつけられた。
寮の風呂に入っていると、
担当の教師が学生に話す声が聞こえてきた。
「小柴は物理はだめだ。
 大学ではインド哲学かドイツ文学に進むのではないか」

悔しさをバネに物理学の道に進んだ人が好んでした思い出話である。
地球など星々にも遮られず宇宙を飛ぶ素粒子ニュートリノの観測に世界で初めて成功し、
ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんが94歳で亡くなった。

地中深くに築かれた大水槽、
その壁を無数の光センサーが埋め尽くす――
受賞当時を振り返れば、
型破りの観測装置「カミオカンデ」に驚かされた人は多かろう。

同じ物理学の先哲で随筆家でもあった寺田寅彦の一文を思い出す。
「科学者は自然を恋人としなければならない。
 自然は恋人にのみ真心を打ち明ける」
(「科学者とあたま」)。
カミオカンデはいわば、
小柴さんが情熱を込めて書いた宇宙へのラブレターだろう。

基礎科学の面白さを子供たちに伝えようと、
講演や実験教室にも快く足を運んだ。
そこからは科学に恋い焦がれ、
お風呂に入るたびに励まされる研究者の卵が生まれたにちがいない。

 

 

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