日暮しの種 

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お勉強いたします

風鈴に良縁を願う

2015-08-31 07:15:00 | 報道/ニュース

8月27日 おはよう日本


埼玉県川越市には夏の間だけ境内につるした風鈴に縁結びを託す神社がある。
色鮮やかなガラスの風鈴。
その下には願い事を書いた短冊が下がっている。
約1000戸の風鈴が夏の暑さを忘れさせてくれる。
1500年の歴史があると伝えられる川越氷川神社。
縁結びの神様として知られ県内外から多くの人が訪れる。
この神社で去年から夏の間だけ行われているのが「縁結び風鈴」である。
パートナーとのご縁や理想の自分とのご縁。
さまざまなご縁を求めて短冊に思いを書く。
そして好きな色の風鈴に下げ祈りを込める。
「今年こそいい縁がありますようにと心からお願いしました。」
(川越氷川神社 横山径大さん)
「家族 友人 仕事もそうですし
 そういった広い縁を結んでくれるのがこの子和声氷川神社の神様のご神徳です。
 昔から神様がおこしになったときは風が吹くとも言われていて
 そういったところからも風鈴をやらせていただいております。」
訪れる人もさまざまである。
歌やダンスで海外でも活躍したいと言う女子高校生や
上手くいかなかった過去に別れを告げ次のご縁を求める女性たちもいる。
都内の病院に勤める看護師さんのグループ。
職場の同期だという4人は一緒に過ごせる最後の夏の思い出に縁結び風鈴を選んだ。
1人は病院を変わって新たな分野に挑む。
「ステップアップで新しい職場に4月から行くので
 そこで良い出会いとか環境に出会えたらいいかなと思って。」
突然雨が降り出した。
そんななか訪れた女性は小学校の先生を目指している。
「教員採用試験を受けているのでその合格をお願いしに来ました。
 教職との縁を結びたいと思ってきました。」
夜はライトアップされ幻想的な世界に変わる。
1人で来ていた男性。
短冊には好意を寄せる女性への思いが書かれている。
そっと風鈴に託した。
「なかなか声がかけづらい性格ですけど
 これを機に声をかけてみたいと思います。」
神社を彩る夏の風物詩 風鈴。
みんなのご縁をそっと後押ししてくれている。

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市川染五郎さん “新しい歌舞伎”への挑戦

2015-08-30 07:17:30 | 報道/ニュース

8月26日 おはよう日本


歌舞伎界の若手のエース 市川染五郎さん。
7月 公演に向けた染五郎さんの敬子が始まった。
今回 染五郎さんが演じるのは「鯉つかみ」という演目である。
主人公が鯉の化け物を退治する物語。
昔から人気の迫力ある立ち回りで初めて歌舞伎を見る人たちを驚かせようと考えた。
(市川染五郎さん)
「この日本で堂々と存在している伝統芸能ですので
 これだけの歴史がある歌舞伎を信じる
 代々続いて来た自分を信じる。
 堂々とお見せすることができるんじゃないか。」
染五郎さんが今回初めて取り入れたのがコンピューターグラフィックスを駆使した映像技術。
舞台上に映し出したCGと役者の演技を一体化しようというのである。
一番の課題はいかにCGと役者の動きを合わせられるか。
染五郎さんの映像をもとに調整する。
迫力ある映像と伝統の技の競演。
言葉の壁を越え視覚に訴える演出である。
(市川染五郎さん)
「持っているものを全部出し切れるようにしたい。
 歌舞伎ってラスベガスより歴史があるものなのっていうふうに
 それってさらにすごくないっていうことになるのが目標。」
舞台はハリウッド映画の撮影にも使われたこともあるラスベガス中心部の高級ホテル。
8月10日 ラスベガスに乗り込んだ染五郎さん。
さっそく舞台に向かう。
演じるのは広さ3万平方メートルもある人工の湖の上。
主人公が戦う鯉の化け物が吹き上がる噴水にCGで映し出される。
CGとどう自分を一体化させるか。
頭の中でイメージを膨らませる。
水面には幅約2,5メートルの通路が設けられている。
ここも舞台の一部である。
水に入って確認する染五郎さん。
ここを走っていく場面も見どころのひとつである。
その晩 演出についての話し合いで
CGを際立たせるため照明を減らしてほしいと染五郎さんは主張した。
(市川染五郎さん)
「走る通路の縁のLEDは照明?
 あれもなしで。
 走るところがばれてしまうので水の中を走っているふうにしたい。」
初めて歌舞伎を見る観客をあっと言わせる。
その思いが染五郎さんを突き動かしていた。
実際の衣装を着て本番同様の稽古が始まった。
物語は染五郎さん演じる侍と鯉の化けたお姫様の出会いのシーンから始まる。
ハイライトは正体を現した鯉との戦いの場面。
舞台全体を使った大立ち回りが繰り広げられる。
照明を消した通路にさしかかり水に落ちても染五郎さんは稽古を続ける。
(市川染五郎さん)
「絶対大丈夫なのと大丈夫じゃないのとのせめぎ合い。
 フィクションで人の心を揺さぶるのが役者の役割。
 よっぽどのことをしないとそうはいかない。」
8月14日 いよいよ公演初日を迎えた。
会場に集まった多くの人たち。
歌舞伎を見るのは初めてである。
船でさっそうと登場する染五郎さん。
しかし噴水に映し出されるはずのCGが出ない。
日中の気温が40度以上にもなり機械がオーバーヒートしてしまったのである。
その後 機械は復旧したものの満足のいく出来ではなかった。
翌日 本番直前CGを見ながら練習を続ける染五郎さんの姿があった。
CGの担当者たちも機械のチェックに余念がない。
そして臨んだ2回目の公演。
はたしてCGと一体化した演技は上手くいくのか。
噴水に巨大な鯉のCGが現れた。
観客の心をつかむ。
いよいよお姫様がその正体を現し染五郎さんと格闘する最大の見せ場である。
CGと染五郎さんの動きが一体となって展開する。
そして染五郎さんがこだわった場面。
暗闇の中水の上を走る。
公演は無事成功した。
(観客)
{すごく面白かった!」
「こんなの見たことがない!」
「伝統的なお芝居と最新の映像技術がミックスされていてよかった。」
CGの担当者たちもほっとした表情を浮かべた。
公演を終えた染五郎さんの目には充実感があふれていた。
(市川染五郎さん)
「幸せですね。
 映像とコラボして新しい『鯉つかみ』を作る。
 これがラスベガスのエンターテインメントのジャンルのひとつにという思いがあるので
 なんとか次につながることを祈ってます。」  




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シンガポール 歴史的建造物を残そう

2015-08-29 07:15:00 | 報道/ニュース

8月25日 キャッチ!


8月 シンガポールは建国50周年を迎えた。
世界有数の金融センターとして
また多くの物流を担う貿易港として急速な経済発展を続けてきたシンガポール。
1人当たりのGDP 国内総生産は世界第9位 50,000ドルを超える豊かな国のひとつである。
しかし経済発展の陰ではシンガポールの昔ながらの景観が開発によって失われてきている。

シンガポール北部の住宅地。
高層住宅のすぐ隣に目を転じると懐かしい景色が広がっている。
南国を思わせるヤシの木やでこぼこの道路。
その周りにいまではあまり見られなくなったトタン屋根の一軒家が並んでいる。
マレー語で村の意味を持つカンポンと呼ばれる集落。
サッカー場ほどの広さの土地に25世帯が暮らし
昔ながらの生活様式を守り続けている。
ここはいま観光客の間でひそかな人気スポットとなっている。
(ドイツ人観光客)
「昔のシンガポールがあると聞いた。
 こんなところがあるとは思わなかった。」
地元の人にとっても今や珍しいようである。
(地元住民)
「シンガポールではこうした地区が消えようとしている。
 かつてのシンガポールがどんな場所だったか娘にも伝えたい。」
シンガポールがまだマレーシアの一部だった60年ほど前に地主のスンさんの父親が土地を購入。
地元の人に貸し与えたことによって集落がつくられた。
親子2代で土地を守り抜いてきた。
(カンポン地主 スン・ムイホンさん)
「ここはとても自由よ。
 好きなものを育て訪問者と自由に会話できる。
 とても素晴らしいわ。」
このような集落はかつてシンガポール全土に広がっていた。
しかし政府が土地を収用するのに有利な法律が制定されたことなどから
1960年代後半以降 公共住宅の開発が急速に進められる。
住宅価格も低く設定されたことなどから国民の大半に一気に普及していった。
シンガポールに残る最後のカンポンにも開発の足音が近づいている。
スンさんたちのクラス集落でも去年から周辺の雑木林が伐採され
住宅の建設が始まった。
スンさんはいま地域の外の若い人に集落存続の希望を託そうとしている。
自宅の一部を開放して普段の生活ぶりを紹介している。
(観光客)
「ここは車の騒音がなく
 聞こえるのは鶏や犬の鳴き声くらい。
 街なかよりも自然が豊かなこの集落の方が好き。」
(カンポン地主 スン・ムイホンさん)
「訪問者が集落を残すべきだと思えば政府に働きかけてくれるでしょう。」
こうした伝統を記録に残す取り組みも始まっている。
シンガポールが独立した年に生まれたジェローム・リムさん。
カンポンのような昔ながらの建物や風景を写真に収めている。
これまでに撮影したのは国内の100か所以上。
子どもの頃の思い出の場所が次々と消えていくことに危機感を覚えたのがきっかけだった。
撮影した写真はインターネット上に掲載することで大きな反響が寄せられた。
(ジェローム・リムさん)
「シンガポールは変化のスピードが穂あの国に比べてあまりにも早いため
 昔のシンガポールを求める人々の思いは年々強まっています。」
ジェロームさんはいまネット上で知り合った仲間と
歴史的な建物を散策するツアーを行っている。
この日はさまざまな世代の15人が集まった。
訪れたのはシンガポールが独立するはるか前の1892年に建てられた歴史的建造物。
現在は保育園として利用されている。
赤道直下に位置するシンガポール。
エアコンがなかった時代に涼しさを得られるよう広い間口が設けられている。
また熱気がこもる天井近くには風が通り抜ける工夫がなされている。
ジェロームさんのこだわりは
気づかれることのないこうした先人たちの知恵をあらためて紹介することである。
(ツアー参加者)
「物事は変化しているので過去を知る必要があります。
 今を生きる私たちは過去との絆を求めているんです。」
(ジェローム・リムさん)
「歴史的なものの保存こそが私たちの足跡を知る手がかりです。」

シンガポールでも最近は歴史や伝統により重きを置くようになっている。
90年代に入ってからは文化的な遺産を後世に伝える国の機関が設置された。
ここでは貴重な建物が残る9つの地区を歴史を伝える散策路に指定し
学校教育にも生かすなど
歴史や伝統を保全してさらに生かす取り組みが進められている。
シンガポールはこれまで経済成長を最優先に進めてきたが
建国当時からの発展を知る多くの世代が高齢者となった。
また外国人の人口が全体の40㌫にまで増え
国家や国民のアイデンティティーが問われるようになってきたこともこうした分野に重きを置く要因の一つとなっている。
ただ現実問題としてシンガポールの国土は狭く
開発が可能な土地が少ないのが現状である。
開発が保護かをめぐる厳しい取捨選択は引き続き行われることになり
ペースが鈍りつつある経済成長を維持しながらシンガポールらしさを守ることができるかが課題となっている。




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確率1%でも悪意への備え

2015-08-28 07:15:00 | 編集手帳

8月23日 編集手帳

 

かつて、
ベルギーは中立を宣言し、
外交で平和を維持できると考えた。
他国の「善意」に依拠したのだ。
結果、
2度の世界大戦でドイツの侵略を許した。
戦後、
ベルギーはこれを教訓に、
集団的自衛権行使に重きを置く自国防衛に転 じた。

国際政治学者の細谷雄一氏の論文に詳しい。
「1%でも善意に頼れない国があれば、
 私たちの安全は破壊される」と、
細谷氏は小紙で語っている。

70年前の8月、
日本も同様の経験をした。
ソ連の満州(現中国東北部)などへの侵攻だ。
中立条約を守るという善意がソ連になく、
多くの日本人が犠牲になった。

今、
安全保障関連法案に対し、
「中国や北朝鮮が日本を攻撃するはずがない」との批判がある。
両国にも善意が通じる人は少なからずいようが、
北朝鮮独裁政治の動向は予測困難だ。
戦闘機を自衛隊機に異常接近させた中国軍人もいる。

<地獄は善意の敷石で敷き詰められている>。
欧州のことわざで、
『世界ことわざ大事典』には「悪人の中には善意の行為を主張するやからが多い」との解説もある。
確率1%でも悪意への備えを怠らないことが、
安全保障の肝である。

 

 

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元外交官が語る緊迫の日韓外交

2015-08-27 07:15:00 | 報道/ニュース

8月24日 キャッチ!

 

7月 韓国ソウルで日本のメディアに公開された1枚の木の板。
以前大使館の正面玄関に掲げられていた看板である。
半分に割れた看板の裏には
“永久保存のこと
 1974年 大統領夫人暗殺事件の際 大使館乱入の際破損されたもの”
と書かれている。
41年前の看板がなぜ大切に保存されてきたのか。
そこには今以上に厳しかった日韓関係の歴史があった。
日本と韓国の国交正常化から9年後の1974年8月15日。
ソウルでパク・チョンヒ大統領暗殺未遂事件いわゆる「文世光事件」が発生した。
演説していた大統領に向かって男が銃を発砲。
パク大統領は無事だったが大統領夫人らが流れ弾に当たり亡くなった。
韓国側は逮捕した男が北朝鮮の支持を受けていたとみられることや
犯行に使われたのが日本の交番から盗まれた拳銃だったことなどから
日本政府に捜査協力や再発防止を要求。
しかし日本側が北朝鮮との関係を調べることに慎重な姿勢を示したために
数千人のデモ隊がソウルの日本大使館を取り囲み
9月6日に突如館内に乱入したのである。
当時外交官として大使館で働いていた町田貢さん。
勤務中にデモ隊の襲撃を受けけがを負ったと言う。
(元外交官 町田貢さん)
「ドアが開いてデモ隊が入ってきた。
 数名が鉄パイプと棍棒で私を殴った。
 その時ここで僕は死ぬのだなと思った。」
デモ隊によって屋上に掲げられていた日本の国旗は破り捨てられ
何もかもがめちゃくちゃに破壊された。
デモ隊が引き上げたあと町田さんは大使館の象徴である看板が亡くなっていることに気付く。
(元外交官 町田貢さん)
「韓国の情報機関の友達に
 看板をデモ隊が持って行ったからそれをすぐ取り返してくれないかと頼んだ。
 情報機関が
 半分の文字が少ない方の看板をなんとか見つけたと私のところに持ってきた。」
大使館襲撃の後も韓国国内の世論は収まらず
韓国政府も事件の責任を認めない日本政府への怒りを募らせていた。
10年前に韓国政府が公開した当時の外交文書。
パク・チョンヒ大統領狙撃事件(全15冊 事件日誌)
大統領夫人を殺害した犯人について日本に責任を強く求め
日本との国交断絶まで検討する事態となった。
状況が悪化の一途をたどるなか
水面下では何とか問題を収束させようと必死の交渉が繰り広げられていたと言う。
(元外交官 町田貢さん)
「外交というものは政治担当の外交交渉。
 大使はめったに出て行かない。
 この時は後宮大使と首相のキム・ジョンピルさんとの間で直接電話で丁々発止のやり取りをしていた。
 今まで長い間でこんな外交場面は見たことがない。」
韓国のキム・ジョンピル首相と日本大使の交渉の結果
日本のトップである当時の田中角栄総理大臣が訪韓。
大統領夫人の葬儀に参列し哀悼の意を示したが韓国側の感情は収まらない。
(元外交官 町田貢さん)
「日本側は
 できるだけ取り締まりをし捜査にも協力し使節を出し遺憾の意を表明しに行くことを合意して
 やっと1か月半ぐらいかけてこの事件の終止符を打った。」
日本政府は当時の実力者であった自民党の椎名悦三郎副総裁を特使として派遣。
夫人を亡くした大統領に頭を下げる日本の特使の姿は世界に配信され
大統領へのキム首相の働きかけもあり
事態はやっと沈静化に向かったのである。
この日40年ぶりに看板を目にした町田さん。
苦境をなんとか乗り切った当時に思いをはせた。
国交正常化から50年を経て再び悪化している日韓関係。
長年にわたって日韓外交に尽くしてきた町田さんは双方の歩み寄りが欠かせないと話した。
(元外交官 町田貢さん)
「国家関係ではお互いに超えてはならない線がある。
 それも日本も韓国も越えている。
 だから超えている線まで下がらないといけない。
 苦労して先輩たちがやっと修復して合意しその上に今日の日韓関係がある。
 後輩たちはそれを尊重してその上に新しいものを築こうとする努力がないといけない。」

 

 

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義足のアスリート 華やかに

2015-08-26 07:15:00 | 報道/ニュース

8月19日 おはよう日本


8月2日に石川県中能登町で開かれたファッションショー。
大人から子どもまでのモデルに交じって最も注目を浴びた女性たちは
あでやかな振り袖姿の下には義足をつけている。
このファッションショーを企画したのはフリーカメラマンの越智貴雄さん。
(フリーカメラマン 越智貴雄さん)
「彼女たちの魅力を存分にしっかりカメラに収められるようにしたい。」
普段は東京を拠点に障碍者のアスリートを撮影している。
きっかけは2000年のシドニーパラリンピック。
障害を負けずに世界一を目指して競技に取り組む姿に感動したと言う。
これまで選手たちの姿を競技の写真を通して伝え続けてきた越智さん。
しかし障碍者のアスリートへの関心はなかなか高鳴らなかったと言う。
そこで越智さんは去年ある写真集を出した。
義賊のアスリートたちのプライベートの姿を紹介。
珍しい作品に海外でも大きな注目を集めた。
(フリーカメラマン 越智貴雄さん)
「ただ競技を撮っていてはダメなんだと。
 選手のストーリーであったり
 そういったところを伝えてかなければいけない。
 それ以外にも個性とか魅力とか伝えていかなければいけないと。
 どんどん選手との関係を近くするようにしていった。」
さらに越智さんはもっと関心を持ってもらおうとこのファッションショーを企画した。
衣装は会場の中能登町の優れたプリント技術を使って製作。
袖には越智さんの写真集に使われた作品がプリントされていた。
(フリーカメラマン 越智貴雄さん)
「ここまできれいにプリントされている写真を見てうれしい。
 撮影者としてすごく。」
そしていよいよ本番当日。
モデルはパラリンピックを目指す陸上の選手など義足をつけた5人である。
いずれも越智さんが東京から招いた。
(陸上アスリート 村上清加さん)
「自分が思った以上のものを撮ってくれる。
 出来上がった写真を見てこんなにかっこよくなっているんだと思ったり
 越智さんとの出会いは大きい。
 私たちはこうして暗くなく元気にやっているところを見てもらえたらうれしい。」
会場に集まった観客は約5,000人。
越智さんが見守る中ファッションショーが始まった。
モデルたちが自分の写真がプリントされた衣装で次々と登場。
観客の目の前では1人ずつ義足を披露した。
モデルたちの生き生きとした表情に越智さんもさかんにシャッターを切る。
(フリーカメラマン 越智貴雄さん)
「彼女たちが1秒1秒会場の空気を換えていったのを感じた。
 とにかく自信を持って堂々とかっこよく美しい。
 これ以上ない美しさ。
 すてきだった。」
ステージではモデルたちが思い思いのポーズでアピール。
彼女たちの姿に観客たちも魅了されていった。
(観客)
「前向きな方が多いと言うのが率直な意見。
 もっと障碍者の方とかかわっていきたいと思った。」
(陸上アスリート 大西瞳さん)
「達成感でいっぱい。
 感動した。
 準備を皆さん頑張ってくれたので。
 温かい拍手とかもらってこちらが勇気が出た。」
15年間障碍者アスリートを撮り続けてきた越智さん。
このファッションショーでいままでにない確かな手ごたえをつかんでいた。
(フリーカメラマン 越智貴雄さん)
「障碍者という言葉をも超越したものが伝わったと思う。
 純粋に彼女たちの魅力が伝わった。
 今日のファッションショーを見てくれた人で
 何かポジティブな行動を起こしてみようと思うようなきっかけになるようなファッションショーになった。
 大成功ですね!」

 


 

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“ファインバブル”が1次産業を変える?

2015-08-25 07:15:00 | 報道/ニュース

8月18日 おはよう日本

高知県が全国一の生産量を誇るショウガ。
高知市のこのハウスで栽培にある特別な水を使ったところ・・・
「根の大きさと張りは抜群。」
普通の水を与えたものと比べて太く丈夫なショウガができた。
その秘密はファインバブルである。
金魚の飼育などで見られる一般的な泡に比べ
ファインバブルは泡が極めて小さいため長い時間水中にとどまる。
そのため酸素などの気体を多く水に溶かすことができる。
このハウスでこれまで与えていた水の中の酸素濃度は20%ほど。
一方 ファインバブルが入った水では濃度が90%にまで上昇した。
酸素をたくさん含む水を与えたことでショウガの成長が促されたと考えられる。
長雨や日照りの後もしおれにくくなったという。
(農家 柳村節男さん)
「始めて良かったと思います。
 効果的には高いと思います。」
ファインバブルの研究を長年続けている高知工業高等専門学校の秦隆志准教授。
従来 工業分野での研究が盛んだったファインバブルを農業などの分野にも応用しようと考えた。
秦准教授が開発したのは
小型で持ち運びが自由
ホースなどに取り付ければどこでもファインバブルが発生できる装置。
泥水などを通しても詰まることはないと言う。
(高知工業高等専門学校 秦隆志准教授)
「1次産業に入っていくためには
 泥汚れ・石が入ってくる。
 藻が入ってくる
 海藻が入ってくる
 というような問題がある。
 対応する装置作りが必要になってくる。」
このファインバブルは漁業の現場も変えようとしている。
高知県で魚の養殖を営む弘瀬裕一さんはある問題に長年頭を悩ませてきた。
養殖では魚に寄生虫が付くのを防ぐために
定期的に生簀に薬をまく作業が必要である。
作業を効率的に行うために狭い生簀に数万匹の魚を集めるが
水中の酸素が足りなくなり大量の魚が酸欠に陥って死んた。
「多いときで2,000匹とか死んでしまった例がある。
 もう泣きたいですよね。」
生簀の中でファインバブルを発生させれば
水中の酸素濃度が上がり
魚が死ぬのを防げるのではないか
秦准教授が開発した発生機を養殖の現場で実際に使ってみた。
すると大量のファインバブルにより水中の酸素量はこれまでの2倍以上に増加。
酸欠で魚が死ぬことはほとんどなくなった。
(高知工業高等専門学校 秦隆志准教授)
「ファインバブルは水と空気でできるので
 身近なものを使うだけで効果が生まれる。」
このファインバブルの活用に高知県も動き出した。
専門家や機械メーカー、金融機関などとプロジェクトチームを設立。
ファインバブルを将来の基幹産業にしようと言うのである。
チームのメンバーらがつくった試作機。
ファインバブル発生機を3台つないだところ
1分間に300リットルものファインバブルを含んだ水を作ることができた。
来年をめどに海外の大規模な農場にも売り込んでいく計画である。
(高知県新産業推進課 森学課長)
「高知の産学官が集まることで様々な分野への応用や
 関連製品の開発
 こうしたものを加速化できないか。
 産業利用といえば高知が一番進んでいるという姿をイメージしている。」
大きな可能性を秘めた小さな泡ファインバブル。
高知を代表する新たな産業となるのか
地元の期待が寄せられている。


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“爆買い”中国のネット通販最前線

2015-08-24 07:15:00 | 報道/ニュース

8月13日 おはよう日本


中国の30代の女性の自宅。
「日本の商品です。
 シャンプー 歯磨き ドライヤーとか。」
化粧品や洗顔料などが入ったたくさんの段ボール箱。
すべて日本で爆買いした姉から送ってもらったものである。
手数料を上乗せして国内向けに販売している。
日本で売られている商品を代わりに購入する「代購」と呼ばれるビジネスである。
客とスマートフォンでやり取りして希望の商品を送るだけの手軽なビジネス。
売り上げは多いときで月に100万円近くにのぼる。
関税などを払わず違法だという指摘もあるが
一般市民の間で流行している。
「“代購”ビジネスは少ない資金で小遣い稼ぎができる。
 気楽に続けたい。」
インターネットを使ったビジネスは中国で急成長している。
去年 インターネット通販の市場規模は日本円で実に55兆円。
前年より約50%増えている。
(中国向けネット通販のホームページ)
「大阪の店に行って日本一売れているシャンプーを見てみよう!」
こうした動きを取り込もうという日本発のインターネット通販が登場した。
そのホームページを利用している上海の女性。
愛用する化粧品の多くはインターネットで日本から直接買ったものである。
「中国の商品は本物か偽物か分からないから不安。
 日本から送られてきた商品は偽物がないので安心。」
運営しているのは日本のドラッグストアチェーン。
関西を中心に330店舗を展開しているが
去年から中国の消費者向けのインターネット通販で売り込みを始めた。
日本製品人気を意識しホームページにはあえて日本語を載せて日本ブランドをアピールしている。
発送でもひと工夫。
日本の新聞紙で商品を包む。
(ドラッグストア「キリン堂」 ネット通販担当)
「中国のお客様が新聞を見て日本から届いたと安心してもらえれば。」
中国でのインターネット通販の去年の売り上げは約4億円。
今年は2倍以上の10億円を目指している。
(ドラッグストア「キリン堂」 ネット通販担当)
「国内ネット通販のスピードより3倍から5倍のスピード感で成長している。
 今後も成長はどんどん続いていくと思う。」
中国のインターネット通販の需要を取り込もうという動きは加速している。

 

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日本橋1丁目 妻家房 日本橋店 (サイカボウ)

2015-08-23 17:27:29 | グルメ

  

  

  (食べログ)

 

http://www.saikabo.com

コレド日本橋 4F
地下鉄日本橋駅からすぐ
日本橋駅から89m

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台場1丁目 THE OVEN AMERICAN BUFFET

2015-08-22 11:14:14 | グルメ



  

 


アクアシティお台場 6F

ゆりかもめ台場駅 徒歩1分
りんかい線東京テレポート駅 徒歩6分
台場駅から268m

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宇宙飛行士への挑戦 それからの人生

2015-08-21 07:15:00 | 報道/ニュース

8月12日 おはよう日本


7月 夢をかなえ宇宙に飛び立った油井亀美也さん。
「地球はすごいきれいでもう言葉がないくらい。」
この打ち上げを
油井さんと同じ夢を抱き挑戦した仲間たちが見守っていた。
油井亀美也さんが挑み6年前に合格したのが宇宙飛行士選抜試験。
受験者は963人。
知力や体力、
リーダーシップやコミュニケーション能力などが1年がかりで徹底的に見極められた。
選ばれたのはわずか3人。
その陰には960人もの夢破れた人たちがいる。

宇宙への夢を次の世代に引き継ごうと人生を大きく変えた人がいる。
舘弘士さん(44)。
岐阜県の高校で数学を教えている。
授業中に響く轟音に突然 舘さんは窓の外を見つめた。
「あれはT(訓練機)です。
 県営愛知空港に着陸するT4です。」
舘さんは元自衛官。
アメリカやロシアの宇宙飛行士には空軍出身の人が多いことから
航空自衛隊に入り
試作機の開発などを行ってきた。
(舘弘士さん)
「自衛隊に入った時の1つの気持ちの中で
 宇宙飛行士の採用試験を受けたい
 いつか受けたいという気持ちがあって
 ずっとその気持ちを隠してきた。」
舘さんが所属していた同じ基地には油井さんもいた。
ふたりは宇宙飛行士の夢を胸に秘めながらそれぞれ任務にあたっていた。
宇宙飛行士選抜試験(2008年~2009年)。
舘さんは2時選抜に挑むが結局不合格に終わった。
「かなりの準備と努力をして臨んだ試験なので
 2次試験の不合格通知が来たときは相当ショックでした。」
舘さんは宇宙への夢をあきらめ
試験後 自衛隊を去った。
高校教師として再出発した舘さん。
いまも生徒たちを前にすると宇宙飛行士に挑戦した時の思いを口にする。
「これから1年間2年間かけて自分の目標を決めていけばいいと思うし
 宇宙飛行士にチャレンジした結果
 教員というチャレンジを続けているので。」
今年に入って舘さんはひとりの生徒から進路の相談を受けるようになった。
2年生の石原義経さんは舘さんの話を聞き宇宙関係の仕事に就きたいと考え始めている。
6年間大切にとっておいた宇宙の資料を見せる舘さん。
「これあげるよ。
 宇宙飛行士のパンフレットとか。
 英語読めないと。」
最後に見せたのが1通の通知。
「最終的に来たのがこの不合格通知。
 冷たいよね。」
これまで誰にも見せたことがなかった。
失敗を恐れず挑戦することの大切さを石原さんに伝えようと思ったのである。
「挑戦することはいちばん大事なことだと思うので
 失敗したら次の選択肢だってあるし
 リトライだってできるわけだから
 まずは簡単に夢をあきらめずに今の夢を挑戦してください。」
(石原義経さん)
「いろんな経験をされている方がこんなに近くにいるんだと思って
 そういう話を聞くたびに舘先生がすごい人だなって思って
 担任が舘先生で本当に良かった。
 いろいろな経験を聞けて
 自分の糧にもなったから本当に幸運だった。」
ふたりは油井さんの打ち上げを一緒に見ようと約束を交わした。
6年前 油井さんとともに最終試験に残った10人。
しかしあと1歩のところで夢破れその理由を考え続けてきた人がいる。
内山崇さんである。
JAXAで宇宙船の開発を続ける内山さん。
この6年
なぜ自分が選ばれなかったのか自問自答を繰り返してきた。
「自分がそこまで宇宙飛行士としてやれる決意があったのかっていうのは
 なかなか決意があったとは言い切れない部分がありました。」
そんな内山さんが取り組んだのは日本の宇宙輸送船“こうのとり”の打ち上げである。
宇宙ステーションに水や食料を届ける。
今回ロボットアームを操作して受け取るのは油井さんになる。
内山さんは“こうのとり”の管制官として地上から油井さんを支え
ともに宇宙の夢を見続けたいと考えている。
「油井さんはプロの宇宙飛行士として一緒に仕事をしている。
 こちらもプロの管制官としてやっている。
 とにかく成功させないといけない。
 宇宙ステーションにしっかり届けることに全力を尽くす。」
7月23日 ついに油井さんが宇宙に旅立つ時を迎えた。
6年前の選抜試験を共に受けた受験者たちがその瞬間を見守ろうと集まっていた。
その中には地上から油井さんを支えようと決意した内山さんの姿があった。
同じころ舘さんは生徒の石原さんと一緒に打ち上げを見守っていた。
次の世代に夢を託す。
(内山崇さん)
「油井さんと一緒に仕事をすることになるのでワクワクする。」
夢に挑戦したことを糧にそれぞれが新たな人生に踏み出している。
(舘弘士さん)
「打ち上げが
 自分のことを見直して再チャレンジしていく
 見直すきっかけになったと思うので
 まだ自分の夢を追いかけていない持っていない子もいっぱいいますが
 そういった子も夢を持って追いかける手伝いをしたい。」



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震災と甲子園の経験を胸に 宮城 石巻工元首相の思い

2015-08-20 07:15:00 | 報道/ニュース

8月11日 おはよう日本


神奈川県にある日本体育大学のグラウンド。
石巻市出身の阿部翔人さん(日本体育大学3年)。
3年前 阿部さんは石巻工業のキャプテンとして春の選抜に出場した。
復興の力になると臨んだ震災1年後の甲子園。
阿部さんは復興への思いを選手宣誓に込めた。
(石巻工業主将⦅当時⦆ 阿部翔人さん)
「東日本大震災から1年
 被災をされた方々の中には
 苦しくて心の整理がつかず
 今の当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみにくれている方がたくさんいます。
 その苦難を乗り越えることができればその先に必ず大きな幸せが待っています。」
(阿部翔人さん)
「甲子園にも出られて
 選手宣誓をして被災地の気持ちも代弁して
 そのおかげというかその経験で周りからもいろいろ注目されるようになって。
 僕が下の世代に先頭きってやらないといけない。」
震災が起きたあの日
石巻工業は津波で校舎の1階が浸水。
生徒は2日にわたり外に出られなかった。
その後 阿部さんたちはグランドの泥をかき出し40日後に練習を再開する。
全国から送られた野球道具を修理しながら練習を続け
初めての甲子園につなげた。
あの甲子園から3年。
阿部さんはいま体育教師になるための勉強を進めている。
震災があったからこそ野球の指導者になりたいという思いが強くなったと言う。
(阿部翔人さん)
「生活も満足にできない状況までなった経験があるので
 本当に当たり前のことが当たり前にできる環境が本当に感謝しないといけないし
 そういう気持ちから教えたい。」
8月 阿部さんは石巻に戻って母校を訪ねた。
教育実習を申し込んでいた。
当時の担任の先生も迎えてくれた。
(当時の担任の先生)
「いろいろ経験してることだからその経験持ち帰ってこっち来るんでしょう。
 素晴らしいね ほんとに。」
阿部さんはこの日 後輩たちの練習を手伝った。
震災そして甲子園を経験した自分だからこそ伝えられることがある。
指導者への思いをあらためて強くした。
(阿部翔人さん)
「野球の練習をしている中でもつらいことっていっぱいあって
 そのつらいことを目先でこなすんじゃなくて
 その先にもっといいことがあるんじゃないかって。
 僕が甲子園に出て学んだことや
 震災を経て学んだことを
 生徒や選手にしっかりと伝えて
 それでまた甲子園に出られればと思います。」



 

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“携帯端末で気軽に” 未病研究最前線

2015-08-19 07:15:00 | 報道/ニュース

8月10日 おはよう日本


ジョギングをしている人の心拍数がスマートフォンに表示される。
これはスポーツ用品メーカーが開発した特殊なウェアである。
生地の裏側に取り付けられたセンサーで心拍数を感知する仕組みである。
鼻あての部分が目の動きを感知するセンサーになっているメガネ。
瞬きの回数や黒目の動きなどから脳の状態を分析するものである。
いま人の健康状態の変化をリアルタイムに計測できる機械が次々と開発されている。
こうした機械が病気を未然に防ぐことにつながるのではないかと期待が寄せられている。
(日本未病システム学会 福生吉裕理事長)
「自分の体の情報を自分が早くキャッチできる。
 努力の一歩一歩が高齢社会、健康寿命を延ばす。」

NTTドコモ先進技術研究所。
計測しているのは脂肪の燃焼度合。
(NTTドコモ新新技術研究所 山田祐樹さん)
「皮膚から出てくるアセトンというガスを測定するもので
 アセトンを測定することで脂肪が燃えているかどうかを判定する。」
アセトンはマニキュアの除光液などに使われていて
あぶらを取り除くという性質がある。
アセトンは人間の体内でも作られている。
肝臓で脂肪が燃焼して分解されるとアセトンが生成される。
アセトンは血液中をめぐり皮膚から気体となって排出される。
この研究所ではごく微量のアセトンでも測定できる特殊なセンサーを開発した。
人は特に運動していなくても1分間に1cm³あたり30~80pgのアセトンを排出している。
運動などによって脂肪が燃焼するとアセトンの排出は増える。
しかしこの研究所では30pg以下になると
脂肪の燃焼が少なくなり体内に蓄積されるとしている。
この状態を未病ではないかと考えている。
このセンサーはまだ市販されていないが
研究グループでは
運動や食事の度に脂肪の燃焼の度合いを見ることに役立ててほしいと考えている。
(NTTドコモ先進技術研究所 山田祐樹さん)
「ウエアラブル端末だと1日ずっと健康状態を計測できるので
 些細な変化に気付くことが可能な端末だと考えている。
 生活習慣を変えていって健康になってもらえるサービスを実現できれば。」
今まで数値で表すことが難しかった病気も計測しようという試みが始まっている。
7月に公開されたばかりのアプリ。
(利用者)
「自分の“元気圧”心の浮き沈みの状態を示してくれるアプリ。」
このアプリは会話の音声から元気圧というものを測定する。 
元気圧が低くなるとストレスがたまっていてリラックスが必要な状態だと教えてくれる。
(利用者)
「振り返ってみると確かにストレスがかかっていた。
 声にも表れていると後で気づき発見できたのはよかった。」
このアプリを開発したのは東京大学大学院医学系研究科 特任講師 光吉俊二さん。
光吉さんは人の声から脳の状態を分析していた。
感情をつかさどる大脳辺縁系は神経で声帯と直接つながっている。
リラックスした状態では声帯は緩む。
それに伴い周波数は低くなる。
一方で緊張した状態では声帯は固くなる。
周波数は高くなる。
声の周波数がどう変化するのか
そのパターンを分析し
その人が元気な状態かどうかを割り出そうとしている。
光吉さんはこのアプリを自分の心の状態を知るために活用してほしいと考えている。
(東京大学大学院医学系研究科 光吉俊二特任講師)
「元気が落ちてきたら
 ちょっと休もうとかリフレッシュしようという癖をつければ
 重篤な状況になる前にストレスにならなければいろいろな病気にならなくなる。
 病気になる前に未病の段階で察知する。」
光吉さんの研究を未病対策に取り入れようという自治体も出てきた。
神奈川県は未病に関する技術を認定する制度を今年から始めた。
こうした技術を後押しすることで県民の意識を高めようとしている。
「未病の概念を打ち出すことによって
 自分で健康を管理してモニタリングする社会に変わっていくだろうと想定。」
(神奈川県 首藤健治理事)
「人生の終末期を迎えるまで社会で活動し続ける形を作っていけないか。
 未病コンセプトからつながる神奈川の目指していく社会の形。」

 

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ライブ市場が熱い! ②広がる新ビジネス

2015-08-18 07:15:00 | 経済フロントライン

8月8日 経済フロントライン

ライブ人気に目をつけた新たなビジネスも生まれている。
都内の映画館に詰めかけたお客さんたちのお目当ては
人気アイドルグループ ももいろクローバーZのライブ。
静岡で開かれているライブを全国70か所の映画館に生中継した。
ライブが9,000円なのに対し
映画館は3,500円とお手軽である。
「時間の関係もあって場所が遠かったので今回はこっちに来た。」
「臨場感とかちゃんと感じられたので楽しかった。」
ライブの中継を行っているのは大手芸能事務所のグループ会社である。
音楽を中心に去年は120本以上のライブを中継した。
(ライブ・ビューイング・ジャパン社長 久保田康さん)
「映画館でプラスアルファのチケット収益と
 映画館でもグッズが売れるので
 権利元としては収益の拡大の場としてファンサービスの場として有効。」
ライブ感を売りにするビジネスも登場。
都内にあるカラオケボックスで今年4月から始められたこのサービス。
ライブ会場さながらの雰囲気を体験できるという。
プロジェクターを使い
1つの画面にはアーティスト
もう1つには観客を映し出す。
「ライブの中にいるような感じで気持ちよかった。」
「カラオケじゃないみたい。」
開発したのは通信カラオケメーカーである。
現在 全国1500か所以上のカラオケ店に導入している。
(第一興商 商品開発部 部長 小澤二穂さん)
「みなさん好きなアーティストのライブ映像を見たいとか
 この日のこのバージョンで歌いたいとか
 そういったニーズもあるので
 なるべく現場のニーズに合ったものを提供していきたい。」
さらにライブの動員数を増やすための取り組みも始まっている。
活用するのは電子チケットのデータ。
電子チケットを買う際には
顧客の住所や年齢好きな音楽のジャンルなども入力することになっている。
こうした客の膨大な情報を分析し効果的なマーケティング戦略を考え出す。
この日はあるアーティストの大阪と福岡の公演を分析。
どちらにも中国地方や四国から多くの客が来ていたことがわかった。
「大阪や福岡で公演数を増やすよりも
 中国地方、広島、岡山でホールクラスで1本できれば全体のお客さんを拾っていける。」
(ボードウォーク社長 鈴木秀紀さん)
「会員のお客様がコンサート会場でどういったものを購入されたとか
 そういった履歴とチケットの履歴をマーケティングに生かしていく。」
ライブに一段と力を入れる音楽ビジネス。
ますます熱を帯びている。

 

 

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ライブ市場が熱い! ①ライブ人気を支える最新技術と演出 

2015-08-17 07:15:00 | 経済フロントライン

8月8日 経済フロントライン


ライブ会場のスタジアムを埋め尽くす光は
観客が身に着けたリストバンドの輝き。
アーティストは客席の光を自在にコントロールする。
開発したのは大手電機会社のグループ会社である。
(ソニーエンジニアリング 開発課 海老原英和さん)
「無線を使ってペンライトやリストバンドの色や点滅方法を制御する。」
曲の進行に合わせてコンピューターのプログラム通りに光り方や色を制御。
内蔵したLEDは100万色以上に変化するという。
さらにアーティストが自由に制御することも可能。
価格は公演によって異なるがペンライト型で1つ2,500円。
チケット代に含まれる場合とグッズとして販売される場合とがある。
(ソニー・ミュージックコミュニケーションズ マーチャンダイジングカンパニー代表 関口博樹さん)
「コンサート自体を一体感を持たせて盛り上げるには非常にいいツール。
 まだまだ拡大するのではないか。」
新しい形のライブを手がける会社もある。
ライゾマティクスリサーチ代表の真鍋大度さんは
演出家の求めに応じて映像や機械を制御するソフトウェアを開発している。
真鍋さんを一躍有名にしたのはPerfumeのライブ。
踊るアーティストの衣装にリアルタイムに映像を投影した。
真鍋さんは観客とステージの一体感を生み出す技術を考え出した。
観客が会場に入場する前に一人一人の姿を撮影し
1万人分の画像データを作成する。
データから作った観客のCGは
Perfumeが共演する映像をその場で上映したのである。
(ライゾマティクスリサーチ代表 真鍋大度さん)
「技術とエンタメの橋渡し的な人がもっと重要になってくる。
 音楽フェスティバルの規模もすごく大きくなってきているので
 いろんなところでライブの演出の需要が増えていく気はする。」
ライブ市場の活性化は音楽の市場全体を活性化させている。
音楽ビジネス(ライブ・コンサート、レンタルを含むCD、音楽配信など)の売り上げは
2011年までは全体に減少傾向が続いていたが
その後ライブがけん引しプラスに転じた。
(音楽市場の動向を調査 桜美林大学 ビジネスマネジメント学群 山口有次教授)
「今まではライブはCDを売るためのツールとしてとらえられていた。
 それをビジネスの収益を上げるツールとして改めて見直し
 てこ入れをしてきた。
 そして新たな収益源として広げている。」

 

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